くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

包丁

2008-03-29 10:27:33 | Weblog
買った当初は切れ味鋭い包丁も
使っているうちに段々と切れ味が落ちてくる。
切れ味が落ちた包丁は
研いで輝きを取り戻してあげなければならない。
一定期間使っては研いで、研いではまた使い、
包丁との付き合いはその繰り返しである。

前回包丁を研いだのはいつのことだったであろうか。
近頃包丁がその働きに精彩を欠き始めた。
トマトを切れば形が崩れ、
玉ねぎを切れば内側の層が飛び出す。
包丁に限らず切れ味の落ちた刃物は使いにくいし、
予想外の軌道で動くので危なくもある。
そろそろ包丁の性根を鍛え直す必要があるようだ。

愛用している包丁はオールステンレス製で
ほぼ見た目の好みだけで購入した。
当初は同じメーカーから出ているシャープナーで研いでいたが、
いまいち切れ味がよくならないし、そもそも風情がない。
インターネットで探してみると
ステンレス用の砥石というものが存在していることを知り、早速購入。
以来、砥石を使って包丁に闘魂を注入するようになった。

包丁を研ぐのはいつも夕食後の片付けが終わってから。
特に意味はない。
砥石は使う前に水を滲みこませる必要があるため
食事中にお風呂の洗面器に水を張って浸しておく。
十分に腹ごしらえをし、洗い物をしてキッチンを片付けて、
いざ儀式の始まりとなる。

砥石がずれないように台布巾を敷いて、砥石を乗せる。
まずは荒砥ぎの砥石から。
砥石に対して包丁を45度の角度で置き、
10円玉3枚分刃の背中を浮かせる。
右手で柄を持ち、左手を刃に添えて、包丁を前後に動かす。
角度を保持して無心で包丁を前後させる。
何となく映画の1シーンに出てくる決闘前夜のような気分になり、
包丁と砥石がこすれる音も自然と重みを増してくる。

時々砥石に水を差し、包丁についた砥石の粉を水で流す。
それっぽく片目をつぶって注意深く刃を確認するが、よくわからない。
親指の腹で刃を横になぞってみると、
指紋の溝への刃の引っかかり具合で
包丁の切れ味が向上してきていることがわかる。
途中バリが出てきたらひっくり返し、また一心に包丁を前後させ、
仕上げ用の砥石でも同じ工程を繰り返して、
包丁はその本来の輝きを取り戻す。
仕上がった包丁の試し切りはしない。
どんな切れ味に仕上がったかは次に使う時のお楽しみである。

以前、1流のプロ野球選手が野球少年に
「上手くなりたかったら道具を大事にしなさい。
自分で一生懸命手入れした道具に対して失礼なプレーはできなくなるから。」
と言っていたことを思い出す。
切れなくなってから手入れしているようでは何とも半端だが、
道具の手入れは楽しいものである。

オカラのチカラ

2008-03-22 12:50:48 | Weblog
オカラのチカラは絶大です。
しばらく便の通りが悪いときなどには
オカラの煮物を作って食べますと
次の日のトイレは、それはもうお祭り騒ぎの様相です。
世に植物繊維が豊富と謳われている食材は多数ありますが、
オカラほどその豊富な食物繊維を実感できる食材はありません。

以前実家で飼っておりました柴犬は、
幼少のころは市販のドックフードを食べさせておりましたが、
家族がドックフードというものについて疑念を抱いたため、
いつの頃からか祖母のお手製のエサを食べさせるようになりました。
ある日エサにオカラが混ぜられましたところ、
次の日の散歩で犬は驚くほど見事なフンをしたのです。
この時より私はオカラのチカラを信仰するようになったのであります。

オカラはその秘めたるチカラとは裏腹に
元は豆腐を作る際の出がらしでありますから、
スーパーでは叩き売りのような値段で売られております。
もっとそのチカラを正当に評価されてもよさそうなものですが、
その安さ故、聞くところによると豆腐屋で無料でくれたり、
家畜のエサとしてもっともっと安く取引きされているそうです。
腸内環境にやさしく、値段も安いということで
オカラは昨今流行のエコロジー&エコノミーな食材といえるでしょう。

近頃の私はオカラを買うと、長ネギ、ヒジキ、ニンジン、
大豆、コンニャクなどと一緒に豆乳で煮るようにしております。
以前はだし汁で煮ておりましたが、ただ単にこれに飽きただけでして、
たまたま料理本で見かけたレシピを試してみたのです。
味付けは主に味噌で致すのですが、
出来上がりはこってりとして、深みがあって、なかなかに良いお味です。
直近ではさらにカレー粉を入れることも覚えました。
これは前に作ったカレーの匂いが
鍋に残っていたところからヒントを得たオリジナルであったのですが、
会社の友人に教えてあげたところ、
「あぁ、あるよね」と言われ、
少なからずショックを受けたことを覚えております。

そんないいことづくめのオカラではありますが、
世の中に完全なものなどは存在しませんので、
それなりに欠点というものもございます。
私が日頃感じておりますところでは、
大量に作り過ぎてしまうということです。
売られている量が元々多い上に、
意外と日持ちがしないものですから、
一度に全てを調理してしまう必要がでてきます。
さらにオカラは水気をよく吸い込みますので、
豆乳をアッという間に飲み込んで尋常でない量に膨れ上がります。

これを一人で食すと、なくなるまでゆうに一週間はかかるでしょう。
一週間もトイレでお祭り騒ぎが続きますと、
それはもう三大祭の一つといいますか、
体の悪いものを全て出しきって
けがれなき神の領域に到達できるような気持ちになれますが、
こんなに出てしまっていいのだろうかという
気持ちになるのも実際のところであります。

以上のようにオカラのチカラは絶大なものでありますから、
にっぽん人はもっとオカラを食べると
国が発展していくのではなかろうかと夢想したりしますが、
何にしましても、
食事中にこのブログを見てくださっている方がいたら、
少々申し訳ないなと思うのであります。

フキの煮物

2008-03-15 12:01:26 | Weblog
最近セーターをほとんど着なくなったことに気づき、
朝晩はまだ冷えるものの、
だいぶ暖かくなってきたことを知る。
スーパーに並ぶ食材も徐々に入れ替わりはじめ、
フキやウド、菜の花といった春野菜が目につくようになってきた。

春野菜は春の到来を告げる、本来は初々しい存在のはずだが
冬の厳しい寒さを土の中で耐えてきただけあって、
世間の裏も表も知り尽くした独特の苦味を持つものが多い。
まさに大人の味といったところだろう。

先日スーパーで買い物をしていると愛知県産のフキを見かけたので、
以前読んだ本に影響を受けて、
地元でとれた旬の食材を食べるように心がけている私は、
これは是非食べなければと思いカゴにいれた。
レジで会計を済ませ、根元だけ袋に突っ込んで長いフキをブラブラさせながら歩き、
もっとコンパクトにフキを売る方法はないのだろうかと
思いを巡らせながら家に帰る。

私に買われたフキは必ず煮物への道を辿る。
フキは厳しい冬の寒さに耐えてきたので
その身体に鬱屈したものを多く抱え込んでおり、
煮物にして食べる前にそれらを取り除いてあげる必要がある。

煩わしいほどに長いフキを20cmほどの長さに切り分け、
まな板の上で塩を振り、板ずりの儀式を行う。
板ずりをしていると徐々にフキの身体から悪い液体が出てくるが、
ひるまずに黒ずんだ手で懸命に板ずりを続ける。
板ずりの儀式を終え、悪い液体にまみれてぐったりとしたフキは
少しインターバルを置いたら沸騰したお湯で清められる。

フキが鍋に入るとたちどころにお湯が鈍い色に変わる。
まさにフキの身体から邪悪なものが抜け出ていく瞬間である。
邪悪なもを出し切ったフキは冷水にさらされ、皮をむかれる。
買ったばかりの頃のフキは黒ずんだ幸薄い顔をしていたが、
一連の儀式を終えて一皮むけると、
透き通ったかわいらしい緑色に変わり、煮物へと姿を変えていく。

実家で暮らしていた頃にもフキの煮物はたまに食卓に並んだが、
この苦味の良さがいまいちわからず進んで手を伸ばすこともなかった。
だが一人暮らしを始めるとわざわざ自分で作ってまで食べるようになり、
年を経るにつれて味覚は変わっていくものだなあと、
出来上がったフキの煮物を食べていると、
フとあることが気がかりになってくる。
春野菜はフキの子供であるフキノトウの方であって、
フキノトウが成長したフキの旬は春ではないのではないか。
インターネットで調べてみると、案の定フキの旬は春ではないようだ。
でもまあ、フキの味は春野菜っぽいし、美味しければいいやと思う。

パラグライダー体験記

2008-03-08 18:30:58 | Weblog
先日、Tさんの妹がパラグライダーをしてみたいということで、
K君にお願いして体験させてもらうことになった。
K君は家で文鳥を飼育するほど空が好きで、
4年くらい前からパラグライダーをやり始めた。
以来週末になると欠かさず遠くの山まで飛びに行っている。
ただ、今は山が雪に閉ざされているため、
パラグライダーはオフシーズンらしく、
平地からでも離陸できるモーターパラグラダーというものを体験した。

パラグライダーとは巨大な凧のようなもので、
これをまさしく凧揚げの要領で空中に浮かべて、
人がぶら下がっていくというシンプルな構造になっている。
山の斜面であればそのまま風にのってゆっくりと山のふもとへ下って行くが、
何かしら推進力があれば平地からでも飛び立てるらしい。

飛び立つ場所は家から意外と近所にあって、車で20分程で到着した。
田園地帯の奥にある枯れ草しか生えていない小さな台地に
朝からすでに数人の人達が集まっていて、
なにやら見慣れぬ機材が所々に並べられていた。
モーターパラグライダーといってもモーターはどこにも見当たらず、
長さ1.2mくらいのプロペラが付いたエンジンを背中に背負って、
その推進力で飛んで行くもののようである。
その辺でおじさんが背中にエンジンを背負って
ブイ~ン、ブイ~ン!と勇ましくエンジンの調子を確かめている。

常連であるK君が校長と呼ばれる人物と何やら手続きをしている間、
私とTさんとTさんの妹は、
飛び立って行くパラグライダー、着陸してくるパラグライダー、
地上で操作を練習しているパラグライダーなど、
初めて見る珍しい光景を観察していた。
ブンブン!と原付のような音を響かせながら
人々が空中をフワフワと飛んでいる姿は大きなハエのようだなと内心思いつつ、
「あの人はうまい」「あのひとは下手だね」などと
何もわからないくせに3人で一丁前に批評をしていた。

体験といってもいきなり一人で飛ばされるわけではなく、
校長が二人用のパラグライダーで空に連れて行ってくれるものらしい。
早速Tさんの妹は専用のハーネスを身につけ、機材の準備も整ったが
校長はその辺のおじさんとおしゃべりをしているし、
K君はいつの間にかインストラクターになって初心者の指導を始めていて、
いつになったら空へ連れて行ってくれるのだろうと不安になったころ、
「そろそろいこうか!」という校長の大きな声がかかった。

Tさんの妹は校長の前にくくりつけられ、飛び立つ際の手際を教えられる。
横に2歩蟹歩きをして、正面を向いて数歩走ったら飛び立つらしい。
何度か練習していよいよ本番。
Tさんの妹と校長の呼吸は全く合っておらず、
二人で何やらバタバタとしているうちに、
エンジンの轟音と共に枯れ草を巻き上げて、
あれよあれよと二人は空高く飛んで行ってしまった。

二人は地上200mくらいのところをフワフワと飛んでいる。
無線を通して、「左に伊勢湾があって空港が見えますよ」と
K君が特に名所のないこの辺の地理を案内し、
それに対してTさんの妹からハシャいだ調子の声で返事が返ってくる。
写真が趣味であるTさんの妹は、空から地上を撮影していたようで
着陸してからも上機嫌で話していた。
風の具合によっては飛べない可能性もあったが、
天気も風も申し分ない絶好の日に体験飛行をすることができ、
喜んでもらえたようで何よりであった。

その後、K君は道具を持ってきていなかったため飛ばず、
高所恐怖症のTさんは地上でパラグライダーの操作を体験し、
高所恐怖症で面倒くさがり屋の私は
何も体験せずに数枚写真を撮って帰路についた。
せっかく行ったのだから何かすればよかったかもと、後で少し思った。

さつき

2008-03-01 14:22:55 | Weblog
日常のフトした瞬間に、
実家で飼っていた犬を思い出す。
犬の名前はさつきといい、
私が中学校1年生になった年の5月に我が家にやってきた。
去年の暮れに15年の天寿を全うして旅立っていったが、
実家のある横浜から離れた愛知県に住んでいた私は死に目に立ち会うことができなかった。
正確には家族の誰も死に目に立ち会っていない。
最後の一ヶ月間は完全な寝たきり状態となっていて、
とある朝、目を覚ますことがなくなっていた。

亡骸はその日のうちに火葬され、小さな骨壺に納められた。
火葬される前の亡骸に会っていない私は、
さつきがいない生活に慣れてしまっていたこともあって、
さつきがもうこの世にいないことを未だに実感できない。
たまに実家に帰ると、
ついついリビングの片隅やテーブルの下を見回して
さつきの姿を探してしまう。

誰に似たのであろうか、
現金で、食い意地の張った犬だった。
エサなど何か見返りがないと一切の芸をしない、
「お手」と叫んでも、嫌々ながら前脚を差し出すが途中で引っ込めてしまう。
ところがエサをチラ付かせると両方の前脚を手に乗せてきて、
勝手に「お座り」「伏せ」を順序良くこなし、
「よし」と言われるのを熱い眼差しで待っている。

食事中はおこぼれにあづかろうとして、
もう自分のエサは済んでいるのに、
食卓の椅子の横にいつもスタンバイしていた。
食事中に横でべったりと待っていられると、
当時はなかなか煙たがったものだが、
いざいなくなってみると、それはそれで寂しいものである。

いつまでも純真で、動きが機敏だからずっと子供のように思えてしまうが、
中身はだいぶ前からおばあさんと呼ばれる年になっていた。
わかってはいたけれど、犬は人間よりも早く老いていく。
自分よりも年下なのに必ず先に旅立ってしまうのが何とも悲しいものである。

去年の暮れのその日、私は明け方に一度目を覚まし、いわゆるニ度寝をした。
その間に短い夢を見た。
さつきを飼い始めた時に住んでいた福島の家、
自分の部屋で不思議な三毛猫を撫でていた。
目が異様にキラキラとし、白い毛の部分が見る角度によって緑や紫に輝いていた。

その後目を覚まし朝の支度をしていると、
母親からさつきの訃報を知らせるメールが届く。
覚悟はしていたが想像以上に悲しみを感じながら、
明け方に見た夢をすぐに思い出した。
さつきが猫に姿を変えて挨拶に来たのか、
確かめようがないけど、そう思った方がロマンチックであろう。

もう無理だけど、また会いたいなあと思う。