*このブログのデータ、分析は、すべて、日本石仏協会埼玉支部『金昌寺の石仏』に負うものです。
最終回の今回は、奥の院から食堂まで211基の石仏が対象。
地図で朱線の区間。
奥の院まで来て、気付いたことがある。
首のない石仏は奥の院の手前で終わり、奥の院の上は首がある。
判りにくいので、アップにしておく。
「崖を上るのは面倒だから」と、上の石仏は斬らないでおいた。
廃仏稀釈という思想的行為にしては、中途半端で、いい加減の感じがする。
奥の院に切断した首がある。
他に、首はあと一つくらい、残りの多数はどうしたのだろうか。
奥の院の中央奥に坐すのは、弘法大師さま。
石仏なのに玉眼が入れてある。
前にあるのは、履物だろう。
ご多忙な大師さまがいつでもお出かけになられるように、という配慮だろうか。
曹洞宗の金昌寺に、真言密教の弘法大師がおわす理由について、『金昌寺の石仏』は、曹洞宗になる前は真言密教系修験が関わっていたからではないかと推察している。
下の石仏には「紀刕様奥女中タキ」とある。
他にも「紀刕様奥女中」を刻す石仏は、12基もある。
又、「越前様奥女中」の銘文を有す石仏は、14基。
都市伝説では、これらの石仏は「闇に葬った胎児(中絶)の菩提を供養するもの」として有名です。
しかし、『金昌寺の石仏』は、この伝説を真向から否定している。
「奥女中造立の石仏に、幼児の戒名である『〇〇童子』、『▢▢童女』の銘は1基もない。銘文は『御祈祷』や『先祖菩提』、『二世安楽』などで、中絶した胎児を供養するものではない」というのが、理由。
説得力ある分析で、納得。
奥女中が十数人も不義の子を孕み、中絶の上、その供養塔を「〇〇様奥女中」として名前まで入れて造立するなんてことが、実際ありえないことは、すぐ分かりそうなものなのに、こうした伝説が流布するのは、スキャンダラスな話題に人々が飢えていたからではないか。
いや、飢えているからではないか。
かくいう私も7年前、「秩父札所を歩く」のブログで、この都市伝説をもっともらしく紹介している。
http://fuw-meichu.blogspot.jp/2009/08/blog-post_02.html
反省して取り消します。
金昌寺の石仏には、身分や性別、職業、年齢による差別がないことは、何度も触れて来た。
注文を受けた石工も自由にのびのびとノミを振るっていたかに見える。
しかし、「紀刕様奥女中」や「越前様奥女中」には、石工の無意識の、へりくだった様が読み取れる。
石工への注文書には「紀刕家奥女中」、「越前家奥女中」となっていたはずである。
それを石工は、自分の判断で、「家」を「様」に変えて刻した。
そうした方が問題は起きないだろうと石工は判断したことになる。
「御茶水前田家」とか「阿部豊後守家中」、「薩摩家屋敷家中」とかの銘があるのだから。
御三家だから「紀刕様」はありうるが、では「越前様」はどうなるのか。
私の頭も混乱しているようなので、この問題は、これで終了。
奥の院を過ぎても首のない石仏は続く。
首があるように見えるのは、みんな後で、くっつけたもの。
この斜面一面全部首がない中、一番上の、大きい十一面観音は無傷。
寺の本尊が十一面観音だからか、石仏の優品には十一面観音が多い。
他の石仏の首は斬ったのに、なぜ、十一面観音は斬らなかったのか。
優品だったから斬るに忍びない?
いやいや、大きくて、斬るのに手間がかかるからやめたのでしょう。
突然ですが、ここで、クイズを一つ。
下の写真の石仏は何?
錫杖を持っているから地蔵のようではあるが、坊主頭ではない。
クイズなら正解があるが、この場合は、ない。
あるとしたら「分からない」が正解か。
『金昌寺の石仏』で「尊像名不詳」の石仏は、みなこの類。
儀軌にない、独創的な石仏が結構ある。
普通、施主の要望通りに石工は、石仏を造る。
「適当にみつくろって」とは、云わないだろう。
仮にそう発注されても、地蔵とか観音とか、無難な線で折り合いをつけるに違いない。
銘はあるから、施主の要望はあったわけで、だとすると「地蔵のようで地蔵ではなく、観音のようで観音ではなく」というような、指示があったことになる。
こうした面妖で不思議な石仏を探して、ネーミングする、そうした楽しみ方が金昌寺にはあることになる。
上の写真は「越前様奥女中」と刻された尊名不詳石仏。
前面には「先祖菩提」とある。
金昌寺の石仏の大半は、追善供養塔だから、「為両親菩提」とか「為一切精霊菩提」、「「為先祖代々一切精霊」など「菩提」の入った銘が圧倒的に多い。
少数派としては、下のように「為二世安楽也」とか、
「病気平癒祈念」などもある。
その種類270。
重複している銘があるわけだから、1172基の内、270基も異なった銘文があるというのは、意外な感じがする。
「日本人は横並び文化」、他人と同じようにすれば安心という心理は、どこへ行ったのか。
少数派の実例をいくつか紹介しておこう。
「子年男祈祷」
「三界万霊六親眷属七世父母」
「所願成就」
「武運長久」
「家内子孫繁昌也」
「天下泰平・国家安全」
≪参考図書≫
◇日本石仏協会埼玉支部『金昌寺の石仏』平成19年8月