シリーズ「文京区の石碑」は、前回の「護国寺の石碑ー2-」で終わる予定でしたが、麒祥院の石碑を忘れてはいけないので、追加しておきます。
春日通りから幅広の参道が伸びている。
品格ある山門が全体の雰囲気を引き締めている。
麟称院の山門をくぐる。
静謐な空気が支配している。
正面の亀趺碑は、「麟称院建立由緒碑」。
「天沢山麟称院」は、三代将軍家光を育て、名君に仕上げた春日の局の菩提寺。
「一介の浪人の妻が縁あって幕府に仕え、功成り名を遂げたのは、天の恩沢の賜であり、幕府の恩恵に浴するところ」と感謝し、恩恵に報いるために自ら建立したのが、「報恩山天沢寺」。
それを「天沢山麟祥院」と改名を命じたのは家光。
「麟祥院」は、彼女の法名「麟祥院仁淵了義尼大姉」を寺号にしたもの。
彼女の墓は、風変わりだ。
台石とその上の無縫塔の四方に穴が開いている。
「死後も黄泉から天下の御政道が見通し得る墓を作ってほしい」と遺言にあったのだそうだ。
◇神田火災死亡者記念碑(麟称院内)
山門をくぐり、左へと参道を行った突き当りに3基の石碑が並んでいるが、その右端のひょろ長い自然石が「神田火災死亡者記念碑」。
その上部に「明治二五年/辰四月十日」と分かち書きしてある。
「明治25年4月10日、午前11時15分、神田猿楽町一番地ヨリ出火、前日来吹キ続ケル西北ノ烈風ニ煽ラレ、忽チニ同区表裏神保町、小川町一番地、錦町一丁目、ソノ他三河町二丁目、日本橋区本石町二丁目等ニ飛火シ、二十五ケ町四千百五十余戸ヲ全焼シテ鎮火ス。死者、二十五人ヲ出ス。」(東京市史稿)
火災の記念碑だが、ローカルな火災記念碑は極めて珍しい。
左隣、中央の石碑は「中華民国留学生發亥地震遭難〇魂碑」。
そして、その隣、左端の石碑は「大正大震災横死者之碑」。
そして、他に「東洋大学発祥之地」碑もある。
裏面に刻されている文面は
「明治二〇年(1887年)九月十六日、
井上円了は民衆に教育の機会を開放し
かつ哲学を中心とする教育を行うことを
目的として、東洋大学の前身である哲学館を
この地に創立した。
昭和六十二年九月十六日
東洋大学創立一〇〇周年記念建立」
年明けとともにスタートした「文京区の石碑」リーズは、今回で終わり。次回からは、「東京都北区の石造物」です。