くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

新しい生命

2008-02-23 17:05:19 | Weblog
K君宅の文鳥夫婦にヒナが産まれた。
夫婦の名はヨカイチとイイチコといい、
以前K君が実家に帰省した際に私の家に居候していたことがあり、
私には3宿3飯の義理を感じているはず。と思っている。

文鳥夫婦はとても仲がよくていつも一緒にいる。
定期的に卵を産んではいたものの、子宝には恵まれず
卵がふ化したのは過去に一度のみ、
マッコリと名付けられたそのヒナも生後3ヶ月程で夭逝してしまった。
だから今回産まれたヒナは文鳥夫妻はもちろん、
K君にとっても、待望の新しい生命である。

一報を受けた私は早速ヒナを見に行くことにした。
厳寒の中、自転車にまたがり暗い裏道を行くこと数分、
ヒナが待つK君宅に到着する。
呼び鈴を鳴らして、オートロックの解錠を待ち、
部屋に上がるやいなや、所定の位置に置かれた鳥かごの前へと進む。
孫が産まれた老人のような心境で文鳥夫婦宅を覗き込むと、
そこには確かに生き物らしきものがいた。

生後数日ということでまだ目も開いていない。
羽毛はもちろん生えておらず、
痛々しいむき出しの地肌、
薄い皮膚から透けて見える脈打つ血管、
早いテンポで肺のあたりが膨らんでは縮む荒々しい呼吸。
暗い鳥かごの中、親鳥の下でかすかにうごめいている新しい生命は、
なかなかにグロテスクで、
アニメ「風の谷のナウシカ」に出てくる巨神兵のようだ。

だが目を凝らしてよく見てみると、それが鳥であることがわかる。
文鳥独特のミョウガのような口ばしを付けた頭が気だるそうに動き、
まだ羽毛が生えず骨組みの形がよくわかる小さな翼は弱々しくはためき、
確かに手羽先の形をしている。
「毛が生え始めたんだよ」とK君に言われ、
さらによく見てみるとポツポツと毛のようなものが吹き出している。
K君や文鳥夫妻がどう思っているのかわからないが、
正直なところ、あまりかわいくないなと感じた。

K君はこのヒナには大いに期待をしている。
ヨカイチとイイチコでは果せなかった
文鳥の手乗り化という夢をK君は果そうとしているのだ。
そのためには、早い段階で親元から引き離して
英才教育を受けさせる必要があるらしい。
ヨカイチとイイチコにしてみれば甚だ迷惑な話だが、K君の決意は固い。

ちなみにまだヒナの名前は決まっていない。
K君の文鳥一族はお酒の名前を与えられることになっていたが、
最近は気が変わったらしく、
「ファウスト・コッピ」、「ジャック・アンクティル」といった
K君がが好きな自転車選手の名前が検討されている。

ヒナの運命やいかに。

お茶の時間

2008-02-16 15:45:22 | Weblog
毎日食後のお茶は欠かさない。
家で食事をした後には必ずお茶を飲む。
さすがに朝食の後はのんびりお茶を飲んでいる余裕はないが、
築に夕食のあとは必ずゆっくりとお茶を飲んで一息入れる。

お茶の種類や銘柄には特に気を遣ってはいない。
とりあえずまずくなければそれでいい。
緑茶でも、ほうじ茶でも、玄米茶でも、紅茶でもよい、
お茶を飲むということが大切なのである。
甘いお茶菓子を片手にゆっくりとお茶をすする。
一日の疲れがフッと和らぐ。

食事が終わったらすぐにお茶を飲むというわけではない。
お茶を飲む前に食事の片付けや洗い物は全て済ませておく。
風呂の掃除も洗濯物もすべて終えておく。
つまり、お茶を飲んだあとは
何もすることがない状態にしておくのである。

お茶を飲んでいる時間は、
お風呂に入っている時間と並んで心休まる瞬間である。
その後に差し迫って何かしなければならないことがない、
ささやかな安心感を得ることができる。

当たり前だが身の回りには毎日違うことが起きる。
一見同じようなことでも、時間は流れているので
注意して見ているとそれらはちょっとずつ違っている。
予期していたことも予期していなかったことも、
期待通りのことも期待外れのことも起きる。
人から、回りのことに関心がなさ過ぎると言われる私でも、
一日の間に起きる出来事を全て無視できるわけではなく、
嫌でも反応せざるをえない出来事は少なくない。

ことの大小はあるけれど、
毎日起きる違う出来事に、毎日違う反応をする。
毎日何かしら、その場その場の対応を必要とされている。
だから一日を過ごすことは心身共に疲れを伴う。
でもそんな疲れも食後にお茶をゆっくり飲んで、
甘いお菓子を食べることで、しばし忘れてしまうことができる。

毎日完全に同じ状態でお茶を飲むことは出来ないけれど、
毎日同じと思い込むことができる程度の心の安定法があるのは
健康を保つ上でいいことだなあと思う。
お茶をすする時に大量の酸素を吸い込むから
心がリフレッシュするのだろうか、
などと仮説を立てながらお茶をすすり、
年を経るにつれて、もらえるチョコレートの数は
減少の一途をたどっているなあと
バレンタインデーを振り返りながらお茶菓子を頬張る。

牡蠣の価値

2008-02-09 00:10:34 | Weblog
先日会社の友人と4人で
三重県の鳥羽に焼き牡蠣の食べ放題にいってきた。
鳥羽は私が住んでいる愛知県の知多半島と
伊勢湾を挟んで向かい側にある海の街で、
最近知ったのだが牡蠣の養殖も行われているようだ。
伊勢湾をまっすぐ渡っていければ近いのだが、
去年フェリーの航路が廃止されてしまい、
仕方なく車で伊勢湾をぐるりと回って目的地へと向かった。

皆あまり時間に厳しくないので予定よりも少し遅れての出発だった。
伊勢湾をぐるりと回るといっても高速道路が整備されているので、
まあ2時間もあれば到着できるだろうという算段だったが、
予想外にも積雪により通行禁止になっている区間があり、
一般道に降りざるをえなくなってしまい、
散々道に迷った結果1時間遅れての到着となった。
ちなみに私は方向音痴なので
このような状況においては全くの他人任せ状態になるが、
文句を言われても気にしない。
苦手なことは苦手である。

冷たい雨が降る中、店のHPからプリントアウトした
大雑把な地図だけを頼りに何とか辿り着いてみると、
そこには店などという立派なものはなく、
水産加工場の片隅にある空き地にトタンの屋根が張られ、
運動会の本部に使われるような長テーブルと椅子が
所狭しと並べられているだけだった。
寒風吹きすさぶ中、所々から湯気があがり、
人々がワイワイガヤガヤしている様は、
さながらアジアの途上国か
戦後間もない頃の大衆食堂のような趣であった。
早速受け付けと会計を済ませて案内されたテーブルに着く。

食べ放題といっても時間制限などはなく、
焼き牡蠣、牡蠣ご飯、牡蠣の味噌汁を
好きなだけ気の済むまで食べていいらしい。
焼き牡蠣はアルバイトと思しき青年達が焼いていて、
焼き上がったらフロア係のおばさん達が止めどなく運んでくる。
調味料の持ち込みは自由ということで、ポン酢など持参していたが、
初めからほのかな塩味がついていたので、
持ってきた調味料はほとんど使わずに
ありのままの牡蠣の味を我々は心ゆくまで堪能した。

生まれてこの方、こんなに大量の牡蠣を一度に食べたことはなかった。
中身が食べられた牡蠣の貝殻は次々と回収されていくので
何個食べたのかは正確にわからないが、
焼き牡蠣を20個くらい、牡蠣ご飯をどんぶりに3杯、味噌汁1杯といったところか。
感動的な美味しさというわけではなかったが、その味は間違いなく、
微妙な高値のため、日々スーパーで買おうか買うまいか悩む牡蠣の味だった。
それが2100円でこれだけ食べられてしまうのだから、お得なものである。

牡蠣でパンパンに膨れたお腹を抱えて、
周辺にある博物館や温泉に寄って家路についたわけだが、
途中ふらりと立ち寄った砂浜に
牡蠣の貝殻が積まれ、高さ3メートルほどの山になっていたのを見た。
スーパーであれだけ高値で売られている牡蠣はなんなのだろう。
牡蠣に対する価値観が変わった1日であった。

パスタパンの隠し技

2008-02-02 20:56:25 | Weblog
台所には鍋がいくつかあり、
ステンレス製のもの、鉄製のもの、アルミ製のもの、
片手だったり、両手だったり、
大きい、小さい、浅い、深いなど
それぞれに個性があって、それぞれの役割を担っている。
それらの中でも一際大きい鍋がパスタパンである。

このパスタパンは、
実家のコンロが電熱線タイプから
IHに変わった際に使用できなくなった鍋で、
現在ガスコンロを使用している私が引き取った経緯でここにいる。
パスタパンというだけあって、
パスタが一気にお湯に浸かってしまう深さがあって、
鍋の直径も30cm近くあり、
常日頃からキッチンの流しの下に堂々と鎮座しておられる。

この深いパスタパンでパスタを茹でると、
均等に火が通って美味しく茹で上げることができるわけだが、
ただ難点を挙げるとすると、
私はそれほど頻繁にパスタを食べないということであろう。
パスタは好きだが、日常の主食はやはりお米がいい。
頻繁にパスタを食べないということになると、
狭い台所においてパスタパンの大きな身体は
収納スペースを浪費してしまうなど、
その欠点ばかりが目立つようになってくる。

他の鍋でもパスタは茹でられるし、
いっそこの子はどこかの弁護士夫妻へ養子に出してしまおうか
などと思っていた矢先に、
このパスタパンが予想外の能力を持っていることを発見した。
それは素材を「蒸す」という能力である。

料理で素材を加熱する方法としては、
「焼く」「煮る」「茹でる」「蒸す」「揚げる」「レンジでチン」
といったところが一般的だが、
料理を始めてまだ日の浅い私は、
より初歩的レベルで、且つ特別な器具を必要としない
「焼く」「煮る」「茹でる」「レンジでチン」しか実践できていなかった。
ところが先日横浜の実家に帰った際に肉まんを買ってしまい、
家の中で蒸せる道具を探していたら、
思いがけずパスタパンの隠された才能を発見することができたのだ。

素材を「蒸す」という能力を手にいれた私は
料理レベルが1ステップ上がったような気持ちになり、
レシピの幅がググッと広がるのを肌で感じた。
鍋のサイズが大きいので
その気になればキャベツも丸ごと蒸すこができるだろうし、
他にもあらゆる素材が蒸された姿を想像すると
夢が膨らむばかりである。

こうしてパスタパンは、
欠点になりかけた、身体が大きいという利点を
再び利点として返り咲かせたのであった