駐車場で裸足になって、参道を菩提樹に向かって歩く。
犬が2匹、熟睡している。
いや、涅槃する犬というべきか。
犬は悟りを開かない、とは限らないのだから。
問題は、スリランカには涅槃する犬が多すぎること。
いつもの癖で、石造物があるとつい無意識にカメラを向けてしまう。
手前に伸びるレンガ壁はかなり古そうだ。
菩提樹がここに植えられたのは、紀元前3世紀のことだから、古さの基準がべらぼうでいつのことか想像もつかない。
ゲート脇の売店。
供花用の花を売っている。
どこかで養殖栽培しているのだろう。
1包み100ルピー(100円弱)。
菩提樹は、白壁の建物で囲われている。
もちろんムーンストーンもあるし、
ガードストーンもある。
今、気付いたのだが、菩提樹堂の中で、菩提樹を見上げ、祈る信者たちの写真が、ない。
これは、菩提樹堂を出た場所の写真。
狭い空間なので写真の撮りようがなかった。
暗い部屋にいる信者、明るい樹木、コントラストが激しくて撮影を断念した。
熱心に祈る彼らの姿に気後れして、シャッターを押せなかった。
多分、3つが重なってのことだろうと思う。
弥次馬なりの良心が働いたということか。
なにしろ、ここは、スリランカの聖地中の聖地。
信者たちは、菩提樹に瞑想する仏陀その人を感得しつつ拝み、祈ります。
元はといえば、インドのブッダガヤで瞑想にふける仏陀を、その木蔭で、悟りを開かせやすくした木、それが菩提樹でした。
その菩提樹の分け木をインドのアショーカ王の王女がスリランカに運び、手渡されたデーワーナンピャ・ティッサ王がここに植樹したというわけ。
紀元前3世紀のことです。
菩提樹になじみがない日本人にはピンと来ないが、スリランカの仏教徒にとって、菩提樹は「生きている聖遺物」。
寺院である条件の一つは、境内に菩提樹があること。
仏塔、仏像も不可欠で、この3要素が揃って、初めて寺院と認められるのです。
弥次馬の私が気後れして写真もろくに撮れないほど熱心に祈る人たちは、スリランカ各地から遠路はるばるやってきた巡礼者たち。
徒歩で、あるいはバスで、人家の軒先で横になり、あるいは野宿し、やっと念願の聖樹とご対面できたのですから、真剣にならざるをえない。
本場インドのブッダガヤの菩提樹は枯れてしまって、その遺伝子を残す樹木はこの菩提樹だけといわれています。
2300年もの古木は、大木をイメージさせるが、実際は、今にもポキンと折れそうなほどの幹の細さ。
スリランカの総ての菩提樹は、この聖樹の子孫だと云われているそうだが、なるほど、とへそ曲がりの私でも納得してしまう話です。
聖なる菩提樹の霊厳は、子授け。
自らの経験を語るガイドさん
「結婚後7年、子供が生まれなかったのに、ここへきてお祈りしたら、子供を授かった」とそのご利益を語ってくれたのは、ガイドさん。
祈りが通じて、願いが達せられたら、ワウ(旗の連なり)を鉄柵に縛って、お礼の報告をするのだとか。
見ていると、次々とワウをしばりつける人が後を絶ちません。
菩提樹の霊厳はあらたか、ということになります。
◇ローハ・パサーダ
スリー・マハー菩提樹を後にして右手にあるのが、ローハ・パサーダ(青銅殿)。
スリランカの遺蹟の呼称は、何通りもあって紛らわしい。
ちなみに「Loha Pasada(ローハ・パサーダ)」はパーリ語、シンハラ語では「Lova maha paya(ローハ マハ パヤ)となり、英語では、Brazen Palaceとなる。
紀元前2世紀にに建てられた僧院跡で、規則的に並んだ石柱が印象的。
残された石柱は、40本40列の1600本。
1600本の石柱が支えていた建物は9階建ての木造建築だったという。
1000もの部屋は、金銀、サンゴ、宝石で飾られ、バルコニーと窓の手すりには銀が嵌め込まれて、およそ僧院には似つかわしくない華美な建物でした。
屋根が青銅で葺かれていたので「青銅宮殿」と呼ばれていたといいます。
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