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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  犬山 : 街の成り立ち

2017年09月22日 23時39分02秒 | ヒストリー各務野会

今日はヒストリー各務野会が有った日でした。会場は何時もの所でなく、場所を代えて犬山市の堀部邸でした。正式に言うと、木之下城伝承館・堀部邸です。講義のタイトルは「犬山 : 街の成り立ち」です。古代、中世の犬山についてのお話でした。
講師はNPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワークの理事長。赤塚次郎さんでした。
今年、1月25日に各務原市の野外講座。各務原野外セミナー  ~川の向こうを眺めてみれば~を受講しました。その際に青塚古墳を訪ねました。古墳について、ニワ里ねっとの女性、大塚さんと言う方が説明してくれました。その時、話に出て来た人が理事長の赤塚さんでした。青塚古墳で青塚。そして説明員が大塚。ニワ里ねっとの理事長が赤塚さん。どんな人だろうと思ったのです。
そして、今日。赤塚さんからお話が聞けました。





犬山の某所に集合して、みんな揃って堀部邸に向かいました。




堀部邸に到着です。
大きな旧家です。




こちらが正面玄関。
これから邸内に入ります。
玄関脇には説明板が設けて有ります。




邸内には広い庭が有りました。
全員が庭から離れに上りました。
これから赤塚さんの話が始まるところです。
開始前に会長から赤塚さんの紹介が有りました。




資料を使って講義が始まりました。
まず、この場所の説明です。
堀部邸ですが、国登録の有形文化財に指定されているそうです。かつてはマンション計画が有って、取り壊す方向に進んだのですが、犬山市が買い取ったので、こうして残っているのだとの事でした。
犬山は商人が中心の町ですが、この場所は武家の香りがする家屋だと話しました。
ここ。堀部邸へ以前に来た事が有ります。何人も甲冑姿の人が居ました。記憶が薄くなって居ますが、何かのイベントだったのだと思います。





地図を掲げての説明です。




地図を拡大しました。




渡された資料の1部です。
左上に犬山城遺構と書かれています。
そして、その左側の点線。読み難いですが、段丘崖と載っています。
点線が南へ伸びて行ってます。
赤塚さんは「ブラ・タモリ風に言えば・・・・・・・」と話しました。犬山の地形の解説です。
もし、NHKがブラ・タモリで犬山を取上げるとしたら、解説員として呼ばれるのが赤塚さんではないかと思えました。




犬山の遺跡の解説です。
今の犬山駅の南西辺りに木之下城が有りました。その城が現在の犬山城の場所へ移っていきました。
犬山の街のヘリが街の西側で南北に伸びています。その場所から東に掛けては下り坂になっています。かつて、犬山駅東に紡績工場が有りました。工場が出来るまでは広大な湿地でした。橋爪湿地です。その場所が湿地であることを裏付ける字名に蓮池とか梅田が有りました。梅田は埋め田が変化したものでしょうと言う事でした。そんな湿地も人工的な郷瀬川が設けられるなどして、状況が変わってきました。
犬山祭りのお話しも有りました。祭りに沢山の山車が出ます。あの山車は神様にカラクリを見ていただくための山車である。祭りの神事で、神様がお旅所に向かうという話されました。



母屋の方で篠原英政さんの「模刻展」が開かれていました。
講義が終わった後、全員が見せて貰いました。




考古学の仕事をしておられた篠原さんが彫刻の世界に入り、これまでの作品を展示したものです。

感想
今日の講義。
犬山の街の成り立ちでした。かつては、犬山駅の東に紡績工場が有り、その東は田畑でした。その場所が何故、田畑だったのか、そして今は住宅地に変わりました。色々と解説して貰え、良く判りました。
何時も、同じ場所で講師を招き講義を受けていますが、今日のような企画も好いと思いました。

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小学校  運動会の練習

2017年09月22日 22時33分51秒 | 小学校・中学校・高校

朝、小学校の前を通りました。
全体練習をやっていました。
これまでは学年の練習を重ねてきたのでしよう。それで、全体の練習となったのだと思います。


左が赤組。右が白組です。
本番までもう直ぐです。

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