くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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新郎新婦入場

2007-09-29 22:34:44 | Weblog
先日従姉妹の結婚式に出席してきた。
私にとっては生まれて初めての結婚式だった。
結婚式に呼んでくれる程親しい友人は少なく、親しい友人はなかなか結婚しない。
近しい親戚もなかなか結婚しない。
親戚の中で同世代では27歳の私が一番年下だが、今回の従姉妹が初めての結婚だった。

両家の親戚だけによる内輪の結婚式だったが
親戚が集まるといえば葬式か法事といった暗い行事ばかりだったので、
久しぶりの明るい行事は皆楽しそうだったし、私も楽しかった。
従姉妹は子供の頃リトルリーグに所属していたほどボーイッシュな女性だが、
ウェディングドレス姿はとても綺麗で、伯父とヴァージンロードを歩く姿はとても感動的だった。
システム化された西洋式の演出に負けてはならないと内心思っていたが、
そこにはやはり強く胸を打つものがあった。

式は平日に横浜で行われたため、私は当日愛知から新幹線で会場へ向かった。
新横浜駅を降りて、招待状に同封されていた地図を開いた。
私は会場が新横浜にあるホテルだと勝手に思いこんでいたが、
よくよく地図を見てみると、そこには横浜中華街の地図が描かれていた。
どうやら場所を違えたらしい。
約束していた集合時間はすでに過ぎていたので、
私は遅れる旨の連絡をして再び電車に乗って、中華街へと向かった。

遅れたといっても式が始まる時間には十分間に合う。
ただ私には、披露宴で新郎新婦の入場時にトランペットを吹くという役が与えられており、
一緒にピアノで演奏する音大出の新婦の母、つまり伯母と
早めに集まって練習しようという話になっていた。
トランペットを吹くのは大学を卒業して以来5年ぶりなので
まともに音は出ないし、特にスタミナが全く続かない状態だったが、
親戚だけの内輪の式だったし、余興の一つということで引き受けることにした。

約束の時間から30分遅れで会場に着いた。
早速伯母と練習しようと思ったが、あいにくピアノがある部屋は準備中で入ることが出来ず、
離れの部屋で、一人ウォーミングアップを入念に行い本番に備えた。

教会での式が終わり、披露宴の会場へと向かう。私にとっての本番が近づいてくる。
意外に小さな会場、入り口から新郎新婦の席までは15mあるかないか。
この位の距離を歩く時間だったら何とかスタミナがもつかもしれない。
部屋の隅にある電子ピアノの横に譜面台を立て楽譜を置き、時が来るのを待った。
皆席に着き徐々に静まる会場、司会役の私の姉が軽く挨拶をしてから言った。
「新郎新婦の入場です」

その言葉を合図に私は深く息を吸い、音が出ることを祈ってトランペットに息を吹き込んだ。
何とか音が鳴り、5年ぶりにしては上々の出だしだった。新郎新婦が会場に入ってくる。
ところが私に続いて入ってくるはずの伯母のピアノの音が聞こえて来ない。
伯母は電子ピアノの操作がわからず慌てていた。
ピアノもメロディを弾くので、仮に私がスタミナ切れになっても音がなくなる心配はないと思っていたが、
結局は私のソロという状況になってしまい、恐れていたスタミナ切れは意外にも早かった。
新郎新婦が席に着く前に演奏は消え、つられて拍手も消えた。
静寂の中を新郎新婦は少し戸惑い気味に歩みを進めて席に着いた。

「ごめんね」と伯母。結局伯母とは一度も合わせることなく終わってしまった。
申し訳ないことをしたと少し思ったが、余興の一つだからご愛嬌ということで気を取り直し、
席に戻って美味しい料理を頬張り、他の人を余興を楽しみ、みんなで写真を撮って、
私にとって人生初の結婚式は終わった。

世の中には様々な結婚式がある。多分カップルの数だけあるのだろう。
その中で私が体験できる結婚式は多分この先も少ない。
次に結婚式に出られるのいつの日か。そこにはどんなドラマが待っているのだろう。
楽しかった結婚式の余韻を胸に、新幹線に乗って愛知に帰った。
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展示

2007-09-24 09:38:58 | Weblog
現在、名古屋市の覚王山トいう所にあるカフェで
イラストの展示をしている。早いもので今日が最終日だ。
いつからかは忘れてしまったが
時間をみつけては色鉛筆で絵を描いていて、
ある程度絵の枚数が揃うと年に一回くらいカフェなどに飾らせてもらう。

絵などは心理テストにも使用されているように
描いた人の内面がよく出るみたいだし、痕跡として残るから、
自分の絵を見てもらうのは少々恥ずかしい面もある。
以前は絵を描いて、自分で見てにんまりしていたが、
部屋の中でそんなことをしていても発展性がなく、前に進まないので、
最近は展示をして人に見てもらうようにしている。

絵を見た人はよく私自身のキャラとのギャップに少し驚くことが多い。
「へぇ~、意外!」とよく言われるので、
今回の展示の題は「くぬぎ太郎の意外とかわいい色鉛筆画展」となった。
展示をしていると、作品を見てから私を見るという順番の人も出てくる。
そういう順番の人も、それはそれで意外な印象を持っているのかもしれない。
「もっと太ってる人かと思ってました」などと言われたりする。

展示をしていると日常とはちょっと違う、人との関係性が出てくる。
今回の展示は主に職場の方が多く来てくださるが、
職場ではあまり出て来ない表情や、会話、服装などがなかなか新鮮な印象であったり、
職場以外にも学生時代の友人など遠方から来てくれる人もたまにいて、
久しぶりにゆっくり会えて良い時間を過ごせたりする。
またありがたいことに、新たに私の絵を気に入ってくださる方もいらっしゃる。
普段の関係を暖めたり、新しい関係が生まれたり、展示はそういうところがおもしろいと思う。

初めての個展ということで、ひっそりとしたものではありましたが、
わざわざ足を運んでくださった方々、
そのうちの何人がこのブログを見てくれているかはわからないけれど、
大変ありがとうございました。
残念ながら来られなかった方も含め、
また機会がありましたら見にきていただけると、
その場ではあまり顔に出しませんが、うれしく思います。
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音楽

2007-09-16 11:33:39 | Weblog
先週デジカメを買った。
これまでもデジカメを持ってはいたのだが、
画素数が低く、起動にも時間がかかっていたので、
撮りたいものを撮りたい時に撮りたいように撮れなかった。
新しく買ったデジカメはさすが最新型だけあって、きれいに撮れるし、起動も早い。
やはりデジタル機器は新しいものに限る。

新しいデジカメを手にしてまず何を撮ろうかと思ったが、
特にこれといってすぐに撮りたいものもなく、
何となく自分の部屋の空気を撮っては消すことを繰り返していた。
そんな休日の午後にK君から私の携帯にメールがきた。
「練習しよう是」、多分「れんしゅうしようぜ」と読む。

K君は大学の同級生で現在同じ会社に勤めている。
去年あたりからウクレレを始めて、夜な夜な一人孤独に陽気な音楽を奏でている。
音楽に関しては私も学生時代にオーケストラや吹奏楽部で少しかじっていたので、
一人で演奏するのもいいけど、やはり人と合わせた方が楽しいだろうと思い、
実家からリコーダーを持ってきて、
週に一回くらいのペースでK君のウクレレと合奏している。

練習曲は主にスタジオジブリ作品のテーマ集から選ぶのだが、
K君はまだ楽譜というものに慣れておらず、
人と合奏するのも初めてのことなので、始めはなかなかうまくいかなかったが、
練習の甲斐があって最近は弾ける曲が徐々に増えてきた。
特に発表の場などはなく、人に聴いてもらう機会もないが、
ただただ合奏しているだけでも、それはそれで気楽で楽しい。
音楽というからには、音を楽しめればそれでいいのであろう。

大学をでてからは、音楽はもっぱらCDで聴くものになってしまっていたが、
K君と合奏をすることで、音楽を奏でる喜びが甦ってくる。
私は会話を通して人とコミュニケーションをとるのが苦手だが、
音楽を通して人とコミュニケーションをとることは楽しいと思う。
メトロノームがなく、指揮者もいないアンサンブルでは
音の出だしのタイミングや、テンポの緩急、音程などの感覚を
奏者間で共有している必要があり、いろいろと合図を交換したりする。
あくまで素人レベルの話であって、次元は相当低いものだが、
奏者間で相手との共通点を探り合うような感覚が好きだ。

ちなみに写真にも映っているが、K君の家にはつがいの文鳥がいる。
普段はカゴに入っているのだが、カゴの扉は開いているので
カゴの外に出たいときは勝手にひょこひょこと出てくる。
私とK君が合奏しているとカゴの外に出てくることが多い気がするが
音楽を通して鳥類とコミュニケーションをとることに我々は成功したのだろうか。

聞けば現在巣の中に卵があるそうだ。
クラシック音楽は胎教に良いというが、
我々が奏でるスタジオジブリ集は文鳥の卵にどんな影響を及ぼすのであろうか。
合奏中に時折文鳥が鳴くことがあるが、
果たして一緒に歌ってくれているのか、苦情を言っているのか。
鳥の心は計り知れない。
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農家直売

2007-09-08 19:51:05 | Weblog
産地直送、有機栽培、天然物、北海道産、新鮮、特選、とれたて・・・。
食品の良さをPRするための謳い文句はいろいろとあって、
スーパーののぼりなどでよく目にすることができる。
次々と新しい謳い文句が登場してくるわけだが、
私はいまいち心を引き付けられることがない。

いろいろな謳い文句が書かれていても
スーパーの売り場は大抵いつもと同じ風景だし、
売られている商品も謳い文句とパッケージが違うだけで、
パッと見の中身の印象はそれほど大差が感じられない。
いつもと同じ商品を売り方だけ変えているように思えてしまう。

だが、そんな謳い文句の中でも私を引き付ける言葉は存在する。
「農家直売」である。
スーパーで農家直売は普通に考えるとあり得ないので、
商品についている謳い文句というよりは
販売方法や販売場所を指す言葉かもしれない。
だが私はこの言葉に弱く、
旅先などで「農家直売」という文字を見かけるとチェックせずにはいられない。

スーパーの売り場とは違って農家直売には臨場感、季節感がある。
農家直売では基本的にその土地で栽培できる食品しか売っていないので、
その土地、その土地の特産品や珍しい食品が置かれていることが多く、
もちろん新鮮な食材ばかりである。
そしてスーパーのように季節外れの輸入品も置かれていないから、
今現在その土地で旬な食材も知ることができる。

農家直売は売り場にもなかなか趣があって、
スーパーのように立派な建物であることはほとんどなく、
プレハブ小屋はグレードが高い方で、
壁がない東屋のようなもの、テントなどが多く見られる。
あまりに汚らしい建物で売られていると気が引けてしまうし、
かといって立派すぎるとスーパーのようで趣がなくなってしまう。
販売している農家の方々がどこまで意識されているか知らないが、
販売する場所の演出は結構難しそうである。

でもその場にいる農家の方々を見ていると
売り場の演出などには大して興味がなさそうに感じる。
消費者に直接販売することが本業ではないので
接客マナーなどもスーパーのようにきっちりしてはいないのだが、
逆にこちらも気張らずにすむので、私としては好印象である。

今週末は社員旅行で浜名湖近辺に行っていたが、
さびれた観光地の一角にある農家直売という言葉を私は見逃さなかった。
空き時間に同じく農家直売好きのS君と様子を見に行き、
大粒の立派な栗を一袋購入した。
自分で生の栗を購入したのは初めてだったので値段の相場はわからないが
スーパーよりも安いと思い込んだ方が幸せというものであろう。
購入した栗で近々栗ごはんに挑戦してみようと思う。

栗といえば、昔福島に住んでいた時に栗農家の友達がいたが、
小学校3年で私が転校して以来、なんの連絡も取っていない。
向こうが私を覚えているかすらわからないが、
多分元気に暮らしているだろう。そう思う方が幸せというものだ。
美味しい栗ごはんが楽しみである。
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秋刀魚

2007-09-02 12:29:29 | Weblog
今年の秋刀魚は大きくて油がのっていておいしい。
しかも大漁なので値段もお手頃らしい。
先日実家に帰った時にテレビでそんな内容のニュースが流れていた。
私は自分の家にあえてテレビを置いていないので
たまに見るテレビのニュースにはかなりの影響をうける。

普段はラジオばかり聞いているので
映像と音声によるテレビの情報はやはり臨場感が違う。
下町にある定食屋でサラリーマン達が
美味しそうに秋刀魚定食を食べながらインタビューに応え、
口をハフハフしたがら「おいしい、おいしい」と言っている。
本来私は特に秋刀魚は好物というわけではないのだが、
いかにもおいしそうに秋刀魚を映すものだから
どうしようもなく食べたい気分になってきた。

ちなみに現在、ベジタリアン生活はお休み中である。
ずっと動物性タンパク質抜きの食事を続けていると
身体が純粋になり過ぎるのか知らないが、
たまに動物性タンパク質を摂取しすぎると
体調を崩してしまう体質になってしまったようだ。
帰省、飲み会、旅行など動物性タンパク質を食べざるを得ない状況は結構多いので、
その度に体調を崩していてはしょうがない。
とりあえず魚は食べてもいいことにして
普段から動物性たんぱく質になれておく必要があると思ったのだ。
※上記の説は私の勝手な想像です。

自分の家に戻ってから早速近所にある小さなスーパーへ秋刀魚を買いにいってみると、
さすが旬な食材だけあって盛んに秋刀魚をPRしている。
売り方も様々で、丸ごと魚の状態で売っていたり、刺身になっていたり、
3枚におろしてあったり、内蔵が取り除かれていたりする。
しかも生食でもOKと書いてあるだけあって、
どれも見るからに新鮮でピチピチとしていた。
やはり最初は塩焼きが基本だろうと思い、
お頭は落とされ、内蔵が取り除かれた状態の秋刀魚を買って帰った。
魚好きの人は内蔵こそが美味しいと言うが私はそこまで魚好きではない。

今の家に引っ越してきてから半年、初めて台所に据え付けてある魚焼きグリルを使った。
秋刀魚が焼けていく過程はよく見えないが、
じゅうじゅうと油がしたたる音、
魚が焼けているちょっと焦げ臭いけど芳ばしい香りが漂い始める。
もういい頃合いだろうという所で火をとめて
秋刀魚をお皿に移し、大根おろしを添えて食卓に並べる。
秋刀魚、ご飯、みそ汁が並んだ食卓はいかにも秋という風情で実に渋い。
私の魚肉料理復活を飾るにふさわしい。

秋刀魚の黒い皮膚と銀色の皮膚の境目に添って箸を入れ身をほぐしていく。
箸を入れて身を開くと一瞬フワッと湯気が上がる、
キラキラと輝く白い身は、プリっとしていていかにも美味しそうで、
一口食べてみると、ふんわりとしていて、とろけてしまいそうだった。
まったくパサパサとした感じがなく、ニュースの通りよく油がのっている。
テレビに映っていたサラリーマンのように
「おいしい、おいしい」と言いながら食べ進み、
お皿の上には、秋刀魚の背骨と食べるのに手間取った小骨付きの肉片が残された。
この残った肉片はいかにも残飯という風情で、あまりいい感じではない。

世の中には魚を食べるのがうまい人が存在する。
私の友人知人の中にもそういう人はいて、
頭と背骨と尻尾以外は何も残さずに食べてしまう。
私は魚を食べるのが上手ではないので、
魚をきれいに食べられる人は、実際はそうでもないが礼儀をわきまえていそうで
少なからず憧れを抱いてしまう。

魚料理復活を果した今、
次なる目標は魚をきれいに食べることである。
しかし、達人はあの細かい骨をどういう気持ちで食べているのだろう。
魚を上手に食べるにはある程度無神経になる必要があるのだろうか。
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