くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

レスキュー

2008-04-25 22:36:19 | Weblog
私の実家の裏は山の斜面になっている。
そこにはどこにでも見られるような広葉樹の木々が生えていて、
ちょっとした自然林になっている。
生えている木々の高さはマチマチではあるが、
高いものは2階建ての実家を通り越す程で、
ちょうど2階の窓から、木の幹が枝に変わる辺りがよく見える。
枝の上を歩くリス、巣を作って子育てをしているカラスが見えたり、
実家の裏は平和な景色が日常となっていたのだが、
ある日ちょっとした事件が起きた。

それは6年前、まだまだ寒い2月のこと。

ある背の高い木に一匹の野良猫が登った。
猫は2階の窓から10mほどの距離にいて、
幹が枝に分かれるあたりで丸くなり、こっちを見ている。
前述したように木は斜面から生えており、
幹が枝に変わるあたりが2階の窓と同じ高さなので、
猫は地上からは建物4階分くらいの高さにいることになる。

猫を見つけた家族達は
「すごいねぇ、あんな高いところまで登れるんだねえ!」などと、
当初はのんきなことを言っていたが、
時が進むに連れて徐々に事の重大さを認識し始めた。

猫を見つけた次の日、猫はまだ同じ場所で丸くなっていた。
その次の日もまだ同じ場所にいる。
そのまた次の日も同じ場所にいる。
よほどその場所がお気に入りなのだろうか。
いや、そうではない。
どうやら高いところまで登りすぎて降りられなくなっているようだ。
時折少し下にある枝の分かれ目まで降りるが、
それより下には降りられずにまた元の場所に戻ってしまう。

我が家とは何の関わりもない野良猫ではあるが、
2階の窓から見える所で衰弱死されるのも気分が悪いし、
死骸がカラスについばまれながら朽ちていくのなんて見たくもない。
衰弱させないために、せめてエサでもあげたいところだが、
ちょっと距離が遠くてエサを与えることもできない。
もちろん応援したところで何の効果もない。

困った家族はついに消防署へ相談してみることにした。
電話をかけて間もなく、レスキュー隊の方々が3人で家を訪ねてきて、
状況を確認した後、早速解決策を見出した。
それは、実家の裏にあるフェンスから猫がいる木までハシゴを渡して、
隊員が猫を捕獲するという実にシンプルな作戦だった。

レスキュー隊員達はすぐに作戦を行動に移した。
2人がハシゴを保持し、一人がハシゴの上を渡り始める。
キシキシとはしごをしならせて隊員が猫に近づき、
衰弱した猫は逃げ場もなくあっさりと捕獲された。
よかったよかったと安堵しのも束の間、猫を捕獲した隊員は言った。
「そっち投げますんで受け取ってください!」
確かに猫を抱えながら不安定なハシゴを渡るのは危険だ。
しかし残る2人のレスキュー隊員はハシゴを保持している。
「私たちか!?」
突然の大役を賜り、家族の間に緊張が走り笑顔が消えた。

「いきますよぉ!」という声をあげ、隊員が猫を放り投げようとした瞬間、
それまでぐったりしていた猫が突然暴れだし、
隊員の手を振りほどいてそのまま下へ落ちていってしまった。
地上までは建物4階分くらいはある。
その場に居合わせた誰もがもう駄目だと思ったが、
猫はフカフカに降り積もった落ち葉の上に着地し、
何事もなかったかのように走って逃げていってしまった。

「始めから自分で降りろよ!」とは誰も口には出さなかったが、
予想外の結末で事件は解決された。
レスキュー隊員達は家族からお礼を言われながらも、
すっきりしない達成感を抱いて消防署へと帰還していった。
家族は「テレビ局にも連絡すればよかったね。」などと事件を振り返っていた。

そしてまた裏の林に平和が訪れたのであった。
めでたし、めでたし。

はちみつ

2008-04-18 22:48:46 | Weblog
はちみつの甘みは幸せな味がします。
砂糖やシロップなど甘味料にもいくつか種類があり、
甘みという味は基本的に幸せな気分になれるものではありますが、
やはりはちみつの甘みは幸せの格が違うようです。

普段から家に常備しているのはスーパーで売られているごくありふれたはちみつで、
これをもっぱらトーストした食パンに塗って食しております。
主には食後にまだ小腹が空いている時などに食すのですが、
実際に食す量以上に何か幸せなものがお腹に入ってくるのです。
スーパーで購入した安物のはちみつですら幸せな気分になれるのですから、
たまに手に入る高級なはちみつを食したりした場合は
それはもう天国に昇るような心持ちになるかと思いきや、
それはそれでそれほどでもなかったりもするのです。

はちみつの幸せ度数の高さはどこからくるのでしょう。
少なくとも金額に比例しないことからわかるのは、
何か特定のはちみつ成分の多い少ないの問題ではなく、
はちみつに対する印象のせいではないかということです。

はちみつは働き者のミツバチ達がせっせとかき集めて蓄えた蜜を
悪く言えば人間が横取りしてきた代物であります。
ミツバチがどんな気持ちで蜜を集めてきたか察するに
上司であり手の届かない高嶺の花である女王蜂、
子供や卵に喜んでもらうために、集めた蜜を意気揚々と持ち帰るのでしょう。
蜜で満たされた蜂の巣の中はきっと甘い幸せで満たされているに違いありません。
蜂の巣からはちみつが取り出される際に
そんな幸せも一緒に絞り出されてくるのかもしれません。

あとは言葉、発音の影響もあるのでしょうか。
愛する人のことをハニーと呼ぶことは米国映画を通じて
広く世界に知られていることであります。
蜂が集めた蜜と愛する人、どちらが先にハニーと呼ばれたのか、
そもそも両者は同じハニーなのかも判然としないのですが、
口では「はちみつ」と日本語で発音しながらも
頭の片隅ではハニー、愛する人という連想が働いているのかもしれません。

残る理由としてはその栄養価の高さ、長期間保存が効く力強さです。
はちみつには並々ならぬ殺菌作用があるということが真しやかに伝えられています。
常温で放置しておいてもまず腐るということがなく、
エジプトのピラミッドからもはちみつが出土したとかいう噂もあります。
そんなパワー溢れるはちみつを体内に取り入れることで
いかにも健康になった気がして、幸せを感じるのかもしれません。

蜂蜜はそのまま食してもよいのですが、
はちみつを使った料理というものもたくさんあり、
私もたまに砂糖やみりんの代わりに料理にいれてみたりもします。
はちみつを使った料理をツラツラとみていると、
世の中には蜂蜜酒というものが存在することを知りました。
何やら家庭でも比較的簡単に作ることができるようですが、
日本では酒税法にひっかかってしまうそうです。
まさに禁断の酒。でもダメと言われるとねえ・・・
ああ、奥深きはちみつの世界。

にゃん吉

2008-04-12 11:59:57 | Weblog
今回は特別ネタがないので実家にいる猫をご紹介。

名前はにゃん吉といいまして、年齢不詳のオス猫です。
おそらく13歳くらいだろうと言われておりますが、
正確なところはよくわかっておりません。
我が家に来た時にはすでに大人の猫だったからです。

元々は行きつけの町医者に勤める看護婦さんが飼っていた猫でした。
にゃん吉という名前をつけたのもこの看護婦さんです。
看護婦さんも元々は患者さんから譲り受けたらしいのですが、
元々看護婦さんの家にいたにゃん太郎という猫と折り合いが悪く、
仕方なく勤務先の病院で半野良状態で飼うことになりました。
病院に野良猫が出入りしていることは、あまりおおっぴらには出来ないので、
患者さんがいなくて、看護婦さんの手が空いているときに世話をされていたようです。

そんなにゃん吉と我が家の縁ですが、
看護婦さんが帰省などで長期間世話ができない時などに
ちょこちょこと我が家で預かっていたのがきっかけでした。
始めのうちは半野良の猫らしく、
異常に警戒心が強くて近づくこともままならない状態でしたが、
慣れてくると、愛に飢えて育ったせいか人なつっこさもまた異常で、
あまりの人なつっこさに情が移ってしまい、とうとう譲り受けることになったのです。

半野良時代、にゃん吉は野良猫グループのボスをしておりました。
猫の世界では頭が大きいほど、幅を利かせられるそうですが、
にゃん吉の頭はご覧のように男の手で撫でられるくらい大きいので、
本人の意思とは関係なくボスに祭り上げられてしまいました。
ちなみに写真は最近の姿で、去勢前はもう2回りくらい大きい頭でした。
ボスに祭り上げられたにゃん吉ですが、
他のグループのボスから喧嘩を売られても特に喧嘩が強いわけでもなく、
連戦連敗で生傷の絶えない日々を送り、
目を覆うような大怪我をしたことも一度や二度ではなかったそうです。
写真ではよくわかりませんが、ボロボロに裂けた耳が当時の荒んだ生活を物語っています。

にゃん吉は喧嘩が弱いと書きましたが、そもそもがトロくさい正確なのです。
足音を消して歩くということができませんし、
棚の上を歩いていて脚を踏み外すこともたまにありますし、
先日は机の上に飛び乗ろうとして机の天板に顔をぶつけたそうです。
それでも人なつっこさは堂に入ったもので、
人が椅子に座ればすかさず膝の上に乗り、
胸をよじ登って、大きな頭を顔にすりつけてきますし、
人が畳の上に寝っ転がれば、上に乗ってまた頭を顔にすりつけてくるので
かわいがり屋の母にはちょうどいいようですが
私などはあまりの人なつっこさに辟易としてしまいます。

大きな頭、トロくさい行動、行き過ぎた人なつっこさ、
にゃん吉は本当に猫なのかという噂が時折まことしやかに囁かれています。
背中のどこかにファスナーがあって中に別の何かが入っているのではないかと。
確かに、人々が寝静まった夜中に冠り物の頭を置いて、
上半身だけ着ぐるみを脱いだランニングシャツの小人が
ソファでくつろいでいても何ら不思議はないのです。

そんな噂をよそににゃん吉は一日のほとんどを寝て過ごし、
エサをもらい、人々に甘えて、我が家での生活を満喫しているゆです。
よほど嫌な思い出しかないのか、家の外に出ようとすることは決してありません。
半野良時代に比べれば、今はまさに天国。
以上、若いころの苦労が報われた、にゃん吉のサクセスストーリーでした。

自転車

2008-04-04 19:53:08 | Weblog
先日自転車を購入した。
アルミを磨き上げたピカピカフレームの
ナイスでイケてるロードレーサーである。

ずっと前からロードレーサーがほしいと思っていたが
なかなか買うことができなかった。
別に買うお金がなかったわけではないのだが、
高い値段のわりにどれ位の頻度で乗るか、自分で自分がわからなかった。
主な用途は毎日の通勤、年に4回程度のサイクリングくらいのものだが
かっこいいと思う自転車は高価で通勤に使うのは忍びないし、
年に4回のサイクリングのために大金を出すのも費用対高価が悪い。
一方毎日気軽に乗れる安価な自転車は魅力的なものがない。
今乗っている折りたたみ式のロードっぽい自転車もまだ乗れるし。
などとグズグズと考えているうちに、はや幾年の歳月が流れた。

そんな私に転機は突然訪れた。
福音を鳴らしたのは友人のK君であった。
K君は空好き、文鳥好きであり、自転車好きでもある。
とある日、K君が名古屋の自転車屋に立ち寄った際、
一際光り輝くフレームが天井から吊るされていた。

セール品で値段が破格に安く、
何より何のマークも入っていないアルミの磨き仕上げが渋すぎた。
一目で気に入ったK君が店員に尋ねたところ、
小柄なK君にはサイズが大きすぎることが判明し、
常日頃ロードレーサーがほしいとつぶやいていた、
K君よりも背が高い私に教えてくれたのである。
その時私は遠隔地にいたため
写メールでフレームの画像を送ってもらい、
画像を見た私はその値段を聞いて驚き、購入を即決し、
K君に料金を立て替えてもらった上に車で持ち帰ってもらった。

次の休みの日、
それまで乗っていた折りたたみ自転車から
移植できるパーツは移植して安く完成車にしてもらおうと思い、
K君の車に光輝くフレームとくたびれた折りたたみ自転車を載せ、
フレームを購入した自転車屋へと向かった。
移植できるパーツ、新たに購入するパーツを店員に選別してもらい、
新たに購入するパーツを一つずつ選んでいく。
元々軟派なサイクリストであるから、性能よりもまず見た目が大事。
今回は渋い無地のフレームを活かして、
銀と黒のシンプルなコーディネートにすることにした。

完成車を組み上げるにはおよそ1週間かかった。
出来上がったという自転車屋からの連絡を受け、
K君の車で引き取りにいった。
光輝くロードレーサーを荷台に積み込み、
さらに、バージョンアップさせたいパーツを求めて
名古屋の主だった自転車屋をハシゴしてから帰路についた。
その晩は初乗りと称してK君と自転車で夕飯を食べに行き、
お祝いと称して自転車を部屋に飾って祝杯をあげた。

新しい自転車はすでに通勤デビューを果たし、
今はまだその新鮮な乗り心地を楽しんでいる。
ロード系の自転車は意外とスピードがでるし、
意外と簡単に遠くまで行くことができる。
新しい自転車のサイクリングデビューは
いつにしようか、どこにいこうか、
これまた最近フレームを新調したK君と計画を練る。
春爛漫、どこへ行くにもいい季節である。