goo blog サービス終了のお知らせ 

in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

オケ同期の訃報

2008年08月07日 | Japan
出張から帰ってきてメールを見ると、「大学同期のFが亡くなった」との訃報が届いていた。

は?

しばらく思考停止になる。

気を取り直して、最後まで読み通すと、家族4人で今月4日のドライブ中に事故に合い、奥さんと二人の子供は無事だったが、運転していた本人だけ亡くなった、とのこと。

大学時代は土日も含めて、同じパート(楽器)で、毎日のようにオーケストラの練習場で会い、年に3回はそれぞれ一週間の合宿といった時間を一緒に過ごしていた。コンビニやレストランでバイトしていた奴には、よくおこぼれのパンをもらった。4番ではなかったけれど、ブラームスの曲も一緒に練習した。

卒業してからは会う機会はめっきり減ってしまったけれど、こつこつと幸せな家庭生活を積み上げている様子が毎年届く年賀状から手に取るようにわかった。

そういえば学生時代に、走り屋というあだ名がつきそうなくらい、攻めの運転をしたいたことを思い出す。家族残して先に逝くなんて何やってんねん、お前。いや、家族だけでも守ろうとして、必死にハンドルを切ったんやろう、そうに違いない。あほたれ。

骨髄バンク

2008年07月28日 | Japan
日本の骨髄バンクのドナーセンターから連絡が来た(実家経由で)。

患者さんとHLA型(白血球の型)が一致し、ドナー候補者の1人になったとの内容。先方の移植希望が、この案内から80日前後(通常は145日前後)なので、かなり急を要すると思われる。

悩んだ。

日本に居てたら、迷わず引き受けていたと思う。が、今のこの状況で引き受けられるか、自分の仕事(スリランカやミャンマーの復興支援)と、日本のある一個人の命を天秤にかけているようで、とてもつらい。結局は断ったけれど、それでよかったのかなと思い返すと寝られなかった。

15年ほど前に骨髄バンクに登録してから、ドナー候補者の案内が来たのは今回で3回目。最初の案内は7年ほど前で、精密検査を経て移植手術のかなり手前までいっていたが、先方の都合(亡くなられたのだと思う)でキャンセル。2回目は、自分の祖母の様態が悪い時期だったので、少しでも自分を育ててくれた彼女のそばにいる時間をつくりたかったため、悩んだ末に断った(ちなみに彼女は復活しました)。そして、今回。断るだけではなく、登録からしばらく外してもらう。

絶望感に襲われた"ある人"を自分が救えたのではないかという思いが、幾度となく頭をよぎる。かくいう自分も、13年前ほどに大学病院で余命を告げられた経験を持つ(腫瘍関係の病気だった)。あの時の絶望感は筆舌につくし難く、過去の出来事と消化するのに約10年かかった。今はこうして健康に生きていられることに感謝さぜるを得ない。

Left Japan again

2008年07月05日 | Japan
Left Japan for Sri Lanka again on Saturday Morning. Sorry that I could not meet you some of them even though I really wanted. One week vacation in Osaka was too short for me. Please take care of yourselves in Japan where it’s getting as hot as Colombo these days! See you someday. T

国際免許証の更新

2008年07月03日 | Japan
国際免許証の更新に行く。役所仕事といっても、ここは日本。その手際の良さと迅速さに感動する。スリランカやったら、
1)だらだら職員同士が世間話をし、時間になっても窓口はすぐには開かない。
2)待っている申請者の列がどんなに長くなっても対応窓口を増やさない。
3)職員の対応が悪くても/どんなに待たせても、利用者には絶対に謝らない。

こんな世界に知らず知らずに体が慣れている。じゃないと、やってられないからね。

写真は、更新センター前にあった気になる建物、というか看板。アメリカがすごいと思っていた時代、フジではなくてコダック・フィルムが全盛期やった時代、日本語の”美しい”という書体、とか気になる要素満載。もう何十年もそこに存在してたんやろうな。さらに、敷地は周囲から切りとられて3角形になっている。こんなところに日本らしさを感じる今日この頃。

Happy Wedding

2008年06月29日 | Japan
大学の後輩というかほとんど同期のIとNの結婚式。今年3月に吉報を聞いてから、何としてでも披露宴には参加したいと帰ってきた(帰国が実現、かつ間に合って本当によかった)。

彼らの幸せが回りも幸せな気持ちになることを改めて実感する。式自体がもちろんめでたく、恩師・旧友らに会え、ご飯もお酒もおいしく、丁寧なサービスと、平和な環境で、こんなに幸せでええんかなというぐらい楽しい一時を過ごさせてもらう。

結婚式の2次会は、場所を変えて大学構内でのバーベキュー。準備をして待っている後輩たちや招待客にWedding Dressを披露しようと、披露宴の格好でしかも大学にやってきたNを改めて見直した。ここの会場でも、さらに懐かしい方々にお会いし、1年以上分の楽しい時間を凝縮して味わった。

I君、Nさん、おめでとう! 末永くお幸せに。(写真、差し替えられますので遠慮なく言ってね)

首相辞任

2007年09月12日 | Japan
日本の阿部首相が辞意表明をしたと、別のフランス人の同僚P氏が昼間に教えてくれた。ネットで得た情報らしい。

夜のテレビのニュースでも扱われていて、たしか"The Prime Minister resigned out of the blue"と表現されていた。"Out of the blue"って何やろうと調べてみたら、「突然の」という意味だった。別の話題で同じ表現が使われていたら、聞き流していたやろうなと思う。一つ賢くなった。

本が出版される

2007年01月17日 | Japan
自分も一部執筆させて頂いた災害復興に関する本が出版された。こうした形で自分が活動してきた内容が文章となって出版されるのは達成感があって嬉しい。海外でも地道に情報発信を続けていくことが、将来につながっていくのかなと漠然と感じ始める。

神戸の震災から、もう12年になるのですね。