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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

復興住宅の竣工式

2014年05月30日 | Haiti
ある地域での復興住宅建設の区切りがついたので、首相(ハイチの)を招待して竣工式を行った。

開始時間ちょっと前に、ハイチ国家警察のスナイパーまでやってきて、所定位置にて待機する。その後、首相の到着まで暑い中をひたすら2時間半待っていたら、まさかのキャンセル。彼の都合により日をずらし、彼の挨拶用の原稿まで依頼されて事前に提出していたのに。空いた口がふさがらない。

待っていてくれた入居者(被災者)やメディアの方々のためにも、気を取り直して式を執り行う。

最初のプロポーザルづくりから、なんやかんやと丸2年かかった事業が完成した。(詳細は触れないが)家というのは、各々の家族にとって特別な意味を持つのだなあと再確認した。

あるある

2014年05月06日 | Haiti
お土産のフォーチュン・クッキーから出てきたメッセージ(格言)は、

Strong and bitter words indicate a weak cause.

なるほど。日本語に訳すとしたら、『強気な発言や負け惜しみが出るは、その根拠が弱いから』もしくは、『根拠が薄いから、強気な発言や意地悪なコメントをする』となるだろうか。

どこの職場や会議でも居ますね、こんな人が。特に緊急支援では、議論している時間が限られるので、どうしても声のデカイ人の意見が通りやすい傾向にあると思う。

この反対の諺を探すとしたら、↓かな。

『能ある鷹は爪を隠す』
A wise head makes a close mouth.

自分では、常々そうありたいと思っているけれど、この業界ではどんどんアピールしないと、逆に評価されにくいというジレンマがある。

今日は、一つの紙切れがきっかけで、いろいろ考えた。

あとで

2014年04月29日 | Haiti
今日は日本人の方々と夕食会というか飲み会に参加。出席率が低いながらも、懲りずに誘ってくださる皆さんに感謝。普段、日本大使館に行くか電話する以外は、日本語で会話する機会があまりないので、こうした機会はとてもあり難く思う。さらに言葉だけではなく、価値観の確認(こんな許しがたいことがあったら、どう対処するか等)などもできて、とても盛り上がった。

途中、注文したものがこないので、ウェイターに『(これが)ない、ない』と日本語で催促すると、

『あとで』

とまさかの日本語で返事するので、日本語できるん?!と驚く自分に、

『Attendez(アトンデ)』=仏語で「待ってください」

でしょ、と周りに突っ込まれた。なるほど。

それにしても、良いタイミングやった。

スリランカからのお土産

2014年04月21日 | Weblog
スリランカの実家でスリランカ正月を休暇で過ごしたスタッフからお土産をもらう(写真)。

チョコレートの入った缶々なのだが、そのパッケージのコラージュがとても非常によくできている。スリランカと聞いて思い出す風景(もちろん象さん、茶畑、一本釣り、ハスの花、シギリア・ロック等等)が、のきなみ並んでいて、懐かしい前赴任地を強く思い出した。

長かった。。。

2014年04月16日 | Haiti
昨年3月後半から、格闘していた敷地での工事がやっと始まった(写真)。何度図面や設計詳細をやり直して(スタッフにやり直させて)、何度役所にお伺いを立てて、何度資金提供団体(ドナー)に説明をしたことか。今年2月中旬に全ての許可が出てから(長かった)、やっと入札作業に入り、今日に至る。

現場では今のところ、関係者(建設会社、役所、近隣住民、ギャング等)の利害が一致している(らしい)ので、表面上は大きな揉め事もなく進んでいる。

ボートに乗る

2014年04月13日 | Haiti
スリランカでもそうだったのだけれど、ハイチでも泳げない人が結構多い。その理由はいろいろあるのだろうけど、日本では学校の授業で(ほぼ強制的に)教えてもらえるのは、ありがたい。

なので、ハイチではおぼれないような遠浅のビーチが、地元の人々には人気がある。日がかげって涼しくなると、たくさんの人が出てきて、本当にイモの子を洗う状態になるが、皆はしゃいで楽しそうだ。

今日は何人かと船頭さんの漕ぐボートに乗って、少し沖まで出てみた。海面をそよぐ風が心地よい。皆泳げないのに、カメラや携帯をばっちり持参。濡れたらどうするのやろうと、危機管理の概念は毛頭もない。そんな自分も、陸に預けるのを忘れてきた。まあ、いいか。

点滴

2014年04月07日 | Haiti
朝起きた時から、お腹の調子が悪いなと思ったのだけれど、朝から会議があるし、まあ会社行ってから様子見ようと思ってたら、昼前からめまいが。

診療所で見てもらったら、食中毒による(下痢や嘔吐で)脱水症状らしいとのことで、点滴(750ccぐらいの)を3本うたれて、その間は爆睡。

夕方4時前に職場に戻って、何事もなかったように、仕事する。大ボスGにだけは、昨日同じものを食べていたので事の始終を知らせたのだが、どうやら昨日のBBQが原因ではないらしい。

海水浴日和

2014年04月06日 | Haiti
大ボスGに誘われて、共通の友人Vの海の家に日帰りで遊びに行った。

午前中は少し波が荒れていたのだけれど(写真)、昼からは穏やかで鮮やかな海面が広がっていた。

お昼は皆でBBQをして、わいわい食事をしたのだけれど、その前後は自由行動。自分はVの息子(9歳)と宮崎アニメ映画(豚になってしまった両親を助ける話)のイタリア語版を視聴、Vは溜まった報告書書きに精を出し、大ボスGはシュノーケルで水中を散策。

その模様をアメリカ在住のこれまた共通の知り合いR(会計担当、産休中)に話すと、大ボスGはFund探しで埋蔵金を見つけたのか?、とのコメント。うまい。。

Detachment

2014年04月02日 | Haiti
異動の話をハイチのスタッフにどう切り出そうか、迷いに迷っていた。仲の良い同僚からはDetachment、Detachmentと助言されつつも、そうできない自分がいた。そうこうしているうちに、誰ともなく(たぶんボスか本部関係者が喋っているのだろうけど)事務所内で噂が広まってきたので、スタッフの皆を集めて直接話す。

本気で落胆しているようすで、異動時期の延長や再考を迫ってくる者もいた。自分がもっとHappyにしていたら、反応も違ったのかなと思いつつ、自分も今回の異動には戸惑いを隠せなかった。

うちの部署はいろんな試練を乗り越えてきたFamily(家族)のようなものとスタッフの皆が口にしてきたし、自分でもそう思ってきた。自分をFather(父というよりも神父に近い?)と陰で呼んでいる彼らと離れることと引き換えに、本部に異動して得られるチャンスは何だろうか。

あと何回、『Bonjour!』と彼らに朝の挨拶できるか、考えるだけでも辛いが仕方ない。

都会っ子

2014年03月25日 | Haiti
1ヶ月ほど前に捻挫した右足首が、ほぼ完治したので久しぶりの現場へ。

捻挫がくせになっている体質に加えて、不自然な段差が多い物理的条件や自分の不注意さにより、ハイチに来て4回目(年1回の割合)。今回は以前よりひどくなかったので、杖生活までには至らなかった。

話を戻して、現場での話。

いつものように子供らが自分のところに寄って来る。住宅密集地なので、都会っ子とでも言えるのだろうか、ちょっとしたグループがそれぞれ男女別にあって、住棟の隙間や通りの脇で遊んでいることに気がついた。

ペットボトルでつくられた車で遊ぶ男子グループ。


携帯電話プリペイド・カード売り子の横で、おしゃべりする女子グループ。


カメラを前にお互いがポーズを取り合うところも、都会っ子らしい(と思う)。

偶然の再会

2014年03月14日 | United States
MOMA(ニュー・ヨーク現代美術館)で展示を見ていると後ろから声をかけられた。振り返ると、2年前までハイチで一緒に働いてた韓国人Kさんとその彼氏が立っていた。今は南スーダンで働いているのだが、先月韓国で結婚して、明日カナダに向かう旦那さんについてきたとのこと。偶然、会えるとはびっくりした。

青天の霹靂

2014年03月12日 | Haiti
スタッフと仕事で話す時は誤解を招かないように、英語の慣用句とかは使わないようにしている。それでも日本語の熟語と同じように、使った方が表現が豊かになるのは事実。自分が響きで好きなのは、out of the blue で「思いがけずに」とか「突然に」と意味がある。

その前にbolt(稲妻)をつけて、 a bolt out of the blueで「青天の霹靂」となる。英語と日本語で同じ色が登場するのが面白い。そういえば、The grass is always greener on the other side of the fence.(隣の芝生は青い。)もそうだ。正確には緑やけど。

さて本題に入ると、会社から人事異動のメールが来て、次は本部(スイス)に行くことになった。普通はポジションごとに公募がかかって、選ばれた者だけが異動していくのだけれど、今回は例外的な処置だろう。まだ正式な日程は決まっていないが、数ヵ月後に引越か。青天の霹靂だ。

日曜の食事会

2014年03月09日 | Haiti
先週のカーニバルにハイチにやってきた親戚(在外ハイチ人)らと食事会をするからと、友人に誘われてある邸宅でのお昼ご飯に参加。前菜からはじまってグラタンや、メインのヤギ肉まで、ワインとともに美味かった。家の住人より、使用人の数の方が多い豪邸だった。

食事の後は、クレオール語の会話で盛り上がっている大人たちを横目に、アメリカン・スクールに通う子供らとテレビ・ゲームで遊ぶ。任天堂Wiiなるもの(初めて触った)で、ダンス対決するも遊びなれている奴らにかなうはずもなく。一方で、途中参戦した親戚らしきおっさん(自分もおっさんだが)は、振り付けも気にせず曲にあわせてクネクネ踊り、周囲を爆笑の渦に。たしかに楽しんだ者勝ちだ。

Zona Colonial, Santo Domingo

2014年03月04日 | Dominican Republic
サントドミンゴの旧市街地はZona Colonial(植民圏)とかCiudad Colonial(植民都市)呼ばれ、趣がある町並みだなと思っていたら、世界遺産に登録されているとのこと。コロンブスによって建造された新大陸(南北アメリカとその近隣の島々を集合的に表す)における最初の植民都市で、16世紀には新世界でこれまた最初の大聖堂や病院、大学などが建てられて、その建物や跡地が残っている。

日中は暑いので日が翳り始めた夕方5時ぐらいから、街を歩くのがお勧め。保存作業が数年前から始まり、メインのコンデ通りにも魅力的な店がちらほら出来始めた。大小あわせて100を超える店が並んでいるのに、以前は入りたいと思う店が1軒もなかった。

通りを2ブロック外れたところで、昔(16-17世紀!?)の住宅6棟を大規模改修かつ増築した集合住宅が売りに出ていて、ひやかしでのぞいて見る(写真)。
La Castilla

歩きながら、最初にこの街を訪れてから丸4年たったことに気がつく。そしてハイチで働き始めたとても大変だった時期、積み上げてきた道程を振り返った。

カーニバル 2014

2014年03月02日 | Dominican Republic
ハイチのカーニバルを避けて、週末にドミニカ共和国(ドミ共)のサント・ドミンゴに来たのだけれど、こちらもカーニバルが行われていた。昼の1時ぐらいから、ドミ共のいろんな地方からの団体が参加し、どんどん出てくる。各団体のテーマは、本来の宗教行事の意味合いから先月27日に独立記念日(1844年にハイチから独立)の祝いや、奴隷時代の風習など、観ていても飽きない。2月は各地方で行われたものがこの日は首都に勢ぞろいしたとのこと。

一応、パレード側と観客側を仕切る柵が設けられ、警官も大量投入され(一緒に楽しんでいるみたいやったけど)、ハイチのそれに比べるととても安全で管理されている。約300の団体が出てきて、夜7時頃までやっていた。運良く曇り空だったので、参加者も関係者も助かったのではないだろうか。