また、いつもの言い訳から。
伊勢路の石仏巡り3日目は、津市の兄弟地蔵からスタートした。
兄弟地蔵とは、津市の宝樹寺、栄松寺、光明寺の3寺の地蔵のことで、いずれも正和3年(1314)に造立されている。
制作年が分かるものとしては、三重県最古で、当然、県の文化財に指定されている。
下の写真は、光明寺の地蔵だが、写真が暗い。
暗いはずで、フィルター撮影をしていた。
何かの拍子にカメラのモードダイヤルがFilterに合わさっていたようだ。
三地蔵は顔も似ていて、同一石工の作品ではないかと云われている。
それは、写真を3枚並べれば分かるだろうと思っていたが、これでは使用に堪えないので、残念ながら、カットせざるを得ない。
私のカメラは〇〇チョンカメラで、被写体に向けて、私はシャッターを押すだけ。
明るさもシャッタースピードも、すべてカメラ任せ。
撮った写真を確認することもしない。
フィルター撮影をしていることに気が付いたのは、亀山市関宿の観音山三十三観音の撮影を終えた時。
再び観音山に上る体力もないので、撮影済みの100枚ほどは、使用を諦めることに。
観音山の石仏は、丹波の名工村上佐吉が安政年間(1818-1830)に3年の歳月をかけて制作したと云われる逸品。
暗くて見にくい写真を1枚掲載しておきます。
まるで木彫のようなノミ捌きが見事です。
カメラのダイヤルをセットし直し、気分を取り直して、次の目的地へ。
四日市市に近い菰野町竹成にある五百羅漢が最後のポイントです。
大日堂の境内に高さ7mの四角錐の築山を築き、そこに約500基の石仏が安置されている。
五百羅漢は珍しくはないが、それに仏教の諸仏や神道、民間信仰の神々まで含めたバラィテイの多様さは、ここだけのもの。
江戸時代の、コンパクトなテーマパークとでも言うべきだろうか。
五百羅漢の名前は知らなくても、四天王や五智如来、六観音、七福神、十王なら信心深い江戸時代の人たちなら見分けたに違いない。
さしずめクイズの山に入り込んだみたいで、テンションが上がったのではないか。
では、クイズの山へのご案内です。
東側入口から入り、北、西、南へと回る。
どの方面からでも上る小道があるので、最後は頂上へ。
と、書くと仰々しいが、上ると言っても3,4歩、坂道の嫌いな私でも上りを意識せずに済む、その程度の傾斜です。
入口にどーんとおわすのが、
延命地蔵。
二童子を従える地蔵は、珍しい。
その右後方に立っているお方は、ちょっと難しい。
答えは、三蔵法師。
背負っているのは経箱、と聞けば、ははーんと肯く人も多いのでは。
反時計回りに右(北)方向へ進む。
これは、布袋さま。
恵比寿、福禄寿、大黒天とならんで、この辺は七福神ストリート。
南面と東面は、五百羅漢ばかりとなる。
この五百羅漢は、当地の真言僧神瑞が喜捨を求め、幕末の慶応2年(1866)完成した。
嘉永5年(1852)に発願してから、11年の歳月を要したことになる。
石工は、桑名の藤原朝兵一門。
五百羅漢と言うが、実際には、468基。
明治の廃仏稀釈の被害にあったと伝えられるが、真相は不明。
西面の右隅に坐すのは、
天狗。
お釈迦さまのお弟子さんに囲まれる、思いがけない僥倖に天狗も鼻高々だろう。
この辺で、上へ上ってゆく。
これが頂上の風景。
真中に坐すのは、言わずと知れた大日如来。
その周りは、十大弟子と言われているようだが、ちょっとおかしくないか。
中心がお釈迦さまなら分かるが、大日如来を囲む十大弟子なんて変だろう。
このクイズは、正解がない。
個々の名前のついた写真資料がないので、Webサイトを見たりしての、私なりの推測で、間違っている可能性は、非常に高い。
「答えが分からないのに、クイズなんてやるな」という声が聞こえて来そう。
間違っていたら、正答を教えてください。
この弟子は、私でも分かった釈迦の高弟の一人。
阿難でしょう。
頂上より一段下に四天王がにらみをきかせている。
右腕を振り上げているので、
持国天のようだが、振りかざしているのは刀ではなさそうだ。
何なんだろうか。
これも四天王の一つ。
広目天ではないか。(だんだん自信がなくなって、疑問形になる)
毘沙門天は、
これだろうし、増長天は、
これだと思うが、正解だろうか。
出題者が、いつの間にか、回答者になっています。
あるWebサイトでは、下の4体は四夜叉としている。
夜叉なんて聞いたこともない。
あわてて『日本石仏図典』を引っ張り出してみたが、載っていない。
そういう情報もあるよ、ということです。
東南の角に十王がずらり。
中央奥に坐すのは、
言わずと知れた、閻魔大王。
十王とは離れて、地面に坐すのは、
奪衣婆。
彼らにつきものの道具といえば、
人頭杖と
浄波瑠の鏡。
所で、十王の横、奪衣婆の後ろに立つこの精悍な男は何者だろうか。
そして、その隣にもう一人、見知らぬ男がいる。
見知らぬのも当たり前、いろいろ資料から推測するところでは、
この五百羅漢を発願し、喜捨に走り回って、完成させた神瑞和尚その人らしいのです。
そろそろ出口へ。
東面は、羅漢さんばかり。
五百羅漢には、家族、兄弟、親戚、知人、友人の誰かにそっくりな像容があると云われる。
羅漢さん以外の石像を探して、そうし愉しみを捨て去ったのは、ちょっと残念でした。
では、最後に、クイズ3問。
これは、誰?
天照大神。
これは、誰?
弥勒菩薩。
これは、誰?
弘法大師。
かなりディスインテリ風なお顔が気になるが…
お堂には、三重県指定文化財の大日如来木像が2体在すが、堂内に上りはしない。
石造物でなければ、県の指定文化財でも無視するのが、「石仏散歩」を制作するブローガーとしての矜持なのです。
*次の更新日は、8月1日です。