くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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ごちそう鉄器

2008-01-25 23:43:44 | Weblog
先日さる御仁から
南部鉄器製の小型フライパンをお土産にいただいた。
商品名を「ちょこっとフライパン」といい、
10㎝×15㎝くらいの四角い形をしていて、
その名の通り一人前のちょっとした
焼き物や炒め物を作るのに都合がよい。
深さも結構あるので、グラタン皿としても使える
なかなかの優れものである。

いろいろな用途に使えるとはいっても、
炒め物を作るにはフライパンや中華鍋があるし、
グラタンなどといったシャレた料理を作ることもなく、
肉を焼いたり、魚を焼いたり、野菜を焼いたり、
私の台所ではもっぱら食材を焼くことに使われている。
さらにもう一つの用途としては、
フライパンの柄が取り外せるので、
できた料理を器に移さずそのまま食卓に出すこともでき、
器としても使えてしまうのである。

私の元にフライパンが来てまだ一月も経っていないのに
早くも思い出話を始めてしまうが
いただいた頃のフライパンは当然ながらまだ新品で、
表面には防錆加工が施され、
サラサラとした手触りで血の気のない灰色をしていた。
私はフライパンにしても中華鍋にしても
鉄製調理器具の黒光りする質感が好きなので、
防錆加工などなくとも鉄器が鉄器として生きられるように、
生命を吹き込むための儀式にとりかかった。

儀式の内容は、防錆加工を取り除き、
鉄製調理器具が大好きな油を馴染ませることである。
フライパンを水洗いした後、
火にかけて防錆加工を焼き切り、
多めの油でクズ野菜を炒めて油を馴染ませていく。
今度はお湯でフライパンを洗って、
再び火にかけて水分を飛ばして油を注ぎ、
しばらく加熱してから油を拭き取って完了となる。


台所の兄貴分である普通のフライパン、中華鍋にも
同じように生命を吹き込む儀式を行っていて、
私にとっては3度目の儀式になる。
鉄器は使い込んで育てていくものと言われているので
この儀式はさながら産湯や洗礼のようなものである。
儀式を終えたフライパンは黒く妖しい光を放ち、
すっかり一人前の面構えになった。

早速、これも頂き物のステーキ肉を焼いてみた。
南部鉄器は肉厚なので
食材を投入した瞬間に表面温度が下がらず、
肉でも野菜でも表面を焼き絞めて、
素材の旨味を逃がさない。らしい。
確かに普通のフライパンで焼くよりも美味しい気がした。
何よりもジュウジュウと音がするフライパンを
そのまま食卓に出すので、
ステーキ専門店のようでいかにも美味しそうに見える。

いろいろとフライパンの魅力を挙げてきたが
一番の魅力は、コンロから下ろしても
2,3分は聞こえているこのジュウジュウという音で、
どんな食材でもごちそうに変えてしまう力を秘めている。
南部鉄器はそれほど高価でもないし、
どんな食材でもごちそうに変わってしまうのだから、
お金をかけずとも世の中には小さな幸福が潜んでいるものである。
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思い出テント

2008-01-19 23:02:21 | Weblog
先日ちょっとした用事があって4年ぶりに母校の大学へ行ってきた。
母校は東京都八王子市の町田市、相模原市と隣接する地域にあり、
私は大学で4年間プロダクトデザイン、
平たく言えば工業製品のデザインを学んでいた。
母校のプロダクトデザインコースはとにかく課題の量が多くて、
課題の締め切りがない日は数えるほどしかなく、
ノイローゼになりそうな忙しさであった。
締め切り直前なのに課題が終わらずに焦っている夢を
卒業して5年経つ今でもたまに見たりする。

そんな重い出は忘れてしまうような気持ちのいい冬晴れの日、
予定より早く大学に到着した私は、
最近出来上がったという有名建築家の設計による図書館を覗いたり、
自分が在学していた時にはなかった新しい建物を見てまわった。
高低差ビル11階分といわれる坂ばかりのキャンバスに建ち並ぶ
コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物は、
建築雑誌に紹介されている通りのすばらしい出来映えで
母校の発展ぶりを誇りに思う反面、
在学中にはなかったかっこいいキャンバスに少し嫉妬したりしていた。

キャンバスの見学を一通り終えて、
私は自分が在学中に学んでいたデザイン棟と呼ばれる建物に辿り着いた。
デザイン棟のまわりをグルリとまわり
学生の頃の思い出を懐かしく辿っていると、
建物の外壁に寄り添うようにテントが建っているのを見つけた。
運動会や避難訓練などで本部として使われるような
鉄パイプの柱とビニールの屋根からなる簡素なテントに
風よけのためのブルーシートが張られている。
何の変哲もないテントだが、
この光景を見ていると心を平穏に保つのは難しくなってくる。

そのテントはプロダクトデザインコースの学生が課題制作のために使う。
学生達は自分がデザインしたアイテムの模型を自分の手でつくる必要があるのだが、
時には机の上には収まらないサイズの模型を作ったり、
時には大量の粉塵が舞い上がる作業をしたりするので、
こうして建物の外に独自でテントを張って作業するのである。
それだけの用途ならばまだ健康的な話で済むが、
時としてこのテントは課題が終わらない学生達の夜間教室にもなる。

余裕のないカリキュラムの中、
計画的に課題を進められなかった学生は数日間をこのテントで過ごす。
デザイン棟が施錠されてしまう夜間、
自分がデザインしたアイテムの模型が小さなサイズなら
自宅に持ち帰って作業を進めることもできるが、
大きい模型、部屋が汚れる作業を伴う模型はテントで制作するよりほかなく、
汗が吹き出る暑い夏も、霜柱が立つ寒い冬も、不眠不休で模型を作る。
投光器で照らされたテントの中、舞い上がるパテの粉、
鼻を突く塗装用シンナーの臭い、ヤスリがけをしすぎて感覚のない手、
誰かがラジカセでかけている誰かの曲、
テントを見ているとそんな厳しい光景がありありと思いだされる。

学生時代に戻りたいという社会人は多いと思うが
私はもう二度と学生時代には戻りたくない。
もちろん楽しいこともたくさんあったし、
実にいろいろなことを学ばせてもらった素晴らしい4年間だったが、
とてもとても、疲れた。
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干し芋

2008-01-12 15:30:57 | Weblog
今干し芋を食べている。
晩秋から冬にかけて出回るこの干し芋も
冬のインドアライフには欠かせない大切なお供である。
芋を蒸して干しただけの、製法としては単純な食べ物だが、
焼き芋や蒸かし芋とは違った、かすかに香るほのかな甘みが舌に心地いい。
主にはお茶のお菓子やお酒のつまみとして食べるのだが、
自然な甘さが美味しくて食べ飽きることがない。

ただ干し芋は作るのに手間がかかるらしく、
品質管理も大変なため結構な値段で売られている。
生のさつま芋が3~4本300円位で売られているのに対して、
干し芋は芋一本分くらいの量で400円近くする高級品なのだ。
値段の割に量が少なくてすぐになくなってしまうので、
私にとっては毎日のように買える代物ではないが、
日常のささやかな贅沢として楽しんでいる。

干し芋はそのまま食べても美味しいが、
トースターで軽くあぶるとさらにその美味しさが増す。
表面がカリッとした黄金色に変わり、
簡単に噛み切れるくらいに柔らかくなり、甘みが際立ってくる。
トースターであぶられている時
干し芋の中で何が変わるのかはよく知らないけれど、
同じ食べ物とは思えないくらいに
色も触感も味も違ったものになるからおもしろい。

あぶられた干し芋の変わり様も不思議なものだが、
そもそも天日に干されただけで
食べ物の状態がまったく変わってしまうのも不思議なものだと思う。
干し芋も干し椎茸も、干し※※と呼ばれる食べ物はどれもひからびていて、
長時間天日に干されることで
水分など大事なものを奪われているかに見えるが、
食べ物としては生の状態とは違ったより深い味わいに変わるわけだから
実際はより多くの大事なものを日光から得ているのかもしれない。

食べ物を干すということに関しては、
中国の方が日本よりも造詣が深いようで、
以前上海へ出張で行った際に、案内をしてくれた現地人スタッフが
「この店の食材は干しが足りない!」とレストランで憤っていた。
休日に部屋でそんなことを思い出しつつ干し芋をかじる。
今日は曇っていて太陽が見えないが、
今日から始まる3連休をどう過ごそうかと思いを馳せながら玄米茶を飲む。
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横浜のチベット

2008-01-04 21:48:23 | Weblog
皆様あけましておめでとうございます。
本年も文章はダラダラと長いですが
お付き合いよろしくお願い致します。

年末年始ということで
現在私は横浜の実家に帰省している。
とりたてて何も活動せずに
近所の神社へ初詣にいったり
横浜駅やみなとみらいの初売りにいったり、
大学の友人宅に新年会にいったり、
要は毎日グダグダとしており、
特にブログに書くような出来事もないので、
今週は私の実家がある土地について書こうかと思う。

私の実家は横浜市の栄区というところにあり、
お隣の鎌倉市と隣接した地域である。
鎌倉は一方を海に、三方を山に囲まれた
自然の要塞といわれる土地だが、
私の実家はその鎌倉を囲む山の向こう側、
あるいはそれらの山の中といってもいい場所にある。
周囲は山だらけで平らな道はほとんどなく、
どこへ行くにも坂を避けては通れない。
標高が若干高いせいか横浜の市街地より少し気温が低く、
誰が呼んだのかは知らないが
「横浜のチベット」と揶揄されることもある。

周囲の山々にはハイキングコースが巡らされ、
そのコースを歩いていくと
40分ほどで鎌倉市街にいくことができるし、
季節ごとに移り行く山の木々が家の窓から見えたり、
夏には蛍やカブトムシが現れるなど、
自然と触れ合うにはなかなか良い環境にあると思う。
自然が豊かという視点では良い環境なのだが、
世の中、何かに秀でるということは、
その分何かで劣るということであり、
私の実家について言えば、
自然が豊かな分交通の便が非常に悪い。

住所上は横浜市に属しているものの、
私の実家から横浜駅までは約40分ほどかかる。
それもバスと電車の乗り継ぎがうまくいった場合の話で、
家から最寄り駅まで片道20分ほど乗る路線バスは
1時間に2本しか運行していないので、
場合によっては片道1時間近くかかることも珍しくない。

横浜駅まで最短40分、
新幹線が乗り入れる新横浜駅まで1時間強、
通っていた大学がある八王子まで2時間、
どこへ行くにも移動時間がかかり、
いったん外出した者は
常に帰りのバスの時間を気にしなくてはならなくなる。
全国にはもっと不便な土地が多くあるのはわかるが、
横浜という大都市に属していながらのこの不便さは
事情を知らない人にはなかなか理解してもらえない。

でもその不便さも出かけるから感じるのであって
たまに帰省してダラダラするにはなかなか具合がいい。
あっという間に時間が過ぎていくのを見て見ぬふりをして、
飼い猫と畳の上に寝転んでのんびりと英気を養う。

あぁ、もうすぐ仕事始め。
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