石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

53 ペットを葬り、供養する

2013-04-16 05:34:16 | 墓標

 石仏を探して、寺の墓地を歩き回っていると、時々、片隅に小さな墓標を見かけることがある。

  

    新宿区の某寺                  港区の某寺

 ペット霊園などがない頃、寺に頼みこんで作った犬猫の墓であることが多い。

犬猫と一緒なんてとんでもない、という人がいるだろうから、遠慮気味なのも当然かなと思っていたら、墓地の一角にペット専用の墓域を設けた寺にぶつかり、驚いた。

新宿区にある日蓮宗寺院の参道の片側は、、ペット用のロッカー式納骨堂が占めている。

面白いのは、それぞれのロッカーの蓋に、飼主のペットに対する思いが書き込まれていること。

どれも、心からの哀惜の念に満ちている。

 

飼主である人間の墓には、そうした言葉はどこにも見られない。

訣れの言葉を墓に書き込む習慣がないから当たり前だが、そうした習慣があったらどうだろうか。

世間の目を気にした、ありきたりの、空疎なことばの羅列になりそうな気がする。

 

キリスト教では、動物は、人間に利用されるべき存在だと規定する。

動物供養塔などはない。

あれば、偶像崇拝だと批判の対象となりかねない。

一方、仏教では「山川草木悉皆成仏」という言葉があるように、動物の霊魂も人間のそれと同じものとして供養の対象となる。

大楽寺(大田区)の石碑には「太古以来鳥獣虫魚樹木草一切之霊」と刻されている。

     大楽寺(大田区)

鉱物以外なんでもありのようだが、 筆塚や扇子塚、針塚などもあって、供養の対象が生き物とは限らない所が面白い。

  

筆塚 信光寺(北杜市)  扇塚 浅草寺(台東区)   針供養塔 浅草寺(台東区)

「鳥獣虫魚樹木草一切」をもう少し幅を狭めてみよう。

数でいえば、馬頭観音が他を圧倒している。

 

   香林寺(川越市)           常安寺(高崎市)           

覚願寺(世田谷区)に「牛馬の墓」があるが、これなどは例外的珍品に属するのではないか。

 牛馬之墓 覚願寺(世田谷区)

普通は「犬猫の墓」か「動物供養塔」。

  

 不動院(市川市)     福寿院(足立区)    真光院(江戸川区)   

「生類霊供養塔」や「畜霊供養塔」もよく見かける。

 

生類霊供養塔 恵徳寺(高崎市) 畜霊供養塔 遊行寺(藤沢市)

「鳥獣供養碑」とか「禽獣慰霊碑」と「獣」がつく石碑は、郊外の山地に多いようだ。

 

鳥獣慰霊塔 百体観音(本庄市) 畜獣慰霊塔 常福寺(青梅市)

個別の供養塔、慰霊塔となるときりがない。

ほんの一例を示しておく。

いずれも設立理由を知りたいのだが、そこまで調べていない。

すみません。

 

 鳥供養塚 西蔵院(台東区)           狸獣墓 誓願寺(荒川区)

 

 鳩塚 大雪寺(江戸川区)         蜜蜂供養塔 飯山観音(厚木市)

 

 乳牛供養塔 大悲願寺(あきるの市)     象供養 護国寺(文京区) 

 

うなぎ供養塔 妙行寺(豊島区)  魚鱗甲貝供養塔 遊行寺(藤沢市)

『どうぶつのお墓をなぜつくるのか』によれば、供養碑のある動物は46種類。

犬、猫、狐、狼、牛、馬、猪、豚、鹿、龍、鼠、狸、像、鯨、海豚、海馬、ラッコ、オットセイ、蛇、蛙、亀、スッポン、鴨、鵜、鳥、雀、鶴、白鳥、鶯、水鶏、蚕、虫、蝉、魚、鮭、鰻、河豚、鰹、鮟鱇、鮪、蟹、海老。

人間の生命や生活がいかに多くの動物たちの犠牲の上になりたっているか、改めて認識させられる。

「山川草木悉皆成仏」だから、植物の供養塔もある。

 

 花供養塔 福昌寺(渋谷区)       草木供養塔 泉龍寺(狛江市)

本筋の動物供養に話を戻そう。

供養の動機には、食用、あるいは使役の犠牲となった動物への贖罪の念が大きい。

もう一つ大きな動機がある。

哀惜の念。

個々の供養塔の数からすれば、この動機によるものが圧倒的に多い。

ペット供養は、哀惜の念によるものだからである。

しかもその数は増えるばかりだ。

少子化が叫ばれて久しいが、反比例して伸びているのが、ペットの数。

2003年には、犬猫の数が15歳未満の子供の数を初めて上回った。

犬猫1922万4000頭に対して子供の数1922万3000人。

5年後の2008年には、その差はさらに広がって、犬猫2683万頭に対し、子供の数1850万人となった。

子供の代わりにペットを飼い、子供のように慈しんで育てることになる。

家の中で飼うようになり、寝るのも一緒。

「ペットは家族の一員」だから、その死は家族の死に等しい。

犬猫の死体は、現行法では、ごみ(廃棄物)扱い。

ペットの死体処理には、4つの方法がある。

①自宅の庭に埋める
②ごみとして行政に処理してもらう
③民間業者に火葬を依頼し、遺骨を自宅で保存する。
④業者に火葬を依頼し、ペット霊園に埋葬する

埋めたくても庭がない。

しかし、家族の一員だからゴミとして出すのは忍びない。

だから必然的に④が増える。

不況下の日本にあって、ペット火葬、霊園業界は、10年前に比べ5倍も膨張する急成長産業として注目されるようになる。

そして、ペットの家族化、パートナー化は、この業界に新たな変化をもたらし始めた。

それは、人とペットの共葬墓ブーム。

「私たちと同じ墓にペットも埋葬したい」と希望する人が60%近くもいることが、2006年に行った意識調査で明らかになった。

そういえば、この1,2年、石仏を探して墓地を回っているとペットの石像がある墓に出会うようになった。

 

      K院(久喜市)                     F院(市川市)                      

 

 

     F院(市川市)               E寺(さいたま市)

 共葬墓ブームと書いたが、旧来の墓地ではその数はまだまだ少ない。

しかし、ネットで検索するとペット共葬墓は何カ所もヒットする。

全部、新しい墓地で、特に首都圏に多いようだ。

一般の霊園の一角に共葬墓区画を設ける時には、霊園の最奥に配置するなど、動物嫌いの人たちに配慮した設計になっているという。

こうした新規企画の墓地を手掛けるのは、宗教とは無関係の業者が多い。

では、なぜ、寺は指をくわえてそれを見過ごしているのか。

どうやら税金と関係があるようなのだ。

墓地の一角のペット霊園に対する課税の是非を巡る裁判で、動物供養は宗教行為ではないから課税は妥当との判決が出た。

宗教施設として非課税に慣れている寺院関係者はショックを隠しきれない。

『寺門興隆』という住職向け雑誌では、その判決の不当性を訴える特集が何度も組まれている。

民間業者と同じ事業をしながら、寺だから税制優遇を受けるのは不公平というのが、税務署の判断。

これに対して、そもそも動物供養と云う寺の宗教行為を業者がまねをして事業を始めたのであって、その事業と同じだから宗教法人本来の用ではないと決めつけるのは論理的に矛盾していると寺側は反論している。

急成長拡大ペット火葬、霊園業のおいしいところを民間業者に横取りされて、寺院側も黙ってはいられないだろう。

どのような対抗措置をとって出るのか、勝負の成り行きが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 


52 聖観音庚申塔(東京都23区内編)

2013-04-01 05:44:48 | 庚申塔

庚申塔といえば、誰もが、青面金剛の刻像を思うだろう。

  庚申堂(藤沢市)の青面金剛庚申塔(元禄年間)

あるいは、「庚申」と刻された文字碑か。

  不動院(足立区)の庚申文字碑(文化年間)

両者には、像と文字という違いがあるのですが、それは、流行した時代の違いでもあるのです。

青面金剛像塔は、天和から天明の(1681-1789)、元禄、享保を含む「庚申塔最盛期時代」のものであり、文字塔はそれ以降の「庚申塔末期」のものとされています。

ついでに書き加えれば、庚申塔の第1期は「板碑時代」で、中世の室町から安土桃山時代造立のものを指します。

江戸時代に入って、元和ー延宝年間(1615-1681)の「初期時代」、あるいは「混乱時代」が庚申塔時代区分の第2期ということになります。

何が混乱していたかというと、主尊。

青面金剛に主尊が定着する前は、阿弥陀や大日、薬師などの如来、地蔵や観音、勢至などの菩薩、不動や倶梨伽羅などの明王、弁財天、閻魔の天部など、多種多様な主尊庚申塔が造立されていました。

庚申待ち行事は、仏教行事というよりは、民間信仰の色彩が濃く、準拠すべき仏教経典が希薄だったために想像(創造)力が羽ばたいたからかもしれません。

今回は、庚申塔時代区分第2期の「混乱時代」から聖観音を主尊とする像塔を抽出して羅列します。

区域は、東京都23区内。

なぜ、東京23区内の聖観音庚申塔なのか。

理由は特にありません。

ブログ1回分の分量として、適量かなと思うから。

総数24基。

その8割は写真フアイルにあるので、新たに撮影しなくても済む、というのも理由の一つです。

1、西方寺 (杉並区梅里1-4)

下は、4年前、石仏めぐりを始めた頃の写真。

石幢は、本堂に向かって左にポツンと立っていた。

その頃、石幢という名称を知っていたかどうか。

六観音や庚申塔すらあやしい初心者だった。 

 

    六観音石幢 (承応2年・1653)   六観音のうちの聖観音面

六観音石幢の聖観音の面の下に「此一躰者庚申供養」と刻してあるのだが、初心者の私は、像は撮ったが、文字はとっていない。

右下に「此」だけが辛うじて読みとれます。

2、蜜蔵院(大田区田園調布南2-4)

蜜蔵院は、東急多摩川線沼部駅から徒歩3分。

石段を上がって右に石仏が点在しています。

前面中央が、聖観音立像庚申塔。

 

  聖観音庚申塔(寛文3年・1663)

ややうつむき加減のおしとやか美人。

沼部村の八人が寛文3年(1663)に建立したもの。

3、観音寺(足立区綾瀬4-9)

寺は、常磐線綾瀬駅すく傍。

この界隈の五兵衛新田を開発した金子五兵衛の菩提寺として開基された。

墓地入り口に石仏が3基おわす。

中央の聖観音立像は庚申塔。

    聖観音庚申塔(寛文4年・1664)

足立区有形文化財に指定されている。

4、天桂寺(杉並区成田東4-17)

 杉並の地名の元となった杉並木を植えた領主岡部家の墓が並んでいる。

          岡部家の墓

山門を入った右側に3基の石仏立像。

右の2基は地蔵だが、左は観音さまで「奉供養庚申待」と刻してある。

丸彫りの観音庚申は珍しい。

   杉並区最古の観音石仏

設立年月日は、寛文4年(1664)7月。

杉並区で最も古い観音石仏と云われています。

5、福聚院(文京区小石川3-2)

寺は伝通院のまん前。

境内は、経営する幼稚園のグランドになっている。

入り口のすぐ左手に2基の石仏が立っていらっしゃる。

両方とも崩れ方が激しい。

特に左の石仏は三猿が足元に見えるので、庚申塔であることは分かるが、顔は石がめくれて、判別不可能。

 観音庚申塔(寛文5年・1665)

観音庚申塔に分類するのは、資料にそう書いてあるからです。

顔だけでなく、文字も判読不能で、寛文5年の造立年も資料の丸写し。

こうしたもはや原形をとどめない石仏も「観音庚申塔」として組み入れるべきか、一考を要します。

6、観音寺(新宿区西早稲田1-7)

 早稲田大学の隣の超モダンな寺院。

早稲田大学の敷地は観音寺の境内だったと聞いたことがある。

本当だろうか。

参道?右側に石仏群が並んでいる。

建物だけでは寺院と分からない人も、この石仏群でここが寺だと分かることになる。

一番奥の観音さまが庚申塔。

 

三猿はないが、「奉待庚申供養」とはっきりと文字が読める。

造立年は、寛文7年(1667)。

7、根岸小学校(台東区根岸3-9)

今、庚申塔は寺社にある場合が多いが、もともとは路傍にあった。

度重なる開発で、行き場を失って寺社に集められたのです。

根岸小学校の敷地にある3基も元々は別の場所にあったものが、ここに移転させられた。

路傍だから、昔の雰囲気を保っている。

掃除と供花を毎日欠かさないようで、いつ見てもきれいで、感心してしまう。 

今回の趣旨の聖観音庚申塔は、向かって左端。

造立は、寛文8年(1668)。

ついでに他の2基にも触れておこう。

 

真ん中のピラミッド型三猿は、元禄16年(1703)。

右端の板碑型三猿は、寛文9年(1669)建立です。

8、自性院(江戸川区東葛西2)

寺の名前はどうして同じ名前が多いのだろうか。

わずか24基の観音庚申塔のありかに観音寺が2、観音堂1、自性院が2寺もあるのです。

2寺のうちの一つ、江戸川区東葛西の自性院の庚申観音は 、山門脇にあります。

 

寛文8年(1668)造立の江戸川区有形文化財。

刻文は「奉待庚申結衆三尸教祈願成就二世安楽所」と読めます。

9、大日堂(文京区小日向2)

大日坂を上って行くと右手にあるのが、大日堂。

狭い境内の塀に沿って3基の石仏が立っている。

中央が目的の庚申観音。

寛文8年(1668)の銘がある。

10、鳳林寺(杉並区高円寺南2)

 観音庚申塔を探すが見当たらない。

見当たらないわけで、無縁塔の最上段に墓標と並んでひっそりとおわした。

「奉庚申供養南無大悲観世音菩薩」。

「寛文九年(1669)己酉十月十二日」造立。

11、待乳山聖天(台東区浅草7)

「待乳山聖天」という名前が、わけもなく好きだ。

 本尊が歓喜天だというのも、いい。

歓喜天は秘仏。

一度見てみたいと思っているが、チャンスがない。

石段を上ると右手に寺が見えるが、その手前に7基の石仏が並んでいる。

7基のうち5基が庚申塔。

聖観音庚申塔は、左から3番目です。

寛文12年(1672)造立だが、顔は擦り切れて、のっぺりとしている。

12、素盞雄神社(荒川区南千住6)

 江戸時代までは、牛頭天王と呼ばれていた。

明治初年の神仏分離で素盞雄神社と改名した。

松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発したのは、この場所。

「千じゅと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」(『奥の細道』

          句碑

この時芭蕉が詠んだ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑が境内にある。

庚申塔は、3基。

     荒川区有形文化財指定の庚申塔群

中央が聖観音庚申塔で、寛文13年(1673)造立。

傍らの説明板によれば「庚申講と念仏講の両方の文字が刻まれているので、庚申信仰と阿弥陀信仰の習合が見られる」とのこと。

左端の庚申塔の主尊は、聖観音ではなく、如意輪観音(延宝6年・1678)。

「月待信仰の勢至菩薩の種子が刻まれているので、庚申信仰と月待信仰が習合したもの」と荒川区教育委員会では双方とも区の有形文化財に指定しています。

13、大塚公園(文京区大塚4)

公園前のバス停でバスを下りるとそこがもう公園。

歩いて30秒もしないうちに、木々の茂みの下の石仏群に出会う。

大ぶりの4基の庚申塔の右には、丸彫り地蔵がゆったりと座していらっしゃる。

庚申塔4基は、左から聖観音、大日如来、地蔵と主尊が異なっている。

傍らの解説板を載せておくので、読んでほしい。

 14、地蔵山墓地(荒川区西尾久2)

 都電荒川線宮の前駅そば。

墓地に入って左手の奥に庚申塔がある。

            地蔵山墓地

写真では、イチョウの木に隠れて見えない。

5の福聚院の観音庚申と同じように、ここの石仏も崩れ方が激しい。

 

見るだけで痛々しい。

右肩の上の「延宝六戊午年」が読めるだけ。

像容を推し量ることはとても不可能で、聖観音庚申塔として載せるのは、資料にそう記載されているからです。

15 慈眼寺・澤蔵司稲荷(文京区小石川1)

都心とは思えない静謐が、林の中にある。

            慈眼院

澤蔵司なる聞き慣れない人名とその謂れについては、境内の説明を見て戴きたい。

聖観音庚申塔は、他の石仏に交じって所在なさげに佇んでいる。

顔だけは少し崩れているが、像容も文字もはっきりした佳品。

天和3年(1683)の年銘がある。

そろそろ青面金剛庚申塔時代へと移ってゆく過渡期と言っていい。

16、子育て地蔵堂(墨田区東向島3)

 これでもかとばかりの、朱色の氾濫である。

      子育て地蔵堂

地蔵堂に入るのが、恥ずかしくなるそんな色の使い方だ。

狭い境内に肩を並べて石仏がおわす。

入り口から2番目が聖観音庚申塔。

朝の掃除が終わったばかりのようで、観音さまにかけた水が乾いていない。

「奉供養庚申」「貞享三寅年」と刻してある。

17、福性寺(北区堀船3)

エキゾチックな本堂の前に墓地。

その墓地の入り口に聖観音庚申塔はおわすのだが、窮屈で写真もちゃんと撮れない。

まん前に地蔵立像、横に六地蔵石幢があって、窮屈なことこの上ない。

造立は元禄元年(1688)です。

 18、路傍(板橋区成増4-1)

資料には、成増3-3十字路の角とある。

      成増3-3の十字路

3-3を2度ぐるりと回ってみるが、それらしき石仏は見当たらない。

変貌著しい東京のことだから、こんなことは珍しくない。

あきらめて次の目的地に歩いていたら、覆い屋根のある石仏に出会った。

「板橋区指定文化財 庚申塔 通称成丘地蔵」と記されている。

刻文は「奉待庚申供養二世安楽」、「干時元禄四年辛未十一月廿日」だから、資料の庚申塔と同じ。

いつのまにか、この地に移されたものと見える。

「通称成丘地蔵」と書いてある。

間違っていることは明らかだが、指摘するのは無意味だろう。

観音様でもお不動様でも、石仏ならば、みんなお地蔵さんと呼ぶのは普通のことだから。

19、久保家墓地(板橋区成増4-31)

久保さんと云う家の墓地。

墓地に入るとすぐ左に庚申観音がおわす。

 

台石に三猿が見える。

元禄5年(1692)造立だから、この頃には三猿が普通になって来たのだろう。

施主として8人の名前が刻まれているが、そのうち4人は久保姓。

名主とその一族なのだろうか。

墓誌は、延宝年間から平成まで、340年間の家族史を語って、横に長い。

20、自性院(北区神谷3)

8の江戸川区の自性院に続いて、今度は北区の自性院。

この寺は、石仏愛好家には見逃せない寺だろう。

環七に面していながら、静かで、石仏が多い。

道路から寺に入るとすぐ左に6基の庚申塔。

青面金剛像塔2基、如意輪観音1基、聖観音1基、地蔵1基、文字碑1基とバラェティに富んでいる。

今回目的とする聖観音主尊庚申塔は、日月、三猿つき、元禄8年(1695)建立のもの。

            聖観音庚申塔

こうして聖観音庚申塔をずらずら並べると、どこにでもある、ありきたりの石仏のように受け止められる可能性がある。

しかし、東京23区でたった25基、文京区5基、板橋、杉並、足立が3基と複数基ある区もあるのだから、当然1基もない区も多い。

偶然に見かけたら、宝くじに当たったくらい珍しいことだと思った方がいいのです。

21,円能院(大田区山王1)

大田区の大森から池上にかけては日蓮宗寺院が多い。

日蓮宗の寺には石仏は期待できないから、つい足が遠のいてしまう。

円能寺は真言宗寺院だが、大森駅に近いので、敬遠区域にあって、行ったことがなかった。

当然、保存フオルダに「円能寺」のフアイルはない。

行って来た。

だが、これと確定する庚申塔は見つけられなかった。

資料には、丸彫聖観音とある。

無縁塔に丸彫聖観音立像が3体あるが、このうちのどれかだろうか。

  

庚申塔にしては3体とも大きめのように思える。

もしかしたら墓地の中にあるのかもしれない。

もう一度、足を運んでみるつもりでいる。

22、薬師寺(足立区綾瀬1)

山門前に文字庚申塔。

 

「三尸之毒虫」と刻されている珍しい庚申塔だと説明にある。

薬師寺のフアイルはあるのだが、肝心の聖観音庚申塔の写真がない。

探しに行ってみた。

あった。

 

無縁塔の上段に、墓標とは違った扱いでおわした。

元禄13年(1700)造立のものである。

 

 

23、炎天寺(足立区6月3)

炎天寺という寺号がいい。

参道には石仏が列を成して並んでいる。

その石仏群の奥に観音庚申がおわすが、年銘は文政4年(1821)。

観音を主尊とする庚申塔は、第2期(元和-延宝)の混乱時代に流行ったとする定義から外れている。

庚申塔時代区分の定義者である石川博司氏は、「熱烈な観音信者の造立か、かつてあった観音主尊庚申塔の再現」ではないかと見ている。

 隣の馬頭観音は覆屋の中に安置されている。

馬持ちが愛馬のために奮発したのだろうか。

 

 

24、根津神社(文京区根津1)

 根津神社には面白い庚申塔の組み合わせがある。

石幢のようだが、六体の庚申塔の表面を繋ぎ合わせた

もので、もちろん、一石六面体ではない。

聖観音庚申塔を皮切りに、6基の庚申塔を順繰りに紹介してゆこう。

①聖観音  庚申供養 講中十二名 造立年不明

②青面金剛 日月、鬼、鶏 元禄五壬甲(1692) 施主二十六名 

③青面金剛 日月、猿 延宝八庚申(1680) 願主一名

④梵字 庚申供養 寛永九年壬甲(1632)施主七名

⑤青面金剛 日月、鬼、猿 駒込千駄木町施主十名 宝永録巳丑(1709)

⑥青面金剛 猿、鶏 寛文八戌申(1668) 駒込村 施主十五名

 

以上、東京都23区内聖観音庚申塔を羅列してきた。

振り返って、この作業が面白かったかと云うと首をかしげざるを得ない。

他人がまとめた資料に基づいて、写真を羅列しただけで、私が新たに見出した物は皆無だから、面白くないのは当然か。

一番の問題は、東京都23区内の観音庚申塔一覧を作って、「だから何だ?」と問われること。

東京23区は分かった、では、埼玉県は?千葉県は?となると、どこかでキブアプせざるをえなくなる。

皆悉調査は不可能と分かっているから、少しでも網羅的なことを始めると途端に欲求不満に陥ってしまうことになるのです。

でも、多分、このスタイルでのテーマ設定は続けてゆくことになるだろう。

簡単に問題が設定できるから。

例えば

「聖観音庚申塔(埼玉県編)」

「大日如来庚申塔(東京23区編)」etc

 

参考(というよりは、丸写しの資料)

○石川博司「観音主尊の庚申塔ー東京都を中心に隣接県の場合ー」(『日本の石仏』no95・2009年秋号)

○HP「庚申塔物語」http://hoko.s101.xrea.com/koshinto/etc06.html