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■川合玉堂展(1月29日まで)

2007年01月29日 07時11分24秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 明治、大正、昭和の三代にわたって活躍、最初の帝国芸術院会員でもあった日本画の巨匠、川合玉堂(1873-1957)の展覧会。
 もちろん、「行く春」「二日月」といったクラスの名作がきているわけではなく、出品約40点はほとんどが売り絵の掛け軸です。「蓬莱仙島」など、額装の作品も少しあります。
 絵はほとんど描いてなく、さらさらっと短歌や俳句を書き付けてあるだけのものもあります。ちなみに、そういう文字だけの軸でも100万円台、多いのは300-600万円台で、1000万円を超す作品も何点かありました。やはり、絹本のほうが高いようです。

 それにしても、画像は「湖山清漁」(134×42センチ)ですが、この澄み切った境地はどうでしょう。
 手前のごつごつした岩と松の木、湖を望む高台で休む二人連れ、浮かぶ小船、浜辺の家々、遠くかすむ山…。
 まさに伝統的な水墨画の世界です(この絵は緑などがわずかに着彩されているようですが)。
 現代の日本画がわすれてしまった、省筆の美学と空気感が、ここにあるのではないでしょうか。

 ほかにも「湖山春晴」「鮎釣図」「四手網」「松浦帆影」など、漁や釣の画題の絵は多かったです。
 「鵜飼」は、めずらしく人物が大きく描かれている作品。このテーマで玉堂は、生涯で50点以上も描いているらしいです。

 最後に、手近にあった本から、玉堂の略歴を。
 明治6年(1873年)愛知県外割田町生まれ。母は尾州藩明倫堂の監学で陽明学者佐枝市郎佐衛門の三女であった。父も茶人であったというから、彼の学問好きは家庭環境に発している。明治23年、17歳で第3回内国勧業博覧会に出品、褒状を受け、以後しばしば受賞を続けた。同29年上京して橋本雅邦に師事した。「二日月」は明治40年の東京勧業博覧会で最高賞を得たもので、その後同年10月から始まる文展でこの傾向が流行した。狩野派、四条派、円山派を折衷して詩情あふれる画趣を示している。

 のち、文化勲章。昭和32年(1957年)、歿。

1月24日(水)-29日(月) 10:00-20:00(最終日-18:00)
丸井今井札幌本店 一条館8階美術工芸ギャラリー(中央区南1西2 地図B)


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