明日、明後日と行われる演奏会に向けてのホール練習。仕事を夕方6時に切り上げて、フランス側の片田舎まで向かう。前半の曲にはのっていないので、リハーサルの様子を客席から聴く。なんと贅沢なひと時か。
出張で欠席が多かったので首になるかと思ったが、何とか出演することになった。約12年ぶりの本番がうまくいきますように。
出張で欠席が多かったので首になるかと思ったが、何とか出演することになった。約12年ぶりの本番がうまくいきますように。
組織の年次総会が今週、他機関の新しくできたホールを借りて行われた。今回は配布資料のための原稿を事前に手伝うぐらいで、当日の役割は特になく、こういう風にして物事が運ばれていくのかと、組織についての社会勉強の機会だった。
オーストリアとの国境シェンティリを訪ねる。パリでのテロ事件の後、厳しくなってきているとはいえ、今のところ移民・難民の人々は国境を通過して、オーストリアに入国しているようだ。この時期にしては例外のように暖かい(日中の気温が15度ほど)。週末から雪が降るとのこと、大変だ。
キャンプを視察していると、後ろから声をかけられた。そこには3年ほどハイチで一緒に働いていて、今も向こうにいるはずの元同僚Fが立っていた。約3週間前にハイチでの仕事を辞めて、ここで別組織に入ったそうだ。彼女の専門性が活かせ、フランスの実家にも比較的近いので、良かったなあと思う。私の驚きぶりに周りがいっそう驚いていた。
キャンプを視察していると、後ろから声をかけられた。そこには3年ほどハイチで一緒に働いていて、今も向こうにいるはずの元同僚Fが立っていた。約3週間前にハイチでの仕事を辞めて、ここで別組織に入ったそうだ。彼女の専門性が活かせ、フランスの実家にも比較的近いので、良かったなあと思う。私の驚きぶりに周りがいっそう驚いていた。
ザグレブからスロベニアのリュブリャナに電車で向かう。移動には両首都を結ぶ高速道路を走るバスの方が早いらしいのだけど、日曜の今日は急ぎの用もないので、景色を見ながら移動を楽しむ。
クロアチアとスロベニアの国境では、車両に両国のパスポート・コントロール職員が一緒に乗り込んできて、所掌が切符を検閲するような要領で、ポンポンとスタンプを押していく。てっきり一度降車してから出入国手続きをするものと思っていたので、これはとても楽ちんだった。
途中でジダニ・モストという駅を通過したのだけれど、橋と川と山の関係がとても美しく(写真)、思いがけない風景に持っていた地図で場所を確認した。宿についてからネットで地図を見てみると、リュブリャナ方面とマリボールを経てウィーン方面との分岐点で、リュブリャナからマリボール方面へも直接行けるように3角形に線路が川の上を渡っているのがわかった。
その後、左側に流れるサヴァ川、これがとても澄んでいてきれいだった、を見ながら2時間半ほどでザグレブからリュブリャナに到着した。
クロアチアとスロベニアの国境では、車両に両国のパスポート・コントロール職員が一緒に乗り込んできて、所掌が切符を検閲するような要領で、ポンポンとスタンプを押していく。てっきり一度降車してから出入国手続きをするものと思っていたので、これはとても楽ちんだった。
途中でジダニ・モストという駅を通過したのだけれど、橋と川と山の関係がとても美しく(写真)、思いがけない風景に持っていた地図で場所を確認した。宿についてからネットで地図を見てみると、リュブリャナ方面とマリボールを経てウィーン方面との分岐点で、リュブリャナからマリボール方面へも直接行けるように3角形に線路が川の上を渡っているのがわかった。
その後、左側に流れるサヴァ川、これがとても澄んでいてきれいだった、を見ながら2時間半ほどでザグレブからリュブリャナに到着した。
1週間前から使用開始されたスラヴォンスキ・ブロッドのサイトにて。列車で一気に1000人ほどをセルビア側のシド駅から運んできて、登録が済んだら、スロベニア側のドボヴァ駅まで送る。その行程が日に4、5回繰り返される。
急な依頼で現場に戻る。今回はザグレブからスヴォンスキ・ブロッドへ列車で移動する。途中、移民・難民の人々を乗せた列車とすれ違ったりと予定よりも遅れ約4時間かかった。小回りは利かないが、移動中にメールの返事や書類を読みこなせるのは有難い。
ベオグラードから約400キロほど南下してマセドニアとの国境、ミラトバクにやってきた。毎日平均5千人ほどの移民・難民がクロアチアとの国境へのバス待機場所へ移動するのに、ここを歩いて通過するのだけれど(ちなみに、年寄り、乳児連れ、体の不自由な人には、行政やうちの機関ができる範囲で車で支援している)、あたり周辺に捨てられたペットボトル、食べかす、脱ぎ捨てた服や靴などのゴミの量が半端ではない。これでも一時期よりはマシだと現地スタッフが教えてくれる。地元自治体で処理するにも限度を超えているので、他の支援団体がごみ収集を手伝っている。
ことのなりゆきでセルビア隣国のマセドニアとの国境まで南下することに。まずはザクレブからセルビアの首都ベオグラードまで車で移動して、明朝に現地事務所スタッフと合流する。道中は天気もよく、昨日買ったCDを聞きながら快適に運転し、約4時間で到着。ジュネーヴやザグレブよりも街の規模が大きく、夕食場所を探しつつ、中心部を少し散策する。
スイス、クロアチア、セルビアは時間帯が一緒なのだけれど、何かおかしいと思っていたら、今日から冬時間になって(夏時間が終わって)1時間遅くなっていた。その分多く寝られるとよいのだけれど。
スイス、クロアチア、セルビアは時間帯が一緒なのだけれど、何かおかしいと思っていたら、今日から冬時間になって(夏時間が終わって)1時間遅くなっていた。その分多く寝られるとよいのだけれど。
発注していたコンテナ(プレハブ)が出来上がってきたので、クロアチア政府に引き渡す前の品質チェックを同僚のコソボ人と行う。空港近くの業者の工場に出向き、完成品だけでなくて、各行程を社長とその部下に見せてもらい、いろいろ学ばせてもらう。とても有意義であった。
これらのコンテナは事務所、もしくは一時的な居住空間として、サイトで利用される予定。
これらのコンテナは事務所、もしくは一時的な居住空間として、サイトで利用される予定。
オパトバツから幹線道路を使って国境を越え、セルビア側のバルカソボにやって来た。セルビア側の職員のブリーフィングを受けながら、国境まで歩いていく。
セルビアでは人々は比較的自由に移動できる(交通手段は民間を利用し、各自が運賃を支払う)ものの、クロアチア側では警察が彼らを管理し政府が用意したバス・電車でスロベニア(1週間前まではハンガリー)との国境まで輸送する。その段取りのために、数時間から約半日待たなければならないことが、疲労が溜まり、凍える寒さ、故郷を去った悲しさ、行き先のわからない不安定さなどが入り混じり、群集心理と重なって、混乱をきたすことになる現実を理解した。
セルビアでは人々は比較的自由に移動できる(交通手段は民間を利用し、各自が運賃を支払う)ものの、クロアチア側では警察が彼らを管理し政府が用意したバス・電車でスロベニア(1週間前まではハンガリー)との国境まで輸送する。その段取りのために、数時間から約半日待たなければならないことが、疲労が溜まり、凍える寒さ、故郷を去った悲しさ、行き先のわからない不安定さなどが入り混じり、群集心理と重なって、混乱をきたすことになる現実を理解した。
午前中にザグレブ事務所で打ち合わせをした後、車を飛ばして4時間弱、オパトバツでの夕方の会議に参加。その後、先週から採用された新任のスタッフKとサイト内を回る。クロアチア人の彼女はハンガリーで人類学系の大学院を出たばかりだが、違う文化背景を持つ人への対応もきちんとしているし、前向きなところがとてもよい。
ハンガリーがクロアチアとの国境を閉じた影響で、他の隣国のスロベニアに行く経路が十分に受け入れられない状態になり、移民・難民の人々が必然的にクロアチア内に滞留し始める。今日は特に気温が下がって、1時間も外に居ると手が悴んでペンが持てなくなる。
これまでの緊急支援と違うのは、目の前の人々は移動し続けていること。支援側との関わりは点的(一時的)なもので、彼らは数時間、長くても半日すると隣国に向かって移動するので、彼らがどうなったのかわからない。そんなことを懸念する間もなく、次の人々がどんどんやってくるので、受け入れ側(警察官、兵士とか)の疲労がどんどん溜まってくる。先ほどの新人Kも自分も、現場の混乱や移民らの置かれた状況を目の当たりにして、精神的にかなり疲労した。
現場での宿がある町はビンコプチ。格闘技の選手みたいなゴツい人らをわりと見かけるなあと思っていたら、有名なK1選手の出身地らしい。
ハンガリーがクロアチアとの国境を閉じた影響で、他の隣国のスロベニアに行く経路が十分に受け入れられない状態になり、移民・難民の人々が必然的にクロアチア内に滞留し始める。今日は特に気温が下がって、1時間も外に居ると手が悴んでペンが持てなくなる。
これまでの緊急支援と違うのは、目の前の人々は移動し続けていること。支援側との関わりは点的(一時的)なもので、彼らは数時間、長くても半日すると隣国に向かって移動するので、彼らがどうなったのかわからない。そんなことを懸念する間もなく、次の人々がどんどんやってくるので、受け入れ側(警察官、兵士とか)の疲労がどんどん溜まってくる。先ほどの新人Kも自分も、現場の混乱や移民らの置かれた状況を目の当たりにして、精神的にかなり疲労した。
現場での宿がある町はビンコプチ。格闘技の選手みたいなゴツい人らをわりと見かけるなあと思っていたら、有名なK1選手の出身地らしい。