くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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バター

2012-08-31 11:21:39 | Weblog
炒め物やスープにちょっとコクを加えたいとき
私が頼りにしている存在がバターです。

加えればコクがでる食材は他にもあるでしょうけれど
何となくお洒落っていうか雰囲気がいいじゃないですか、バターって。
多分それはバターが牛乳から出来ているから。
バター→牛乳→牧場→アルプス→ハイジ→スープっていう連想が
無意識のうちに頭の中で巡らされているのでしょうね、きっと。

世間ではバターというとパンに塗られるのが役目と思われていますが
私はパンに塗ったりということはあまりしません。
パンはそのまま食べるか、塩を振ったオリーブオイルを付ける程度です。
なのでバターナイフは一応持ってはいますが使用頻度それほど高くはなく、
それどころか塊のバターを買うこともほとんどないのです。

塊のバターを買うと料理に使う度に小さく切り取るのが面倒なのと
切り取るのに使ったナイフを洗うのが面倒という、
マメなのか面倒くさがりなのかよくわからない性質でございます。

そんな私のような人間が世の中には一定数いるのでしょう。
バターメーカーでは予め小さくカットされたバターをラインナップしてくれています。
当然ながら私もこの切れてるバターがお気に入りで常々愛用しております。

ただ気を付けなくてはいけないのは切れてるバターには二種類あるということ。
カットされたバターがまとめて一つに包装されているタイプと、
一つ一つ個別に包装されているタイプです。

私がどちらのタイプを選ぶかもうお分かりですね?
そうです、個別包装のタイプです。
まとめて包装されていたら使用する時の手間が塊のバターと大差ないですからね。

でも最近は困ったことが起きています。
近所にある狭小スーパーでは品揃えに限界があるのか
切れてるバターは慢性的に品切れ状態なのです。

う~む、これぞまさに切れてるバター。

ウマい、座布団一枚!

そして私が短気な性格だったら、
切れてるバターが切れている状況に切れるという三段活用になるところですが
あいにく私は気長な性格のようです。

次の入荷はいつかしら。


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グレープフルーツ

2012-08-24 17:22:37 | Weblog
朝食や夕飯のデザートに何か果物を食べたいとき、
グレープフルーツが食卓に上ることが多い。
特別な理由があるわけではなく単に安いので
スーパーでいろいろな果物を物色しても結局グレープフルーツを買うことになる。

特に凝った食べ方はせず、そのまま生で食べる。
暑い季節なので冷蔵庫でよく冷やすとさらに美味しくなり、
喉の渇きも効果的に潤してくれる気がする。

グレープフルーツの食べ方といえば、
半分に切ってスプーンでえぐる方法が最もポピュラーだろうか。

提供する側にとっては半分に切って出すだけだからこの上なく楽な調理方法だ。
しかし食べる側としてはスプーンで果肉と薄皮を剥離させるのはなかなか骨の折れる作業である。
そこで親切な人は予め専用のナイフで果肉をくり抜いておいてくれたりするが
この方法だと提供する側の負担が大きくなってしまう。

自分が提供する側か食べる側かの一方であれば
どちらの方法が楽かということは言いやすい。
でも実際問題として私の場合は提供する側であり同時に食べる側でもあるから
いずれにしたって面倒な手間が発生することに変わりはないのだ。

そこで私はグレープフルーツの新しい調理方法を模索した。
まず始めに頭とお尻を切り取って果肉を露出させる。
この際どちらが頭でどちらがお尻であるかは皆さんの判断にお任せしたい。

そして頭からでもお尻からでもいいのだが
りんごの丸剥きの要領でクルクルと皮を剥いていって
果肉だけの球体にしてしまうのだ。

あとはこの球体を切り分けてお皿に盛って、
フォークで突き刺して美味しくいただく。

手間が増えたのか省かれたのかは定かではないが
私にとっては提供する側と食べる側の作業量のベストバランスだ。

当のグレープフルーツがこの食べられ方をどう思っているかは知らない。
半分に切ってお花のような果肉を見せる調理方法が文字通り
グレープフルーツにとっての「花形」だとしたら
丸裸にしてしまう私のやり方は辱め以外の何物でもないのかもしれない。
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オリンピック後記

2012-08-17 02:46:27 | Weblog
17日間に渡って熱闘が繰り広げられたロンドンオリンピックが閉幕しました。
日本は史上最多となるメダルを獲得できたようで実に喜ばしいことです。

珍しく時事ネタ?!
と、いきたいところですがあいにく我が家にはテレビがありません。
オリンピック関連のニュースはインターネットで見たり、
たまに帰った実家や遊びに行った知人の家でテレビ観戦したりしていた程度なので
見ていて感じた所を少々。

オリンピックといえば日頃馴染みのない競技も放映されます。
ルールはよくわからないけど一流選手の超人的な身体の動きを見ているのは楽しいものです。
特に私などは体力測定の反復横跳びで1人だけ転んだりする運動オンチだから
どうしてあんな動きができるのか不思議なで仕方がありません。
一流選手の動きができれば日常生活もきっと楽ちんな場面が増えることでしょうね。

ウェイトリフティングの選手のパワーがあれば
重い荷物も楽々運べて回りから重宝がられるんだろうなぁ。

マラソン選手のスピードと持久力があれば、
どこへいくにしても交通費がかからないし遅刻知らずなんだろうなぁ。

バドミントン選手の反射神経があれば
うざったいハエなどイチコロで叩き落とせるんだろうなぁ。

卓球選手の俊敏な動きができれば
うっかり机の上の物を落としてもしっかりキャッチできるんだろうなぁ。

体操選手のバランス感覚があれば
揺れる電車の中でも両手を自由に使えるんだろうなぁ。

フェンシングの正確な突きができれば
雨の日に両手がふさがっていても傘の先でエレベーターのボタンを押せるんだろうなぁ。

などなど妄想は尽きないわけですが
例えオリンピックの種目には無くとも身につけていれば楽ちんな能力もあるでしょうね。

先日知人の引っ越しに伴う片付けを手伝った時のこと。
大量の角材をゴミ収集業者に持って行ってもらえるサイズまで小さく折ることになったのですが、
いきなりは折れないのでイチイチ鋸で切れ目を入れてから蹴るという手間のかかる作業になりました。
ここで私が空手家だったらもっと早く終わるのになぁ、などと思ったものです。

運動選手の能力に憧れてばかりの私ですが
何か一つくらいは人より秀でた身体能力があってもよさそうなものです。
とはいっても学生時代はオーケストラやブラスバンド一筋でトランペットを吹いていただけなので
そこから身につけた特技といえば狙った方向に息を飛ばせるといったことくらい。

日常で活用する機会は、誕生日ケーキのロウソク消しくらいでしょうか。
年に1度のチャンス。
しかも誰かに祝ってもらえればの話。。。

え~っと、オリンピックの話でしたよね、確か…。
すみません、いつの間にかまた脱線してしまいました。

テヘッ。


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町にゃい会

2012-08-10 01:35:22 | Weblog
暑い日が続いているので何事も日が沈んで涼しくなってから動き始めている今日この頃、
生活のリズムは大幅に後ろへとずれ込んでおり、
深夜にコンビニへ買い物に行くことももはや日常茶飯事となっている。

静まりかえった夜の街を徘徊(パトロール)していると、
野良猫たちの姿がチラホラと見受けられる。
やはり猫たちも私と同様に日中の暑い時間帯には何もする気にならないのであろうか。

塀の上で丸くなっている子、物陰から突然飛び出してきて人間様をビビらせる子、
日中にも見かける子もいれば夜にしか見ない子もいるが
夜の暗闇で目を光らせている猫というのは昼間のかわいさとは打って変わって
どことなく近寄りがたい不気味なオーラが感じられる。

時には一カ所に数匹が集まっていることもあり、
その様子は何かの懸案事項について皆で話し合っている風でもあり、
これが噂に聞く猫の町内会なのだなと思ってみたりしている。

人間の社会に昼間活動している町内会があるように、
猫の社会にも夜間活動している町内会、いや町にゃい会が存在していることは
有史以前から人々の間で面々と語り継がれてきた。

町にゃい会には当然町にゃい会長がいる。
よくうちの勝手口にゴロゴロしにくる猫がそうなのではないかと
私は勝手に想像しているが真偽のほどはわからない。

会長(仮)の様子を見ていると週に1回は町にゃい会を開きたいと思っているようだが
元々が群れを作らない動物なので会としての統率は全くとれておらずいつも集まりは悪い。
月に一度開ければ御の字といったところだろうか。

会はいつも決まった三叉路で開かれている。
先に到着した猫たちは会が開かれるのを丸くなって待っているが習性で思わずそのまま寝てしまう。
あとから遅れてきた猫は寝ている猫たちを見て「今日は休会か」と思ってそのまま帰ってしまうことが多く、
会がちゃんと開催されることはきわめて珍しいことなのである。
毎度こんな調子なのでさっさと決めてしまいたい喫緊の議題についても一向に結論は出ず、
「会議は眠る、だから進まず」といったナポレオン戦争後のウィーン会議になぞらえた冗談も生まれたりした。

いったい何のために町にゃい会があるのか誰もハッキリと理解していないが
この会における最近の成果らしい成果といえば、
一時期から人間が狂ったように置き始めた水入りのペットボトルによる猫結界は
特に害がなく大して気にすることはないと確認し合えたということぐらいだろうか。
人間が水入りペットボトルを置き始めた時期を思い出せば
いかにこの会が機能不全に陥っているか容易に想像することができる。

今宵の町にゃい会では一体なにが話し合われているのだろうか。
そもそも会はちゃんと開けているのだろうか。
最近町にゃいに引っ越してきたイラストレーターの男は一体どんな輩だ?
そんな相談をしているのかもしれない。

そんな時は会長がみんなに教えてくれているのだろう。
私は彼の家の勝手口でいつもゴロゴロとしてるからわかるのだけれど、
彼は私を追い払ったり棒で叩いたりはしないが、かといってエサをくれるわけでもない。
毒にも薬にもならない人畜無害、いや猫畜無害な男ですよ、と。

でも他の猫たちはすでに寝てしまったか、早々に飽きてどこかへ行ってしまった。
会議は今日も進まず。
でも会長は一向に気にしない。
だって猫だもの。

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凝縮された街での体験談

2012-08-03 09:40:32 | Weblog
背筋が凍った話を一つ。

私が住んでいる地域は横浜の中でも古くから人が住んでいる地域のようで、
運よく戦火を免れたのか知りませんが区画割りも戦前のモータリゼーション以前のものと思われ、
とにかく細く曲がりくねった道が入り組んでいて車が通れない道の方が多い程です。

道が狭いということは建物と建物の距離が近いということ。
「下町のように」といえばわかりやすいかもしれません。
道も建物も電柱も人間も、全てがギュッと集まっているのです。

古くから人が住んでいるといっても幕末に横浜が開港されてからのことですので
京都や奈良に比べればまだまだ歴史は浅いのでしょうけれど、
それでも開港から文明開化、戦争、高度経済成長、バブル崩壊、失われた20年と人が住み続けてきたわけで
その痕跡は例えそこに人がいなくなったとしても廃墟となって残っています。

明らかに生活の気配が感じられない朽ち果てた住宅がそこかしこにあり、
ガラスが割れ、草が生え、かつて人が住んでいたとは思えない、いまにも倒壊しそうな木造建築の数々。
中に白骨が転がっていたとしても大して不思議ではないと思えるほどです。

かたや同じ地域で現在しっかりと生活している人も大勢いるわけで、
そんな過去と現在が複雑に入り組んでいる街でもあるわけです。
もちろん建物のような物質的なものばかりではなく、
人の念や心といった目に見えないものも…

ある日近所のスーパーへ買い物に行った時のことです。
スーパーがあるのは半分シャッターが開かない朽ち果て気味の商店街。
これまた古くて狭いお店がぎっしりと並んでいます。

ガタガタの自動ドアを開けて入店した直後のこと、
私は言いようのない強い寒気に襲われました。
コンビにの鬼クーラーなど比べ物にならない圧倒的な寒さ。

綺麗に包装されて並べられているとはいえ、
スーパーで売られている生鮮食品のほとんどは元々は生きていた動物や植物の成れの果て。
死に切れずに強烈な怨念となって漂っていても何ら不思議ではありません。

が、しかし。
店内のレイアウトをよく見ると、
野菜が並べられている冷蔵ケースの向かい側には大豆加工品や漬物類が並べられた冷蔵ケースがあり、
人と人が何とかすれ違えるほどの狭い通路の両脇から冷蔵ケースの冷気を浴びていたのです。
そこはもはや冷蔵庫の中といっても過言ではありません。

店内は売り場面積に対して全体的に冷蔵ケースの数が多く、
おそらくクーラーは付けていないことでしょう。
しかしあまりにも寒い…。

店員はよく我慢して働いているなと思いながらレジに並んでいたら、
店員の足元には電気ストーブが…。
何かいろいろと間違っている気がする。

以上、背筋が凍った話でした。
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