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観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

シラヌヒ(不知火)

2017年02月08日 | 日記

シラヌヒ(不知火)
シラヌヒ(不知火)は、ミカン科ミカン属の柑橘類で、「清見」と「ポンカン」の交配により作られた品種。
ウィキペディアによると、通称の「デコポン」は熊本県果実農業協同組合連合会が所有する登録商標。全国の
柑橘関係農協県連合会を通じて出荷された不知火のうち、高品質を保つ一定の基準(糖度13度以上、酸度1度以下)
をクリアしたものだけがその名を使用することができる。生産者個人での販売や柑橘関係農協県連合会を経由
しない販売についてはデコポンの名称は使用できない。全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物の登録商標である。


昨年は、あまり実らなかったが、今年は、28個実った。撮影終了後、残っていた実もすべて採った。
自慢をすると、市販のポンカンよりずっとジューシーで味が濃く美味しい。
デコポンの名前のとおり、外見上の凸が特徴であるが、凸の有無は味や品質に関係ないようだ。皮は厚いが剥き易く、
袋の膜も薄く、種もないので、袋のまま食べられる。
家ではデコポンと呼んでいるが自家栽培なので、本当はデコポンと呼んではいけないのかな。















キューバの話

2017年01月22日 | 日記
先日の勉強会は、昨年9月の安倍首相の訪問後にメンバーの一人がキューバを訪れた時の話だった。
キューバと聞くと何よりも鮮明に覚えているのは、1962年のキューバ危機である。当時、テレビを見ながらアメリカとソ連が
全面核戦争に突入するのではないかと不安を感じていたのである。
史実とは違うところもあるようだが、当時の緊迫感がヒシヒシと感じられるのは、ケビンコスナー主演の映画「13デイズ」だ。
これは、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(45才)、弟の司法長官ロバート・F・ケネディ(36才)とケビンコスナー
演じる大統領特別補佐官ケネス・オドネル(38才)という若い指導者の苦悩と決断の様子をドキュメンタリー風に描いた作品。
緊迫シーンでは映画だとは分かっていても、思わず息を飲むほどの作品となっている。
キューバとアメリカのフロリダとの距離は145km.
国土地理院の「都府県庁間の距離」によると広島県庁から香川県庁までの直線距離が145.8km、都庁からだと静岡県庁
までが142.8km。ちなみに、北海道だと函館から札幌のまでの直線距離は約150km。
こんなに近いのに彼が行ったときには、アメリカとキューバ間に直通便はなかった。だから、日本からはカナダのトロントまで行き、
そこで乗り継ぐのが一番早いらしい。トロントからは3時間半だと話していた。なぜ、アメリからキューバへの直通便はないのかと
言えば、キューバ危機の前の時代まで遡る。
キューバはスペインの植民地だったが、スペイン支配者の圧政により1830年代から独立機運が高まっていた。しかし、スペイン・
アメリカ戦争によるアメリカの勝利によりアメリカの軍政を経て1902年に独立。独立と言っても名目上だけで、事実上、アメリカの
支配下にあった。時は移り、1952年バティスタがクーデターを成功させると独裁政治が始まり、富は、政権、アメリカそしてマフィア
が独占した。そこへ、昨年11月25日に亡くなったフィデル・カストロが登場…………(盟友のチェ・ゲバラまでいくと話が止まら
なくなるので止める。)1959年カストロが政権を取り、外国資本を没収するとアメリカは空爆をはじめ、あらゆる妨害工作をし、
ついに1961年1月、国交断絶。同年4月にソ連を頼りにするほかなくなり、社会主義国家を宣言。冒頭のソ連のキューバへの
ミサイル基地建設計画によるキューバ危機に繋がるのである。
昨年、オバマによって、54年ぶりにアメリカとキューバのは国交は回復したが、トランプ政権になった今後はどうなるんだろう。


白鳥の小川 その2

2017年01月17日 | 日記

コハクチョウが鳴くときは頭を上げているようだ。




アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」って知ってる。


俺たちは、親のように前身な真っ白な羽になるまで2ー3年かかるんだ。





「だるま」になるまで

2017年01月14日 | 日記

1月7日午前7時5分
海面に浮かぶ雲が心配


7時7分


7時8分


7時9分
だるま人形の形には前回ブログの写真よりこちらの方が似ている。

ところで、だるま人形のモデルは、禅僧の達磨大師であることはよく知られているが、大師の弟子の話によると5世紀後半に南インドの国王の第3王子
として生まれたとされている。
中国洛陽郊外の嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅した話は有名だ。しかし、飲まず食わずに9年間も座り続けられずはずはない。その間、動物や
山賊から身を守るため武術の練習をしていたという話もあり、少林寺拳法の祖とも言われている。ということは座り続けて手足を壊疽で無くした話は
可笑しい。民俗学者の吉野裕子氏によるとダルマ人形の発祥の地は、群馬県高崎市近郊の少林山達磨寺とのこと。水戸光圀が帰依していた中国僧の
心越禅師が開いた寺である。心越禅師の一筆書きの達磨像を9代目住職の東嶽和尚が木型に作り、当時続いていた天変地異の邪気を祓う呪物として
農民達に伝授したのが始まりだそうだ。つまり、だるま人形のモデルとなった絵が一筆書きだっため、手足が無い人形になったのであり、この人形を見て、
長期間の座禅修行でで達磨大師は手足を失ってしまったとされたのだろう。





だるま太陽(2017年1月7日午前7時10分)

2017年01月12日 | 日記

1月7日の日の出時刻は、午前7時8分だった。
蜃気楼現象によりこのようなだるまの形にになったのは、2分後の7時10分


上の写真を撮った13秒後には、このように二つの太陽が離れた。

この日、天候に恵まれたのはありがたかったが、小舟とか鳥とか木の生えた岩も欲しかった。


明けましておめでとうございます

2017年01月01日 | 日記

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします

クリスマス間近

2016年12月19日 | 日記
「水都・とくしま」を創造・発信するために「徳島LEDフェスティバル」を2010年から3年に1度開催している。
今年は、12月16日から25日まで
一昨日、忘年会帰りにその中の1カ所である新町川に寄ってみた。
慣れないスマホ(長い話があるので割愛)で撮ったので、うまく撮れていない。





詳しい内容は、徳島LEDアートフェスティバル2016公式サイト(外部サイト)

このフェスティバルの監督は、徳島市出身の猪子寿之氏(チームラボ株式会社 代表取締役)


我が家のポインセチア
クリスマスが近い。



雲が邪魔

2016年12月07日 | 日記
今期初めてだるま太陽を見に行ったが

海面に平行して細い雲が横たわっている。


やはり雲は消えなかった。

カメラの前にはテトラポッドがあり、だるま太陽の撮影地として良くないが、出島野鳥園の近くなのでここにした。
おかげで、この後m野鳥園ではチュウヒは十分楽しめた、

違うことに全く気付かなかった。

2016年09月07日 | 日記


昨日の夕餉の食卓に右の缶が置かれていた。
ご飯に箸をつける前、いつものように息子にもらった錫のコップに注いで一口飲んだ。
たった一口だけなのに、普段飲んでいるビールと全く違った味で、しかも悪酔いした気分になった。
変だと思ったが気のせいかと思い直し、もう一口飲んでみたが、やはりおかしい。何気に缶をを見ると秋味(左の缶)と思って飲んで
いたが違うではないか。
私の対応を見ていた家人は、黙って様子を見ていた。
今日、改めて二つの缶を並べてみたが、実によく似ている。デザインだけかと思ったが、商品名まで似てる。
キリンのビールが「秋味」。サントリーの発泡酒が「秋の旬味」。しかもアルコール度数も同じ6パーセントだ。

天皇陛下のお気持ちの表明(抜粋)から

2016年08月09日 | 日記
今の天皇は、現人神から人間になった昭和天皇と違い、即位したときから人間であり、最初から象徴天皇である。
故に、陛下は、象徴としての役割を誰よりも一番よく理解し、全身全霊で努めてこられているのだと思う。
その陛下が、日本国にとって忘れてはならない終戦記念日の1週間前に、お言葉を述べられてということは、大変深い
お考えがあるように思える。
国家主義・軍国主義の時代から民主国家へと変貌するまさに最中に、教育を受けた陛下のお言葉を抜粋して、私流の
解釈を書いてみる。

“本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場
上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと
思います。”

”即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索
しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と
世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えて
いくかを考えつつ、今日に至っています。”

“天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場へ
の理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚
を自らの内に育てる必要を感じて来ました。”

“天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らし
にも様々な影響が及ぶことが懸念されます”。

“憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り
返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話し
いたしました。”


「天皇は、神ではなく人であるから高齢になれば、当然衰えてくる。皇室典範では、生前退位についての規定は、定め
られていない。象徴天皇の立場としては、法律の詮索はできない。
しかし、今までには考えられなかった超高齢化の時代だからこそ、時代に応じた定めも必要である。高齢だからということで、
国事行為や象徴としてなすべき天皇の行為を少なくされてはどうかという考えが巷間見受けられるが、それは誤りである。
象徴天皇の役割や意義を意図的に理解していないのか、または、無視している人の考えである。
私は、象徴天皇としての役割の理解や努めに全身全霊で励んでいるからこそ、また、その当事者であるからこそ、象徴天皇
の重大さを身をもって感じている。
昭和天皇の逝去前後には、ことさら日本国全体に重い空気が流れたがこのようなことは良くないことである。象徴天皇の
役割を十分果たせるよう時代に応じた法律の改正も必要である。」

(皇室典範の改正は、単に法律の改正であり、憲法の改正とは全く異なる。巷間、皇室典範の改正に乗じて、憲法を改正し、
再び国家主義・軍国主義の道を開こうとの思惑があるが、それは間違いである。昭和天皇の息子であり、また象徴天皇である
私は、「日本国敗戦」の重さを誰よりも理解し、二度とこのような悲惨な事があってはならないと誓うためにも慰霊の旅を
続けてきたのである。)