朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

大原 寂光院

2011-01-11 | 京都の文化(冬)
年が改まってまた雪が降りました。都心部は翌日になるとほとんど融けてしまったのですが、週末に郊外に出かけることにしました。

近所を流れる高野川の上流を探訪しました。



大原の里を流れるのが、高野川です。



このあたりに来るとまだまだ雪が残っていました。よく晴れた日となり朝の太陽が差し込んでくると、樹木や竹に積もった雪が微風に揺すられて落ちてきます。融けた水滴も降ってきて光に反射してきらきら光りました。

国道の旧道に沿った集落の奥に「寂光院」という尼寺があります。十年前に火事で焼けてしまい、その後、ご本尊と本堂は再建されたのですが、新しい寺院建築では何か魅力がなく訪問していませんでした。



両側を尾根に挟まれ谷川に沿った場所なので、雪が沢山残っていて実に清冽な石段と参道がありました。

参道の途中、右側に小さな池と茶室があります。その門にはうす緑の苔と雪、ツララが陽の光に照らされていました。



門松がしゃんと立ち、赤い木の実と葉牡丹が色を添えています。



雪を乗せた雪見灯篭。鉄製灯籠で豊臣秀頼が本堂を再建した際に伏見城から寄進されました。雪見とは「浮見」が変化した語だとか。




お手水に白い山茶花の花が飾ってあります。


ドイツハンブルグでの博覧会にて、この庭と滝水のレプリカが展示されたそうです。四方正面の池。





心無い無法者によって優れた文化遺産が燃やされてしまったことは誠に残念です。宝物殿にて記録を拝見しました。

再建された本尊の六万体地蔵尊菩薩は、鮮やかに彩色されています。やや違和感はありますね。



門前を少し下がったところに、足湯のカフェがありました。こんな休憩場所も外観が控えめであれば好ましいと思います。



寂光院といえば、建礼門院(けんれいもんいん)。建礼門院といえば、平家物語。
源氏の軍勢に追われて壇ノ浦にて幼児であった安徳天皇と三種の神器を抱いて海に飛びこむも、自らだけが救助される。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

五教科十科目の大学入試を強いられた世代は、理系志望でも古文漢文を丸暗記したので今でも思い出すことができます。若い時代の詰め込み教育も悪くはないです。
コメント
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