散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ハンナ・アーレント(2)~「人間の条件」への永井陽之助のコメント

2013年11月24日 | 永井陽之助
ハンナ・アーレントのもう一つの主著「人間の条件」に関しても永井教授は「解説 政治的人間」(「柔構造社会と暴力」所収(中央公論社1971))の中で紹介している。ここまで書いたときに、志水速雄氏の翻訳(中央公論社1973)の「腰帯」を想い起こした。とっておいたのだ!

 「人間の条件」の腰帯(筆者のノートから)

「眼から鱗が落ちる、というのが、かつて私がH・アーレント女史の本書を読んだときの実感だった…」という言葉は大学4年生での「総合講義第二」という十人程度のゼミ形式の授業においても、聞いた覚えのある言葉だ。

この腰帯よりも、もう少し詳しく「政治的人間」の中では書いてある。先ず、アーレントの政治理論家としての位置づけだ。「…女史の基本的な政治哲学が、…政治の復権を主張した数少ない思想を代表している…」

続いて、アーレントの政治哲学が体系的に展開されている「人間の条件」は「…女性のみにゆるされる繊細、鋭敏な感受性で現代工業社会の疎外状況を解剖し、その止揚をさぐるユニークな思想…」と評する。

「人間の条件」でアーレントは人間行動を労働、仕事、活動の三つのカテゴリに分ける。そして「第三の『活動』こそは、人間的営みの最高の次元として公共の善をそこに見出すものである。」「政治、芸術、学問などの公共の領域が属する。」

ところが、「近代社会になって、マルクスが他のブルジョワ思想家と同様に、労働を不当に尊重し、社会問題の解決のみが人間生活のすべてであるかのような錯覚に陥った。」

「永遠と不死の観念に導かれた一大記念碑を打ち立てる政治、芸術の活動領域の重要性が忘却された。」「女史は、この点こそ近代社会の、真の疎外状況の源泉を見出すのである。」

「労働を不当に尊重し」「活動領域の重要性を忘却する」ことが「真の疎外状況の源泉」との説が、激動のヨーロッパを生き抜き、政治の復権を主張する人物から発せられたことに驚きを禁じ得なかった。

ともあれ、「働かざる者、喰うべからず」との言葉がとの発想を、押し付けがましいと思うことはあっても、何となくだが、疑うことはなかったからだ。社会認識の幅を広げられたという意味で、ごく僅かな文章ではあったが得る処が大きかったことは確かだ。

      
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