石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

118スリランカの仏教遺跡巡り(3)ポロンナルワ(eガル・ヴィハーラ)

2016-02-01 07:17:01 | 遺跡巡り

池の土手を猿を見ながら進む。

次の「ガル・ヴイハーラ」は磨崖仏。

観光客の列は、土手を下りてゆく。

「岩崖なんだから山へ入って行くんではないの?」と訝りながらついて行くと、そこにガル・ヴィハーラはあった。

◇ガル・ヴイハーラ(岩の・僧院)

近くから見る磨崖仏は、重々しく威厳に満ちている。

しかし、遠目からだとそうは見えない。

威厳をなくしてるのは、スチール屋根。

軽くて強いスチールの利便性が、宗教的雰囲気をぶち壊している。

まるで物置き場所のようだ。

同じ覆い屋根でも、木造だったらこうは軽薄な雰囲気にはならなかっただろう。

と、書きながら、今、気付いたのだが、仏像群に「厳かさ」を求めるのは、日本人の私であって、スリランカ人はそんなものは無頓着なのではなかろうか。

 

磨崖仏を目の当たりにすると、臼杵の磨崖仏と無意識に比較してしまうのは、日本人だから、仕様がない。

製作時期も12世紀頃とほぼ同じ。

保存状態は、こっち(スリランカ)のほうがはるかにいい。

寒くないから、岩の水分が凍って割れることがなかったからか。

一番の違いは、龕に入っているかどうか。

龕に収まっている臼杵の磨崖仏は、暗く、陰湿で、重々しい。

一方、ガル・ヴィハーラは、明るく開放的で、人間の悩みなど吹き飛んでしまいそう。

ただし、昔は、それぞれの磨崖仏ごとにレンガの部屋で囲われていたというから、開放的ではなかったようだ。

ガル・ヴィハーラの磨崖仏は、4体。

左から、座像、龕に入った座像、立像、涅槃像。

では、左から順に紹介してゆこう。

一番左の座像は、高さ4.6m。

磨崖仏とはいえ、ほとんど丸彫りに近い。

右足を上にして胡坐を組む勇猛座。

右手を上にして重ねるこのポーズは、瞑想の禅定印。

スリランカのブッダ像の大半は、この禅定印ポーズです。

顔は、鼻が長いのが、特徴。

スリランカのお釈迦さまには、螺髪と白毫がない。

ちなみに臼杵磨崖仏唯一の釈迦如来像の顔は、これです。

お釈迦さまのお顔にも、国民性が現れるのが面白い。

この座像磨崖仏の見どころは、後塀のレリーフ。

小堂には仏がいて、なぜかインド神話の怪魚マカラも見られます。

 

左から2番目の龕の中の座像は、金網で囲われ、正面にはすりガラスがあって、横から金網越しに見るしかありません。

身体と腕の間の隙間などどうして彫ったものやら、中々の彫技で、スリランカ石仏の最高傑作という声も。

顔が、他の3体とはまるで違うので、この像だけ別な石工の作品ではないかとみられています。

仏陀の両側には、払子(ほっす)を持つ菩薩、その上に右はブラーマ、左はヴィシュヌのヒンズーの神々、さらに頭上に4臂のこれまた菩薩がいらっしゃいます。

菩薩とヒンズーの神との同居は、この頃からあるんですね。

天井からは天蓋が下がるなど手の込んだ細工装飾が素晴らしい。

仏陀像は全身金箔で覆われていたが、盗掘者たちが足下で木を燃やして、金を溶かして持ち去ったと云われています。

鉄格子越しに中を覗き込んでいたら、右壁に赤茶色の模様があるのに気付いた。

格子にカメラを入れて、あてずっぽうで撮ったのが、下の写真。

何だろうと思っていたら、『セイロンの仏都 講談社』に壁画とあった。

「仏堂内の側壁、その入口に近いすみに、驚くべき壁画の断片を見出した。仏への供養者たちの姿で、特に、右手の親指と中指で、枝のついた小さな実をつまみ、左手の上に巻貝をのせた、聖人の姿は、セイロン第一の傑作である」と指摘している。

『セイロンの仏都』には、壁画の線描があるので、転載しておく。

 『セイロンの仏都 講談社』より無断借用

≪続く≫

 


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