(承前)
室蘭駅を降りて、すぐに目についたのがこの看板のような作品。
高橋喜代史「東を西に変える」(2022。W3500× D1900× H2000)。
キーボーこと高橋喜代史さんの作品は、ほんとに分かりやすいよなあ。
もしかしたら「分かりやすい」ことは現代アート業界ではそれほど良いことだとされていないフシもありますが、少なくとも筆者には、かなりの美質だと思います。
あるいは、室蘭のマチの成り立ちをぜんぜん知らない人にはピンとこないかもしれません。
室蘭駅や市役所があることからもわかるように、室蘭市の中心部はもともと、「蘭西地区」と呼ばれるこの一帯でした。
しかし、商業施設などはその後、東室蘭駅の周辺(蘭東)に移り、蘭西地区はだんだんさびれてきています。
人気作家の椎名誠氏が2000年、アーケード街を「ゴーストタウン」と呼び、物議を醸したこともありました。
高橋さんは
「街に住む人達との会話と対話がベースになり、雑談が生んでくれた作品なので「雑談芸術(chat art)」といえます」
と説明パネルに書いていますが、そんな言葉があるのか!
作品の設置場所は「レインボー公園」というところで、駅前にスケートボードが楽しめる施設があるのはすごいです。
あかりが仕込んであるので、夜になると光るのでしょうか。
作者が書いていないことをかってにつけ加えるとすれば、室蘭には、もうひとつの「東と西」の問題があります。
それは、胆振の「東と西」です。
胆振総合振興局(かつての胆振支庁)が室蘭駅の近くにあることからも分かるように、胆振地方の中心都市が胆振西部の室蘭であることは、かつては自明でした。
しかし、胆振東部の苫小牧に巨大な港湾が造られ、工場進出も盛んになったことから、1980年に人口が室蘭市を上回り、その差は開く一方です。現在では苫小牧市17万人、室蘭市8万人と、ほぼダブルスコアになっています。
そうしたことから、胆振総合振興局を移転せよという声も苫小牧側から上がっていました。
でもね。
キプリング(英国の詩人)じゃないんだから、東と西は対立するもんじゃなくて、どちらもオッケーではないかというのが筆者の思いです。
かつて椎名誠氏に「ゴーストタウン」と言われ、老朽化が著しかったアーケードが取り払われた商店街で、張小船(Boat ZHANG)さんの作品が展示されていました。
そのひとつ「デイドリーム2・きのうのはなは きょうのちり そして明日葉」は、ビデオの作品。
ショーウインドウの向こう側に設置されたモニターに映像がうつる仕組みでしたが、日光が入り込んでよく見えません。人影のない住宅地を歩く人物やネコがうつっているようです。
作者は上海と日本を拠点とする作家で、札幌に滞在していたこともあります。
人気のない街角を、新型コロナウイルス感染拡大に伴うロックダウン下の上海になぞらえているようです。
もうひとつは「デイドリーム1・夜上海」。
スーザン・フィリップスではありませんが、街頭に流れる音楽の作品だったので、画像はスピーカーです。
作者の説明を引用します。
「何日君再來」といえば、台湾出身で「アジアの歌姫」と呼ばれて絶大な人気だったテレサ・テンの歌で有名ですが、戦前に大ヒットした曲でした。
(以下、8月21日に修正・加筆)
この曲は、時代とともに政治的にさまざまな解釈がなされてきましたが、それについては一冊の本が書けるほどの歴史があり、ここでは省略します。
ところで、筆者が訪れたときに聞こえていたのは、どうも森進一が室蘭について歌った歌のようでした。
しかし、音楽を聴かせるとなんの曲か教えてくれるスマホアプリをかざしても、該当がありません。
どうやら、この曲(森進一「女がひとり」)のようですが…。
(話はそれますが、森進一って、1970年代にはほんとにすばらしいご当地ソングの歌い手だったのだなと、あらためて実感します。「港町ブルース」もなつかしい。)
ぶらぶらと周辺を歩きます。
筆者は2008年にここを訪れていますが、すでに半数以上が空き家・廃墟というさびしい街区でした。
14年ぶりに来ても、営業している店は少数で、古びたビルの外壁など、あまり変わっていないような印象を受けました。
最後に挙げるのは、2008年に同じ場所で撮った写真。
アーケード撤去の少し前でした。
長文になったので、以下別項。
□公式サイト https://m-a-p.jp/
□ https://takahashikiyoshi.com/
□ http://www.boatzhang.com/
過去の関連記事へのリンク
■高橋喜代史「1つの言葉、3つの文字」 (2019)
■BENIZAKURA PARK ARTAnnual -Festival of Contemporary Art (2018)
■500m美術館 vol.26「最初にロゴス(言葉)ありき」 (2018)
■なえぼのアートスタジオのオープンスタジオ (2017)
■アートのことば―マグリット、ライリーから宮島達男 (2015~16)
■そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014
■札幌ビエンナーレ・プレ企画 表現するファノン-サブカルチャーの表象たち
キーボー氏のブログで「5つのルール」を読んだ
■Sapporo II Project(2009)
■500m美術館(2008)
■高橋喜代史個展-現代アートと書道のハイブリッドアーティスト(2007)
室蘭駅を降りて、すぐに目についたのがこの看板のような作品。
高橋喜代史「東を西に変える」(2022。W3500× D1900× H2000)。
キーボーこと高橋喜代史さんの作品は、ほんとに分かりやすいよなあ。
もしかしたら「分かりやすい」ことは現代アート業界ではそれほど良いことだとされていないフシもありますが、少なくとも筆者には、かなりの美質だと思います。
あるいは、室蘭のマチの成り立ちをぜんぜん知らない人にはピンとこないかもしれません。
室蘭駅や市役所があることからもわかるように、室蘭市の中心部はもともと、「蘭西地区」と呼ばれるこの一帯でした。
しかし、商業施設などはその後、東室蘭駅の周辺(蘭東)に移り、蘭西地区はだんだんさびれてきています。
人気作家の椎名誠氏が2000年、アーケード街を「ゴーストタウン」と呼び、物議を醸したこともありました。
高橋さんは
「街に住む人達との会話と対話がベースになり、雑談が生んでくれた作品なので「雑談芸術(chat art)」といえます」
と説明パネルに書いていますが、そんな言葉があるのか!
作品の設置場所は「レインボー公園」というところで、駅前にスケートボードが楽しめる施設があるのはすごいです。
あかりが仕込んであるので、夜になると光るのでしょうか。
作者が書いていないことをかってにつけ加えるとすれば、室蘭には、もうひとつの「東と西」の問題があります。
それは、胆振の「東と西」です。
胆振総合振興局(かつての胆振支庁)が室蘭駅の近くにあることからも分かるように、胆振地方の中心都市が胆振西部の室蘭であることは、かつては自明でした。
しかし、胆振東部の苫小牧に巨大な港湾が造られ、工場進出も盛んになったことから、1980年に人口が室蘭市を上回り、その差は開く一方です。現在では苫小牧市17万人、室蘭市8万人と、ほぼダブルスコアになっています。
そうしたことから、胆振総合振興局を移転せよという声も苫小牧側から上がっていました。
でもね。
キプリング(英国の詩人)じゃないんだから、東と西は対立するもんじゃなくて、どちらもオッケーではないかというのが筆者の思いです。
かつて椎名誠氏に「ゴーストタウン」と言われ、老朽化が著しかったアーケードが取り払われた商店街で、張小船(Boat ZHANG)さんの作品が展示されていました。
そのひとつ「デイドリーム2・きのうのはなは きょうのちり そして明日葉」は、ビデオの作品。
ショーウインドウの向こう側に設置されたモニターに映像がうつる仕組みでしたが、日光が入り込んでよく見えません。人影のない住宅地を歩く人物やネコがうつっているようです。
作者は上海と日本を拠点とする作家で、札幌に滞在していたこともあります。
人気のない街角を、新型コロナウイルス感染拡大に伴うロックダウン下の上海になぞらえているようです。
もうひとつは「デイドリーム1・夜上海」。
スーザン・フィリップスではありませんが、街頭に流れる音楽の作品だったので、画像はスピーカーです。
作者の説明を引用します。
誰もいない室蘭の旧市街を歩いていると、昼夜を問わず昭和の歌が流れていた。ふと、「夜上海」(1946年)という歌が聴こえてくる。あれ? 「何日君再來」(いつの日君帰る、1937年)も流れて来て、私が口ずさんでいた? 時代の激しい変化の中で、ずっと流行している中国の歌たち。
歴史の中にいる人は、自分が歴史の中にいることが分からないだろう。
「今夜別れた後は、いつの日君帰る」
自分で自分に、上海の街をぶらぶら歩く、そんな白昼夢を作りました。
「何日君再來」といえば、台湾出身で「アジアの歌姫」と呼ばれて絶大な人気だったテレサ・テンの歌で有名ですが、戦前に大ヒットした曲でした。
(以下、8月21日に修正・加筆)
この曲は、時代とともに政治的にさまざまな解釈がなされてきましたが、それについては一冊の本が書けるほどの歴史があり、ここでは省略します。
ところで、筆者が訪れたときに聞こえていたのは、どうも森進一が室蘭について歌った歌のようでした。
しかし、音楽を聴かせるとなんの曲か教えてくれるスマホアプリをかざしても、該当がありません。
どうやら、この曲(森進一「女がひとり」)のようですが…。
(話はそれますが、森進一って、1970年代にはほんとにすばらしいご当地ソングの歌い手だったのだなと、あらためて実感します。「港町ブルース」もなつかしい。)
ぶらぶらと周辺を歩きます。
筆者は2008年にここを訪れていますが、すでに半数以上が空き家・廃墟というさびしい街区でした。
14年ぶりに来ても、営業している店は少数で、古びたビルの外壁など、あまり変わっていないような印象を受けました。
最後に挙げるのは、2008年に同じ場所で撮った写真。
アーケード撤去の少し前でした。
長文になったので、以下別項。
□公式サイト https://m-a-p.jp/
□ https://takahashikiyoshi.com/
□ http://www.boatzhang.com/
過去の関連記事へのリンク
■高橋喜代史「1つの言葉、3つの文字」 (2019)
■BENIZAKURA PARK ARTAnnual -Festival of Contemporary Art (2018)
■500m美術館 vol.26「最初にロゴス(言葉)ありき」 (2018)
■なえぼのアートスタジオのオープンスタジオ (2017)
■アートのことば―マグリット、ライリーから宮島達男 (2015~16)
■そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014
■札幌ビエンナーレ・プレ企画 表現するファノン-サブカルチャーの表象たち
キーボー氏のブログで「5つのルール」を読んだ
■Sapporo II Project(2009)
■500m美術館(2008)
■高橋喜代史個展-現代アートと書道のハイブリッドアーティスト(2007)
(この項続く)