くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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年末の食卓

2007-12-30 18:52:52 | Weblog
早いもので今年もいつの間にか年の瀬が近づいてきて
世間は何となく慌しくなってきた。
会社もすでに休みに入った。
普段の休みなら自宅にこもって
世間の喧騒などどこ吹く風というスタンスの私だが、
年末はさすがに結構大きな時間の区切りなので
自分が満足する程度に大掃除などしてみる。
もう今年も残りあとわずかと言われると
やらなければならないと思うことがいろいろと出てきて、
時間の流れが持つ力は絶大だと思う。

普段の床掃除はホウキで掃くだけだが雑巾がけをしたり、
普段の風呂掃除は浴槽と床だけだが壁と天井も磨いたり、
普段より少しずつ高いレベルの掃除を施していく。
こだわり始めるとキリがないが、
いい頃合で満足したことにして
自宅の汚れを落とす大掃除は終わる。
そしてもう一つやらなければならない大掃除が
食材の整理である。

年末年始は横浜の実家に帰省するので
愛知県の家は1週間ほど空けることになる。
冷蔵庫には最近買った生鮮食品が少し残っており、
1週間後には食べられない状態になっている可能性が高いから、
愛知にいるうちに食べてしまう必要があるのだ。

冷蔵庫を開けると
友人のイタリア土産にもらったちょっといいベーコン、
人参が一本、もやしが一袋、豆腐が一パック、
長ねぎが半分、ごぼうが半分入っていた。
真の料理上手ならばある食材で何とか工夫して
それなりのレシピを考えてしまうのだろうが、
私にはこれといって妙案が浮かぶほどの知識がなく、
材料を買い足して馴染みの料理を作っても
素材が余ることになり本末転倒である。
年内にやっておきたいことが他にもあったので
調理を手早く済ませたかったこともあり、
すべてを炒めてみることにした。

素材ごとの相性も分量も未体験ゾーンで、
美味しい料理になることはハナから期待せずに、
まずは何味にしようかと考えてみる。
ごぼうが入るから和風か、
ベーコンが入るからイタリア風か、
もやしが大量に入るから中華風か。
結局よく決めずに作り始め、
ここは一つニンニクの偉大なリーダーシップに任せようと思い、
まずはニンニクを炒め始めた。
続けて食材を順次投入していき、
無難なところで塩と胡椒による味付けを施した。

結果写真のような炒め物が軽く3人前出来上がった。
味の方は推して知るべし。
まずくはないが、決して美味しくもない。
素材同士がお互いを高め合うことはなく、
かといってそれぞれの味が引き立っているわけでもなく、
ニンニク風味の統率の元に集まった烏合の衆といったところだ。
しかも3人前を一人で食べなければならないので
何とも始末が悪い。
でも世界には飢えに苦しんでいる人も大勢いるので
食材を腐らして捨てるのも忍びなく何とか完食した。

落ち着いて考えてみると、
ベーコンは結構日持ちしそうだから保存しておいて
残りの食材であんかけ豆腐など作ってもよかったなと思ったが、
所詮は後の祭りである。
食材を整理するという目的は達したので良しとしょう。
部屋も冷蔵庫もきれいになって
すっきりとした気持ちで帰省先の横浜へ向かう。

ダラダラと長い文章に毎週付き合ってくださる皆様、
今年も1年ありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。
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陶芸体験

2007-12-22 20:26:18 | Weblog
以前このブログにて紹介したが、
11月の上旬に岐阜県土岐市にある会社の後輩の実家で
陶芸体験をさせていただいた。
後輩の実家は代々続く窯元で、
別に陶芸教室を営んでいるわけではないのだが、
娘の友人知人には特別に陶芸体験をさせてくれたりする。
陶芸体験で作られた作品は
商品の窯入れがある時についでに焼いてもらうため、
仕上がりがいつになるかは、はっきりとわからなかったが、
最近出来上がったという連絡を受けて、
一緒に陶芸体験をさせていただいた S 君と受け取りにいった。

アップした画像がその作品の一部である。
他にもいくつか作らせていただいたが、
すべて載せると一つ一つがよく見えないので
特にお気に入りの作品をアップしてみた。

一番左の大きいものが緑釉の平皿で、
粘土をたたらと呼ばれる技で加工した板から作った。
通常の平皿のように周囲に壁をたてたくなかったので
天面にグルリと溝を掘ることで
多少汁っぽい料理でもこぼれずに盛ることができる、はずである。

その右にある長細い器が刺身用の平皿。
これも同じくたたらで作った粘土の板をくり抜いて作った。
器の底がスズリのように傾斜しているので、
一番低いところに醤油を注ぐことができ、
小皿を別に用意する必要がなくなる、はずである。

その奥にある平たい器は予期せずできあがった平皿。
一番始めに紹介した器の下に同じサイズの薄い粘土の板が張り付いていたのだが、
誰もその存在に気づかずにそのまま素焼きされたところ、
焼成による粘土の変形で剥がれ、その存在が明るみになった。
張り付いていた平皿に圧迫されて焼かれたので、
変形も少なくタイルのように綺麗な平面を出すことに成功した。
特に釉薬の指定をしていなかったため
釉薬をかけないで焼き締めの作品として完成に至った。

その偶然の平皿に乗っているのが、ろくろで作ったお猪口。
始めにろくろで丸い形を作り、
適当に粘土が乾いた頃を見計らって周囲をたたいて四角い形にした。
元々白い徳利を持っていて、それに合うお猪口がほしかったのだが、
徳利と微妙に違う白も気持ち悪いので
黒い釉薬をかけて対比で合わせることにした。

以前も書いたが、
会社では陶器を使った商品のデザインをしていて、
形や色を一定に保つのに皆苦心している。
それはそれで生活には欠かせない商品なので、
たゆまぬ努力が必要だ。
でも本来陶器は焼くと変形するもので
偶然に起きる色や柄の変化を楽しむのも
たまには良いものである。

会社の仕事では、
形を検討する段階では自分の手でモデルを作ったりもするが、
最終的な商品の形は図面を描いて表現することになる。
その点趣味の陶芸体験は自分の気のむくままに形を作った形が
そのまま完成形として残るのでおもしろい。
今回も世の中に一つしかない器をたくさん作らせて頂いた。
感謝感謝である。
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大人の甘酒

2007-12-15 15:22:30 | Weblog
私の冬の楽しみに甘酒がある。
冬でもインドア派の私は、外で何か運動をするわけでもなく、
特別体が凍えるようなこともないのだが、
甘酒を飲んでは、暖かい部屋にいてもともと暖まっている体の体温が
ちょっと高くなる感じを楽しんでいる。

甘酒といっても、私の場合は邪道なもので
スーパーで買ってきた酒粕をお湯で溶いて砂糖を混ぜるだけである。
以前は板状の酒粕をお湯に溶くのに苦労していたが
今年の12月11日にザルでこせば簡単なことを発見して、生産性が飛躍的に向上した。
ザルでこして細かくした酒粕を鍋に入れたぬるま湯に混ぜて、
ヘラで軽くかき混ぜながら弱火にかけ、
砂糖と気分によっては少量の蜂蜜を混ぜて出来上がりである。
美味しい甘酒を作るためには、新鮮な酒粕に良い砂糖を使うことが重要で、
何となく酒粕の風味が落ちる気がするので、
あまり沸騰させない方が賢明であろう。

私の甘酒歴は意外と長く、好きになったのは小学校4年生の頃である。
当時は酒屋で親に買ってもらった瓶詰めの甘酒をレンジで暖めて愛飲していたのだが、
その甘酒は米だけで作られたものらしく、自然な甘みが舌に心地よくて毎晩飲んでいた。
だが幸せな日々は続かないもので、
私が好きだった甘酒を扱っていた酒屋が潰れてしまい、
パソコン通信もロクに発達していなかった当時としては
名前も製造メーカーもうろ覚えな甘酒を手に入れるのは不可能に近く、
私は冬のお供を失ってしまった。

以来パック詰めの甘酒や缶詰の甘酒など、いろいろな甘酒を飲んでみたが
不自然な甘みがある甘酒が多くてどうも好きになれず、
毎日でも飲みたい思える甘酒には出会えないでいた。
今考えると子供の頃愛飲していた甘酒も相当に甘かったのかもしれないけれど、
年を経るにつれて、勝手ながら私は甘くない甘酒を求めるようになっていった。
やがて一人暮らしを始めてスーパーを徘徊するようになると、
冬場の店頭に並ぶ酒粕が目に入るようになり、自分で甘酒を作ることを思いつく。

自分で作るので、当然ながら甘さの加減は自由自在で
私は念願の甘くない甘酒を手にすることができた。
米と米麹から作る本当の甘酒もそれはそれで美味しいのだが、
成人して日本酒の味を知ってしまった今となっては
酒粕にほんのりと残る日本酒の香りが病付きになっている。
酒粕には微量のアルコールが残っているのでまさに大人の甘酒なのだ。

でも会社に行っている平日はさすがに毎日作っている余裕もないので、
会社から早く帰った日や休みの日の夜に作って、
眠る前のささやかな幸せを味わっているのである。
あぁ、冬の幸せ。
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みかん

2007-12-08 12:30:46 | Weblog
冬の団欒風景といえば
テレビを見ながらこたつでみかんというのが定説的なところだが、
残念ながら私の家にはこたつもテレビもない。
(別に経済苦でテレビがないわけではない)
でもみかんはそれなりに好きなのでよく買ってくる。
円い座卓に座って一人みかんを食べる姿は団欒とはほど遠いが
みかんはみかんの味なので、気にせずにおいしく食べている。

スーパーの店頭に並び始めてまだ2ヶ月経っていないだろうか。
出始めから今の時期のみかんは何となく固い気がするが、
皮を剥こうとするとブツブツとちぎれてしまうから、実際固いのであろう。
私はみかんの皮をちぎらずに剥くことを義務として自分に課しているので、
皮が途中でちぎれると非常に気分が悪く、己の非力を恥じる。
みかんを剥いていてもし皮がちぎれそうになったら、
その進路はひとまずあきらめて、
来た道を少し戻ってちぎれそうな皮を吸収するように大きめに剥くなど、
涙ぐましい努力を重ねているのである。

小さくちぎれてしまった皮は何となく置き場に困る。
片付ける際にまとめるのも面倒だし、食卓の上に置いていて気分がよくない。
理想の剥かれたみかんの皮といえば、
ちぎれずに1枚で剥けていて、
剥かれて放射線状に広がった皮の幅ができるだけ揃っているものがよい。
さらには、剥いた皮と実を引きはがすときヘタの直下にある白い柱が
きれいに取れてピンと立っていると、なおよい。
そういう状態の剥かれた皮であれば食卓に置いてあっても、
まあまあ見栄えもするし、
見ていて非常に強い達成感を得ることもできる。

しかし、皮を剥く際にちぎれずに1枚で剥けることはよくあるが、
剥いた皮の幅が揃うということは滅多にない。
大抵みかんの皮はジグザグに剥けてしまって、
幅は揃わないし、切り口もガタガタとしている。
なぜか。

当初の考えでは、みかんは完全な丸ではないからと思っていた。
それもあるだろう、だがそれだけだろうか。
最近では、ひょっとしてみかんは皮を剥かれるのを
嫌がっているのではないのかと思うようになった。
確かに自分の皮を剥かれるのを好む生き物は少ないだろうから、
剥かせまいとして中で必死に実をよじっているのかもしれない。
皮を剥くまでは中の実を確かめることはできないので
あながちあり得ないこともないかもしれないという気もする。
そういう視点でみかんを見ていると、
剥かれた実についている白い筋の一本一本が血管に見えたりして
みかんも生きているんだなあと実感することができる。
生き物なのだから、こちらの思い通りにならないのは当然のことなのだ。

子供の頃、みかんを食べ過ぎた姉の手が黄色くなったことがあった。
果たして外側から黄色くなったのか、
内側から黄色くなったのかは、今となってもわからないが、
あれはみかんの呪いだったのだろうか。
みかん恐るべし。
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アイロン

2007-12-02 11:56:13 | Weblog
アイロンは曲がったことが嫌いである。
家電業界には、掃除機のように何でも一人で抱え込んでしまう性格の者や、
エアコンのように熱くなったり冷たくなったりする気分屋、
洗濯機のように強引に相手をねじ伏せる乱暴者もいるが、
アイロンは大変正義感の強い熱血漢である。
それもバランスのとれた正義感ではなく、
曖昧な処理は許さず、自分の思想を相手に押し付ける高圧的な正義のようだ。

休日の午前中は平日の間に溜まった洗濯物にアイロンをかけることが多い。
要領が悪いせいかアイロンがけには結構時間がかかってしまい、
日本人の平均値は知らないが、
普通のボタンダウンシャツ1枚に5分位かかっているので、
なかなか平日に会社から帰ってかける気にはならない。
だからアイロンがけは休日の午前中にのんびりとやるようにしている。

洗濯されたあとに吊るされて乾かされた衣類は、
キレイだが洗濯機に振り回されてすっかり生気をなくし、
ヨレヨレでカサカサになって疲れ果てている。
洗濯というよりも洗脳を受けて、自ら物事を考えることができなくなり、
何をするわけでもないのに街角に座り込んで、空中を見ているかのようだ。
そんな行き場を失った衣類達に熱い魂を注入して、
本来の目的を思い出させてやるのがアイロンの役目である。

就職を機に横浜の実家を離れて愛知県で暮らすようになり、
様々な家事を自分でするようになった。アイロンがけもその一つ。
始めは自分のアイロンを持っていなかったので、
寮の隣人からアイロンを借りて衣類に生気を吹き込んでいた。
どんなにヨレヨレになった衣類も、
熱いスチームを吹きかけて、アイロンとその思想を押し付けてやれば
たちまち自分の誤りを正して本来の自分を取り戻す。
乾いた衣類に刻まれた無数のヒダやシワをならしていると、
私は世の中の不正を正しているような快感を覚え、
アイロン掛けが結構好きになった。

慣れないうちは、アイロン台への衣類の置き方が悪かったのか
シワを伸ばすどころか、より深いシワを刻みこんでしまうこともあり、
アイロンって結構融通の効かない奴なんだなと思った。
何がが何でも自分の考えを押し通さないと気がすまないらしい。
でもアイロンがけを繰り返すうちに、アイロンの性格にも慣れ、
キレイに衣類のシワを伸ばせるようになってきた。
技術が向上するといい道具が欲しくなってくるのが人の性というもので、
何でも形から入る私は次第に自分のアイロンが欲しくなった。

家電量販店などに行って、アイロンをいろいろと見て回ったのだが、
近頃のアイロンは無意味に速そうな形をしていてどうも好きになれなかった。
なぜアイロンが速そうに見える必要があるのか、
なぜ必ずスケルトン素材が使われているのか不思議でならなかった。
アイロンは衣類の上を走るものではなく、本来衣類に押し付けるものではないのか。
そんなわだかまりを抱えながらアイロンを探していたとき、
インターネットショップで写真のアイロンに出会った。
今まで見てきた高速船のようなアイロン達とは違い、
北極海を航行する砕氷船のような力強い形に心を惹かれた。
商品の説明書きを見ると吹き出るスチームの力も桁外れのようだったので、
少々高かったが購入することにした。

それから4年の月日が経つが、
このアイロンをしっかり使いこなせているかは我ながら自信がない。
本体はちょっとしたトレーニングになるくらいずっしりと重く、
吹き出すスチームはその猛々しさに恐怖心すら覚える。
衣類をハンガーにかけたままスチームを吹きかけて
シワをとったりもできるらしいがやったことないし、
ちょっと操縦をまちがようものなら、一生消えないような傷(シワ)を刻まれてしまう。
いつの日かこのアイロンを意のままに操れる日がくるのだろうか。
精進の日々は続く。
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