くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

人生何かとランキング

2008-09-26 11:39:47 | Weblog
私の知る限りでは、
物事の評価はほとんどが相対的なもののようです。
身長が2mある人も、世の中の平均と比べて高いという評価であり、
平均身長が2m50cmの世界へ行けば、
その人は背が低いという評価に変わります。
裕福である、走るのが速い、歌がうまい、要領がいい、といった評価も、
同様に世の中の平均とくらべてみて、どうかということなのです。

常々私たちは身の回りの物事を五感で感じて、
これまでに経験してきた物事と比べて評価を決めているわけでして、
これはつまり、世の中のあらゆる物事にはランキングが存在しているということです。
もちろん万国共通の、誰からも異論のないランキングは存在しません。
それぞれの人がそれぞれの心の中に、自分基準のランキング持っていることと思います。
少なくとも私の中にはあります、私基準のランキングが。
今風に言えばランキングゥが。

一例をあげれば、
好きな映画
1位:ゴッドファーザー 2位:雨あがる 3位:アメリ
好きな野球選手
1位:桑田真澄 2位:野茂英雄 3位:イチロー
好きな食べ物
1位:寿司 2位:うなぎ 3位:たこ焼き
etc.....
もちろんランキングはこんなにわかりやすいものばかりではなく、
選考基準を変えれば、いくらでも順位は変動してしまいますが。

先日所用があって、九州旅行に行ってまいりました。
自身2度目の九州ですが、
1度目は会社の出張でしたので、
空港と福岡市内のイベント会場を往復しただけでした。
なので、初めての九州旅行といっていいでしょう。
旅は非日常の連続ですので、
いろいろなランキングの順位が変動する可能性を秘めているのです。

事細かに書くつもりはありませんので、
1位が入れ替わったランキングだけ紹介しますと、
とんこつラーメンと旅館です。

とんこつラーメンについては、旅の同行者が九州出身の人だったので、
福岡市内にあるお勧めの店に連れていってくれたのです。
スープを一口飲んだだけで、関東で食べるとんこつラーメンとは
明らかに洗練度が違うことがわかり、瞬時にランキングが入れ替わりました。
とんこつ味なのにあっさりしていて、スープに浮いている油が
まったくしつこくないのは驚きでした。
ただ関東出身の私にとって、ラーメンはあくまで醤油ラーメン優先なので、
私のラーメンランキングは変動なしでしたが。

旅館については、その同行者のお母さんが予約してくれたもので
大分県の湯坪温泉にあります。
西日本の地理にうとい私は、大分県は福岡県の東にあるということを勉強しながら、
車でその旅館へと向かいました。
これまでの私にとって旅館といえば、
古くて汚れていたり、洋室と和室が混ざっていたり、変な置物があったりと、
あまり良い印象がありませんでしたが、
山奥の田園地帯にあるその旅館は古い佇まいとは好対照に
純和風の部屋には掃除が行き届いた清潔感と緊張感があり、
料理も馬刺や山の幸など大変美味しいものでした。
しかも驚きの低価格だったので、
ランキングの変動は簡単なものでした。

年を経るごとに、経験が減っていくということはまずありません。
経験は間違いなく増えていきます。
今後も経験していく様々な物事によって
ランキングは順次入れ替わっていくことでしょうが、
過去の経験に固執せず、柔軟に入れ替えることで、
より精度の高いランキングに仕上げていきたいものであります。

髪型探訪

2008-09-19 11:24:56 | Weblog
対人関係において、
髪の毛が相手に与える印象はことの外大きい。
ビジネスチャンスを逃さないパシッとした髪型を「ビジ髪」と呼び、
そのビジ髪の極意を紹介している本を読んだ。
後ろ髪が襟にかからない、耳と額を出す、
もみあげを伸ばさないなどの注意事項が並び、
成功している人達が、いかにこの法則に当てはまる髪型をしているか
ということがツラツラと書かれていた。

この手の話に影響されやすい私は早速髪を切りにいった。
私の場合、対人関係において直すべきところはもっと他にあるだろうと、
つっこみを受けそうなところだが、ちょうど髪も伸びてきたし、
いいきっかけとして、さっぱり短くしてみた。

だいぶ短くしたので、直毛の私の髪はほとんどが立ち上がり、
手のひらで頭を撫でると、髪がフサフサと当たって気持ちいい。
柔らかいタワシのようである。
そんな髪の毛を手で触っていると、丸刈りにしていた頃を思い出し始める。
そう、私にも丸刈りだった時期があったのだ。

今から16年前、福島県の片田舎に住んでいた私は、
中学校の規則により丸刈りになっていた。
床屋にいっても髪型の選択肢は
3分刈り、5分刈り、7分刈りしかない。
丸刈りは中学生らしい髪型ということで生徒手帳にも記された
れっきとした校則だったのである。

丸刈りか否かは計測方法があり、
髪の毛を指で挟んで、指より髪の毛が出た者は失格である。
ことあるごとに計測は行われ、違反者は散髪してくるように注意を受けるが、
反抗期な者が多いこの年頃では素直に従わない者もいる。
そのような反抗的な生徒は「生徒指導室」という部屋に連れていかれ、
教師の怒号と物騒な物音がした後に
泣きながら丸刈りになって出てくることもあった。
県内有数のマンモス校で生徒数が多く、不良比率も高い、
殺伐とした学校であったが、今思うと相当荒っぽい世界であった。

だがそんな中学校にも、米の自由化問題とは関係ないが、
髪型の自由化運動が盛り上がりを見せ、
私が3年生に上がる春から髪型の自由化が実現されたのである。
勢いづいた男子達は、とりあえず髪が伸びるのをジッと待ち、
ある程度伸びてきたら床屋に行って
「サイドカットで」と言うのが流行した。
サイドカットとは、頭の後ろと横だけを刈り上げる髪型で
丸刈りから長髪へ移行する際に通らなくてはならないと信じられていた。

だが、小学校まではスポーツ刈りで、
中学生になって思春期を迎えてからは丸刈りしか知らない者の多くは、
自分にどんな髪型が似合うのか暗中模索の状態で、
廊下を行き交うぎこちない頭の数々は、さながら文明開化の様相であった。

かく言う私もそんな中の一人だったわけだが、
自分にどんな髪型が似合うのかは未だに判然としていない。
いままでずっと美容師任せで適当な髪型にしてきたが、
久しぶりに短くしてみると、なかなか清々しくて気持ちいい気がする。

ビジ髪は別に短くする必要はないのだが、
他者に対してどうかはまだ確かめていないが、
とりあえず自分に対しては好感度ちょいアップ、かな。

文通

2008-09-12 11:44:27 | Weblog
近頃はパソコンや携帯電話の普及によって、
世の人々は手紙というものを書かなくなってきました。
そんな話を以前小耳に挟んだ気がします。
実際私の回りでも誰かと文通しているなどという話は聞いたことがなく、
私の同世代ではもはや絶滅危惧種かもしれません。

かく言う私もそんな絶滅危惧種の一人でありまして、
細々と、息も絶え絶えではありますが文通を続けております。
相手は横浜の実家にいる祖母です。
内容はといえば、最近の出来事や今後の予定、季節の話、
最近では実家から株分けしてもらったぬか床の手入れの仕方など、
まあ、とりたてて重要なことでもありません。

私は生まれてから何度か引っ越しを経験していて、
その度に文通の約束をした友人はいいました。
でも、これがなかなか長続きしないものです。
どちら側に原因があるのか、多分どちらにも原因があるのでしょうが、
半年と続いたためしがありません。
最後は決まって私から手紙を出して途絶えてしまうのです。
文通をキャッチボールに例えるならば、
私の出した手紙が暴投だったのか、
相手がボールを持って帰宅してしまたのか、
謎は深まるばかりです。

その点、パソコンやメールなどとは縁のない祖母は
手紙を出したらすぐに返事がきます。
一日中家にいて時間があるのでしょうが、
おそらく私からの手紙が届いた次の日には
返事の手紙を投函している速度で返ってきます。
一方の私はといえば、早ければ手紙が来てから1週間、
遅いときは1カ月くらい間を空けてしまうこともあります。
少し前の時代なら「筆無精」と言われたことでしょう。

手紙を書くのは好きなのですが、
やはりパソコンや携帯電話に比べると手間がかかるというか、
「手紙を書こう」と気持ちを切り替えないと
なかなか机に向かって便せんを広げる気になりません。
でも書き始めるとスラスラと筆も進んで、
あっという間に1時間くらいは経ってしまいます。
量はいつも便せんで3~4枚といったところでしょうか。
ペンで書いていると書き直しができないので、
よく考えながら書き進める必要があるので、その位の量になります。

この、ペンで書くので書き直しがきかないというところが
手紙の悪いところであり、また良いところでもあります。
手で描く絵もそうですが、簡単に手直しができないから、
先の展開をよく考えて進める必要があり、良い頭の運動になります。
この、完成形とそこに至る道筋を考えることに頭が慣れてくると、
パソコンなどの作業でもその場その場の判断が早くなって、
作業効率が上がるという自説もあるくらいです。

手紙を書くのも楽しいですが、
手紙を開けるのもまた楽しみの一つです。
封筒のキワをいかに細く切れるかというのが
いつもの楽しみであり、その日の運試しだったりするのです。

今回も長くなりましたが、最後に宣伝です。
私のホームページにてオリジナルポストカードを販売しております。
この度、便利な代金引き換え郵便をご利用いただけるようになりましたので、
デスク回りの飾りとして、特別な人への便りとして
ぜひお買い求めください。

くぬぎ太郎 HP
http://taroworks.com

一人音楽談義

2008-09-05 11:44:25 | Weblog
作業中はよく音楽を聴く。
ラジオでもいいのだが、今の家は電波の入りがいまいちなので、
CDプレイヤーで音楽を流す。
とにかく何か音が流れていると、
それに合わせて筆(色鉛筆)の滑りがいいこともあるし、
逆に無音の方が作業がはかどったりもする。
それはその日の気分次第である。

私はいまだにCDで音楽を流す。
データ形式のプレイヤーも増えてきたが、
1枚1枚CDを選んで、いちいち入れ替えた方が
音楽を聴く心構えができるし、
1曲1曲を大切に聴くことができるような気がするのだ。

聴く曲はといえば、ほとんどクラシックで、
持っているCDの8割方はクラシックである。
自分が学生時代にオーケストラに入っていた影響が大きいのだろうが、
クラシックが一番安心して、自然に聴いていられる。
クラシックは曲のテンポが一定ではなく、
指揮者や演奏者の曲に対する思いで常に揺れ動いているから、
メトロノームを使って常に一定のテンポで進む最近の曲とは違って、
人間味があって、表現の幅も広いのだろうなと、勝手に推察している。

一言にクラシックといっても、
その中には交響曲や協奏曲、アンサンブル、各楽器のソロ、バレエ
オペラなどいろいろとジャンルがあり、
例え曲が一緒でも、演奏者や指揮者によって曲に対する解釈が違うので、
指揮者や演奏者、録音年月日まで凝り始めると相当に奥が深い。
おそらくマニアやオタクと呼べるような人も少なくないだろう。

私はマニアでもオタクでもなく、ただクラシックが好きなだけで、
自分がトランペットを吹いていたので、金管楽器が活躍する交響曲をよく聴く。
でもそういう曲は大編成の重い曲が多いので、
何曲も続けて聴いていることはできず、
時間が進むにつれてかかっている曲は軽くなり、
夕方頃には協奏曲、夜はアンサンブル、深夜はソロのCDとなる。
さらに夜も深まると、最近は友達のミュージシャンが作った
ヒーリングミュージックをかけるようになり、
疲労した状態で聴いて初めてヒーリング
ミュージックの良さがわかったりしている。

ちなみに作業中に音楽をかけるとはいっても、
絵を描くときは音楽があった方がいいのだけれども、
音楽があるとなぜか文章が書けなくなる。
でも人によっては、音楽があった方が文章が書けるという人もいて、
人それぞれ脳の使い方が違うんだろうか、不思議なものである。

部屋にいてCDで聴くのもいいが、クラシックといえばやはり生がいい。
クラシックのコンサートはマイクもスピーカーも使わないので、
その場にしかない本当の音が聴けるのが素晴らしい。
以前世界的に1流のピアノ5重奏を聴きにいったことがあったが、
それはもはや楽器の音ではなく、ひどく感動したのを覚えている。
最近コンサートへ行くのはとんとご無沙汰だが、
いいコンサートが多い東京に引っ越したのだから
久しぶりに行ってみたいなあ。