南寺町通りを顕性寺まで戻って左折すると、前方、道の両側に幟が見えてくる。
右が、お岩稲荷の陽運寺、左がお岩稲荷田宮神社。
ともに「四谷怪談」の主人公お岩の霊を祀っている。
24 日蓮宗・長照山陽運寺(新宿区左門町18)
まずは、手前の陽運寺へ。
「於岩稲荷」の提灯が山門にある。
私が訪れたのは、土曜日の11時頃だったが、若い女性が5、6人別々に参拝しに来ていた。
大分前になるが、以前来た時とは、雰囲気が違うような気がする。
若い女性とお岩との接点が思いつかないから、当惑するばかり。
見ると門前に「縁結び祈願」の朱色の幟がはためいている。
反対側には、青色の「芸道上達祈願」の幟も。
いつからお岩さんは縁結びの神になったのか、不審に思いつつ山門を入る。
と、そこに「お岩さまと縁結び」の説明板が。
「東海道四谷怪談」でおなじみのお岩さん。
この怖いお岩さんが出てくる四谷怪談は実は後世の人が創作した物語なのを知ってますか。(略)江戸時代に実在した「お岩」は家庭をとても大事にした貞淑な妻だったとも伝えられています。このお岩さまを祀る陽運寺は「えんむすび」の寺としても全国に知られています。悪縁を切り、良縁を結ぶお岩さま。
厄除け、縁結び、芸道上達、また新たに出会いを望まれる方も、ぜひ本堂からご参詣ください。当山
どうやら、お岩さんは貞淑な妻だったから、縁結びの神だと云いたいようだ。
貞淑な妻が縁結びの神になるならば、日本全国に何千万、何億の神がいることになる。
しかも唐突に「厄除け、芸道上達」にもご利益があると云うのだから、面喰らってしまう。
様々なご利益をうたう寺社は無数にあるが、そのいずれも、原初の具体的なご利益事例が信仰の核となっている。
この説明の曖昧さは、どこの誰が縁結びをお岩さんに祈願したら、奇跡的にこのように良縁に恵まれたという事例の提示がないことにある。
それともう一つ。
「えんむすび」の寺として全国に知られている、というが、本当か。
少なくとも私は聞いたことがない。
ありもしないことを断定しないでほしい。
境内に入る。
本堂脇に、定番の絵馬とお守りを売っている。
いずれも「開運」するらしい。
叶玉なるものもある。
玉を投げて、無事、水鉢に入れば、なんと「心願成就」すると言う。
そして更に、願えば幸福まで授けてくれるというから、もうお岩様、様。
凄いのは、そんな個人的な願いばかりではないこと。
ここ陽運山は日蓮宗だから、日蓮大菩薩石塔には「天下泰平国家安全」も刻されている。
恋の悩みから「あべのミクス」の成り行きまで、お岩さんが日蓮さんとともに解決してくれるというのだから、恐れ多くもつい、眉にツバをつけたくなってしまう。
それにしても、縁結びだ、厄除けだ、芸道上達だ、全部まとめて心願成就だとそんなに安請け合いしていいのかと余計な心配をしてしまうのだが、寺のHPを見て驚いた。
ものすごい数の願い事を列挙して、みんな叶えてあげますとおっしゃるのです。
数が多くて、転写するのもひと仕事だが、祈願内容以下の如し。
開運厄除・良縁成就・家内安全・身体健全・芸道上達・商売繁盛・就職成就・立身出世・社運栄昌・事業繁栄・合格成就・交通安全・旅行安全・子宝成就・安産成就・発育増進・除災得幸・当病平癒・寿命延命・悪縁解除・心願成就・家祈祷・地鎮祭・上棟式・開眼供養・閉眼供養・方位除け・鬼門除け等
よくぞこれだけ願懸け四文字熟語を思いついたものと、つい「拍手喝采」のこちらも四文字で。
お岩さんの怨みは、亭主の伊右衛門に騙され、虐殺されたこと。
つまり、ウソは嫌いなのです。
もし、これらの祈願がウソだったら、自分の名をかたる嘘つきと寺にたたるはずです。
そうしたことは聞かないから、もしかしたら、願えば何でも叶えられる???
お岩さんの霊力ここに極まれり、誠にもって、恐れ入谷の鬼子母神でございます。
25 於岩稲荷田宮神社(新宿区左門町17)
本家騒動、元祖争いは珍しくないが、お岩さんを巡って、あちらはインチキと、寺と神社が罵り合うのは、何か異種格闘技を見るような感じ。
だが、この異種格闘技、お岩稲荷田宮神社に軍配は上がりそうだ。
なにしろ東京都が、ここにお岩の家、田宮家の稲荷があった事を認め、都の史跡に指定しているのです。
文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北[金井三笑の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政12年(1829)11月27日歿]も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祀ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政10年(1827)10月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した。「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。明治5年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転(中央区新川の於岩稲荷田宮神社)したが、昭和27年再びここに移転したものである。(昭和43年3月1日建設 東京都教育委員会)
別に役所の肩を持つわけではないが、寺側の劣勢はいなめないでしょう。
このお岩稲荷話が、なんとなくすっきりとしないのは、フィクションとノンフィクションが混在しているからでしょう。
まず、お岩さんが実在の女性だったことは確かです。
巣鴨の妙行寺に墓もある。(左門町から近い南元町にあったが、巣鴨に移転)
お岩の墓(西巣鴨の妙行寺)
お岩は、屋敷内に稲荷神社を勧請し、亭主と力を合わせ、田宮家を再興させた。
やっかみ半分、人々は「お岩稲荷」と云うようになる。
と、ここまでは、本当のことらしい。
ところが、お岩さんの死後、約150年後、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』が大当たり、
「お岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」怪談か流布します。
これが史実か創作か、意見が分かれる所。
その頃、「怨みが大きい死者が神になるとその祟りも大きい」は、常識だった。
「お岩稲荷」は祟りがあるぞ、という話は、あっという間に江戸市中に広がった。
フィクションが常識と合体して、「お岩稲荷田宮神社」は誕生しました。
境内に入る。
ここにも若い女性の姿が。
幟が参道両側に立ち並ぶところは、陽運寺と似ているが、こっちの方が地味。
商売っけがないように見受けられる。
玉垣の、日本の一流劇場や作家、役者それに古典芸能演者の名前が、田宮神社の本家感を弥増しているようです。