メモリアル デイ・戦没兵士追悼記念日
-メモリアル デイに思うこと-
写真:Mike Lynaugh メモリアルデイ ワシントンDC
メモリアルデイは毎年5月の最後の月曜日でアメリカの国家休日です。
ワシントンDCでは20年も続いているメモリアルデーの儀式があります。
アメリカのために戦争で命を捧げた人々を弔い、その記念日であると同
時に、愛国心を盛りたて、最大の演出効果を出したテレビ番組が放映さ
れます。
なぜかこの日のセレモニーは私はいつもテレビを見ていて、生命とは、
何か、国家とは、戦争とは何かを考えさせられる日になっています。
巨大スクリーンには星条旗がひらめき、延々と続く戦没兵士の墓。
三角にたたまれた星条旗を抱きしめ、棺の前や墓の前で祈る人びと。
父親に花をささげる子供と墓。整列されたライフルの上にかぶせられた鉄
兜とその下に並べられた兵士の靴。そして手首から手を失った兵士が腕
をあげて墓に敬礼を捧げる映像。母親と妹に手を握られながら人間の機
能を失い、動けない兵士が車椅子で式典に参加ている姿などが、スクリ
ーンに大写しにされます。また、勇敢に戦う兵士の姿。血に染まった負傷
者を抱えて運ぶ戦友と抱き合う戦友たち。負傷兵たち。数えきれない棺の
列。そして戦没兵士たちの墓、墓、墓、墓の波。
ナショナル シンフォニー オーケストラや有名な歌手たちが心をこめて歌
う愛国の歌。「われわれは忘れない。果敢に国のために戦った兵士のこ
とを。神様、どうぞお守りください」と。
どの戦争であっても国のために戦った人たちへの賛歌と、国への忠誠、
誇りと犠牲、家族を失った人々への思いやりや慰めは、見る者を切なく沈
黙させます。
愛国心を駆り立てる演出であったとしても、一度しかない生命の代償は
あまりにも大きすぎます。亡くなった兵士たちの沈黙以上に、心も肉体も
痛めつけられて生きている人たちの生きざまもまた涙をさそいます。
「我々の自由や民主主義は彼らの流された血の代償の上に築かれたも
のです。」ナレーションと音楽がさらに愛国心を盛りたて、群衆の旗の波は
揺れ動きます。「アメリカの男性たちは国の正義のために、国を守るために
戦を続けることでしょう」と。
しかし、亡くなった兵士の3倍以上もの傷病兵がいます。さらに巻き込ま
れて亡くなった市民の命を考えると、弔らわれることもなく、儀式もない貧し
い国の人の命はうかびあがりません。戦争ほど無駄なことはないと溜息が
でます。
メモリアルデイ。この日の晴れがましい儀式の裏側や、日本の戦争時代
と比較しながら英雄と犬死、陽と陰を重ねてみてしまいます。
日本のメモリアル デイに近いセレモニーは8月8日でしょうか。語りたくも
ない忌わしいことにふたをせず、経験した人は特に昭和の戦争の悲劇を
知らない人に教え、一人ひとりが発言していけば、いまわしい戦争の過ち
を繰り返さないのでないでしょうか。
そして女性たちが息子を絶対に戦わせない!戦争に行かせない!戦争
ををやめさせる!そういう時代がやってくることを熱望してやみません。
参考までにアメリカの戦った戦争は
独立戦争 (1775-1783)
1812年戦争 (1812-1815)
メキシコ戦争 (1846-1848)
南北戦争 (1861-1865)
スペインーアメリカ戦争 (1895-1902)
第1次戦争 (1917-1918)
第2次戦争 (1941-1946)
朝鮮戦争 (1950-1953)
ベトナム戦争 (1964-1973)
湾岸戦争 (1991-100時間)
イラク戦争 (2003-
国家祭日の中で、メモリアルデイほどたくさんのサイトが公開されているも
のはありません。ひとつだけ挙げれば www.youtube.com/を検索し、その
中でmemorial day を入れるとたくさんの動画を見ることができます。