朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

インド:ナーランダ

2011-09-22 | インド仏教研修2011
いつものように早起きして朝食後、バスで出発します。



インドでのコンクリート建築の足場には、木材や竹が使われていますが驚くほどに不揃いでそれらを器用にロープで縛って組み立ててありました。一応、鉄筋が見えるのでそれなりの強度はあるのでしょうが。水平、垂直は適当そう。

最近、さらに北東のシッキム州で大きな地震が発生して数十人の犠牲者がでたようです。インド北東部の山岳地帯は、紅茶で有名なアッサムがあり、ネーパル、チベット、中国とも接しているので国際政治的に緊迫している場所でしょうか。



しばらく田舎道を走って、休憩です。



インドのトラックは、前面に派手な化粧をしています。運転手がそれを競い合っているようです。



まともな喫茶店、食堂がありました。チャイを楽しみます。


車窓から外の村々を見ていると、こんなバスセンター?がありました。





車の屋根に乗るのは常識です。最近のエコ重視で車体を軽くした最新の日本車はこんな利用にはとても無理でしょう。
でも、トヨタのランクル、三菱のパジェロはもっと過激な軍事紛争地で人気があるようです。


この日午前中の目的地、ナーランダに到着。



釈尊の高弟シャーリプトラ(舎利弗)の生地で、5世紀から12世紀まで仏教の研究と教学の一大センター、つまり「大学」が設立されたいました。

7世紀に玄奘(三蔵法師)が滞在した頃は1万人もの学僧がいたと伝えられています。

645年(唐時代)に玄奘三蔵が657部に及ぶ経典を中国に持ち帰り、中国や日本仏教である「大乗仏教」の起源とされています。



これは、シャーリプトラを祀るストゥーパ。



12世紀にアイバク靡下の将軍が率いるトルコイスラム人の侵略によって大学は破壊され、この後の時代にインド仏教は衰退した。その時、図書館にあった書籍はすべて燃やされ一週間にわたり炎が絶えなかったと説明されました。

我らがインド人ガイド、ママニアさんは「イスラム教という宗教が悪いのではなくて、当時、強力な武力を持っていた外来勢力が来て、武力を持たない仏教徒を打ち破った歴史的な状況です」と、現代のイスラムに関する悪い印象を与えないよう中立的に説明をしていました。(本人はヒンドゥー教)



遺跡の門前には露天商がたくさん店を並べていて、遠足で来たらしいインド人生徒たちも品定めをしていました。



馬車が、観光用でなく普通の運搬用として走っていました。


~~
追記

平山郁夫画伯が、この遺跡をテーマに描いた絵があります。



奈良、薬師寺玄奘三蔵院に納められています。

引用:
東京国立博物館 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=709

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