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観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

阿波国分寺 その1

2017年04月10日 | 旅・風景・グルメ

四国八十八ヶ所霊場第十五番札所である国分寺は、名が示すように聖武天皇の勅願により、741年に創建された寺である。
弘仁年間(810~24年)の弘法大師の巡錫により真言宗になった。創建当初は、法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院だった。
天正年間(1573~92年)土佐の長宗我部元親配下の軍により焼失し荒廃していたが、1741年に徳島藩主の命により伽藍が再建され、
曹洞宗となった。


社会文化研究会の3月例会はこの寺の庭園見学だった。本堂は写真のとおり大修繕中
ここの庭園が最初に造られたのは、安土桃山時代、後の江戸末期に大改修されているらしい。時は下り、1940年日本庭園の作庭家で研究家
でもあった重森三玲氏によって発見され、巨石群は長い眠りから目を覚ました。50数年前、私はこの寺がある町の中学校に通っていた。寺の
近くに同級生がいたので、連れて行ってもらったことがある。だから、この庭園も見た覚えがあるが、今のように手入れはされておらず、
「乱雑な風景」という感じだったような気がする。


豪快無比な石組み。


本堂の覆いを取れば、このような本堂が見られる。


左端、ピンクの椿の横にある瓶は、この庭の下に埋められていたもの。





神山町の枝垂れ桜 その3

2017年04月08日 | 旅・風景・グルメ
桜とは関係ないが、アダプト・プログラム (Adopt program) をご存じだろうか。アダプト (Adopt) とは英語で「○○を養子にする」の意味。
住民や地元企業が行政との取り決めのもとに美化活動を行う仕組みのこと。公共物を我が子のように世話をすることから名付けられた。
1985年、ハイウェイにおける散乱ごみの清掃費の削減を目的にアメリカ・テキサス州で始まった。このシステムが初めて日本への導入された
のは、1998年、ここ神山町である。
この過疎の町のもう一つの売りは、日本のシリコンバレーとして歩んでいること。


駐車場となっている旧下分小学校グラウンドに車を停め、少し歩くと目的の明王寺が見えてくる。
(写真の左真ん中に小さなピンクの固まりと寺の瓦屋根が見える所)












神山町の枝垂れ桜 その2

2017年04月07日 | 旅・風景・グルメ
伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)の12番目の子として誕生したのが、大宜都比売(おおげつひめ)、女神である。
大宜都比売神の生誕の地は、粟(阿波)の国のここ神山と言われている。大宜都比売神は、五穀や養蚕の神様である。
大宜都比売神は、上一宮粟神社に祀られているが、それほど知られていない。
しかし、ここ明王寺の枝垂れ桜は、桜の名所としては以前から県下では有名であった。





手前の桜が樹齢80年、奥の桜が樹齢60年。(推定樹齢350年であった先代の古桜の子)
















神山町の枝垂れ桜 その1

2017年04月06日 | 旅・風景・グルメ
一昨日、友人から神山町の明王寺の桜の紹介があったので、昨日行ってみた。天気は、薄曇りだったが、翌日からは雨が続くようなので、
ラストチャンスと思い家人とドライブ。
明王寺に行く道中にも桜の綺麗なところがあったので、撮影することにした。


道路の左側に駐車場が見えるが、これは個人が花見客のために無償で提供している駐車場。20台近く止まっていた。




菜の花、レンギョウそして枝垂れ桜と豪華。

4枚とも上記駐車場に駐車させてもらって撮影。
この付近だけでなく、道中には何カ所も枝垂れ桜のスポットがあったので、不思議に思い検索。
神山町のHPに以下の記事があった。
”神山町を「日本一のしだれ桜並木の名所に」「未来の子どもたちに」「町を離れた人のふるさとに」「活気ある町に甦らそう」と、
住民によるさくら街道づくりが行われています。「神山しだれさくら」と名付けられたシダレサクラを神山町の住民が一本一本丁寧に
植え続けています。平成9年から毎年植栽しつづけ、始めは点々と植栽され ていましたが、今ではその点が桜並木の線でつながるようになりました。
平成27年度時点では約5900本もの桜が町内各地に植えられ、春には見事な花を咲かせてくれます。”

日高市古川町 その2

2017年03月17日 | 旅・風景・グルメ
実際に日高市古川町に行ってからすでに25日が経過している。今では雪も消えているだろうか。


写真右が円光寺、左が渡辺酒造店

「日高市古川町その1」の記事にも書いたがここの町の情報を全く持ち合わせずに出掛けてたのだが、この場所が一番
絵になる所だと思った。家に帰っていろいろ検索すると、案の定、この場所の写真はよく出てくる。


右が蒲酒造場


この中に天下の奇祭と名を馳せる「古川祭」の「御神輿行列」に登場する屋台の一つである鳳凰台が収納されている。


こちらも風情ある町並み
しかし、電柱や電線が鬱陶しい。


全国で10軒ほどある和ろうそく店の中でもすべて手作りなのは、ここだけと言われている三嶋和ろうそく店















飛騨市古川町 その1

2017年02月26日 | 旅・風景・グルメ

この案内板の現在地と書かれた所に観光バスを駐車。
駐車した日は月曜日だったので無料。
このマップを見てピンと来る人は、なかなかの映画通。
しかし、撮影時点では、ここ岐阜県日高市古川町が、アニメ映画「君の名は。」に登場する糸守町のモデルとは全く知らなかった。
知っていたら、ネット検索で市役所横の飛騨市図書館とかJR日高古川駅とかに行き当たるので、建物や駅の構内の撮影をしていたのに。
今回の旅行は、宿泊先のホテルについてのネット検索はしたが、観光地についての下調べは全くしていなかったのが悔やまれる。


飛騨市役所及び駐車場。


グーグルマップで見るとこんな感じ。
最初の写真は、右端にある案内板の一部。
左端の建物が飛騨市図書館


起し太鼓の里の一部


起し太鼓

古川祭り・起し太鼓についての公式ページは、ここ








神社詣で(阿智神社 前宮)

2017年01月11日 | 旅・風景・グルメ

阿智神社は、環境省の調査で「星が最も輝いて見える場所」第1位に選ばれた長野県阿智村にある。この日泊まった昼神温泉「慶山」の近くだった
ので行ってみた。

鳥居を潜って境内に入るのが作法だが、この注連縄の高さでは腰を屈めないと通れない。何か差し障りがあるのかと潜るのを止めた。


阿智川の橋にの上に飾られていた「湯守り様」
江戸の中期、湯の瀬という浅瀬に、一頭の鹿がうずくまっていた。この鹿を見つけた三人が近づいてみると、鹿は足にけがをして動けず、そこに
湧き出している水で傷口を癒していた。その水に手を入れてみると、水は温かかく硫黄の臭いがした。三人は、神の思し召しにちがいないと鹿を助け、
さっそく「湯屋権現」の神として祀り、湯の瀬を大切に扱ったと伝えられている。この湯屋権現の話は、江戸時代にも温泉があったといわれていること
を示す。この湯屋権現が12月1日より3ヶ月間お湯に浸かって寛ぐので、この間、湯屋権現の代わりを務めるのがこの湯守り様。ホテルの玄関前にも
飾られていた。
湯屋権現神社は、阿智神社のすぐ北にある。

ところで、現在の昼神温泉の歴史は新しく、1973年、トンネル工事によって発見されたらしい。現在、この橋の架かっている阿智川の両側に約40軒
の温泉宿がある。
鎮座地である「昼神」の地名は「蒜噛」を好字に替えたもの。日本書紀に日本武尊が信濃の山中で白鹿となって現れた神に、蒜を投げつけ殺したため、
道に迷い難渋したが、白い犬に助けられ美濃に出たとある。
この後、山を越えるものは蒜を噛んで人や牛馬に塗ると神気にあたらなくなったとある。

神社詣で(千代保稲荷神社)

2017年01月09日 | 旅・風景・グルメ



元旦の午後に行った千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)は、岐阜県海津市の田舎町にある小さな神社である。
しかし、霊験あらたかなのか、京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つともいわれることもある。
平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の
肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。この言葉から千代保稲荷神社の名が付いている。
商売繁盛、縁結び、合格祈願などにご利益があるとされ、なんと年間200万人以上が参拝している。バスの添乗員さんが税理士などの専門職も
含め、自営業者の参拝が多いのが特徴だとも話していた。



「先祖の御霊を千代に保て」という教えより、現在でも境内ではお札やお守り等は一切出していない。
小さな神社なのに、何といっても門前町に100軒以上の店が軒を構えているのが凄い。境内で熊手など縁起物は売っていないため、この門前町
には縁起物を扱う店が多い。また、名物の草餅、川魚の調理品、串カツ、土手煮、漬物等がある。参道の両側に人気店もあるので、そこへの行列も
加わり、参道はすし詰め状態。


江戸時代、海津市付近を治めていたのが尾張藩支藩の高須藩。
この藩で有名な話は、第10代藩主松平義建の息子たちの幕末期の活躍である。松平義健自身の治績は少ないが、息子が10人いた。そのうち、
写真右から次男の尾張藩主徳川慶勝、五男の一橋家入りから尾張藩主を継いだ徳川茂徳、七男の会津藩主の松平容保、八男の桑名藩主の松平定敬の
高須四兄弟が有名だ。
湿版写真家としても有名な次男の徳川慶勝は、明治維新後、茂徳とともに朝敵となった容保、定敬の助命に奔走。1878年、この四兄弟が再会したときの
写真がこれ。
八男の松平定敬は、自分の小姓していた後に東洋一の用兵家と言われた旧桑名藩士の立見尚文(後の陸軍大将)らを連れて西南戦争に参加。自分の敵
だった西郷隆盛率いるかっての薩摩藩士を征伐した話が有名。後に兄の松平定保の後の日光東照宮の宮司となった。




神社詣で(伏見稲荷大社)

2017年01月06日 | 旅・風景・グルメ
大晦日と元日にかけてバスツアーで神社詣でをした。
初日は、伏見稲荷大社


300インチの巨大なLEDビジョンが目を引く。


何か足りないと思ったら鈴が外されている。


参拝客は日本人より外国人が多いのではないかと思えるほどだった。

伏見稲荷大社は、世界文化遺産{古都京都」の文化財には含まれていないが、外国人人観光客は一番らしい。
人気の秘密は、この千本鳥居らしい。

富士登山電車 その2

2016年12月27日 | 旅・風景・グルメ
50日前に撮影した写真の整理がようやくできた。


リニア実験線の一部
リニア新幹線の実験線は、1977年に宮崎県で始まったが1996年に走行実験は終了。同年には山梨県で実験線が開設され今日に至っている。
添乗員さんがこれも地元山梨県出身の故金丸大臣の偉功だと言っていた。


写真の撮影場所は、乗車している富士急大月線とリニア実験線の交点


定番になっているバス旅行、富士山目当て行くことは結構多いが、どういう訳か天気に恵まれない。この日は天気は良かったがあいにく暖か過ぎて、
薄く霞んでいるようだ。絵葉書のようにはっきり見えないのが残念だった。





富士山駅