くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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花粉に負けるな!

2009-02-26 23:54:01 | Weblog
この季節、街を歩き電車に乗れば
マスクを着用している人を見ない日はない。
数えたことはないけれど、
感覚でいえば20人に一人くらいはマスクをしている。
季節がもう少し前であれば、
風邪かインフルエンザ、またはその予防かなと想像するが、
3月も近くなればもう一つ原因が考えられるようになる。
そう、花粉症。

くしゃみ、鼻水、喉の痛み、目のかゆみ、倦怠感、
重度の人は皮膚がかぶれてしまうこともあるそうな。
もはや国民病と言われるほどに発症者が多いようであるが
ご他聞に漏れず私もその一人である。

症状が出始めたのは、中学校に通っていた頃である。
妙に鼻がムズムズしてくしゃみと鼻づまりがひどいので、
耳鼻科へいってみたら花粉症と診断された。
十数年前の当時は今程まわりに花粉症の人はおらず、
症状を抑えるいい薬もなかったので、
花粉に好き放題やられてばかりであった。

でも、元々くしゃみをするのは嫌いじゃなかった。
いや、むしろ、くしゃみをした後のすっきり感が
けっこう好きだったりしたので、くしゃみを連発しては、
「今日は8回連続でくしゃみが出た」などと面白がっていたりもした。
だが、ある日くしゃみをし過ぎて吐きそうになってからは
くしゃみが余り好きではなくなったし、
花粉症もかなり不快な病気へと位置づけが変わった。
咳をし過ぎて吐きそうになることは知っていたが、
くしゃみもし過ぎると吐きそうになるのは、
ちょっとした発見ではあったが。

ちなみに、病院での検査によると
私の花粉症レベルは結構高いらしい。
つまり重症ということ。
だが科学的な分析とは裏腹に自覚症状はそうでもない。
日によって症状に差はあるものの、
仕事や勉強に支障をきたす程のことはないのである。
もちろん薬は服用していない。

ポイントは気にしないということ。
そもそも杉の花粉なんて毒でも何でもないわけだから
意識するとつけ上がってくるばかりである。
体育会系のノリには全く縁のない私であるが、
花粉症に対してだけはなぜか精神論。
守るべき誇りや名誉もないし、
ホームランを打ってくれると約束してくれた野球選手もいないけど
花粉症に対しては、なぜか頑張れるのだ。

なんて強気なことを言っておきながら、
花粉症のシーズンはまだまだこれから。
今年は重症だったりしたらどうしましょう・・・。
おっといけない、弱気は最大の敵!
花粉症に負けるな!
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坂の多い街

2009-02-20 10:10:29 | Weblog
なんだかんだで、
いつの間にやら川崎市百合丘に住んでいる。
百合丘は名前に「丘」とつくだけに坂が多い街である。
一般的に坂が多いというのは、
住む場所を選ぶにあたってマイナス評価になるが、
私の場合はそうでもない。
いや、むしろプラス評価である。

坂が嫌われる理由としてはいくつかあるだろうが、
歩くのが疲れる、自転車に乗れない、
車の運転が面倒、階段が多くて道が複雑、
といったところだろうか。
でも、これらの理由は私にとって大した問題ではない。

歩くのが疲れる→運動になる!(仕事柄終日家にいるから)
自転車に乗れない→乗れる!(ロードレーサーに乗ってるから)
車の運転が面倒→持ってない!(免許はゴールド)
階段が多くて道が複雑→探検できる!(多分しない)
といった具合である。

それよりも坂が多いことのメリットを考えたい。

まず、さきに触れたが運動になるということ。
坂道、特に上り坂を歩いたり、自転車で走ったりすることは
確かに疲れることではあるが、
その坂を上ることで日常的に達成感を得ることができる。
別に達成したから何があるわけでもないけど、
何かやり遂げた感じがいいのでだ。
そして、多分だけれども、
平坦な道よりも起伏に富んだ道を歩く方が
脳へも良い刺激があるような気がする。

それから、景色が良いということ。
歩いていると坂を上ったり下りたりする度に
見える景色が目まぐるしく変わる。
坂の上に立てば当然見晴らしが良く、
斜面にへばりついた家々を見渡すことができるし、
坂の下に立てば坂の多い街ならではの
地形に合わせた独特な形の家々が
道の角度やカーブに沿って建ち並んでいる。
その姿がなかなか壮観で、見ていて飽きることがない。

かく言う私の住まいも斜面に建っているので、
低層階にも関わらず部屋からの見晴らしがいい。
見えるのは住宅ばかりではあるが、
平地のように似た形の住宅が
規則正しく並んでいるわけではないし、
所々に梅の木や桜の木など、季節を感じさせる植物が生えている。
一日家にいると、太陽の動きによって起きる
陰影の移り変わりもなかなか面白かったりする。

でも部屋からの見晴らしが良いということは、
逆に言うと自分の部屋もいろいろな人から
見られる立場にあるということ。
大したプライバシーもないけど、用心、用心。

LOVE 坂の多い街。
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埃の宇宙考

2009-02-13 08:58:25 | Weblog
どうも気がのらないので
フローリングの床にゴロンとしてみる。
ふと、棚の下に落ちているわた埃が気になった。
あぁ、掃除をしなくてはならないなぁ
とは思うものの、行動に移す気にはならない。
まあそんな時もあるさ、人間だもの。
みつを。

引っ越してきた時はそこに埃はなかったのに、
いったいこの埃はどこから来たのだろうか。
埃の成分は衣類の繊維、人の毛や皮膚、
微生物の死骸や排泄物らしい。
でもなんで綿になるのだろう。
きっと気流の流れに乗って
繊維同士がからまるのかな。

綿状になっているということは、
その中に空間があるということである。
その空間の中には多分多くの微生物がいて、
日々の暮らしを営んでいるに違いない。
果たしてわた埃の中に国のようなものがあるのか、
ちゃんと法律があって、マナーがあって、
多くの家族が睦まじく暮らしているのだろうか。
そんな想像を巡らせていると
わた埃が一種のスペースコロニーに見えてくるのだ。
などとどうでもいいことを考えてみる。

どうでもいいついでに、さらに話を細かくすると、
わた埃の中の世界よりも細かい世界が存在していて、
ミクロとかナノとか呼ばれる世界には
分子とそれを構成する原子がある。
さらにその原子は原子核のまわりを
電子がクリクリ回って構成されているそうな。
そして原子核は陽子と中性子から成っているらしいが、
ここから先のこと、陽子や中性子が何からできているかまでは
まだよくわかってないらしい。
でも個人的偏見を持って考えると、
多分何かの周りを何かがクリクリ回っていて、
どこまでいってもその繰り返しな気がする。

さらにどうでもいいことに、視点を大きくしていくと、
地球の周りを月がクリクリ回っていて、
太陽の周りを色々な星がクリクリ回っている。
太陽系が何かの周りを回っているのか、
銀河系が何かの周りを回っているのかはわからないけれど、
何となく回っている気がする。
おそらく宇宙でさえ、別の宇宙の周りを回っているんだろう。

そして、私たちが1年と感じる時間を
計りようもない早い時間として感じている存在がいて、
顕微鏡で太陽系の動きを素粒子として
研究しているのかもしれない。
微生物が人間の世界を全体的に把握できないように、
人間には把握できない違う階層の世界は
小さい方向にも大きい方向にもずっと続いているんだろう。

などということを小学生の頃から考えている。
たまに人に説明してみるもののあまり理解されない。
でも手塚治虫の「火の鳥」にも似たような挿し話があったり、
以前勤めていた会社の同僚S君が同じ思想を持っていたりして、
たまに勇気付けられたりもしてきた。

真にどうでもいいので、この辺にしておこうと思うが、
世界の構成がどうであれ、
今目の前に見えている現実をしっかりと励まねば。
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夢の話をしようじゃないか

2009-02-06 11:43:15 | Weblog
人間は誰しも必ず眠ります。
いや、人間に限った生理現象ではないですけどね。
他の動物はどうなのか知りませんが、
人間は眠っている間に夢を見るものです。
夢を見ない人もいるのかもしれないし、
見た夢を覚えていない人もいるかもしれないけど、
少なくとも私は寝ている間に夢を見ます。
そのほとんどは忘れてしまうけど、
よく見る夢や印象に残っている夢というのは
誰しも一つや二つあるのではないでしょうか。

私がよく見る夢。

私は坂を歩いて上っています。
一人で上っていることもありますが、
大抵は大人数で上っていて、
何かのレースや特訓、体育の授業のような雰囲気です。
みんな坂の上にある何かに向かって、
義務付けられたようにただひたすらに上っています。
坂はアスファルトであったり、砂利であったり、土であったり。
始めは緩やかだった坂も段々角度が急になり、
やがて手をついて腹ばいで上らざるをえなくなります。
さらに時間が経つと坂は垂直に近い角度となって、
下に目を向けると、そこはいつの間にか途方もない高さで、
落ちたら確実に命はないでしょう。
案の定この段階までくると転落する人が出始めます。
落ちていった人達がどうなってしまったか知りませんが、
私は疲労と恐怖で上ることも下りることもできなくなり、
ただその場にとどまってしまいます。
そしてこの夢はいつもここで終わります。

私は車を運転しています。
助手席や後部座席には家族や友人など、
比較的親しい人達が乗っていることが多いです。
この場合は大抵坂道を下っていて、
しかも私の運転技術では処理できない速度が出ています。
もちろん途中にはカーブがあれば、交差点もあるのですが、
いかんせん運転している車はブレーキの効きが弱く、
微妙に減速はできるものの、
停止するこは残念ながら出来ないのです。
しかしながら幸いにも、
対向車や交差する車とぶつかることもなく、
通行人や自転車をはねることもなく、
何とか無事故無違反(違反はしてる)で運転を続け、
結局どこへ何をしに行く途中なのかもわからず
この夢は終わってしまいます。

私は卒業した大学に来ています。
周りには4年間同じ教室で
プロダクトデザインを学んだ面々。
皆もう卒業したはずなのに、
なぜか卒業制作をいじっているのです。
一体今日は何の集まりだったんだろう。
近くにいる人に聞いてみると、
私たちの代の卒業制作はいまいちだったので
社会へ出て経験を積んだ後、
その完成形を教授達に見せなくてはならない。
今日がその日だというのです。
そういえばそんな連絡があったような気もするけど、
私は何の準備もしていません。
皆はそれなりに仕上げてきているのに。
どうしよう、どうしようと戸惑っているうちに
この夢は終わってしまいます。
ちなみに卒業制作版、通常の課題版があります。

なんか、あまり楽しい夢を覚えてないな…。
何事も悪いことの方が印象は強いですからね。

もちろん現実の世界では、
そんな危険な坂に上ったことなんてありませんし、
怖い程の速度を出して車を運転したこともありませんし
締め切りまで課題が終わっていないことなんてなかったのに、
夢の内容って一体どこから来るんでしょうね。
人生の半分は夢の世界にいるわけですから、
何かしら意味はあるのでしょうけれど。

ちなみに私の卒業制作がとあるサイトに載っているのを発見。
教授陣の評価はあまり良くなかったけど、
徹夜徹夜で手作りした日々が思いだされます。

http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/sotsuten2002/tamabi/work8.html
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