石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

118スリランカの仏教遺跡巡り(6)キャンデイ(仏歯寺)

2016-02-16 06:26:16 | 遺跡巡り

スリランカ旅行5日目。

ダンブッラ岩窟寺院見物を終え、一路、キャンディーへ。

いくつもの峠を越えて、ということは山中なのに家並みが途切れなくなると、そこがスリランカ第2の都市キャンディ。

シンハラ語で「山」は、「カンダ」。

ヨーロッパ人が間違って「キャンディ」と呼んだのが、町名となった。

高台から俯瞰すると、確かに山に囲まれた盆地に街はある。

その山々が天然の要塞になることを見込んで、この地に最後のシンハラ王朝の王都が築かれたのが、16世紀後半。

300年後、イギリス軍に滅ぼされるまで、キャンディは王都であり続けた。

そのキャンディの中核は、なんといっても仏歯寺でしょう。

仏歯寺は、シンハラ王朝の王権を象徴する釈迦の歯を祀る寺。

毎日3回行われるプージャという祈りの儀式を通してみた、仏歯寺と信者たちの、これは私なりのレポートです。

 ◇キャンディ(仏歯寺)

 キャンディのクイーンズホテルを朝4時45分に出る。

拡声器から読経が流れている。

ホテルの目の前が仏歯寺の入口検問所。

街灯の下、5時の開門を待つ信者の列がボワっと浮かび上がっている。

6時から始まるプージャ(仏への礼拝)参列のため国内各地から来た信者たちだ。

男の列が女より長い。

5時きっちり、列が動き出す。

手荷物を調べるわけでもなく、ボディタッチをすることもなく、検問所を通過。

みな、小走りに寺へと向かう。

寺の前には、濠。

寺院と言うより城砦のようだが、仏歯はスリランカ王権のシンボル。

幾度となく外国軍に敗退し、王都を移しつつ、必死に仏歯を守ってきた王家とその軍が仏歯寺の前に濠を築いたとしても、なんら不思議はない。

1000ルピーというバカ高い入場料(スリランカ人はタダ、外国人だけ)を支払い、履物を預けて(これも有料)、濠を渡り、寺の中へ。

左が外国人入場券売り場兼履物預かり所。外国人がいないので、売り場の人も不在で大分またされた。

非仏教徒の祭事場への入場を拒みはしないが、そのかわり高いですよ、とその方針は明確です。

供花のジャスミンの花ビラ100ルピーを買う。

これは余談だが、この日の昼頃、仏歯寺の裏でジャスミンの花を摘む男を見た。

こんな手近な所で仕入れているんだと、意外だったので、パチリ。

次第に大きくなる太鼓の音を耳にしつつ本堂へ。

 本堂1階。入口への通路に覆いかぶさっているのは、象牙。

信者たちは太鼓敲きの奏者に目をやることなく、さっさと二階へと進んでゆく。

実は、前日の夕方、3回目のプージャの時もこの場にいたのだが、その時は外国人観光客が太鼓敲きを取り囲んで、シャッターを押していた。

ところが、今朝は、早朝の為か外国人は一人もいない。

太鼓の男たちも、手持無沙汰の様子。

時おり、銀の食器を担いだ俗人の男が本堂正面の扉へと吸い込まれてゆく。

二階の祭場へと運びこむためのものらしい。

私も長い行列の最後尾に着く。

列は2列あって、右の列の進み方は早い。

しかし、昨夜、流れの行き先が分かったので、動きのある列にはつかない。

早い列は、肝心の仏歯を納めた仏塔が見られる仏歯室の前を通らないのです。

動きが遅い列は、仏歯塔を一目見ようとする列で、そこで一瞬みんな止まるから、のろのろした動きになるのでした。

踊り場にある仏塔は、お釈迦さまが使っていたお皿が納めてあるのだとか。

そして、縦長のガラス容器は、ペラヘラ祭りの際、仏歯を納める入れ物。

信者の多くは、供え物のお米や果物を持参しています。

ぶれてピンボケだが、下はご飯、上は果物だろうか、きちんと包装して大事に捧げ持っている。。

待つこと40分、やっと黄金仏歯塔が見える窓に。

写真を撮ろうとカメラを持ち構えたら、ガードマンに恐ろしい顔でにらまれ、慌ててカメラを放す。

窓に着く。

前の人の頭越しに仏歯塔が遠くに小さく見える。

 堂内に掲げてある仏歯を納めた黄金の仏塔の写真、前の写真の左端に見える。

中から伸びてきた手に、寄進の供物を渡す。

供物はぞんざいに受け取られ、放り投げるように置かれる。

寄進された供物の山で、肝心の仏歯塔が見えないほどだ。

熱心な信者たちは、供物を渡しながらお経を唱え、合掌するから、列はストップしがちだ。

供物を渡し、仏歯塔を拝み、お経を唱えるという信者たちの願望をかなえるには、窓は小さく、通路は狭く、人は多すぎる。

スリランカの最も神聖な場所であるはずなのに、そこを支配しているのは、怒号こそないものの、押し合いへし合いの騒々しい空気。

在家信者は、出家に対して寄進すべき存在であることは承知していても、中から事務的に伸びる無言の手にも、違和感を禁じ得ない。

「ありがとう」の一言があってもいいのではないか、とこれは外部者の私の感想です。

儀礼の手順の概略は以下の通り。

1)ドラマーが演奏を始め、僧が3人舎利安置室に来る。
2)仏歯室のカギを預かる役職者からカギを受け取った僧が聖城の扉を開ける。
3)鐘つき役が儀礼開始のベルを鳴らす。
4)僧は花を捧げて祈り、仏歯へのプージャ(贈呈・寄進)に必要な容器や白布を整える。
5)正午までのプージャは必ず食物が捧げられるが、それはカレーと米飯。野菜を含め、一  
 種ずつ調理して、ごった煮はしない。
6)仏歯が透明な容器にいれて安置された小室は、前面を特殊ガラスで区切られ、その中での僧の振る舞いはカーテンがあって、明らかではない。

一連の儀式は仏陀が実際に食事をとるように進行する。(高野山での空海の食事を欠かさないのと同一儀礼てあることが面白い)

仏陀が健在である限り、スリランカという国は安泰であるというかのように。

 

 

 

 

 


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