出張のついでに立ち寄った実家にて、
山梨でぶどう農家を営む親戚から送られてきたぶどうを食べた。
一粒が梅の実位の大きさがあるとても立派な巨峰。
口の中に入れると、甘みが強く、プリッとしていて
幸せのポリフェノールを満喫させてくれた。
巨峰はスーパーでは高価な果物なので誠にありがたいことである。
日頃の食生活ではぶどうといえば
スーパーで比較的安く売られているデラウェアのことで、
小さな実に口をつけ、チュパチュパと吸って食べている。
実が小さい分たくさん食べた気分が味わえるので、
デラウエアはデラウエアで良いところはあると思う。
私の中では、デラウエアの食べ方にも規則が存在する。
まず器にデラウエアを横にして寝かせ、上の方から実を剥いでいく。
順々に下の実へ進んでいき、表面に見えている実がなくなったら、
デラウエアの裏側を眺める。
細かく分かれた枝に実がついている様子を裏側から眺めると
森の中で木を下から見ているような、
あるいは顕微鏡で細胞を見ているような感じがしておもしろい。
続いててっぺんの枝を摘んで持ち上げ、
デラウエアを吊るしたような状態にして上から実を剥いでいき、
一番下についている実を最後に食べる。
ぶどうのことを考えるといつも疑問に思うことがある。
ぶどうは同じ木になった一房単位が一固体なのか、
実の一粒一粒が一固体なのか。
一房単位が一固体ならまだしも、
一粒単位であったなら大変な大家族ということになり、
たくさんの子供を養う木は大変なことだろうと思う。
一粒一粒に名前などつけようものなら
到底覚えることはできないし、
固体同士が密着し過ぎていて大変暑苦しそうだ。
だがこの長年の疑問は、
ぶどうをよく観察することで答えが見つかる。
おそらくぶどうは一房が一固体だろう。
買ったぶどうを何日も放っておくと
一房の中でもしょぼくれてくる実がチラチラとでてくる。
年をとったのであろうか、
肌にハリがなくなり深いシワが刻まれてくる。
一粒、二粒しょぼくれた実がでてくるが、
同じ房の中にあってもまだ元気なものも存在していて、
ひとつの房の中に若者と老人が混在しているように見える。
上記のような視点で見ていると一粒が一固体のような印象だが、
ここで注意したいのは、
同じ房についている実はすべて同年齢ということである。
全く同じではないにしろ
かなり近いタイミングで生まれているわけだから
同じようなスピードで老いていくのが普通であろう。
同じ房の中で若者と老人が混在するのはおかしいことになる。
少数の実が早くしょぼくれてくるのは、
老人が「腰が痛い」「膝が痛い」と言うような感覚と思われる。
ということで、ぶどうは一房が一固体ということがわかったが、
一房ごとに顔がついた様子を想像すると
デコボコしていていまいちサマにならないなと思った。
理想としては一粒一粒が一固体であってほしいものである。
山梨でぶどう農家を営む親戚から送られてきたぶどうを食べた。
一粒が梅の実位の大きさがあるとても立派な巨峰。
口の中に入れると、甘みが強く、プリッとしていて
幸せのポリフェノールを満喫させてくれた。
巨峰はスーパーでは高価な果物なので誠にありがたいことである。
日頃の食生活ではぶどうといえば
スーパーで比較的安く売られているデラウェアのことで、
小さな実に口をつけ、チュパチュパと吸って食べている。
実が小さい分たくさん食べた気分が味わえるので、
デラウエアはデラウエアで良いところはあると思う。
私の中では、デラウエアの食べ方にも規則が存在する。
まず器にデラウエアを横にして寝かせ、上の方から実を剥いでいく。
順々に下の実へ進んでいき、表面に見えている実がなくなったら、
デラウエアの裏側を眺める。
細かく分かれた枝に実がついている様子を裏側から眺めると
森の中で木を下から見ているような、
あるいは顕微鏡で細胞を見ているような感じがしておもしろい。
続いててっぺんの枝を摘んで持ち上げ、
デラウエアを吊るしたような状態にして上から実を剥いでいき、
一番下についている実を最後に食べる。
ぶどうのことを考えるといつも疑問に思うことがある。
ぶどうは同じ木になった一房単位が一固体なのか、
実の一粒一粒が一固体なのか。
一房単位が一固体ならまだしも、
一粒単位であったなら大変な大家族ということになり、
たくさんの子供を養う木は大変なことだろうと思う。
一粒一粒に名前などつけようものなら
到底覚えることはできないし、
固体同士が密着し過ぎていて大変暑苦しそうだ。
だがこの長年の疑問は、
ぶどうをよく観察することで答えが見つかる。
おそらくぶどうは一房が一固体だろう。
買ったぶどうを何日も放っておくと
一房の中でもしょぼくれてくる実がチラチラとでてくる。
年をとったのであろうか、
肌にハリがなくなり深いシワが刻まれてくる。
一粒、二粒しょぼくれた実がでてくるが、
同じ房の中にあってもまだ元気なものも存在していて、
ひとつの房の中に若者と老人が混在しているように見える。
上記のような視点で見ていると一粒が一固体のような印象だが、
ここで注意したいのは、
同じ房についている実はすべて同年齢ということである。
全く同じではないにしろ
かなり近いタイミングで生まれているわけだから
同じようなスピードで老いていくのが普通であろう。
同じ房の中で若者と老人が混在するのはおかしいことになる。
少数の実が早くしょぼくれてくるのは、
老人が「腰が痛い」「膝が痛い」と言うような感覚と思われる。
ということで、ぶどうは一房が一固体ということがわかったが、
一房ごとに顔がついた様子を想像すると
デコボコしていていまいちサマにならないなと思った。
理想としては一粒一粒が一固体であってほしいものである。