くぬぎのたろぐ

くぬぎ太郎の日常的視点

みかん

2007-12-08 12:30:46 | Weblog
冬の団欒風景といえば
テレビを見ながらこたつでみかんというのが定説的なところだが、
残念ながら私の家にはこたつもテレビもない。
(別に経済苦でテレビがないわけではない)
でもみかんはそれなりに好きなのでよく買ってくる。
円い座卓に座って一人みかんを食べる姿は団欒とはほど遠いが
みかんはみかんの味なので、気にせずにおいしく食べている。

スーパーの店頭に並び始めてまだ2ヶ月経っていないだろうか。
出始めから今の時期のみかんは何となく固い気がするが、
皮を剥こうとするとブツブツとちぎれてしまうから、実際固いのであろう。
私はみかんの皮をちぎらずに剥くことを義務として自分に課しているので、
皮が途中でちぎれると非常に気分が悪く、己の非力を恥じる。
みかんを剥いていてもし皮がちぎれそうになったら、
その進路はひとまずあきらめて、
来た道を少し戻ってちぎれそうな皮を吸収するように大きめに剥くなど、
涙ぐましい努力を重ねているのである。

小さくちぎれてしまった皮は何となく置き場に困る。
片付ける際にまとめるのも面倒だし、食卓の上に置いていて気分がよくない。
理想の剥かれたみかんの皮といえば、
ちぎれずに1枚で剥けていて、
剥かれて放射線状に広がった皮の幅ができるだけ揃っているものがよい。
さらには、剥いた皮と実を引きはがすときヘタの直下にある白い柱が
きれいに取れてピンと立っていると、なおよい。
そういう状態の剥かれた皮であれば食卓に置いてあっても、
まあまあ見栄えもするし、
見ていて非常に強い達成感を得ることもできる。

しかし、皮を剥く際にちぎれずに1枚で剥けることはよくあるが、
剥いた皮の幅が揃うということは滅多にない。
大抵みかんの皮はジグザグに剥けてしまって、
幅は揃わないし、切り口もガタガタとしている。
なぜか。

当初の考えでは、みかんは完全な丸ではないからと思っていた。
それもあるだろう、だがそれだけだろうか。
最近では、ひょっとしてみかんは皮を剥かれるのを
嫌がっているのではないのかと思うようになった。
確かに自分の皮を剥かれるのを好む生き物は少ないだろうから、
剥かせまいとして中で必死に実をよじっているのかもしれない。
皮を剥くまでは中の実を確かめることはできないので
あながちあり得ないこともないかもしれないという気もする。
そういう視点でみかんを見ていると、
剥かれた実についている白い筋の一本一本が血管に見えたりして
みかんも生きているんだなあと実感することができる。
生き物なのだから、こちらの思い通りにならないのは当然のことなのだ。

子供の頃、みかんを食べ過ぎた姉の手が黄色くなったことがあった。
果たして外側から黄色くなったのか、
内側から黄色くなったのかは、今となってもわからないが、
あれはみかんの呪いだったのだろうか。
みかん恐るべし。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿