くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

身体のクリーニング?

2009-01-30 09:37:07 | Weblog
4日程前から発熱して逆バンジーのように体温急上昇、
一気に39度地点まで到達した。
普段の風邪なら37度も熱が出れば
全ての予定はキャンセルするくらい惰弱な私だが、
今回は体温計の数値のわりには妙に頭が冴えている。
普段の風邪とは違う。
自分以外の何者かの気配を身体の中に感じるのだ。
この感覚、以前にも経験がある。
そう、これはインフルエンザだ。

私は自分の直感を確かめるため、
いや、日本の高度な医療を施してもらうために、
街にあるそこそこ大きめの病院へと赴いた。
「本日はどうされました?」と受付で聞かれ、
「熱が高くて、喉が痛いんです」と症状のみを答える。
「インフルエンザみたいなんです」とは言わない。
「それはこちらが決めることです!」と怒られるかもしれないから。
病院へ行って病状に関する自分の考えをもの申してはいけない、
医師や看護師の機嫌を損ねることが多い、ビジネスとは違うのだ。

待合室で待っていると名前を呼ばれ、
医師による診察の前に別室で検査が行われた。
細長い綿棒のようなものを
鼻の奥深くに突っ込まれてグリグリと回される。
4年前インフルエンザにかかったときも同じ検査を受けた。
どうやら当局も私と同じ考えの基に行動しているようだ。
数分後、医師がいる部屋へ呼ばれて結果が伝えられる。

「最近インフルエンザが流行っているんで、
 先に検査しましたが、インフルエンザです」と医師は言った。
何となくしっくりこない言い回しだなと思いつつも、
「あぁ、そうですか」と答える。
自分の予想が当たって少し嬉しかったが、顔に出してはいけない。
ことさらに深刻な顔をしてもいけない。あくまでポーカーフェイスだ。
「薬を出すので服用してください。何か質問は?」
「特にないです」
診察は2分で終了。私は診察料を払って病院を後にした。

新年早々でもないが、ついてないなあ。
インフルエンザにかかって楽しいことと言えば、
薬を吸入するための専用器具が
何かメカメカしい玩具みたいで、少しかっこいいことくらいか。
文章では伝わらないので説明はしないが、
意味もなくカチャカチャといじって遊んでいる。

そういえば、その手の友人によると、
風邪やインフルエンザは身体の大掃除をしてくれるので、
自然治癒力に任せてじっくり治せば、
心に溜った悪いものも綺麗に浄化してくれるらしい。
って、もう薬飲んじゃったけど、
まあ、ゆっくり治せば少しは良いこともあるのかな。

幸せの箱

2009-01-22 20:41:03 | Weblog
人にはそれぞれ幸せを貯めておく箱があります。
いや、箱なのか袋なのか、
目には見えないので詳細な形はわかりませんが、
とにかく幸せを貯めておく入れ物があるのです。
最近そんな気がしています。

人が何に幸せを感じているかは人それぞれで、
同じ体験をしても人によって感じ方は千差万別、
あるいは同じ人が同じ体験をしても
時間が違えば感じ方もまるで変わってくるでしょう。

お金があって、いい車に乗って、いい服を着て、
美味しいものを食べていれば幸せかといえばそうでもないし、
ジャングルの奥地で自然の流れと共に生きている人達と
今の日本人のどちらが幸せかなんて誰にも断言できないことです。

結局、幸せかどうかは自分がどう感じているかだけの話で、
気の持ち方、ものの見方次第で変えることができます。
自分の心を知っているのは自分自身しかいないわけですから
意識的にものの見方を変えて、その良い面を探すようにすれば
自ずと幸せな時間は訪れることでしょう。
今は辛く感じていることも、これから訪れる幸せの前兆であり、
そこを乗り越えることで自分がどう成長できるか理解できれば、
少しは苦痛も和らぎます。

そんな風にして、自分の箱に幸せを貯めていくと、
箱は段々と大きくなって、自分を包み、
自分に近い人も順々に包んでいき、やがて世界を包めるか??
よくわからないけど、箱が大きい方が幸せなことは確かです。
別に何かの宗教に入っているわけではありませんが、
最近そんな気がしています。

しかし厄介なことに、
箱には目に見えない穴が空いているのです。
放っておくとせっかく貯めた幸せは逃げてしまいます。
日々心を健康に保ち、幸せな視点を探すことで、
箱に幸せを貯め続ける必要があります。
そして大事なことは貯まった幸せに対する
日々の感謝を忘れないことです。

日々の幸せを当たり前のものと思ってはいけません。
当たり前と思ったらそれは幸せではなくなってしまいます。
幸せにもメンテナンスが必要なのです。

腕立て伏せ道

2009-01-15 18:15:16 | Weblog
話は中学校にさかのぼるが、
ある日体育の授業で懸垂をすることになった。
多分体力測定にある項目の一つだったと思う。
小学校までは体力測定に懸垂の項目はなかったので、
おそらく人生初の懸垂だった気がする。

出席番号順か背の低い順かは忘れたが、
5~6人ずつ鉄棒にぶら下がって、
己の限界を目指して懸垂をしていく。
当然、懸垂ができる生徒と出来ない生徒がいるが、
私の記憶では出来ない生徒の方が多かったと思う。
そして当時の私は懸垂ができなかったか、
できても1回くらいだったろうか。

優秀な生徒でも出来て10回くらいだし、
懸垂ができないのは私だけでもないので、
特別に劣等感を覚えたわけではないのだが、
何となく釈然としないものが心に残った。

そんな懸垂劣等生を前にして当時の体育教師は言った。
「毎日30回も腕立て伏せをすれば懸垂くらいはすぐにできる!」と。
懸垂ができるから人生がどうなるものでもないのは
中学生ながらに何となくわかってはいたが、
出来ないよりは出来る方が気分はいいだろうなと思い、
その日から私は腕立て伏せ道へと足を踏み入れた。

「俺、体鍛えてるから!」的な姿を見られるのは
思春期の少年には何となく照れくさくて、
その日の夜から自分の部屋でこっそり腕立て伏せを始めた。
最初は何回できたか、15回もできなかったかもしれない。
毎晩自分の部屋でうつぶせになって腕をプルプルさせながら
腕立て伏せが30回できれば懸垂もできるという話も
まんざら嘘でもなさそうだなと思い、まずは連続30回を目指した。

年齢的に育ち盛りだったこともあり、
腕立て伏せの回数は順調に増えていき、
2ヶ月ほどで連続30回を達成することができた。
早速家で洗濯物干しとして使われていた
ぶら下がり健康機にぶらさがって懸垂をしてみたところ、
体力測定の時とは比べようもないくらい体が軽かった。
何回懸垂ができたのかは覚えていないが、
それ以来私は当初の目標を忘れて
より一層腕立て伏せ道に邁進することになった。

腕立て伏せの回数はその後も増えていき、
ピーク時には連続ではないにせよ1日200回にまで達した。
ところがその辺までくると不思議と体調を崩すのだ。
何かトレーニングの方法に間違いがあるのだろうが、
数日休んで少し後戻りしてから再開したり、
特に目標があってやっているわけでもないので、
不意に1ヶ月ぐらいブランクが空いたりで、
未だに筋肉番付に出る程には到底至らない。

この道の先に何があるのか。
見てみたいような、見ても仕方ないような。
動画共有サイトでイラストのような腕立て伏せをしている黒人がいた。
上には上がいるものである。

猫と寝正月

2009-01-08 17:06:42 | Weblog
遅ればせながら、
新年あけましておめでとうございます。
本年もダラダラとした長文ブログにお付き合いのほど、
どうぞよろしくお願い致します。

さて、会社を辞めて早半年、
年末年始の連休といっても特に感慨深いものもなく、
今年も実家に帰って終始ジッとしておりました。
実家の所在地は名目上横浜市の領域にありますが、
ほとんど鎌倉市と言ってよく、
横浜駅からは電車とバスを乗り継いで50分ほどかかるのです。
今住んでいる武蔵野市からは2時間半ほどで、
たまに帰るにはちょうど良い距離感なわけです。

実家の回りは実に自然豊かなのですが、
これといった娯楽もなく、
年末年始のテレビもお決まりのようにおもしろくなく、
本でも読むくらいしかすることはありません。
大好きなコタツに入って本を読んでいると
徐々に徐々に睡魔が忍びよってきて、
決まってコタツに入ったまま寝てしまいます。

いつもならコタツで寝ても、
起きた時にちょっとした怠さを覚える程度ですが、
今回は体調のリズムの巡り合わせが悪かったのか、
思わず風邪を引いてしまいました。
特に重症というわけでもなく、
単に喉が痛いだけのことでしたが、
それだけで何もする気にならなくなり、
今年の正月も寝正月が決定づけられました。

治療法はただゴロゴロするのみ。
コタツでゴロゴロ、ソファーでゴロゴロと、
本を読みながらゴロゴロしていると、
実家で飼っている猫、にゃん吉が臭いを嗅ぎ付けて近づいてきます。
人間が横たわっていると、上に乗らずにはいられない変な猫で、
今回の休み中も幾度となく上に乗ってきました。

横たわった人間の上に乗って、何かするわけでもなく、
にゃん吉はただただ気持ち良さそうに眠るだけ。
にゃん吉の体温を感じながら、寝ている様子を見ていると
こっちまで眠たくなってきてついつい一緒に寝てしまいます。
猫は年中寝てばかりなので、正月も自動的に寝正月。
実家に帰って日頃の家事から解放されて、食事の心配もなく、
猫と寝ているとまさに気分は猫。

ただ猫が側にいると、その抜け毛のせいか
余計に喉がイガイガしてくる気がして、
猫布団は風邪の治療に良いのか悪いのか。
でも、もうすっかり治ったので結果オーライということで、
今年も良い年になりますように。