石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

114 山梨市の丸石道祖神(八幡地区ー1)

2015-11-01 05:49:02 | 民俗

2015年11月のテーマは「山梨市の丸石道祖神」。1日からは、八幡地区を5回に分けて、16日からは、山梨、日川、日下部、後屋敷、加納岩を各地区ごとに分けて掲載します。

2015年10月初旬、連日の、日本人ノーベル賞受賞で国中が沸いた。

「微生物のお蔭です」と受賞者の一人が云えば、「宇宙の謎解きは面白い。わくわくします」ともう一人が云う。

確かに宇宙には謎が満ちていそうだ。

そこへ行くと、人間の営みの所産である石造物には、謎は少ないように思える。

宇宙に比べ謎は圧倒的に少ないが、それでも謎の石造物はある。

たとえば、山梨県特有の丸石神。

集落の辻々に、台座の上にごろんと丸い石が座している。

県民はこの丸石を道祖神として崇めているが、本宮もなく、神主も不在、宗旨は一切不明と云う謎だらけの御神体なのです。

「謎めいた」という形容詞は「美人」にかかると、言葉がとたんに生き生きする。

美人でなくても謎めいたものは面白い。

ならば、丸石神巡りをするしかない。

早速、山梨県に行くことにする。

闇雲に県内を歩き回っても仕方ないので、県立博物館の学芸員に電話、丸石神マップのある市町村があるか尋ねた。

推薦されたのは、山梨市。

市の刊行物『山梨市の石造物』に簡単なマップと丸石神全部の所在地が記載してあるので、車載ナビで回るには 恰好な携行資料だろうというのが、推薦理由だった。

山梨市は、甲府市の東に位置して、人口3万5000人。

甲州ワインの産地として有名です。

丸石神分布の最も濃密な地帯でもあるとこれは学芸員の言葉。

早速、山梨市の丸石神巡りに入りたいが、その前に一つお断り。

現山梨市は、平成の大合併で、平成17年、東山梨郡牧丘町と三富村を吸収したが、推薦資料『山梨市の石造物』は合併以前の刊行物なので、この地域は含まれていません。

対象地域は、日川、加納岩、後屋敷、日下部、岩手、八幡、山梨の7地域。

いずれも昭和29年(1954)に合併して山梨市(旧)となる前の7町村です。

まずは、八幡地区へ。

八幡地区は、7地域の中で最も面積が広く、西へ行くほど山がちになり、山梨市で最も「田舎度」が高いと思われる地域。

「田舎度」が高いということは、昔からの習俗、風習が今も息づいている可能性が高いということで、丸石神巡りには最適地だということになります。

☐山梨市八幡地区

▼南1387番地路傍

写真右前方の家の裏道で住民と思われる女性に訪ねた。

「この近くに丸石神はありませんか」。

40年近く住んでいるという彼女の答えは「知らない」。

実は、50mも離れていないこの場所に、丸石神はあった。

無関心にも程があるとあきれたが、私の質問の仕方がまずかった。

長野県で男女の双体像が道祖神であるように、山梨県では丸石が道祖神であるのは常識。

他の形態の道祖神を知らない県民は、丸石神とは云わず、道祖神と呼ぶのが普通なのでした。

道祖神は、昔からサヘノカミ、どうろく神などと呼ばれ、旅行安全、防災、縁結び、子供の神様として、集落の辻や境界に祀られてきました。

だから丸石神もそうした場所に多く見られます。

▼南209番地路傍

 

 左の家の日陰の中にあって、わかりにくい。

県道にかかる橋の横にある。

本来はこの北50mにあったのを移転してきたという。

≪続く≫

◇参考図書 

〇『山梨市史 民俗編』平成17年

〇市史編纂委『山梨市の石造物』平成13年

〇中沢厚『山梨県の道祖神』昭和48年

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
対尾編参考になりました (二本木)
2024-05-04 17:47:08
はじめまして。山梨の丸石に興味があり、情報収集の際に大変役立ちました。ありがとうございました。

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