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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

無花果の実がなるころに

2009年07月27日 | Japan
本籍のある大洲のおじさんが昨晩亡くなった。祖母の弟で、先週食事中に自宅で倒れたまま病院に運ばれたものの、意識が戻らず帰らぬ人となった。享年84歳。

小さい頃は、夏休みで帰郷するたびに、彼の愛用の通勤自転車の後ろに乗せられて、フジ・デパートへおもちゃを買いに連れて行ってもらった。滞在していた祖母の家とそのおじさんの家は、数百メートル離れているだけで、帰郷中は何度も行ったり来たりしていた。兼業農家で、美味しいスイカやとうもろこしをいつもお腹いっぱい頂いていた。

最後に彼に会ったのはいつだったか思い出してみる。日本を出る前年(2004年)の8月初めだった。隣まちの八幡浜で、日土小学校という歴史的に珍しい校舎保存に関する見学会があって、その行事の帰りに彼の家に立ち寄った。

おじさんと2人で居間に並んで、テレビに映る高校球児たちを言葉少なにしばらく観ていた。突然の訪問にも関わらず、おばさんがスイカを切ってくれて、ゆっくりしていきなさいと歓迎してくれる。勧められるまま泊まっていってもよかったのだが、大阪で一人で留守番している祖母のことが気がかりで、岡山駅で新幹線に乗り継ぐことの出来る最終の特急で帰ることにする。

歩いて10分弱のJR伊予大洲の駅まで、おじさんが少し不自由な足を引きずりながら見送ってくれた。駅の時刻表を見て、「よし、あと5分あるぞ」と何を思ったのかホームから飛び降りた。駅に隣接した彼の畑にある無花果(いちじく)の木に近寄り、熟れた実を持ってきてくれようとしたのだ。その光景に電車が来ないか、おじさんが急いで倒れないかハラハラする。再び線路を歩いてホームによじ登ったおじさんは、その無花果の実を大阪の姉さん(私の祖母)に持っていくようにと手渡してくれた。

その夜遅くに、大阪の家にたどり着いた自分を、祖母は起きて待っていてくれた。早速その実を半分こして、2人で食べた。「若宮のおじさん、元気やったで」と言うと、祖母は何も言わずに熟れた実を頬張って微笑んでいた。

あれから丸5年、無花果の実がなるころに、おじさんは逝ってしまった。合掌。

のど自慢♪

2009年03月21日 | Japan

『日本らしいテレビ番組は?』

と聞かれたら、迷わず『NHKのど自慢』と答えるだろう。数々のアニメや『探偵ナイトスクープ』、そして『高校野球』ももちろん候補に入るやろうけど、やっぱり『のど自慢』♪。井筒監督の同題の映画にもあったけれど、そこまで一曲に思いを込めて人生をかけて舞台に立つほどの番組なんて、そうない。

また、役場の人が出てきたり、制服の学生が出てきたり、幼なじみ同士が出てきたり、と日本らしさ満載。自己表現が上手くないと言われる日本人やけど、曲に込めた思いをぶつける姿は圧巻。

先日の『のど自慢チャンピオン大会』で優勝した方が歌った「三日月」、よかったなあ。

携帯電話

2009年03月20日 | Japan
今回のケニア出張後に戻るはずのスリランカの家に寄られなかったので、日本の携帯を持ってきていません。(スリランカの携帯は持ってきていてつながります。意味ないか・・・。)

ですので、携帯にメールを送ってくださった方、読めないのでごめんなさい。またご連絡先がわからず、こちらからお知らせできない方への失礼ご許し下さい。

Happy Wedding

2009年03月14日 | Japan
弟の結婚式当日。

朝起きてとっさに何処にいるかわからない。そうだ東京までやってきたんやと思い出し、起きなあかんけど時差ぼけでまだしんどい。だらだらしていると、同室の長老の祖母に親戚らが挨拶にやってくる。話の流れで、自らの近況報告するも何から説明しようか迷う。

そうこうしているとあっという間にお昼も過ぎて式の時間。大阪から送ってもらったスーツも無事に体にはまり、親族写真撮影の後に人前式が行われる。格式を重んじてか、新郎新婦からお金を取れないからか、この人前式に関しては、式場だったホテルのサポートを得られなかったようで、司会進行は身内で行われる(後で知った)。そんなことにもめげず、自分たちの意思を通したご両人に拍手。司会で緊張している父親の姿を初めて見た。

その後の披露宴でフルートを吹くことになっていたので、合間の時間をぬって、ピアノ伴奏の人と音あわせ。なんせ、今回は服もお土産も楽器も、自分の持ち物はすべてスリランカに置いてきたままなので、ここで出来る限りの努力をする。楽譜は以前PDFで購入し保存していたものを午前中にホテルで印刷してもらい、譜面台には会社の青色ファイルを貼り付ける。普段と違う楽器なので、慣れる間もなく打ち合わせ終了。はぁ。

そして披露宴が始まる。友人先輩後輩の結婚式はかれこれ十数回と参列したが、身内の結婚式は初めて。職場や大学からのご来賓のスピーチ、友人たちの出し物等で、新郎新婦の人柄がわかるもので、家族の知らない一面も見られて興味深かった。

料理もお酒もケニアやスリランカではお目にかからないものが、わんさか盛られて出てきて興奮したのだが、自分の出番があるのでそんなに飲み食いできず(といっても結構楽しみましたが)、順番を待つ。

弟の高校サッカー部の同級生らの賑やかな出し物で会場が盛り上がった後、いよいよ出番となる。司会から自己紹介の後、「現在スリランカ勤務ですが、ケニア出張から昨日戻って来ました。お祝いにフルートで『早春賦』を吹きます」と話すと、会場からざわめきが。そりゃあ、普通そんな奴おらんで。

演奏の方は、旋律は外せないと意地で吹き切ったものの、ピアノに旋律が移り、ちょっとオブリガード(助奏)にまわると堪えてた感情が抑えきれずちょっと詰まり、それでも何とか終える。そして、よくわからないまま席に戻った。後で聞いたらもの凄いよかったとのこと、二人の大事な宴に花を添えられてよかった。

いつまでもお幸せに。

震災から14年

2009年01月17日 | Japan
執筆にたずわった本が出版されました!
『世界と日本の災害復興ガイド』
著者 :塩崎賢明・西川榮一・出口俊一
   ©兵庫県震災復興研究センター/『災害復興ガイド』編集委員会
定価 :2100円
出版社:かもがわ出版
ISBN978-4-86342-015-1

私は、スリランカでの災害復興について書いた。こうしてみると、毎年毎年いろんなところで災害が起きているのだなと改めて強く感じた。

そういえば、神戸の震災から14年たった。遠い日のことでもあるし、こないだだったような気もする。当時の自分は、ちょうど足の病気と手術で寝たきりになっていたから、地震で上下左右に揺られながら、あー自分はこのまま死ぬんかなとかなり弱気になっていた。

そんなことを思い出したのは、年末に知人から借りた『森のなかの海』(宮本輝著、光文社、2001年)を読んだから。今では、すっかり健康に。海に行って砂浜を少々歩いても足が痛くならなくなった。この調子なら、雪山行きもそのうち可能か?!

東京国立博物館 特別展「スリランカ-輝く島の美に出会う」

2008年11月30日 | Japan

東京国立博物館 表慶館にて
特別展「スリランカ-輝く島の美に出会う」
2008年9月17日(水)~11月30日(日)開催中です。

"仏像やヒンドゥー神像、仏具などの宗教芸術作品や、美しい宝石をふんだんにあしらった宝飾品など、国宝級の作品を含む約150件、スリランカの粋を一堂に集めて展覧いたします。"(特別展Websiteより抜粋)

ご興味のある方は是非ともどうぞ!

弔問

2008年10月05日 | Japan
今夏に交通事故で急死した大学オーケストラの同期Fのマンションを訪ねて、始発に近い新幹線に乗り込み、沼津市近くまで行ってきた。彼のご両親、奥様、そして2人の子供の5人が出迎えてくれた。主にご両親が大学オケ時代の彼の様子をお聞きになられたい様子だったので、思いつくまま話をする。

ちょうど実家にあったヨーロッパ演奏旅行の写真を持参していたので、あの時のエピソードや、楽器を買うためにいろんなバイトをしていたこと、アンサンブルがとても好きだったことなどを話した。思い出話をしながら、この6月に彼が出演した地元オーケストラの演奏会のDVDを見させて頂いていると、4歳になった長男R君が「パパ」と画面を指す様子に何とも言えなかった。

子供さんの面倒やお茶の準備等で、奥さんとはゆっくり話することができなかったが、「オーケストラの同期で何か支援できないか検討中で、先日お葬式に伺ったメンバーが改めてご連絡させて頂くと思います」と伝えて帰ってきた(一応、現役中は代表を務めたので、卒業してもその役回りは付いてまわります)。

駐車場まで一家5人で見送りに来てくれて、R君が最後に私へ一言、
「交通事故に気をつけてね」
泣きそうになるのを必死にこらえながら、R君を空に抱え上げてお別れの挨拶。1時間半ほどの滞在だったが、留守中のF君を彼の家族と一緒に待っているような錯覚を感じた。訪問してよかった。


追記 1>
当日は、霊前の彼の遺影と御骨にすっかり気が動転してしまい、お線香をあげにいったのに、それを忘れてしまったことを帰宅してから思い出した。何やってるんやろ。ごめんF君

追記 2>
数日後に米国行きの機内から外を見る(写真)。R君の「パパはね、天国にいるんだよ。だから飛行機に乗ったら、パパに会えるんだよ」という言葉をふと思い出した。

追記 3>
亡くなったFのWebsiteより「ヨーロッパ演奏旅行記」よくそんなに詳細を覚えていたなあと感心。ちなみに、文中のOくんとは私のこと。本人を偲んで一定期間だけ公開することにする。

やればできる

2008年10月04日 | Japan
昔の職場でお世話になった先輩N氏とNさんの披露宴に参加させて頂く。前回の教訓を経て2日前に国内入りできたので今回は安心。会が始まる前に、新郎側の既知のご両親に会場でお目にかかり、「(無事な)あなたにお会いできただけで満足です」とお声をかけて頂く。いえいえ、本番はこれからですよ。

会場には、ご両人の広い交際範囲や大切になさる交友関係を表した参加者の多彩な顔ぶれがそろう。私のテーブルには、前の職場の先輩同期後輩が並び、懐かしい時間が過ぎていく。披露宴はとても盛大で、こんな立派なウェディングケーキを初めて見た(写真)。Nさんのドレス姿はとてもきれいで艶やかでした。

述べられた多くの祝辞は、新郎新婦の人柄をとてもよく表していて(と思う)、なかでも、某先生の「彼は、やればできる子なんです」という率直な表現がとても印象に残った。ノーベル物理学賞の小柴先生の自伝「やれば、できる」ではないですが、最初からあれこれ勘定しすぎず、とりえずやってみること。自分への戒めともなった。

素敵なご両人を見ていると、こちらも幸せな気分になる。いつもこのBlogを見て応援してくださっているN夫妻とN氏のご両親、この度は本当におめでとうございます!