くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

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ぶどう

2007-08-26 00:12:37 | Weblog
出張のついでに立ち寄った実家にて、
山梨でぶどう農家を営む親戚から送られてきたぶどうを食べた。
一粒が梅の実位の大きさがあるとても立派な巨峰。
口の中に入れると、甘みが強く、プリッとしていて
幸せのポリフェノールを満喫させてくれた。
巨峰はスーパーでは高価な果物なので誠にありがたいことである。

日頃の食生活ではぶどうといえば
スーパーで比較的安く売られているデラウェアのことで、
小さな実に口をつけ、チュパチュパと吸って食べている。
実が小さい分たくさん食べた気分が味わえるので、
デラウエアはデラウエアで良いところはあると思う。

私の中では、デラウエアの食べ方にも規則が存在する。
まず器にデラウエアを横にして寝かせ、上の方から実を剥いでいく。
順々に下の実へ進んでいき、表面に見えている実がなくなったら、
デラウエアの裏側を眺める。
細かく分かれた枝に実がついている様子を裏側から眺めると
森の中で木を下から見ているような、
あるいは顕微鏡で細胞を見ているような感じがしておもしろい。
続いててっぺんの枝を摘んで持ち上げ、
デラウエアを吊るしたような状態にして上から実を剥いでいき、
一番下についている実を最後に食べる。

ぶどうのことを考えるといつも疑問に思うことがある。
ぶどうは同じ木になった一房単位が一固体なのか、
実の一粒一粒が一固体なのか。
一房単位が一固体ならまだしも、
一粒単位であったなら大変な大家族ということになり、
たくさんの子供を養う木は大変なことだろうと思う。
一粒一粒に名前などつけようものなら
到底覚えることはできないし、
固体同士が密着し過ぎていて大変暑苦しそうだ。

だがこの長年の疑問は、
ぶどうをよく観察することで答えが見つかる。
おそらくぶどうは一房が一固体だろう。

買ったぶどうを何日も放っておくと
一房の中でもしょぼくれてくる実がチラチラとでてくる。
年をとったのであろうか、
肌にハリがなくなり深いシワが刻まれてくる。
一粒、二粒しょぼくれた実がでてくるが、
同じ房の中にあってもまだ元気なものも存在していて、
ひとつの房の中に若者と老人が混在しているように見える。

上記のような視点で見ていると一粒が一固体のような印象だが、
ここで注意したいのは、
同じ房についている実はすべて同年齢ということである。
全く同じではないにしろ
かなり近いタイミングで生まれているわけだから
同じようなスピードで老いていくのが普通であろう。
同じ房の中で若者と老人が混在するのはおかしいことになる。
少数の実が早くしょぼくれてくるのは、
老人が「腰が痛い」「膝が痛い」と言うような感覚と思われる。

ということで、ぶどうは一房が一固体ということがわかったが、
一房ごとに顔がついた様子を想像すると
デコボコしていていまいちサマにならないなと思った。
理想としては一粒一粒が一固体であってほしいものである。
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お米の炊きあがりと自分探し

2007-08-19 22:46:13 | Weblog
私の日々の主食はお米である。
物心つく前から主食はお米だったので、毎日自然と食べているが、
必ずしも毎食お米を食べるということはなく、
パンの食事もあれば、麺類を主食にすることもある。
ただ一日のうち一食は必ずお米を主食にしないと
何となく不安というか、腹持ちが悪いというか、落ち着かない。

実家に住んでいた頃は白米を食べていたが、
一人暮らしをしている現在は、主に健康にいいという理由で玄米を食べている。
玄米は白米に比べてお米の甘みが感じられないものの、
噛みごたえがあっていかにも健康にいいお米を食べているという気持ちがするし、
少しクセのある独特の風味も好きだ。
健康状態が良くなったという実感は特にないが
それなりにおいしく食べている。

私はお米に対するこだわりがあるようだが実はそうでもなく、
実際のところ、毎日の主食が白米でも玄米でも味としてはどちらもよくて、
1993年の冷夏の時に出回ったタイ米ですら、密かに美味しいと感じていた程た。

お米に対するこだわりがあるようなないような嗜好の私だが、
先日、美味しく炊けるという炊飯専用の土鍋を購入してみた。
それまでは安い電気炊飯器でお米を炊いていたので、
玄米を炊くとかなりボソボソの炊きあがりだった。
それでも私は特に強い不満を感じてはいなかったのだが、
お米が美味しいと毎日の食事が幸せになるという信念のもと
日々土鍋でお米を炊くS君の話に影響された。

S君宅でごちそうになった土鍋で炊いたお米は確かにとても美味しかった。
炊きあがったお米の一粒一粒がしっかりと立っていて、
艶やかな玄米が黄金色に輝き、いい香りが蒸気とともに立ち上がっていた。
噛みごたえもモチモチしていて、お米のほんのり甘い味に魅了された。
美味しいお米はそれだけでごちそうになるという
S君の話には確かに説得力があった。

そういうわけでS君と同じ土鍋を購入したのだが、これがなかなか難しい。
安い炊飯器よりは美味しく炊けるものの、
水が多いとびちゃびちゃになるし、少ないとボソボソになる。
説明書に一応目安の分量が書いてあるのだが、
お米の種類や個人の好みで調整してくださいとなっていて、
もちろんこれは火加減についても同様である。

現在、手元にある岩手産の米で水加減、火加減の調整をして
ベストな加減を研究中だが、未だS君宅でいただいた玄米のレベルには及んでいない。
米の種類によって加減が変わるのも厄介だが、
私にとってはそれ以上に個人の好みに合わせるというのが難しい。
私にとって美味しい炊きあがりの玄米ってどういうものだろうか。
S君宅の玄米は確かにおいしかったが、
お米にあまりこだわりを持って来なかったので、それが私にとってベストかどうかはよくわからない。
おいしい炊きあがりのお米を模索することは、
意外にも自分自身を模索することにつながっていたのであった。
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夏時間

2007-08-11 22:38:20 | Weblog
今日から会社が6日間のお盆休みに入った。
学生の頃の1ヵ月~2カ月という長期休暇に比べれ短いものの
やはり連休はうれしいものだ。
お盆や正月の長期休暇はいつも直前まで予定を決めないので、
本格的な旅行などは準備が間に合わず、
近場に出かけたり、家でダラダラすることが多い。

私は、季節感がなくなってしまうので冷房があまり好きではなく、
家にいるときは滅多なことでは冷房をつけない。
真夏の昼間に家でダラダラしていると、
夏は暑いということを思い出し、季節感が正常に戻る。
毎日冷房が効いた職場で働いていると
汗をかくことはほとんどなしし、
まぶしい夏の日差しを浴びることもない。
平日に外へ出るのは気温がそれほど高くない朝と夜だけだ。
だから夏の昼間はいかにも休日という感じがして、
一年の中でも特別好きな時間だ。

冷房をつけない夏の昼間はとても暑い。
ちょっと動くだけで汗が滴り、
頭がボーっとして思考停止に近い状態になる。
そして停止するのは思考だけではなく、
私の中では時として時間すら止まってしまう瞬間がある。
別に日射病や熱中症というわけではない。
夏の昼間は時間が止まる、それが夏時間というものだ。

夏の昼、椅子に座って窓から外を眺める。
夏の強い日差しに照らされてあらゆる色が鮮明に輝き、
光と垂直に落ちた影のコントラストが強くくっきりと出ている。
聞こえてくるのは途切れることのないセミの声だけで、
セミ以外の生き物は暑さでバテているのか
まったくその存在が感じられない。
強い光を眺め、セミの声を聞いていると、
動きがないこの世界では徐々に時間が止まってくる。

思考がとまり、時間が止まった世界で、
私は昔のことをよく思い出す。
夏の思い出は他の季節に比べてとても鮮明で
すべてが去年のことのように思い出される。
多分それは、夏の日差しが世界の色を鮮やかに照らし、
太陽の熱が世界のあらゆる匂いを強烈にさせるからだろう。

特に匂いは五感の中でも人の記憶を呼び戻す力が強いらしい。
正確な理由はよくわからないが、
匂いは撮影も録音もできないので、
その場にしかないものだからだろうと思う。
蚊取り線香の匂い、プールの塩素の匂い、
むせ返るような草の匂い、夕立にうたれた焼けたアスファルトの匂い。
夏はあらゆる匂いに満ちた季節で、
それらの匂いを嗅ぐ度に昔の記憶が蘇ってくる。

どれだけの間、時間が止まっているのかわからない。
やがて夕暮れになってセミの鳴声が止み、再び時間が正常に動き始めると
思考も動き出し、現在に帰ってきた私は、
絵を描いたり、夕飯を作ったり、一日の成すべきことを始める。

私を知る人の中で、
インドア派の私を夏男だと思う人はまずいないだろう。
夏男は何も活発な人ばかりとは限らない。
主流派の夏男達が感じている活発な時間の流れのすぐ近くで、
止まっている夏時間も存在している。
私はそんな静かな夏時間が好きな、静かなる夏男なのだ。
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セミ

2007-08-04 21:51:12 | Weblog
夏の朝、窓を閉め切った部屋の中にセミの鳴き声が染み込んでくる。
クーラーが好きではない私は朝起きると
熱気がこもった部屋の空気を入れ替えるために窓を開ける。
暖かいけど部屋の空気よりは涼しい風とともに
セミの鳴き声はより鮮明に部屋の中へ入ってきて
私は目覚ましかわりにかけているラジオのボリュームを6段階くらいあげる。
それでもラジオの音がよく聞こえない。
大きな鳴き声だ。

あんなに大きな鳴き声で一体何を叫んでいるのだろうか。
喜んでいるのか、怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、
普段声が小さくて話し相手から聞き返されることが多い私には
ああまで大きな鳴き声を出す必要がよくわからないが
あまり喜んでいる鳴き声には聞こえない気がする。
どちらかというと暑い夏にイライラして怒っているような印象を受ける。

でも実際のところ鳴いているのはオスだけで、
大きな鳴き声でメスを呼んでいるらしい。
しかし大きな鳴き声で何と言ってメスを呼んでいるのか。
奥ゆかしく詩的な内容を叫んでいるとはとても思えないから、
もっと直接的で赤面してしまうようなことを叫んでいるのかもしれない。
もしセミが人間の言葉を話し始めたら
さぞかし品のない叫び声で街中が満たされてしまって
教育上よくないという理由でたちまち街から駆逐されてしまうことだろう。

セミのことを悪い印象で書いてしまっているが
私は別にセミが嫌いではない。かといって好きでもないが。
ただあの大きな鳴き声は嫌でも耳に入ってくるので
夏という季節を感じるための大事な要素となっている。
私は夏が好きなので、
セミの大きな鳴き声はなくてはならない大事な要素なのだ。

セミは生まれてから数年館を暗い土の中で過ごして、
最後の一ヶ月間しか外を飛び回ることができないので
かわいそうな生き物として語られ方をされることが多いが、
実際のところセミ自身はどう感じているのだろうか。

出不精な私がもしセミの立場だったら、
外の世界を飛び回るよりも、土の中でのんびりしていた方が快適だと思うだろう。
子孫を残すという使命を果すために嫌々ながら外の世界にでて
大きな声で叫ぶのはさぞかし骨の折れることだろうし、
長年土の中で過ごした者にとって外の世界は何かと刺激が強すぎる。
眩しい太陽、暑い空気、飛行を妨げる強い風、突然の夕立や多くの天敵、
外の世界はとても過酷だ。
土のベッドで寝ている方がいい。

それでも多くの勤勉なセミ達は今日も過酷な世界で精一杯に鳴いている。
夏という季節に少なからず心がときめくのは
そんなセミの鳴き声に刺激を受けているからなのかもしれない。
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