Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

6/18、新堀川源流探訪 堀留水処理センターを見学

2015年06月18日 23時26分14秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの6月例会に参加しました。
今回、地図に載っていない源流を訪ねましょうと言われ、ン!上流から水が流れて来ているのにと思いました。これは私の勘違いでした。上流が有るのは堀川で、今回の水源となっているのは新堀川でした。新堀川は、元々は精進川と言う川でしたが、新堀川に付け替えられました。運河的な性格を持ち、材木の運搬に利用され沿岸には何軒か材木問屋が並んでいます。
そんな、新堀川の源流として処理した水を流しているのが堀留水処理センターです。
都会の中の下水処理場ですが、昭和3年に着工して昭和5年に完成した旧施設は現在も稼動しています。その処理方式はバクテリアで浄化するものであり、当時としては最新の技術を用いたものであります。その施設も時代の流れで拡張をせざるを得ませんでしたが、土地を有効に活用するべく地下設備となっています。


名古屋市上下水水道局のパンフより、引用しました。
水処理センターとそうで無い部分に区分されて居ます。
右上の芝生広場でアメンボの場所が旧施設です。なお、このアメンボは名古屋市のマンホール蓋のデザインとなっています。左側の木が茂っている場所が昭和48年に完成した新施設です。都会の真ん中の水処理センターで地下式となっています。フラリエの南側も地下処理施設で地表部は公園になっています。
若宮大通りの下まで利用されて居ます。




名古屋市上下水水道局のパンフより、引用しました。
下水処理のしくみを解説しています。
一番左の図に有るように家庭からの下水管で送られてきた下水が、沈砂地、最初沈殿地、反応タンク、最終沈殿池へと進み、消毒槽で滅菌して、処理水として放流しています。
図の下に表示されているように、久屋大通庭園「フラリエ」は下水処理の熱エネルギーを利用したヒートポンプを用いて冷暖房を行っていると書かれています。私が聞き漏らしたのかも知れませんが、地下の処理場の余熱を利用していることを言って貰えたら良かったと思いました。



名古屋市上下水水道局のパンフ、「なごやのすいどう・下水道」より、引用しました。
名古屋市には16の処理区と15の水処理センターがあります。名古屋市の地形が北東部が高く、南や南西方向へ流れていきます。


堀越水処理センターへ

みんな、揃って堀留水処理センターに入りました。




見学者は3階に上がり、説明を受けます。




案内されたのは展示スペースの部屋です。
この部屋には解説パネルが展示してあり、下水処理のしくみを説明しています。この部屋ではDVDを使って、Uさんの説明が有りました。




DVDの内容ですが、左側は若宮大通や久屋大通庭園の地下を利用して処理センターが設けられていることを説明していました。右側はここの施設の特徴で1.建設場所が都会の真ん中だと言う事。2.限られた敷地なので、処理水を送る水槽が階層的なっている事。3.終臭気策が図られている事。4.大雨の浸水対策が取られている事。5.初期の雨水は埃りを含んだ汚れた水です。その水を取り入れて処理を行う。
このような事がここの処理センターの特徴だと説明していました。



全員が借りた黄色いヘルメットを着用して屋外に出ました。




こちらは、ここ堀留水処理センターの記念的モニュメントです。
左は開業当時のポンプです。右は銘盤に下水100年の意義が書かれ巻末に市長の署名が乗っています。




同じ場所には、処理した水が流れ出ており、下水再生水の説明板画取り付けてありました。




こちらはこの施設の開業当時の模様を説明しています。




左は現在の姿です。右は開業当時の姿です。
右の写真で、煙突が立っています。係員に聞きましたら、これは煙突でなく臭突と言うのだそうです。開業冬至はし勇気を拡散させるのに高い臭突でしたが、現在は高くない臭突となっています。設備改良で臭気を回収するようになり、高い臭突を設ける必要がなくなったのでしょうか。




Uさんの説明で水槽を見下ろします。




水が流れています。




こちらの水槽。
処理した水です。
左側をトリミングしたのが右側です。
鯉が泳いで居ますが、判るでしょうか。




左は旧施設の外観で、右は旧施設の屋内です。
昭和五年の完成ですから85年を経過していることになります。
この施設。太平洋戦争の空襲をも、見てきたことでしょう。
それを修理して来て今日の姿があるのだと思います。




新施設の地下処理施設部分に移動しました。
この地図は堀留水処理センターの担当区域図です。
低区処理区域と高区処理区域に別れ、低区からはポンプアップしてセンターへ来ます。広い担当区域です。区域内に繁華街があり、油汚れの水が流れて来ると話していました。




下水管から流れて来た水で、最初に処理する場所が沈砂池です。




図を使って説明してくれるMさんです。
右のボトルには、流入水、汚泥今後薄い、処理水へと変っていく様子が判ります。




下水処理水の比較です。
BOD値(生物化学的酸素消費量とも呼ばれる一般的な水質指標のひとつです。)が低くなれば綺麗な水だと言えます。




次の最初沈殿池に向かいます。



最初沈殿池の説明です。



最初沈殿池の上部には蓋が乗っています。
点検で下へ入ることが有るのでしょう。
入るハッチには「酸欠注意」と表示しています。そして「H2S」と書かれています。H2Sは硫化水素で危険なガスです。恐らく、ここの場所には酸素マスクが常備していることでしょう。
注意して行動しないと、労災事故に繋がります。



Mさんに質問をしています。




ず~と奥まで最初沈殿池が見渡せます。



掻寄機の部品と掻寄機。
ギヤが廻り、チェーンが動きます。そして板が動いて、沈殿した物を掻寄せて来ます。




最初沈殿池から反応タンクへのゲート。
こちらも奥まで見渡せます。




反応タンクの中。
係員が蓋を開けてくれましたが、中は泡立った水がかき回されていました。




最終沈殿地へ向かいます。




最終沈殿池の説明と最終沈殿池の様子です。
綺麗な水に変ってきています。
凹凸となった部分から綺麗な上水が流れ出します。


次に向かいます。




こちらはガラス水槽の中で泡を発声させています。
左は合成樹脂製散気装置で、右側はセラミック製散気装置です。右側のセラミックから細かい泡が出ていました。




見学のルートを廻りまして、出口に向かって行きます。
「頭上注意」と有り、このような場所が有りますからヘルメットを被らなくてはなりません。




外部が見えてきました。
施設から出ます。

下水がこの水処理センターへ来て、処理した水として放出するまでの工程を、ざっと、見学しました。汚れた水が綺麗な水になるまでの工程です。聞きましたら、綺麗な水にして放流するまでに半日の時間を要するのだ教えてくれました。
この後、展示スペースの部屋に戻ってから堀留水処理センターを去りました。




フラリエへ

都会の中の庭園。
フラリエへ来ました。



フラリエの池です。
堀留水処理センターの処理水が流れ込んでいます。



池へ流れ込む処理水です。
透明できれいな水。
無色無臭となった水です。
堀留水処理センターから放流水を新堀川へ放流する所が見たかったです。でも、これも再生した処理水です。汚れた水が綺麗な水に変った事が判ります。



フラリエに向かいます。




フラリエのカフェーへ入ります。




フラリエの中の温室。
この温室が堀留水処理センターからの熱で保たれているとは知りませんでした。




フラリエのカフェー。
セルフサービスで、カウンターで注文し、受け取って椅子に座りました。


今回は下水処理場の見学でした。下水処理場と言うとダーティなイメージに繋がります。それを避けたのでしょう。名が堀留下水処理場から堀留水処理センターへと変っています。

場内を見学してから再び展示スペースの部屋へ戻りました。見学はとても参考になりましたが、見学者の理解度を測るため抽出的にアンケートを求めても良いのではないかと思いました。
今日はシャワートイレが当たり前の時代ですが、見学したような水処理場が有るから快適な生活が送れます。ありがたいことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5/20、ガイドと歩く・文化のみち   名古屋市東区をボランティアガイドと歩く

2015年05月20日 23時30分33秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやの5月例会。今月は施設や工場の見学ではなく、文化のみち二葉館から、旧豊田佐助邸へ、そして名古屋市市政資料館までを、「東区文化のみちガイドボランティア」の案内で歩きました。
文化のみち二葉館はわが国最初の女優川上貞奴の邸宅だった建物で、名古屋市に寄って復元し公開されています。旧豊田佐助邸は発明王豊田佐吉の実弟である豊田佐助の邸宅が、名古屋市が無償で借用して一般公開しています。
また、名古屋市市政資料館は国の重要文化財である「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」を保存公開しています。
この一帯は江戸時代は武家屋敷だった地域です。名古屋の近代化の歩みを伝える貴重な歴史遺産が残されていて「文化のみち」と名付けられた町並み保存地区となっています。そんな雰囲気の良いエリアをガイドに案内されて歩いてきました。


名古屋市 文化のみちパンフより引用。
今回は地下鉄桜通り線の高岳駅に集合し太閤本店でランチ。文化のみち二葉館 → 旧豊田佐助邸 → 名古屋市市政資料館
で解散となるコースを辿りました。

太閤本店でランチ

これから入る太閤本店です。




古民家レストランとなっています。
私たちが食事を終えて出る時に待っている人が有りましたので、流行っている店だと思いました。




3階へ向かう階段。
このような絵が掲げてありました。



部屋に案内されました。
予約がしてあり、テーブルには既に食事が並んでいました。



こちらが予約してあった「太閤定食」1,080円です。
ご飯と赤だしはお替り自由となっていました。
魚の照り焼きが美味しかったです。

文化のみち二葉館へ

太閤本店から文化のみち二葉館に歩いて来ました。




1階の大広間です。
「東区文化のみち ガイドボランティアの会」のボランティアと対面です。自己紹介が有りました。
この二葉館から、ガイドの会の大西さんと、大橋さんが案内をしながら説明をしてくれました。




復元されたステンドグラスですが、一部分は欠損していて、代わりの部分を用いて制作したのだそうです。その欠損した部分が発見され、名古屋市が90万円で入手したのだそうです。本物が出てきたのだから並べて展示しても良いのではないかと話していました。
元もとのグラス部分は波打っているような形状で新しいモノはフラットな面です。古いものの方が趣が有ると云うところでしょうか。
モクレンか、コブシか。それに石南花。笹ゆり。日本古来の花々がステンドグラスに織り込まれています。



天女のステンドグラスです。

文化のみち二葉館。この建物。南側が車寄せとなっています。
ガイドの大西さんが説明してくれました。東二葉町に有ったものを移築したものだそうですが、かつては東西に長かった邸宅が南北向きになったとの事です。90度角度を変えて想像すると当時の形状になる話していました。
東二葉町から移築したのですが、二葉町に有った時は「二葉御殿」と呼ばれていました。平成17年2月8日にオープンしたのですが、「ふたば」にかけて、2月8日に開館したのだと大橋さんが話してくれました。


白壁町並み保存地区へ

二葉館を出て白壁の町並み保存地区へ向かって歩きます。




大西さんの背中。
ボランティア、全員が青いベストを着ているのでしょう。
この姿なら、町並み地区で説明していると、ボランティアガイドが案内しているのだと直ぐ判ります。




大西さんが小旗を持って先導してくれます。
電柱が無く、すっきりした町並みです。



旧豊田佐助邸へ

旧豊田佐助邸へ入ります。
玄関は洋館スタイルとなっています。



洋館でも、サッシの無い時代だったのでしょう。
パンフに洋館部分は大正12年以前と書かれています。
もう、建築されてから90年以上経ちます。




まず、通されたのが洋館の大広間です。
窓の外には庭が見えます。




大西さんの説明です。
彼の後ろの大きな絵。
サインも無く、誰が描いたのか判らないと話しました。




こんな掲示物が有りました。
戦前のこの辺りの居住者全図と有ります。沢山の家々が込み入って立っています。そして、大きな道路が敷かれました。名古屋の都市計画が凄いと思います。


室内に掲示してあった説明板。
豊田佐助の経歴や建物の概略が書かれています。
昭和20年代前半頃米軍が接収と有ります。ガイドの説明で有りましたが、当時洋館の有る建物で、接収となったと言っていました。風呂にはバスタブを入れて使っていたそうな。進駐軍の将校が住んだのでしょう。進駐軍のキャンプが白川公園あたりに有った時代。GIがジープで迎えに来たのでしょうか。
そんな様子を想像します。




2階に上がって大橋さんの説明です。
貞奴の南画。桃介の書が下がっています。
二葉館へ持って行けば良いのですが、この部屋の方が天井が高く、掛け軸も長いので、こちらが向いていると云っていました。




文化のみち地域に住んでいた実業家たち。
オークマの創業者。石塚硝子の創設者。バイオリンを造りだした人。時計を造りだした人。
ノリタケを基礎を築いた人。
多くの業界人がこの地から輩出しました。
この地が武家屋敷跡で広い土地が有ったので、それなりに財力が有る人々が住んだのでしょう。




街中で説明する大西さん。
丁度、料亭・か茂免の辺りでした。
か茂免は料金が張る店で、ランチでも1万円以上掛かると言っていました。
食事で皿が〇〇焼だと言い当てると、仲居の態度がコロッと変ると、冗談交じりに話しました。



右は文化のみち 百花百草。
落ち着いた町並みです。


名古屋市市政資料館へ

名古屋市市政資料館へ大西さんが先導してくれました。
大西さん大橋さんとはここでお別れです。




名古屋市市政資料館。
これから入館します。

こちらは名古屋市市政資料館となっていますが、かつては名古屋控訴院として建築されたものです。ネオ・バロック
様式の重厚な建物です。レンガ造りで近代建築であり国の要文化財となっています。




玄関は車寄せがあり、高い場所と成っています。
階段を上がり、2階に行きます。
この階段の手すりが、大理石で出来ていて、岐阜県赤坂の産だそうです。



部屋へ通され、名古屋市市政資料館を紹介するDVDを見せてもらいます。




この名古屋市市政資料館は古い建物で映画のロケに持って来いの場所です。
謝罪の王様のロケで使われました。



映画で何度も使われていますが、映画だけでなくテレビのロケでも使用されています。
明治の時代背景。
坂の上の雲のシーンも撮影されました。



館内を案内してもらいます。
こちらは会議室です。
往時の再現ですが、豪華な家具が並んでいます。
フカフカのジュウタンでした。






明治憲法下の法廷の復原です。
裁判官と検事が高い場所に居て、弁護人は下の場所です。
この建物の正面に神剣や神鏡が掲げられ、法の平等のシンボルとなっていますが、この法廷の印象は、平等で無いように感じます。





こちらは地下のように感じますが、1階の独房です。




独房の内部。
便器が有りません。
桶でもあてがれていたのでしょう。
当然、後の処理も自分でする事になったのかもしれません。





房を外から見ました。
鉄格子が入っています。
また、被告人が外から控訴院に入る時、他人の目に付かないよう配慮されています。




今日は名古屋市市政資料館で解散と成りました。
名古屋市市政資料館を後にします。


今回、歩きました白壁・主税・橦木町並み保存地区はお屋敷町で、落ち着いた街の雰囲気です。名古屋のテーマパークのような印象を受けました。実は今回のコース。3月15日に歩きました。http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/adc55c314e4ca67af4cf8d224688b003 その時は二葉館から西に向かいましたので、違う道筋でした。それに、その時は二葉館へ入館しませんでした。今回、改めて入館でき、しかもガイドに説明して貰えて良かったです。

2人のガイドボランティアが案内してくれました。ボランティアと言っても1人が100円払う有償ボランティアでした。二葉館の大広間でソファーに掛けて見て下さいと大橋さんが勧めてくれました。座ってみると揺ったりとした座り心地です。背中は後ろにピッタリとはくっ付きません。これは女の人の帯の形が崩れ無いように配慮されたものですと説明されました。
二葉館が名古屋市に寄って移築されましたが、その時の土地代が700坪で8億円。工事費などを含めて総事業費が14億円ほど掛かったのだそうです。このような表面に現れない事を知る事が出来るのもガイドの説明を聞けたからです。
ガイドは屋内では普通に説明していましたが、屋外ではハンディマイクを使用し、声が皆に聞こえるように喋ってくれました。このような対応が嬉しかったです。

文化のみちの時間が長く、名古屋市市政資料館を見学する時間に食い込んでしまい、名古屋市市政資料館の見学時間もオーバーしました。

ボランティアガイドに案内されて古い町並みの散策。普通に見学するだけでは理解できない部分を解説してもらえ、勉強に成りました。
文化のみち。今回見学した所の他にも、何箇所も見所が有ります。機会が有りましたら、再度来てみたいと思います。












コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3/18、マヨネは、どう作られる キューピーマヨネーズの工場を見学

2015年03月18日 23時36分54秒 | 見学 ゆうゆうなごや

知らないことを知ることが面白い。見学は探究心や知識欲を満たしてくれます。
ゆうゆうなごやでと言うコミニティサイトでキューピー(株)挙母工場を見学してきました。1分間に600個の卵を割る機械を見学してきました。以前見た、ビール工場では缶ビールが川の流れのように続いていきました。こちら、キューピー挙母工場の割卵機も卵がラインで川のように流れて行き、次々と黄身が出て来る状況を見学してきました。
聞きましたところ、卵を1日に34万個使うのそうです。原料の食用油や食酢はタンクローリーで運び込まれると思います。何もかもが、ケタはずれの規模です。

見学の時は、何んとも思いませんでしたが、食用油や食酢は何処から運び込まれて来るのだろうということです。見学の時に質問すればよかった思いました。
食用油や食酢がタンクローリーで運び込まれて来るのだと思います。そんな、工場も見学したくなりました。卵は愛知県内や九州の契約農家から取り寄せているとの話が有りました。
想像ですが、九州。宮崎県からも入ってくるのかも知れません。鳥インフルエンザの事が有りました。多角的に材料を調達しているのでしょうが、受け入れ先でトラブルが発生すると支障が出るのではと思います。ひょっとしたら、フェリーのコンテナで来るのかも知れません。想像の世界が膨らみます。



集合場所は豊田市駅でした。
揃って工場の敷地に入ります。



壁際にパレットが留置して有ります。
卵の乗っていたトレーが重なっています。
このパレットは再び生産者の所へ返されるのでしょう。


挙母工場の入口です。



工場の玄関。
これから入ります。
写真を撮影した時は気が着きませんでしたが、左側に災害ゼロを目指す幟旗が立っています。工場の中で転倒事故が起きたりする事が有るのでしょう。限りなく、ゼロにする。そんな取り組みがうかがえます。



玄関から入ると、工場の模型が目に留まりました。
挙母工場は豊田市駅の西の高台に有ります。
工場が完成した頃は周囲に何も無かったのではと想像します。今では近くにマンションが建って居ます。



3階のキッチンホールに通されました。
自社の商品見本が展示して有ります。



工場を訪ね、3階の大きなオープンキッチンホールに通されて、最初に担当の宇野さんからキューピー(株)の概要説明を受けました。


その後に工場見学となりました。工場内は撮影禁止でした。
4階に上がりますと見学者用にガラス越しに工場内が見えるようになっていました。見えたのが3本のラインの高速割卵機です。1分間に600個の卵から黄身を取り出せるそうです。卵がラインとなって川のように流れ、殻が割れて次々と黄身が取り出されていきます。説明では、残った白身はケーキや蒲鉾の材料となるそうです。卵の中の薄い膜も利用しているし、殻はチョークや肥料に利用するなど100パーセント活用していて、廃棄する部分が生じないと話してくれました。

次に2階へ降りると、そこはドレッシングを生産しているフロアーでした。こちらもドレッシングのボトルのラインが川のように流れて行きます。醤油のような調味料液と食用油は別々のタンクから成り、タンクから液体が出て製品を充填して、流れて行きます。
アッと言う流れが走り、そしてポリ袋が被せられ、熱が加わると容器にピタッと密着した形になっていきました。この形になると普段、台所で見かける姿だと思えるようになりました。


工場見学から戻り、DVDを使っての説明です。



DVDの中で紹介していた割卵機です。
機械で、どうしても殻が混じったりしてしまうそうです。そのような時は人の力に頼ることなります。
特に感心したのは、このマシーンを2時間ごとに分解して掃除をするのだそうです。食べ物だから当たり前なのかも知れませんが、細心の注意を払って食品を生産している事が判りました。


DVDを見終わって、試食のコーナーに移りました。



全部で6種類のマヨネーズの試食です。
右から順に、キューピー ノンコレステロール。
キューピー ライト。
キューピー ディフェ。
キューピー エッグケア
キューピー マヨネーズ。
キューピー からしマヨネーズ。
エッグケアは卵アレルギーの人用です。からしマヨネーズは他のマヨネーズと異なる味だと判りましたが、他の物は少し酸っぱさが違うものの、差異が判りませんでした。私の味覚が乏しいのでしょうか。
コレステロールやカロリーを押さえたマヨネーズが有ることはありがたいことだと思います。



次はドレッシングを使った物の試食です。


右側、すりおろしオニオンドレッシングがピンボケでした。
サラダにかけるばかりでなく、調味料として使う方法は勉強になりました。


キューピーには全国で、階上町、五霞町、東京都、富士吉田市、豊田市、泉佐野市、伊丹市、鳥栖市と8箇所の工場があります。その内、鳥栖工場、伊丹工場富士吉田工場など5箇所がオープンキッチンと称して工場見学に応じています。「工場は台所の延長である」と言う考えで工場の一般公開を行い、自社商品への理解を求めています。
挙母工場は昭和33年から操業していて、市の名が挙母市から豊田市に変わりましたが、キューピーはそのまま、挙母工場の名称を使い続けています。挙母工場もオープンキッチンに応じています。



キッチンホールにキューピーの年譜が掲示されていました。


ホール内に有った肖像画です。
創業者の中島董一郎氏の肖像画です。
1912年にロンドンでオレンジマーマレードの作り方を学ぶとか、1915年にアメリカでマヨネーズに興味を示すと有ります。食生活の貧弱な明治の時代です。中島氏は少しでも、栄養を摂取できる食生活を目指したのかも知れません。
マッサンが日本人に旨いウイスキーを飲ませたいと思ったように、中島氏は、日本人の食生活が西洋式の豊かな食卓なればと考えたのでしょう。

中島董一郎氏を検索しましたらウィキぺディアで、こんなのが有りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E8%91%A3%E4%B8%80%E9%83%8E
愛知県の西尾市の出身であり、まんざら、東海地方に関係の無い人では無かったです。



見学を終えて工場から出てくるとトラックの発送場ではダンボールにフィルムを巻いていました。
出来上がったマヨネーズが各地へ送られます。
トラックの荷台でダンボールが荷崩れ、しないようにしているのでしょう。こんな状態で出荷する事が判った事も面白いです。



左は、見学してからお土産としていただいたものです。
右側でアップしたところに書かれていますが、マヨネーズのポリ容器が充填する間際にキャップ部分を切り取ります。埃りが混入したりしないようにと注意を払っている事が凄いですし、切り取った部分、2個を使用してこの袋が生産されています。
無駄なゴミを発生させない事が凄いですし、衛生面に細心の注意を払っていることも凄いと思いました。


最後に。
見学に際し、戴いたパンフの一部を貼ります。
右上に環境への配慮となっていますが、説明の中ではこの容器が5層となって重なっていると話してくれました。軽量となれば、当然、使用する材料が少なくて済みます。という事はエコに繋がります。日々、改良に取り組む事が素晴らしいです。


今回はマヨネーズの食品工場の見学でした。高速で割卵する機械を目にして、凄いと感心しました。
私たちが見学していて、白衣姿の従業員と出合いましたが、私たちに「コンニチワ」と声を掛けてくれました。こんな事も従業員教育が行き届いている点だと思います。
食品工場を単に眺めるだけでなく、衛生管理の様子を知る事が出来ました。また、創業者からの脈絡。勉強になりました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2/26、郵便物機械化/どういう設備だろう  郵便局の郵便物区分機等を見学したあと、イタリアンランチ

2015年02月26日 23時26分23秒 | 見学 ゆうゆうなごや

「ゆうゆうなごや」と言うコミニティサイトで名古屋神宮郵便局を見学してきました。
名古屋神宮郵便局に着いてから、5階の会議室に案内されました。総務部の女性から、こちらの局の概要を説明してくれました。名古屋神宮郵便局は昭和59年8月に名古屋郵便集中局としてスタートしましたが、郵政の民営化の変遷を辿り「名古屋神宮郵便局」改称されました。
取扱う郵便物は郵便番号のカミ2桁が45から49までの地域で、愛知県の尾張地方全域と豊田市など西三河地域の一部だそうです。


雨の中、名古屋神宮郵便局に向かいます。
右側の大きな建物が名古屋神宮郵便局の局舎です。



フェンス越しに航空機の荷物ケースが見えました。
ANA CARGOと読めます。
中部国際空港から来たのでしょう。という事は海外からのエアメールでしょうか。
多分、今はカラ容器となったので、空港に戻されるのでしょう。


名古屋神宮郵便局
名古屋市熱田区六野2丁目6番地1号


名古屋神宮郵便局の正面玄関に到着しました。
郵便局らしく正面に赤いポストが待っていました。



名古屋神宮郵便局の局舎模型です。
巨大な建物です。フロアーで、階と階の間隔が大きく取られていて、通常のビルよりも階段数が多くなっていました。



今日のメンバーは15人でした。
全員が一緒にエレベータで5階に上がりました。



ヘタな絵で恐縮です。
見学しました時は、写真を撮らせて貰いましたが、一般公開をしていない施設なので、写真をアップするのを控えて欲しいと言われましたので、拙い絵を掲げました。
現場の雰囲気を推測していただければと思います。

5階からから4階に下りてきました。
工場のような長い建物で、その室内です。一番先が見えないほど遠くとなっています。
4階は定型郵便物のフロアーとなっていました。
横に長い郵便番号の読取り機が並んでいます。1号機から6号機まであり、それぞれに大きな番号札が天井から下がっています。マシーンを稼動させると音を立てて動き出しました。早いスピードでベルトが走ります。郵便物の束がマシーンにかけられ、凄い速さで郵便番号を読み取り、ベルトが流れボックスの中に封書を送り込みます。
担当の人が話していましたが、このベルトの長さは100メートル以上有るのだそうです。

特に、担当者から出た言葉は郵便番号と切手についてであります。郵便番号は漢数字は受け付けない。機会で読取るので、しっかりした字で書いて欲しいと言うことと、切手を左肩の位置に貼って欲しいと言うことでした。
昨年4月の消費税のアップに伴い、切手料金が上がりましたが、これまで長い期間80円で封書を送る事が出来ました。そのようなことも郵便行政の企業努力が有ったから、同じ料金で維持してこれたのだと思いました。


4階からか3階へ降りてきました。
3階は定型外の郵便物を扱うフロアーです。
こちらのも拙い絵で恐縮です。

こちらは定型封筒などよりも大型の郵便物を扱っていました。
空港で飛行機から降りた後、ターンテーブルで手荷物を受け取りますが、アレは幅の広いゴムのベルトですが、こちらのはゴムベルトがプラスチックのような皿になっています。長いベルト状の皿の上に乗った郵便物が流れて行き、目的のところへ来ると皿が跳ね上がり、方向別に送り込みます。その先はローラーの滑り台で流れていました。

また、ここでは書籍やカタログなどの封筒を区分していました。贈答品のカタログも扱っており、お歳暮時期などは繁忙期となるのだそうです。



1階の西側のトラックエリアです。
こちらは郵便局などで集まってきた郵便物を受け入れる場所です。
ここから荷を受け入れて、大型の荷物エレベータで2,3,4階へと送りあげます。

行き先ごとに区分けされた郵便物は東側のトラックエリアから送り出され、旅立っていきます。



3階から、名古屋神宮郵便局から出てきたトラックが見下ろせました。
郵便物を持ち込んだのか、目的の郵便局に向かうの判りません。

いずれにせよ、巨体なハブ郵便局から出てきたトラックです。
物品の移送や情報伝達を人の体に例えるなら、道路や鉄道は筋肉の部分です。電気、ガス、水道は血液で流れます。
電話やインターネットは神経で、頭脳の命令を伝えますが、姿が見えません。郵便物の輸送・配達が一番、可視的な部分ではないでしょうか。




伊太利食房 Zen Zero 神宮店
名古屋市熱田区六野2-6-13
tel 052-872-0001

名古屋神宮郵便局を見学した後、局の南のZen Zero でランチとしました。


歩道橋の上から見えたZen Zeroです。



雨の中。歩いてきました。

これからZen Zeroに入ります。



予約してあって、窓が大きく明るい部屋へ通されました。
ウエイトレスがオーダーを取りに来てくれました。
ランチコースの予約でしたが、各自が希望するものを注文しています。



店内。素敵な天井画です。
フレスコ画と言う事は無いでしょうね。



フリードンクでミニケーキも付いています。



先に出てきたプレート。
生ハムが美味しかったです。



これは向かい席のmomokoさんが注文した8種類の野菜が乗ったピザです。
1片戴きましたが、薄い生地でしたが、美味しかったです。



こちらは私が頼んだもので、カキと白菜のパスタです。
ホワイトソースの味が良かったです。
パスタを食べ終わった後にホワイトソースが残りました。スプーンで掬いたいと思いましたが、ヤメときました。



ミニケーキが3個、OKでしたので、好みのものをチョイスしてきました。



改めて思ったこと

旅行社から郵便物が届きます。
正確に言うと郵便物はJTBからだけです。トラピクスからは日祐メールと言うメール便です。クラブツーリズムからはクロネコメールです。今日、このようなモノが大量に運び込まれている現場を目にしました。今まで、何も気に留めませんでしたが、このようなモノも激しい競争の世界に有るのだと思いました。





こちらは、今日次男からカミさん宛てにナノブロックが届きました。ナノブロックって、何なの?
雛人形の小さなブロックでした。
カミさんは早速、組み立ててから次男にお礼のメールを入れていました。
2月25日の京都中央の消印。そして翌日には届いていました。ありがたいことです。
実は、このゆうパック。10時34分に届けられましたが、不在でして、持ち帰りとなり、夕刻に再配達してもらいました。このように対応して貰える事が嬉しいことです。



昭和の軽快な曲で「憧れの郵便馬車」と言うのがあります。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%86%A7%E3%82%8C%E3%81%AE%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%A6%AC%E8%BB%8A&tid=474a1523cff6877c4b0f619121cad7cb&ei=UTF-8&rkf=2
かつては特急や急行の列車編成に郵便車が組み込まれていました。馬車から鉄道へ、そして高速道路網の発達により自動車輸送へと変わりました。それも時代の趨勢でしょう。
上の画像は昨年八重山諸島を訪れた時のものです。石垣島から西野表島への船便でした。石垣空港までは航空便で送られ、さらに島々へはこの船のように、船で島から島へ~と。輸送されます。でも、海が荒れたりすると三日遅れの便りを乗せ~て となります。

今回は大規模な集中処理局の見学でした。47都道府県に拠点となる郵便局が有るのでしょう。愛知県の三河地方の郵便物は豊橋南郵便局で集中処理しているそうです。何箇所か有る集中処理郵便局。その中でも名古屋神宮郵便局はスーパーな処理局です。機械化が進んだ局内を見学する事が出来ました。
安価な料金で迅速に処理して貰える。そのようなことも、ここのような郵便局に勤務する人たちの尽力が有るからこそだと思います。
これまで、郵便をごく、普通の感覚で捉えていましたが、改めて郵便のありがたさ、良さを感じました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1/21 愛知県警察本部と名古屋能楽堂を見学

2015年01月21日 22時16分54秒 | 見学 ゆうゆうなごや

SNSのコミニティサイトで愛知県警察本部と名古屋能楽堂を見学してきました。


警察本部の食堂を利用させて貰おうと思い、少し早めの時間に着きました。警備の関係からでしょう。こちらでは一般人の食堂利用はできませんでした。それで、愛知県庁の西庁舎へ向かい、昼食を取りました。食堂は建物の10階に有り、エレベータで上がりました。

愛知県庁西庁舎食堂

これから向かう愛知県庁西庁舎です。



エレベータで9階へ、階段で10階に上がりました。
こちらは一般の人でも利用できます。
今日の献立です。
今日の日替わりは、からあげ定食と麻婆丼定食です。弁当もあります。


入口の左側にお勘定をするところがあり、こちらで食券を求めます。麻婆丼の定食を頼み、付け加えに小皿で玉子焼きの皿を注文すると応対してくれた女性は麻婆丼定食に玉子焼きが付いていると言ってくれ、一旦買いかけたのをキャンセルしました。
プラのカードを持ってカウンターへ。



まだ、早い時間で、席に余裕があります。



注文した麻婆丼定食です。
見た目の好い玉子焼きですが、美味しくありませんでした。
ご飯を大盛りにしても、料金は変らないとなっていましたが、これだけの量で良かったです。



愛知県警察本部

これから向かう愛知県警察本部を公園から見上げます。
冬の時期で木立の葉が落ち、建物の全容が見えます。

警察本部は普段ですと誰でもが見学できる場所では有りませんが、団体としてまとまってなら見学が可能です。集合場所に集まり、全員が揃って入りました。
本部内は写真の撮影が禁止されていまして、撮影が許されていません。
応対に出てくれたのは鈴木さんと言う若いお嬢さんでした。私たちのメンバーの中には綺麗な脚をした人だと話す人もいました。
案内され、まず通されたのが見学者ホールです。ここには記者会見で使うようなテーブル付きの椅子が有り、腰掛けてDVDの鑑賞です。警察の仕事をドラマ化した作品で、女性が郵便局から札を数えながら出てきて、若い女の引ったくりに遭遇します。女性は一緒にいた男性の車で逃走しました。被害者からの通報により、緊急配備がしかれ、陸から、空から、海からと連携し犯人を追い詰めて逮捕となる物でした。
その後のお話では最近の犯罪の傾向で、犯罪で車上狙い、自動車盗、自転車盗、ひったくり等の状況が件数を挙げて説明がありました。また、交通事故も多発していると言われました。

通信司令室

この後、見学者ホールからエレベータで10階にに移動です。

撮影禁止の場所です。拙い絵ですが、通信司令室のイメージです。
通信司令室の見学者コーナーからガラス越しに司令室の内部が見えます。
正面には大きな大型表示板が有り、スクリーンのような感じがします。3分割となっており、右は愛知県を。中央は名古屋市を。左側は岐阜県との県境を映し出していました。表示板にパトロールカーの現在地が表示され、5分毎に変化します。
手前には5列のデスクが並びデスク上にパソコンのモニターがずら~と並んでいます。
この部屋の左側には通信に応答する部署があり、110番が入電して来ると表示ランプが青、黄、赤と状態に寄り色が区分して表すのだと説明が有りました。

最近の傾向で、緊急でない110番が3割も有ると言っていました。

交通管制センター

10階の通信司令室から階段で9階の交通管制センターへ下りました。
交通管制見学者コーナーからガラス越しに大きな部屋の内部が見下ろせます。
交通管制センターには、8階と9階をブッ通した大型のスクリーンが設けられています。左のスクリーン全面が壁に貼り付けられ道路を表わしています。このスクリーンには高速道路の地図。名古屋近郊の地図。豊橋、蒲郡の地図が表示していました。
道路が立て筋と横筋に表示されています。渋滞となると色が変化するのでしょう。見学した時は順調に流れていました。
右側に放送局のブースが設けられています。向かって右からZIP-FM FM愛知 NHK 東海ラジオ CBCの順で並んでいます。丁度、暗くなっていたブースに灯りが点灯して明るくなりました。FM愛知のブースです。道路交通情報を入れたのでしょう。

ラジオを聴いていて、交通情報を聞く事が有ります。この場所と放送局を結んでいて、番組中に道路交通情報が流れるのだと判りました。
今まで、交通情報を普通に聞き流していましたが、交通情報がここから発信しているというのを知りましたのは、新しい発見です。オーバーに言うと新しい発見です。こう言う発見が有るから、見学が面白いのです。

このはずく広場

9階から1階へ降りてきました。
こちらは、このはずく広場で撮影の制限は有りません。両側に警察関係の資料が展示して有ります。



陸海空の守り。
港と空港を抱える愛知県。立体的な捜査と治安維持になります。




こちらは免許証のコーナーです。
大きかった免許証が小型となりました。
中区丸の内は県警本部の住所で天白区平針は運転免許試験場です。みんな昭和23年07月02日になっているのは、何の日なのでしょうか。


こちらは体験コーナーです。
自転車のペダルのように漕ぎます。



白バイに乗車体験も出来ます。
このコーナーでは制服制帽で記念撮影も出来ました。



マルチ体験コーナーです。
どのような場面で犯罪に遭遇するか。YES NOで回答する形となっていました。

名古屋能楽堂

警察本部から名古屋能楽堂へ向かいました。




これから名古屋能楽堂に入ります。



能楽堂に入る通路。
両側には能や狂言に関する絵や写真が展示してありました。



能楽堂に入りました。
珍しい場所で、撮影の制限の無い場所ですので、シャッターを切ります。



ボランティアガイドの女性から資料を渡して貰え、説明がありました。
この能楽堂は平成7年に熱田神宮から移したもので、総檜作りの舞台で柱1本がウン千万もするのだそうです。能と狂言違いを話され、能は謡いで物語を「唄い」、「音楽」は笛、小鼓、大鼓、太鼓からなり、舞いますが、能はミュージカルだと言っていました。
画像でははっきりと見えませんが、後ろの板に描かれているのは松で、鏡板といわれるものです。展示室には、もう1枚鏡板が有り、それは杉本健吉の作品で若い松を描いた作品が有ると話していました。

お話しを聞いて、少しは日本の文化に触れてみたいと思いました。



こちらの席は少し後方ですが、「殿様席」で一番好い席だと話していました。
席に座ってみて、全体を眺めることができました。


この後に展示室に向かいました。
展示室には能の衣装や資料が展示されていましたが、撮影が禁止となっていました。


見学することの面白さの1つに発見するという事が有ります。愛知県警察本部と名古屋能楽堂を見学しました。普段、聞いているラジオ放送の交通情報がこの警察本部の中から発信していることを知ったのは新しい発見です。本格的な能舞台を目にしたのは初めての事です。私の住む近くで薪能が開催される事が有ります。一度、足を運んで見ようという気が起きました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/13 おさつ街道を行く 国立印刷局を見学

2014年11月13日 22時25分20秒 | 見学 ゆうゆうなごや

SNSのコミニティサイトで独立行政法人 国立印刷局 彦根工場を見学してきました。
国立印刷局の工場で、いわゆる紙幣を印刷する工場ですが、国内に4箇所有る工場の内の1箇所で、その中では一番西に位置します。こちらの見学は10人以上の団体で無いと見学ができない場所です。
コミニティサイトの代表者のIさんの骨折りにより、見学が出来ました。

印刷局は南彦根駅の北東の位置にあります。
印刷局の前の道路には「おさつ街道」名付けられています。見学後に担当者が話してくれましたが、滋賀県が道路に愛称を付けたのだそうです。琵琶湖の湖岸道路には、「さざなみ街道」と名付けられており、ここ印刷局の前の道は「おさつ街道」と名付けられたのだそうです。地図にもしっかりと、載っています。

南彦根へ

高山線の那加駅から南彦根駅まで乗車しました。左上は那加駅から岐阜駅まで高山線の列車です。右上は東海道線で岐阜駅から大垣駅までです。左下は東海道線で大垣駅から米原駅までの列車です。右下はびわこ線で米原駅から南彦根駅までの列車です。3回乗り換えて4本の列車を乗り継ぎました。
これだけ乗り降りして南彦根駅に着きましたが、列車に乗ることは嫌いでははありません。

帰路。SNSの仲間の人たちとお喋りしながら岐阜駅まで帰ってきました。
このように和気藹々と、お話しできるのも、このSNSのコミニティサイトの魅力です。



車窓から見えた伊吹山。
もう、冬の装い。何時、雪が降っても可笑しくありません。



南彦根駅に着きました。右は駅舎です。



JR東海管内のTOICAを持っていますが、南彦根はJR西日本の菅内ですので、TOICAは使用できません。那加駅から大垣駅までの区間でTOICAを使いました。那加駅は無人駅でTOICAで入ることは出来ますが、乗車券は買い求める事が出来ません。

大垣駅からはキップを買いました。その金額が840円です。TOICAを使った那加から大垣までが410円でして合計すると1,250円となります。帰りは通しで南彦根駅から那加駅までで、1,140円です。距離の関係で若干割高なってしまうのですが、仕方がないことです。


見学の前にみんなで会食。
見学の予約は13:30でして、その前に会員が揃って、会食をしました。昼食場所は彦根市西今町の「魚忠」と言う日本料理の店でした。
集合時間が南彦根駅へ12:00となっていまして、駅へマイクロバスが迎えに来てくれていましたので、みんなが乗車して「魚忠」へ向かいました。

魚忠へ向かうバスから見えた景色です。
水の場所を男性が清掃していました。
魚忠のパンフに書かれていた「十王村の水」ではないでしょうか。
間違いなかったら、この場所は環境省選定の名水百選の処です。


魚忠に着きました。



魚忠の店構えです。



魚忠は人気の有る店です。
私たちが入店した際には、満室の表示が出ていました。



ピンボケでした。
店の中に入ると玄関の両側にこの店に来店した人たちのサインと写真が貼ってありました。右側の額に前宮崎県知事の東国原さんのが有りました。パンフに女将さんが宮崎の出身と有ります。
それも何かの縁なのでしょう。



女子中学生が職場体験をやっていました。しっかりした感じで、初めは女子高校生かと思ったのです。「頑張って」と声を掛けました。このようなことも貴重な体験となるのでしょう。



2階の部屋へ案内され、料理が出てきました。ここ「魚忠」は感じの良さそうな店でした。皆が思ったことは、Iさんが何でここを知ったかでした。
聞いてみましたら、インターネットで調べたのだそうです。
インターネットで調べただけですと当りハズレが生じます。
でも、ここ魚忠は好い店てした。


へべす寿司御前。平日限定お昼御前です。画像が欠けていますが、左側に豚肉を使った先付けが付いていました。それに食後にはコーヒーが出ました。これで1,300円と、とっても値打ちでした。
しかも、駅までのお迎えと印刷局までの送りが付いたのです。
味も良かったし、このようにして貰えてとっても、良かったです。



バスの外で見送ってくれた女将さん。



国立印刷局へマイクロバスで送ってくれました。


安価で美味しい料理。
「魚忠」はそんな店でした。
彦根方面へ出かけ、お昼となった場合、再度寄ってみたいと思わせるような店でした。
「へべす寿司御前」は平日の限定ランチですが、予約不要で応じるとなっています。
日本料理 魚忠
彦根市西今町572番地
0749-26-1686
http://uochu.co.jp/



独立行政法人 国立印刷局 彦根工場
今回のメインの場所。国立印刷局に入ります。


印刷局の正面から。
この先は撮影禁止で、許された場所でしか、撮影できませんでした。



記念撮影のところでは、許されました。
今回の参加者。男性グループです。


この後、記念写真の後で案内されたのが資料展示室です。担当の磯崎さんから印刷局の概要と沿革の説明がありました。そしてDVDの上映がありました。
印刷局の仕事では収入印紙や収入証紙、官報やパスポートなどの印刷物の発行があり、紙幣は東京工場、小田原工場、静岡工場、彦根工場が有り、ここ彦根工場は西日本唯一だと説明が有りました。



印刷局から渡されたパンフレット。製版から印刷、記番号印刷、裁断と工程が流れていきます。インクの原料は外部から購入するのだそうですが、色の調合は工場内で行い、紙幣に使うインクの種類は表が14色。裏が7色だそうです。また、お札を印刷する時は裏側から1トンの力をかけて印刷するのだそうです。


この後。
印刷工場に案内され、2階からガラス越しに見学しました。
カメラ撮影が禁止となっていて、写す事が出来ませんでした。高さ4メートルも有る巨大な印刷機が回っていました。職員が印刷機のボタンを押し、お札のシート取り出してミスが無いか確認していました。お札が横に4枚、縦に5枚繋がったレイの物です。これに向き合っている時はお札と言うよりも、単に印刷物に向き合っていると言った感じでしょうか。

印刷工場の部分を上から眺めただけで、シートをチェックする場面やシートを裁断する場所の見学はできませんでした。

再び資料展示室に戻って
展示室の内部資料には・お札の歴史。・お札の用紙のできるまで。・印刷機械。・印刷方式のいろいろ。・お札のできるまで。・お札の技術を使う美術品・と言った解説が周りの壁に展示して有りました。


アクリルのケースの中に入っている1億円。
以前、日銀の名古屋支店を見学したときにも同様な1億円が有りました。
自由に持ち上げて重さを感じる事が出来ましたが、ここのようにアクリルのケースの中に入っていて、持ち上げるのに、制限がありますと、余計に1億円らしく感じます。日銀の名古屋支店の時は自由に持ち上げる事が出来たと言いたかったのですが、口に出しませんでした。

担当者はクイズとして、お米10キロとこの1億円とでは、どちらが重いでしょうかと投げかけていました。



1千万円札の札束が10個集めて1億円となっています。
どの札束も同じA-AAで000001となっています。リアルさを出すためには、束毎の番号を変えてはと、思います。



私も1億円を持ち上げてみました。



お札に関係した煎餅やクッキー。
ここでしか売っていないモノでしょう。
みんなが買い求めていました。



構内に植樹されていたみつまたの記念樹。
ミツマタはお札の原料です。



ミツマタをアップで。
文字通り枝が三つに分かれています。


今回。Iさんの骨折りにより、印刷局の見学が出来ました。通常、個人的には入ることの出来ない場所を見学する機会を戴きました。中々入ることの出来ない場所を、このように世話をして貰えて、有り難かったです。
ガラス越しに見た印刷機。大きな印刷機でしたが、その印刷機を見て、以前に新聞社の印刷工場を見学したときの事を思い出しました。
日本の紙幣の印刷技術。沢山のインクを使った多色刷り。特殊発光インクやホログラムの技術。改めて凄いと思いました。
国立印刷局 彦根工場
http://www.npb.go.jp/ja/guide/soshiki/hikone.html



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄で、名証見学。その後に15:00  パーティー

2014年09月19日 22時19分51秒 | 見学 ゆうゆうなごや

SNSのコミニティサイトで名古屋証券取引所を見学し、続いて、栄の「猿カフェ栄町店」で15:00 交歓パーティーをしてきました。
名古屋証券取引所は東京証券取引所と大阪証券取引所に挟まれた小さな証券取引所です。取扱い高は東証や大証とは比べ物にならない規模です。それでも、ここ、東海地区の経済発展に大きく貢献しています。

午後に栄へ集合して名古屋証券取引所へ向かい、エレベータで6階へ上がり、5階の会議室のような大きな部屋に案内されました。応対してくれたのは広報担当の藤岡さんと言う女性です。
最初にDVDを鑑賞し、証券市場と証券取引所。金融には直接金融と間接金融があります。銀行におカネを預けるのは間接金融で、株式や社債を購入するのが直接投資だと話されました。また、名古屋証券取引所の歴史、そして証券取引所の役割などを学びました。明治19年に名古屋株式取引所として発足して、戦争中は活動が停止となり、戦後昭和24年に再開し、平成になってからコンピュータ化や株式会社化を経て今日に至っているそうでした。

その後は、藤岡さんの講義です。1年間銀行に預けておいても、200円ほどにしかならない今の時代。株式投資の利点についてです。株式配当は当然ですが、株主優待を井村屋、オリエンタルランド、カゴメを例に捉えて説明です。井村屋やカゴメは株数に応じて現物が贈られますし、オリエンタルランドは入場券が配布されると、利点の説明がありました。

その他に株式の購入が100株か1,000株から購入できるとか、購入先は店舗証券かネット証券かで買い求めることが出来、双方の長所を紹介されました。今後の注目株ですが、具代的な会社名は明かされませんでしたが、有望な分野でネット関連。オリンピック関係。水素やバイオなどを紹介しました。
藤岡さんは総務グループのチーフで、二級ファイナンシャル・プランニング技能士と言う資格を持つ人で、上手く話をされました。

最後に証券取引所と言う場所。
会社四季報を使って、色々と説明を受けました。今日、聞いていて、少し投資の楽しみが湧きました。

名古屋証券取引所の見学

名古屋証券取引所の入口のプレート。
今日は、こちらの見学です。



みんなで、入口から入り、エレベータで6階へ上がります。



5階の会議室のような部屋に案内されました。
入口には名古屋証券取引所に上場している企業のプレートが表示してあります。



会議室に入ります。




藤岡さんのお話し。
DVDを使い証券取引所の役割や歴史が紹介されました。




続いて藤岡さんの講義です。
100万円を預けておいても、1年に200円ほどにしかならないと言う部分です。



講義の後はリーディングルームを見学します。



少し、ピンボケでした。
刻々と表示が変わります。





猿カフェ栄町店で15:00  パーティー
見学の後、有志の者だけで「猿カフェ栄町店」へ向かいます。
猿カフェ栄町店は名古屋証券取引所から数分の場所です。



外から見た猿カフェ栄町店。
店の内部が良く見えます。



猿カフェ栄町店の入口。
これから入ります。




パーティーに参加した面々。
見学とは変わって、話が盛り上がります。



今日のお料理。
初めにスモークサーモンが出てきました。
その次はグリーンサラダが出ました。
サラダの次がピザとフライドポテトの皿です。
この後は、パスタが出ました。




ラストで運ばれて来たのが、アイスのデザートです。



バナナやストロベリーがトッピングされています。



美味しそうなアイスのデザート。
思わず、カメラを向けたくなります。
私もシャッターを切りました。


今回は、見学では32人の参加者がありました。世代的に平日の都合がつく世代の人が多かったです。そして、見学の後は19名が参加して、猿カフェ栄町店で15:00 からの交歓パーティーとなりました。
飲み放題となっていて、ビールを。その後に蕎麦焼酎を戴きました。
当コミュの管理人さんにお世話を戴きました。感謝です。それに、投資にチョッピリ関心を持ちました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下鉄の安心、快適はどう保守される? 地下鉄日進工場・レトロでんしゃ館を見学  その後に・・・。

2014年07月07日 23時36分37秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ゆうゆうなごやで名古屋市営地下鉄日進工場とレトロでんしゃ館を見学を見学して来ました。地下鉄赤池駅の2番出口が集合場所でした。
集合した後、地下鉄日進工場に向かい、工場とでんしゃ館を見学させて貰いました。

名古屋市交通局日進工場
この日の参加人数は31名と大人数でしたので、15名と16名の2班に分割して工場内を案内して貰いました。
案内してくれたのはレトロでんしゃ館の坪内さんです。
名古屋市営地下鉄の特徴はレール幅が新幹線と同じのと、JR線と同じのに大別で来ます。
地下鉄は下記の路線図で示す路線となっていて、藤が丘工場、名港工場、日進工場が有り、その他に大幸車庫と徳重車庫があります。また、下の「市営地下鉄のあらまし」にありますように集電方式がサードレール式と架空線式に分けられます。

名古屋市営地下鉄 路線図

路線図。「工場見学のしおり」から抜粋。






市営地下鉄のあらまし

「工場見学のしおり」から抜粋。







「工場見学のしおり」から抜粋。
見学の際に渡された「工場見学のしおり」から抜粋しましたが、工場の仕事で、列車検査、月検査、全般検査などがあり、検査する時期の違いが有ります。
列車検査は短い期間でされる検査でブレーキ検査が主で、全般検査は車検みたいなものだと思います。





名古屋市交通局日進工場に入ります。

これから工場に向かいます。




坪内さんの説明です。




こちらは台車です。
1台の台車にモーターが前後に装着されています。




モーターの着いた台車とモーターの着いていない台車。
モーターの着いていない台車はスッキリしています。




台車をはずされ、クレーンで移動した車体。
この状態で整備が進められます。




車輪のビフォー・アフター。
左は納入されたばかりの車輪。右は使い古された車輪。使用した車輪は戸外に留置して有りました。




新しい車輪の木枠に貼られていたラベルと車輪のスケールの表示。
説明がありましたが、車輪は大阪から届くのだそうです。
車輪メーカーは住友金属ですが、新日鉄と合併して新日鉄住金となりました。住友金属が国内車両の車輪を99.9パーセント製造しているのだそうです。

以前にテレビで見た事が有りますが、レールメーカーは新日鉄です。車輪メーカーは住友金属です。車輪が強固過ぎるとレールが傷みます。レールが強固過ぎると車輪が傷むのだそうです。企業合併して同じ会社となりました。レールと車輪の関係。新会社となり、好い関係が保てることと思います。

ここで、レールの説明がありました。
レールが工場から出荷される時は、全て真っ直ぐなレールで曲線のレールは無いのだそうです。レールは横からの力で曲げられるので、現場のカーブに応じて曲げるのだと説明していました。




何人かの人が修理に携わっています。




車体の下。
普段、目にする事の無い場所ですが、箱の中はこのようになっている事が判りました。




ディーゼル機関車。
新車が納入される時など構内の入れ替えで使われます。




菱形パンタグラフ。
実物ですが、どのように稼動するか判るようになっていました。
「入」のボタンを押すと立ち上がりました。スプリングの力で上がるのだそうです。「切」を押すと、プシュと言ってダウンしました。「切」時はエアーでたたみました。
パンタグラフの上下でしたが構造が良く判りました。




屋外へ出ました。




工場への引込み線です。
新車の納入時、ここから工場へ新品の車両が入ります。




日進車庫です。
ずら~と並んだ列車群。
頼もしく見えます。



外に留置してあった使用済みの車輪。
ある程度の量が貯まると、入札を行うとの事でした。
落札した業者は屑鉄として、引き取っていきますが、先ほど工場内で新しい車輪を見ました。この時に思ったのは鉄のリサイクルです。
ここから溶鉱炉に運ばれ新しい車輪になって、再び戻ってきます。




屋外に設置して有ったシールドマシーンのモニュメント。
説明盤に有りますが、本山北工区で実際に使用されたものです。かつては道路の路面を開削して敷設していましたが、近頃はシールドマシーンで掘削工事するのが大部分でしょう。




説明で特に印象に残ったのは新しい電車の搬入です。深夜に新幹線車両を運搬しているのを、ニュースに取り上げられることがあります。
こちら名古屋市交通局の場合は、日立か日本車両から購入しているのだそうです。
名古屋市交通局の新車のうち、JRとレール幅が同じ鶴舞線、桜通線、上飯田線の新車は、日本車両の豊川工場から飯田線、東海道線、 名鉄を経て名古屋市交通局に搬入されます。
 笠寺から名古屋臨海鉄道を経由して、東名古屋港で名鉄線に入ります。鶴舞線向けと桜通線向けは、ここから名鉄の電気機関車によって、大江~金山~知立~豊田市~赤池と回送され、日進工場に入ります。
新幹線車両は道路を深夜にノロノロ運転で運ばれます。こちらの交通局の車両は昼間帯の運行を避けて深夜に線路から運び込まれるのでしょう。
機会があったら、そんな様子を見てみたいものです。
このように貨物列車扱いで輸送されるものを甲種輸送(こうしゅゆそう)と呼びます。色々のサイトが有りますので、検索してみてください。


見学を終えての感想ですが、広い工場内で頭上には大型の移動クレーン。
運び込まれた列車。交換される台車が並んでいましたが、初めて目にする光景で新鮮に感じました。
電車の構造が良く判りました。電車の車両にはモーターの着いている車両と着いていない車両があります。1つの台車に2個のモーターの着いているのを目にしました。
工場内で働く男性たちが何人も居ました。
帰りに地下鉄に乗車しましたが、この人たちによって、地下鉄が影で支えられているのだと思い浮かべました。



レトロ電車館
館内に引退した市内電車と地下鉄車両が展示してあります。車両の姿からかつての様子を振り返ることが出来ました。
かつての制服制帽も展示してあり、当時の状況がわかりました。特に参考になったのは市内電車が敷設去れ、廃止となった経過です。昭和30年代の全盛時には市内の隅々まで路線が延びていました。その頃が市内電車の黄金時代でした。


レトロでんしゃ館の案内看板です。
ここの館へは晴れた日よりも雨の日に多くの人が訪れると話していました。
無料で入館できます。親子で訪れると有意義な時間が過ごせることでしょう。



市電、1400型。
この1421号は昭和13年に製造されたものです。あの太平洋戦争の時も動き、戦後の時期には、多くの人を乗せて走り、戦後復興に尽力しました。
市電が廃止となった昭和49年3月まで活躍しました。
ご苦労様と言った感じがします。


2000型電車。
この2017号は昭和31年に製造された車両です。




左側は地下鉄100型。
昭和32年の地下鉄開業時に走った車両です。




1421号の中で。
子供の頃や若い頃に乗った覚えの有るメンメンです。
懐かしく、当時の話しが弾みます。

私は子供の頃に名古屋駅から東山動物園まで乗った記憶があります。


車内で垂れ下がっていた路線図。
市電の黄金時代で、市内の隅々まで市電が走っていました。




路線開設図です。
青い線が明治期に開通したものです。
メインが笹島町から久屋町(県庁前)です。
日本で最初の市電は京都で名古屋は2番目です。今のようにボギー車でなく、単車と言い、車体の下は1つの台車だけの状態になっています。図に久屋町(県庁前)となっていますので、今の県庁の場所でなく、南の方に有ったのでしょう



新しい路線がドンドン開通していきました。




館内に行き先表示が垂れ下がっています。
車体に、この行き先がロール状で納めて有ります。



垂れ下がっている行き先表示。
今の時代からすると、レトロな感じがします。
ここの館の名が「レトロでんしゃ館」でした。
住居表示の変更で、今では無くなった町の名も有る事でしょう。




思い出の市電と黄電。

みんなでランチ
見学後に赤池駅前の寿司御殿へ寄りました。お昼の時間であり、寿司定食のランチです。
隣同士との会話が弾み、楽しい食事時間が持てました。
お寿司がメインのランチであり、美味しくいただけました。
実は、お昼を食べるのに際し、みんなから集金してくれた人が居まして、店への支払いもスムースに運びました。
世話をして貰えて有り難かったです。

この寿司御殿には、以前に入ったことがあります。ウオーキングの下見の時に入ったのですが、お昼の時間ではありませんでした。
店に入り、コーヒー片手に打ち合わせを行いました。今回、食事をしてみてどのような料理が出るのか判りました。
この赤池店だけでなく他にも店がありますので、その方面に出掛けたときは入ってみようと思いました。


寿司御殿赤池店の前景です。




場所は2階で、これから店に入ります。




店の入口です。




部屋に入ると、既にお料理が並んでいました。




ゆうゆうなごや。
お料理の下の紙に描かれていました。




今日の寿司定食です。
色々の種類があり、美味しくいただきました。


栄駅から
帰りに栄に寄り道しました。
プラットホームで電車を待っていて、入って来た電車に対する気持ちが変わりました。
こうして、乗れるのもあのようなメンテナンスがあるから、安心して乗れるのだと思ったのです。

車内は少し混雑していたのですが、さわやかな場面に遭遇したのです。
栄駅から多くの人が乗りました。その中にややお歳を召したご夫婦が居ました。車内のロングシート。若い男性が乗っていたのですが、席を譲りました。触発され彼の友人も席を立ちました。
今度は、伏見駅に着いた時です。少し離れたところにいた若い男性。白髪のご婦人が乗ってきたのを見かけ、席を譲ると申し出ました。女性は手を振って固辞したのです。先ほどのやり取りを見ていたのでしょう。
善意の連鎖と言いますか、横から見ていて、さわやかな気分になりました。電車が名古屋駅の着くと席を譲られた男性は若い子に有難うと声をかけて立ち去りました。

 

最後に
地下鉄工場とレトロでんしゃ館の見学。
その後にはみんで会食しました。
普段、目にする事のできない場所が見られて面白かったです。
見学して知識を深める事が出来ましたし、美味しい昼食を戴く事が出来て良かったです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裁判所ってどんなとこ。   裁判所を見学、傍聴

2014年06月19日 23時22分34秒 | 見学 ゆうゆうなごや

名古屋市の中区三の丸に裁判所合同庁舎があります。この建物の中には名古屋高等裁判所。名古屋地方裁判所など法務機関が入っています。
今日は、あるコミュニティで、その内部の見学と公判を傍聴してきました。



名古屋の裁判所合同庁舎です。
右側、東の部分ですが、事務棟で会計課とか総務課が入っています。
左側は法廷棟で、名の通り大小の法廷があります。


玄関の銘板で、名古屋高等裁判所。名古屋地方裁判所と刻まれています。



ヘタな絵ですが、庁舎内の撮影は出来ませんので、スケッチしました。
法廷の雰囲気を掴んでいただければと思います。


コミニティの人たちが集合し、まず、通されたのは1階の大法廷です。上の絵の法廷に通されました。
説明してくれたのは名古屋地裁総務課広報係の高橋さんです。
この法廷は、名古屋地裁で一番大きな法廷で傍聴席が96席あるそうです。裁判員裁判に対応できるようななっていて、3人の裁判官。6人の裁判員の席が有ります。裁判員と裁判官の関係ですが、1人1人が1票を持っています。最終的な判断は、野球のチームに例え、裁判長はキャプテン的な立場だと話されました。

裁判員裁判が平成21年の5月から始まりましたが、裁判員裁判の制度についての説明がありました。今日のメンバーの中に裁判員候補に上がった人がいました。
候補として上がる確率ですが、名古屋管内では400万人余りですが、当たる確立は5,800分の1だそうです。種々の説明の後、裁判員裁判のDVDが上映され、裁判員裁判の知識を深める事が出来ました。


大法廷から出て、刑事裁判の法廷を傍聴しました。
1つの公判は平成26年(わ)252号事件で、601号法廷で開かれていました。
被告は、自転車を盗んだことと、自転車の女性を殴打した事件です。


もう1つは平成26年(わ)905号事件、703号法廷で開かれていました。
こちらの被告は詐欺材に問われていました。ファミレスで無銭飲食をした事件です。
こちらの被告には2人の法務官が両側に控えていまして、閉廷後に手錠をかけられ、腰縄に繋がれていました。
被告は、以前にも過ちを犯した事が有り、執行猶予中に起こした事件です。閉廷して手錠をかけられましたが、傍聴席から、すぐ見える場所でして、法律の執行と言う部分が垣間見えました。当たり前の行為なのですが、目の前で被告が手錠をかけられると言ったシーン。ドッキリしました。

2つの公判の共通点は、何れの被告も生活保護の受給を受けていたこと、日頃から酒を飲んでいたことです。
生活保護を受けることは悪いことではありませんが、生活保護を受けている身でありながら犯罪に走ってしまいした。しかも、累犯である。905号事件の被告は裁判官に更生を誓っていました。
なお、判決は6月30日に出ることになっています。


裁判所内で中京テレビの腕章をつけた人を見かけました。
今日のニュースでは、1戸建ての販売で消費税を脱税したというケースがありましたが、その事件に関連してだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩盤・どういう世界?/地下300mを歩きます。 瑞浪超深地層研究所を見学

2014年05月19日 20時14分18秒 | 見学 ゆうゆうなごや

ネットのコミニティーで瑞浪超深地層研究所を見学してきました。
瑞浪超深地層研究所は独立行政法人 日本原子力研究開発機構の東濃地科学センターの一部で、
地下の環境や地下深く、どのような現象が起こっているかを研究する「地層科学研究」を行っています。
主立抗で300メートル下の地下に降り、現場を見学させて貰いました。

今回の見学で参加者は22名です。
男性が13名。女性が9名でした。地下に潜ると言う特殊な現場ですから男性が多くなったのでしょうか。

そう言えば、こんなことを思い出しました。
ず~と前にトンネルの中を見学した事があります。
団体で行ったのですが、女性の入坑はダメだったのです。何か、トンネルには山の神が居て、女性に焼き餅を焼くのだそうです。
安全第一の現場だからそんな、ゲンを担ぐのでしょうか。
トンネルと竪抗。横に掘るか竪に掘るかの違いですが、時代が変わってきたのかも知れません。


瑞浪駅が集合場所でした。
研究所のバスが瑞浪駅の北口へ迎えに来てくれました。



瑞浪超深地層研究所の建物に着くと、「もぐら博士」が迎えてくれました。




瑞浪超深地層研究所の全景です。




到着すると、職員の方が出迎えてくれました。




広いホールに通されて、スライドを30分ほど。
そして、DVDを10分程見せてもらい事前学習です。
スライドを使って概要説明。それに地層処分などの説明がありました。



ホールでの学習の後は、いよいよ現場の見学となります。
ヘルメットにつなぎ服。長靴に反射ベスト。軍手をはめて完全防備の姿で望みます。
それに一人一人にPHSの携帯電話が渡されました。
見学者と言えども、完全装備です。

円形のサークル。
このサークルの大きさが竪抗と同じ大きさになっています。

22名の見学者でしたが、地下に降りるエレベータの許容重量から8名。7名。7名の班分けとなり、説明役案内役が付く形となりました。




あの大きな建物が主立坑の上屋です。
歩いて向かいます。




構内には水の処理施設が有りました。
深層から湧水を汲み上げているのですが、、その水を直接川へ放流するのでなく処理してから放出しているのだそうです。
水は酸素を、ほとんど含んでいない水です。説明板で、砂を沈殿させ薬品で処理してから川に放出している事が分ります。




主立抗の建物に入ります。
この建物は防音構造となっていて、騒音を外に漏らさない構造となっています。




主立抗の内部には、3つの大きな巻上げ機が有ります。
エレベータ巻上げ機は人が上り下りするためのものです。
スカフォード巻上げ機は地下の現場で足場と成る場所です。最先端の現場で岩石にドリルで穴を開け、爆薬を充填すると上昇させ、先端で発破を行い、その後に岩石を掘り起こします。
キブル巻上げ機は生じた土砂を引き上げるの使います。
土砂の事をズリと呼んでいるそうでして、ズリを地表へ引き上げますので、ズリキブルと呼んで居ました。
大きなバケツを想像しました。
地下の最先端からワイヤーで引き上げます。

現在の最先端は地下500メートルだそうでして、将来的には1000メートルまで掘り下げていく計画だと説明してくれました。



大きな3台の巻上げ機。
スカフォード巻上げ機。キブル巻上げ機。エレベータ巻上げ機。




これから入坑します。左側は構内の様子がカメラで映されて居ます。
右側は入坑する際に姓名を表示して下りていくのでしょう。

想像したのは炭鉱で入坑する時です。
昔は木札を裏返して行ったのではないでしょうか。
今の時代は進んでいます。
手元にテンキーがありますので、個人番後を打ち込み入坑した表示と成るのでしょう。



地下に降りるエレベーターの内部です。
網目になっていて、横が見えます。まるで籠のような感じでした。

これはドアの部分です。
案内の男性が、上に上がって来る時、ドアの上部の部品に安全帯の金具をカチャッと嵌めて戸を開ける作業をしました。
当たり前の事なのですが、安全重視で行っていました。
「労働安全衛生法」がチャンと守られていると思いました。
そう言えば、構内で「指差確認」のステッカーを目にしました。



地下300メートルの地点へ下りてきました。




パネルを使って300メートル地点の説明です。
主立抗から横へ100メートル伸びています。



トンネル内はコンクリートを巻き上げるのですが、この部分は花崗岩がむき出しと成っています。
掘った場合にどのような表面を現すためでしょう。
この立抗の最先端もこのような花崗岩なのでしょう。
爆薬を装填し発破をかけますが、切り取って上に挙げれば墓石などの石材に使えるかも知れません。
でも、御影石のような高級な石ではないので、価値がないのでしょう。
それに、コストが合わないでしょう。



湧き水がクレーチング蓋の下を流れていきます。



こんなものを見かけました。
非常食のセットと簡易トイレです。
万が一でなく、億が一でも事故が発生することを念頭に措かなければなりません。
有ってはならないことですが、その事故が起きた時に役に立つものです。



このような場所へは一般人としては滅多にこれない場所です。
地下300メートルの現場で記念写真に納まりました。
つなぎの服を借りて着用しましたが、つなぎ服は初めての着用です。
上と下が繋がっていて、着難いと感じました。




これからエレベータで、上に上がります。
案内の男性が先頭にたって戸を開けてくれました。
安全に配慮して行動していました。




地表に出てきました。
坑内から上がったので、出抗の表示に変えるのでしょう。




つなぎ服を脱ぎ、見学を終えました。
昼食を取るため交流会館へ向かいます。




交流会館に入ります。




交流会館の会議室でお弁当をいただきました。
このお弁当は研究所で地元の弁当屋さんへ口利きをして貰え、食べる場所まで、世話を戴いたものです。
美味しく頂ました。



12時過ぎに入坑して13時過ぎに地表へ出てきました。
後から分かったのですが、通常の時間帯なら下で作業をしており、見学者が作業に影響を及ぼしてはいけないとの配慮から昼の休憩時間の見学でした。
安全第一に捉えて見学者に見せていることを感じました。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする