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■没後50年 川合玉堂展(東京07-10)

2007年10月10日 20時11分40秒 | 道外で見た展覧会
 
 「早乙女」を、たまたま見たテレビ東京-TVHの「美の巨人たち」で特集されていたことも、たぶん筆者が山種美術館に足を運んだ遠因になっているのだろうと思う。
 この絵は1945年作。
 見事なまでに、あの戦争が、絵に影を落としていない。

 戦争だけではない。川合玉堂の絵には、近代の日本を想起させるものは、なにひとつ描かれていないと言ってよい。
 画題の大半は風景であり、点景で人物が描かれることはあっても、彼ら彼女らは和装であり、あるいは馬を引き、この絵のように手で田植えにいそしみ、江戸時代以前の人物のようだ。
 (その意味では、今回展示されていた「氷上(スケート)」は、近代生活を題材にした唯一の作品だった)

 川合玉堂の絵の世界とは、もはや現実には残っていない、失われた美しい日本の風景なのだ。

 美術館の展示パネルに、つぎのような文があった。

 50年前、玉堂の訃報に接した鏑木清方は、「日本の自然が、日本の山河がなくなってしまったように思う」と嘆きました。


 紅葉のなかを人物があるいていく「秋山帰樵」。
 馬をつれた男が山道をあるくとき、さっと一陣の風が行き過ぎる「山雨一過」。
 そして、彼が終生画題とした「鵜飼」…

 題材はもちろんだが、画法においても、玉堂の絵は、近代以前の様式を色濃く残している。
 作品の大半は軸装。しかも、水墨画が中心だ。
 岩山の描き方は狩野派以来の伝統をふまえている。 
 いま日本画の展覧会に出かけても、このようないき方をとおしている画家はもはやいない。

 近年の研究によって「日本画」とは、昔から自明の概念だったのではなく、明治期につくられたカテゴリであることが、明らかにされている。
 川合玉堂の絵は、「日本画」が「日本画」であることが素直に信じられた、古き良き時代のものなのだなあと、しみじみ思う。

 以下余談。
 かように懐旧の情を起こさせる川合玉堂の作品なのだが、今回の出品作のうち、1948年ごろのものとされる「海」だけは、ちょっと意外だった。
「かさなれるうらみの時の國ふたつ ふたつかさねてうちつらぬかむ」
という、この温厚そうな画家にはめずらしい、怒りのこもったことばが添えられているのだ。
 いったい、どんな心の動きがあったのだろうか。


2007年9月8日(土)-11月11日(日) 、月曜休み(ただし9月17日、24日、10月8日は開館、翌火曜休館)
山種美術館(千代田区三番町2番地 三番町KSビル)

07年1月、丸井今井札幌本店で開かれた川合玉堂展


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