朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

石山寺

2009-10-13 | 京都の文化(秋)
10月10日、十が重なり双十節といわれる日でした。

 琵琶湖の水が流れ出す瀬田川の右岸に、石山寺があります。
 二十年以上前に参詣したようにも思うのですが、境内や仏像の記憶はまったくありません。



山門には、五色の旗が掲げられていました。
 ただし、台湾建国を祝賀していたわけではありません。



参道をしばらく歩き、急な石段を登りつめると、目の前にこの鋭い岩の壁が現れました。その頂上には多宝塔があります。

 大岩の麓に赤い秋名菊が咲きほこっていました。



左手にある本堂では、ご本尊の「如意輪観世音菩薩」のご開扉がとり行われていました。
 なんと、33年に一度のご開帳だそうです。

 まったく、有りがたいことにそんな特別の機会にめぐり合うことができました。

 ご本尊の秘仏さんはお体が大変に大きく、「丈六」(一丈六尺、約4.8メートル)と呼ばれるサイズでした。
 実に物静かな良いお顔です。
 平安時代の作ですからもう千年以上経過しているますが、秘仏のため金銅色の保存状態が良くて一層神々しく感じられます。



本堂を拝観した後、この岩山を登って、多宝塔、瀬田川が一望できる月見亭などとても広い境内を歩きました。

このお寺を有名にしているもう一つの歴史は紫式部です。

 紫式部は石山寺で源氏物語の着想を得て、このお寺で執筆を始めたと伝えられています。



 日本文化の重要な古典の柱である、かな文学の原点です。

 日本語と日本文学については、水村美苗『日本語が亡びるとき』を読んだばかりなので、稿を改めて。

~~~~(石山寺web「石山寺と紫式部展」(2007年)より引用~~~~

「今宵は十五夜なりけりと思し出でて…」
お仕えする中宮から新しい物語の執筆を求められた紫式部が、石山寺に参籠して、琵琶湖に映える八月十五夜の月を眺めているうちに一つの物語の構想が浮かび、とっさに手許にあった大般若経の料紙の裏に書き連ねていった…これが『源氏物語』「須磨の巻」であると伝えられています。須磨に流された光源氏が十五夜の月に、都での管弦の遊びを回想する場面となったというのが、南北朝時代の源氏物語注釈書である『河海抄』をはじめ多くの源氏物語関係書に記載されています。

~~~~ http://www.ishiyamadera.or.jp/sikibuten.html ~~~~
コメント
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