石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

79 番外編!縁切り榎の絵馬にみる人生模様

2014-05-17 05:53:28 | 民間信仰

板橋の名所の一つが、縁切り榎。

男女の仲を縁切る願懸けを行う場所として、有名です。

願懸けの人々は祠に手を合わせるのですが、実際の効用は祠に祈るのではなく、榎の木の皮を煎じて飲むことにありました。

江戸時代の板橋ガイドブックには、こう書いてあります。

此榎の皮をそぎとりもらひて家に持ち帰り、水より煎じその者にしらさず飲むしむれバ、男女の縁を切り、夫婦の中自然に飽て離別に及ぶこと神のごとくなり」『游暦雑記』

板橋の木皮の能は医書に漏れ

榎の木皮を煎じて飲めば、縁切りに効用はあるけれど、医書にはそんなことは書いてないよ、とこれは、川柳子の皮肉。

江戸時代の縁切り榎は、その一部が石に埋められて保存されています。

木皮をそぎ取りたくても、これでは不可能。

ならば境内にある榎で我慢するしかない。

3本ある榎の幹、どれも皮を削った跡があります。

「なんとしても、あいつと別れたい」その執念が鋭い刃跡に現れています。

 

縁切り榎は、旧中山道に面しています。

縁切り榎が世に喧伝されたのは、皇女和宮降嫁の大行列迂回事件がきっかけでした。

    行列の再現(大垣市)

嫁入り行列が縁切り榎の前を通るなんて縁起でもないと、ここだけ中山道を通らなかったのです。

そんなに効くのならと訪れる女たちは増えるばかり。

しかし、誰にでも願いが叶ったわけではありません。

ダメだったら、どうするか。

榎で取れぬ去り状を松で取り

「松」とは、縁切り寺として有名な、鎌倉松ケ岡東慶寺のこと。

           東慶寺(鎌倉市)

東慶寺に逃げ込んで、離縁状をものにしたのです。

もちろん「板橋で別れ鎌倉まで行かず」に済んだ運のいい女もいました。

現代なら、さしずめ「板橋で別れ家裁まで行かず」というところでしょうか。

 

狭い境内には、願い事を書いた絵馬がぎっしり。

その数およそ1000枚ほど。

2,3年前からの比較的新しいものばかりです。

たまたま立ち寄って絵馬を見たら、これが面白い。

古典的な男女間のもつれから、いじめやリストラなど現代的な悩みまで、さまざまな人生模様がそこにはありました。

極めて個人的な事柄なので、プラバシーを損なわない様に配慮しながら、絵馬の内容を紹介してゆきましょう。

石仏が出てこない、ブログ「石仏散歩」の番外編です。

 

縁切り榎だから絵馬の内容は、離婚願望がスタンダード。

夫INとの離婚が成立し
 縁が切れますように IM

離婚の願いに付け加える一言に共通点がある。

夫との離婚が成立し
  貧乏生活とも縁が切れますように S美

DVやギャンブル、女、と別れたい原因はさまざまなれど、貧乏は、一番、我慢ならないようだ。

この人は、とにかく離婚を急いでいるらしい。

早く、MIとの離婚が出来ますように。
 早く、縁を切ってほしいです。
 早く、別れられますように MR

同じ言葉を積み重ねると、書き手の気持ちが強調される、そんな文章の典型例か。

夫婦の離婚よりも多いのは、未婚の男女や不倫関係の縁切り願望。

ごたごたした挙句の縁切り榎詣でだから、ほとんどが相手を呼び捨て。

EKさんとの縁が切れますように MA」と、さん付けは例外的存在。

縁切りと言っても、ただ切れればいい、というものではないようです。

Tとの悪縁が静かに切れますように

Yとの縁が完全に切れますように

完全な別れとは「二度と会うことなく、
顔も声もメールも一切関わることない」状態。

しかし、静かで完全な別れは難しい。

未練が残るから。

TS(女)に対するKK(男)の執着、
 未練、思いの一切を切ってください

執着や未練が断ち切れなければ、心配事は増えるばかり。

とりわけストーカーが怖い。

彼女と上手く別れられますように。
 ストーカーされたり、自分の知られたくないことを
 知人にバラす事だけはしないで

男女どちらかが既婚者だと不倫になる。

まず、夫の愛人に別れてくれるよう願う妻の声から。

夫(M男)が浮気相手(S子)と
 早く別れて自宅に帰ってきますように

旦那の浮気相手のOY
 一人で子育てをすると言ったんだから
 別れてくれ

 「一人で子育てをする」決意で、不倫の既婚者の子供を産んだ。

子どもの養育と仕事の両立は、想像以上に難しい。

ついつい父親である不倫相手に助けを求める。

そのことが男の妻は、気に入らない。

「なによ、一人で子供を育てるって言ったじゃないの。
 いつまでも、まつわりつかないでよ」。

榎を薦で囲ってあるのは、和宮下向の際出された、不浄なものは隠すように
との触書が順守されて、今に残っているもの。

夫が愛人と縁切りするのを祈る妻がいれば、愛する彼が妻と離婚するのを切望する女性もいます。

YHがYEと一日でも早く離婚しますように」。

そして必ず次の一言が添えられている。

離婚後YHが私と結婚しますように」。

現代は高齢化社会。

老人だって恋をするし、不倫もする。

SYさん、KMと1日も早く別れて、
 子供とお孫さんのもとへ帰ってください。
  今度こそは妻子のいない良い方と
 ご縁がありますように祈っています

お孫さんのもとへ、に時代か現れている。

それにしても、夫の不倫相手の今後の良縁を祈るなどと心優しい、いい(?)人ですが、これは稀有、大半は罵詈雑言の嵐なのです。

H夫とY子が直ぐにでも離婚しますように。
 Y子が地獄に堕ち、苦しみ、不幸になりますように

IKに不幸を与えてください。
 バイク事故をおこせ。
 ヘルニア再発しろ。
 奥さんの病気悪くなれ

 バイク事故をおこせ、と書きながら、彼の背中にぴったり寄り添っての、かつての  タンデムツアーのワンシーンが、彼女の脳裏をよぎったに違いない。

思い出が楽しければ楽しいほど、怒りは倍増するようだ。

そして、決定打。

AMとIR子に天誅が下りますように

こうした男女間の愛のもつれは、双方に責任があると思うのだが、女性たちはそうは思わない。

男がダメ男だったのが原因だと考えているようなのです。

過去に付き合ったどうしようもない男たちと縁が切れますように

昔のクズ男たちと縁が切れるように

これまでの自分勝手な男たちのような男性に二度と出会わない様に

不誠実な男との出会いの悪縁を切ってください

変な男、ダメな男、危ない男、悪い男との縁が切れますようにおねがいします

5人目の女性は、そうしたダメ男か寄ってくるのは、自分にも原因があると気づいています。

そのような男を惹きよせてしまう私の雰囲気やそういう男に惹かれてしまう私の心と縁がキレイに切れますように

ダメ男との絶縁を希望するのは、同時にそれが貧乏生活との別れをもたらすと思うからです。

FO雄との縁が切れますように。 
 そして貧乏神との縁も切れますように

女性たちにとって、ダメ男と貧乏神は不即不離の関係にあるのです。

 縁切り榎の効用の基本は、男女関係の縁切りですが、人間関係全般にも応用が利くようで、職場の人間関係の悩みが多く寄せられています。

特に多いのが、パワハラ上司との縁切り。

 「クソ上司と縁が切れますように

自分本位の上司Yと1日も早く縁を切りたいです。
 皆一生懸命残業しているのに、うまくいかないと罵声をあびせる。
 仕事でもプライベートでも金輪際関わりたくないです。」 

会社名と職場、上司の氏名を明示して、上司の異動を切望する絵馬が何枚もある。

課員や部員の名前が連名で書かれている。

多いのはなんと16人。

絵馬に書くということは、神に願うことだが、同時に、誰かがそれを読むことを承知の上の行為でもある。

つまり覚悟の上の集団的行為なのです。

面白いのは、そろって「嫌なあいつは、異動していなくなれ」と書いてあること。

自分がさっさと異動して、別の職場に移るという発想はないらしい。

「正しいのは私で、悪いのはあいつ。正しい私が異動しなければならないなんて、おかしい」。

多分、そう思っているからでしょう。

上司によるセクハラもあれば、上司との恋愛沙汰もある。

「○○は移動して、いなくなれ」と云う裏には、ドロドロした不倫ドラマがあるのです。

校長MMが◇◇小からいなくなり、私との縁が切れますように」の女教師のケースは、その典型例でしょう。

校長との縁を切りたい女教師がいれば、教師と別れたい女子大生もいます。

M先生と縁を切り、これからの大学生活で良縁にであえますように

先生との腐れ縁を切って、勉学に励むのではないようだ。

大学は、彼女にとって、婚活の場なのです。

上司に話を戻すと、異動を願ったら実現したという報告がある。

上司NSは、クビになりました。ありがとうございました」。

そして、さらに一行。

できれば、店長もいなくなって欲しいのです。」

「呪いハラスメント」とでも呼ぶべきか。

まさに「逆ハラ」現象です。

こうしたお礼の絵馬は、少ないけれど、散見できます。

HKと離婚できました。ありがとうございました

IS(女)との交わりで始まった
 苦悩、悲しみ、損、不快と
 一切の縁が切れました。
 金銭を要求されない縁切りができました。
 ありがとうございました

中には神への願いを撤回する者もいます。

MSとの縁切りを、以前、お願いしましたが、
 取り下げさせていただきます。
 末永く仲良く暮らせるようお見守りください

元の鞘におさまって、ふと、絵馬の文句が気になった。

「まずい」と思って、駆けつけ、縁切りの取り下げを申し出たという次第。

縁切りどころか仲直りをさせてしまって、神としては立つ瀬がない。

その上、「仲良く暮せるよう見守る」ことを求められて、どうしていいかわからず、神は途方にくれるばかりです。

 

「縁切り」はもともと男女の仲を切る意でした。

その切るべき縁は、どんどん広がって、絵馬でよく見かけるのが「過去の自分からの縁切り」。

かつて相思相愛だった二人が憎しみ罵り合うようになったのは、相手がダメ男、バカ女だからでもあるが、自分のダメな部分にも原因があるから。

そうした過去の自分から脱皮して新しい自分にならなければ、未来はない、

そう思う人のなんと多い事か。

想像以上に、まじめな人が多いのに驚いてしまいます。

では、どんな自分から縁を切りたいのか。

意志が弱い」
「気が小さい」
「人の顔色ばかり気にする」
「怠惰な」
「重箱をつつくような性格の」
「ものに執着して捨てられない」
「臆病な」
「若さを才能と錯覚していた」
 「嫉妬、執着心に満ちた」
「マイナス思考、余裕のなさ、心配性の」

 神に祈れば、自己変革ができるのならば、こんな結構なことはない。

しかし、絵馬に書くことで、自分の弱点を再確認出来るのだから、祈ることも全く無意味というわけではなさそうだ。

「過去の自分」に並んで、縁切りしたいもう一つは「病気」。

しかし、病気の種類を挙げても、面白みに欠けるので、これはパス。

今、流行りの「ブラック企業」なる文字も絵馬に見える。

おやっと注視するのだが、よりいい職場を求める気持ちが、今の会社をブラック企業と言わせているだけで、具体的にひどい労働条件を列挙してはいない。

具体性に欠けるのは、「いじめ」も同じ。

新学期になったら、嫌なあいつと別なクラスにならせて」。

何故,嫌なのか、内容がないので、「いじめ」だとは思うがはっきりしない。

言葉は、時代とともに変化してゆく。

「縁切り」の使い方もどんどん変わってゆく。

こんな斬新例がある。

不合格と縁が切れ、合格に恵まれますように

大学入試不合格と縁を切りたい

合格祈願に来て、「不合格」と書くのが面白い。

二重否定だから、肯定の「合格祈願」になるが、どこかおかしい。

縁切り榎だから、「縁切り」は使わなければならないと思い込んでいるからだろうか。

 

 縁切り榎絵馬傑作選

○○会社と縁が切れますように。
  社長の陰毛みたいな毛が
  ヒワイなのでハゲますように。

 社長の愛人だった女性社員の絵馬。怒っても泣いても、ユーモア精神を忘れないのが、すばらしい。

ジャニーズのコンサートの落選と縁が切れますように。

 ドロドロした男女の世界の只中で、無垢な乙女の輝きが。

夫が女装趣味からきっぱり縁がきれますように
 

 どんな女装なのか写真があると神さまも分かりいいのに。

ADとY子の縁談が破談になるよう縁切りをお願いします。
 結婚まで行かずに早く別れますように。縁切りしますように。
 別れますように。結婚しませんように。別れますように。
 うまくいきませんように。別れますように。別れますように。
 子供など産まれませんように。縁切りお願いします。 

  スペースのない札にびっしりと書き込んである。Y子の母親らしい。娘が好きな 男を母親は気に入らない。別れと縁切りを畳みかけるように重ねて、訴求力十分。

KRとの縁を切ってください。
 KRが私たちの前からいなくなります様に
 おねがいします。おねがいします。おねがいします。KM

  夫との縁切りを願う妻の絵馬。おねがいしますの3連発に切実感がにじむ。

パチスロという悪いギャンブルから縁を切りたいです。
 そして夫婦喧嘩のない生活になりたいと願います。
  最後に金運のなさから断ち切ってください。

 ギャンブル依存症を神は救えるか、救えないか、賭けてみたい。

ボッタクリと縁が切れますように。
 歌舞伎町は噂通り危険な街だった。静岡市M

 これは、また異色な絵馬。静岡から来た男は、危険だと噂に聞いていた歌舞伎町の店で、ボッタクられた。噂通り危険な街であることを確認して、ホッとしているようでもある。

3月のはじめ、夫OYとOU子の間を切って下さるようお願いにきたOM子です。まだ0U子から夫のもとにメールが届いています。それに加えK子という女も現れました。どうかお願いです。夫と二人の女の関係を断ち切ってください。いつもくよくよ考え、悲しんだりする私の気持ちが、早くはれるようにお力を貸してください。

夫の女関係の縁切りを頼んだのに、新しい女まで現れた。これは一大事と板橋まで駆けつけて、細かい字でぎっしりと願い事をしたためた。一人でもダメだったのだから、二人となると神様も大変だろうなあ。

甘いお菓子と過食と浪費から
 縁を切らせてください。

 同感!同じ願文を書くつもりでいたら先客がいた。「脂肪からの縁切り」を願う絵馬は、もうありふれた存在なのです。

 

縁切り榎の効力は、神に祈ることではなく、榎の木皮を煎じて飲むことにあった。

それは承知していても、祠があるとつい祠のなかの神に祈ってしまうのは、人情というものだろう。

境内社がどんな神なのか、調べてみた。

祀られているのは、第六天。

「第六天は、仏教では仏道をさまたげる魔王とされる。第六天を祭祀対象とする信仰は、その魔力による願望達成を期待して成立するもの」と『日本石仏図典』にはある。

縁切りを願って手を合わせても、筋違いではない神ということになる。

科学の進歩はめざましい。

人間を取り巻く環境は激変するにちがいない。

しかし、どんな時代になろうとも、縁切り榎の参詣者が絶えることは「絶対に」ありえないと確信をもって断言できる。

男女の仲を、科学は介入できないからです。


78 東武東上線沿線の倶利伽羅l龍王

2014-05-01 05:34:18 | 石仏

カ行とラ行を組み合わせたオノマトペは、軽快感がある。

カラコロ、キラキラ、コロコロ・・・

クリカラも耳で聞く分には軽いが、文字を見ると中々の重量感だ。

「倶利伽羅」。

それに、龍王がついて、「倶利伽羅龍王」。

その威圧感は並大抵ではない。

倶利伽羅龍王というと、私は、目白不動の金乗院(豊島区高田)境内にある倶利伽羅龍王を、思い浮かべます。

人の肩くらいの高さか、剣に巻き付いた龍の姿が、実に堂々としている。

龍の顔が人間くさい。

足元の三猿の表情が、いたずらっぽいのもいい。

三猿ということは、この倶利伽羅龍王は、庚申塔の主尊だということになります。

それもまた極めて珍しいことで、石仏愛好家が撮影に夢中になるのも無理からぬことです。

野仏ブームの火付け役、若杉慧氏の『石仏のこころ』に、この倶利伽羅庚申塔のページがあります。

すこし長くなりますが、引用しておきます。

如来が本来のすかだで現れ給うを自性輪身(じしょうりんしん)、菩薩のすがたをとって救いくださるを正法輪身(しょうぼうりんしん)、またどうしても仏法に従わないのみか反抗したり悪口をいったりする極悪の輩を教化するため憤怒の相をとって臨まれるのを教令輪身(きょうりょうりんしん)と呼ばれている。輪には高大なる容貌という意味がある。
何々明王と名のつくものはすべてどの如来かの教令輪身なのであるが、その中でも不動明王は大日如来の教令輪身として、密教ではこれを本尊としているお寺も少なくない。民間においてもひろく尊信され、お不動さんの名で呼ばれ、そのお堂もあちこちに建てられている。
不動明王の持つ利剣だけを独立した尊体とし、これに黒龍が絡まってまさに剣を呑まんとする状(ありさま)を示したものを倶利伽羅不動または倶利伽羅龍王と呼ぶ。クリカラは梵語で黒龍の意味だそうだ」。

「極悪の輩に憤怒相」は「北風と太陽」の北風に相当する。

仏教本来の教義か、インド民俗信仰からのものか、いずれにせよ、分かりいいが、効果のほどは疑問符がつく。

 

話し変わって、私の住まいは、東京・板橋。

20代の通学、通勤の足は、東武東上線でした。

都営地下鉄三田線の開通で、東上線を利用する回数は減ったものの、地元の電車のイメージは強い。

だから「東上線」の文字を見ると、つい目が留まってしまう。

先日、目にしたのが「埼玉県を走る東武東上線に沿って倶利伽羅龍王を訪ねる」。

『日本の石仏』という季刊誌の目次を目で追っている時のことです。

著者は、さいたま市の長島誠さん。

富士見市から東松山市まで、東上線沿いに8基の倶利伽羅龍王の紹介記事。

記事を片手に、早速、行って来ました。

以下は、その探訪記。

参考記事があるのに「探訪」とは大げさだが、長島氏の紹介記事は、住所がなくて、町名どまり。

行き着くのに何度も人に訊いて一苦労したので、これは「探訪」記なのです。

①栗谷津公園(富士見市針ヶ谷1-4)

結構な広さの公園なのに、地図には記載されていない。

農地が残っている住宅地の中に、公園はある。

谷津とは、アイヌ語で低湿地帯のこと。

公園はすり鉢状の窪地で中央に池。

池の水は、西側の崖下から湧き出ています。

湧き出る水は、水底がくっきりと見えるほど透明ですがすがしい。

湧出源の脇に覆い屋があり、中に倶利伽羅龍王がおわします。

飛び石伝いに覆い屋へ。

注連縄がはられ、倶利伽羅龍王の足元には供花が見えます。

今でも信仰が続いている証でしょう。

石柱の上半分に剣を呑みこむ龍王、下に「倶利伽羅不動明王」の文字。

地域の世話人6人によって、嘉永元年(1848)、造立されました。

倶利伽羅龍王の横に、由来を記す石碑が立っている。

この泉は、近隣農家の飲み水として欠かすことのできない水源であり、また、下流の水田数町歩にわたる田作り用水として利用されておりました。
不動明王の石塔は、利剣に龍が四つの掌を絡ませて巻き付き、剣先を呑まんとするその背後には火焔が燃え上がった状態が倶利伽羅不動明王の象徴である。
これは昔、不動明王が外道と論争した時、智火剣に変身し、あるいは更に倶利伽羅大龍に変身し、敵を威圧して屈服せしめた。また、竜王に祈れば、雨を降らせ病気を治す、このような教理を祈願し、日願主、各組世話人の六人により嘉永元戌申六月、この石塔が建立された。(以下略)」

 

 ②跡見女子大下の中野バス停脇(新座市中野1-5-8)

東上線朝霞台駅でJR武蔵野線に乗り換える。

午前9時過ぎ。

車内は若い女性でいっぱい。

隣の新座駅で降りたら、彼女たちもぞろぞろ降りる。

跡見女子大の学生たちで、ここ新座駅前から出ている大学バスに乗るためです。。

私の目的地は、跡見女子大のすぐ下。

バスに乗れれば便利なのだが、そうはいかない。

と、書くとバスに乗りたいみたいだが、こんな女くさいバスは、こっちが願い下げにしたい。

川越街道を、川越方向に歩き出す。

丁度、2時限の始まる前あたりで、満員の大学バスが次々と追い抜いてゆく。

20分ほど歩いただろうか、中野バス停が見えてきた。

バス停の左脇の狭い道を下りると川にぶつかる。

橋を渡って左へ50mほど。

湧水が出ているが、地面から突き出たパイプから水が出るばかりで、情緒に欠けること夥しい。

パイプの上に目を転じると、去年の秋の落ち葉の茶色の中に石仏が数体見える。

左から、不動明王、衿羯羅童子、倶利伽羅龍王。

衿羯羅童子の相棒、制叱迦童子は不動明王の左、離れた場所にあり、フレームに入っていない。

龍王は小ぶりながら味がある。

顔全面が髭に覆われている。

バックの木の葉模様は、火焔だろうか。

宝暦10年(1760)造立と刻されています。

 

③仙波河岸史跡公園(川越市仙波町4-21-2)

写真は、新河岸川。

この川の左に仙波河岸史跡公園がある。

新河岸川から荒川経由江戸への舟運は、川越地方からのメインの物流手段でした。

        地図は、「川越の観光と地域情報WEBカワゴエール」より借用                

川越がある武蔵野台地は、坂道が多く、荷馬車による運搬には難儀が伴ったといわれています。

その解決のためには、新河岸川のできるだけ上流に物流拠点としての河岸が必要でした。

同時に船が通行できる運河の開削も不可欠でした。

運河と河岸の両方が完成したのが、明治10年(1880)、それからほぼ半世紀、昭和2年(1927)まで流通の集積地として、仙波河岸は機能してきました。

        写真は、「カワゴエール」より借用

仙波河岸は、川越の町からもっとも近い河岸でした。

その仙波河岸史跡公園へ。

どうやら道を間違ったようで、行き止まりに。

右手にウッドデッキの通路があるので、進んでゆく。

左手に池のように湿地帯が広がっていて、どうやらこのウッドデッキは自然観察のための通路らしい。

通路が終わるとそこが、仙波の滝。

現状からは想像できませんが、水量豊かな滝が流れ落ち、その滝口に仙波河岸がありました。

倶利伽羅龍王は、河岸の最奥の崖下におわします。(白い立て看板の横奥)

火焔の形に切り込まれた石塔に、やや細見の龍が剣に巻きついています。

剣の下に「志多町鈴木権左◇◇」、左下に「六軒町 志き町◇中、十二人」と彫られている。

近寄って見る龍の顔には、疲れがにじんでいるように私には見える。

龍にもストレスがあるようだ。

 

④薬師堂(川越市豊田本570)

「車で行かれる方は、川越水上公園を目指して行かれると良い」とガイドにはある。

問題は、水上公園から薬師堂への道順なのだが、それは書いてない。

ものすごく不親切なのだ。

お寺の人ならご存知かもしれないと淡い期待を抱いて、通りがかりの善長寺を訪ねる。

これが正解だった。

 住職夫人の書いてくれた地図通りに行くと薬師堂にぶつかった。

お堂以外の建物はなく、ポツンとわびしげな佇まい。

肝心の倶利伽羅龍王は、石灯籠の傍におわす。

これまでの3か所全てが水辺だったが、ここには水気はない。

倶利伽羅龍王は「水神」だから、水気のない場所での造立は考えにくい。

昔は、川か池が、近くにあったのだろう。

アップにしてみると龍の耳や指は、極めて人間くさい。

顔も、どこかで見た、誰かの顔のようでもある。

倶利伽羅龍王の背後から見た景色。

建立された宝永年間、見渡す限りの水田だったはずの景色には、ビルが建って、視界が遮られている。

 

⑤白髭神社(川越市吉田96-7)

道路から白髭神社を拝む。

反対を向くと「吉田白髭緑地」と書いた標識がある。

その傍らの階段を降りると湧水が出ていて、その湧水の守護神のように倶利伽羅龍王がおわす。

太くどっしりとした胴体が像に安定感を与えている。

造立は宝暦9年(1759)、一つ前の薬師堂の石像より1年前に造られたことになります。

龍が見る風景は、すばらしい。

湧水が流れ下る水路はきちんと整備され、春の草花が色鮮やかに咲き乱れている。

その先には肥沃な水田が広がって、まるで平和で豊かな春を絵に描いたような風景なのだ。

 

⑥青蓮寺(東松山市正代852)

 寺の駐車場に車を止めながら、既視感をぬぐいきれない。

参道を歩いてても、一度来たことがあるような気がしてしようがない。

青蓮寺の墓地は、山門前にある。

倶利伽羅龍王は、墓地の南はずれ、石段を下りたところに祠があり、その中に佇んでいる。

横には、湧水が出ていて、それを貯める小さなため池がある。

シチュエーションは、白髭神社に似ているが、景色はこっちの方が一段落ちるようだ。

龍王の像容は、どれも似通っているように思える。

石塔を切り込んで火焔を表現するのは、仙波河岸史跡公園のものと同じ。

狭い地域だから、石工と時代が違っても、ついつい真似てしまうのかもしれない。

撮影を終えて、寺を離れたらうどん屋の看板が目に入った。

そういえば、この店でうどんを食べた。

客がいなくてガランとしていたな、と思い出した。

やはり青蓮寺には来たことがあったのです。

帰宅してフアイルをチェックしたら、倶利伽羅龍王もちゃんと撮ってあった。

その倶利伽羅龍王を見ても記憶が甦らないというのは、最悪ではないか。

個人的資質なのか老化なのか、いずれにせよ、なさけなくって涙がでる。

 

⑦東松山スイミングスクール(東松山市上野本1955-1)隣の不動沼

 ここの倶利伽羅龍王の撮影には行かなかった。

長島氏の記事の写真を見て、一度、訪れたことがあると思い出したからです。

同じ東松山市でも青蓮寺のは忘れて、不動沼のは記憶している。

不思議なことだが、思い当たる原因は一つ。

不動沼の倶利伽羅龍王は、迫力ある造形で脳裏に焼き付いていたからです。

道路に面してスイミングスクールがある。

スイミングスクールの左は不動沼。

スクールと沼の間を進んでゆくと右手に祠がある。

祠の中に丸彫りの倶利伽羅龍王。

丸彫り龍王は珍しい。

私は初めて見た。

これまでの6体の龍王とは、顔容が異なるのが最大特徴か。

所々に色が残っていて、元は全身が彩色されていたことが判る。

身体に張り付く朱色は火焔だろう。

右肩に押さえつけているのは、宝珠か。

おどろおどろしい像容は一度見たら忘れられない。

不動沼は、水田灌漑のためのため池。

旱魃を恐れる農民たちによって水神として、倶利伽羅龍王が祀られたようだ。

東松山市教育委員会の解説版があるので、転載しておく。

倶利伽羅不動尊
 躍動する胴体をもつ黒龍が利剣にからみ、剣先から飲み込もうとしています。その左かたには鋭い爪を持った龍の手が、宝珠をわしづかみにしています。これが倶利伽羅不動尊であります。
倶利伽羅とは、インドの伝承で頭に半月を戴く、黒褐色の龍王であるといわれます。
倶利伽羅不動尊は、滝口や清水の湧出する水辺などに祀られることから、水神として造像されるものが多く、他に不動信仰に基づいたものがある。」

この解説版は「倶利伽羅不動尊」。

「倶利伽羅龍王」と「倶利伽羅不動尊」は異なるものと思われるが、その差異をよく理解できる説明が見つけられなかった。

だから、同じものとして、扱うことにします。

 

⑧蟹山不動尊集会所(滑川町羽尾191)

 羽尾を流れる市野川には、橋が6つもある。

ガイドには、羽下橋袂とあるが、持参の地図に橋の名前は載っていない。

地元の人でも、普段、渡る橋の名前は知らない人が多い。

何人かに訊いてやっとたどり着く。

蟹山不動尊集会所の場所は、市野川に面したお寺か、お堂の跡地のようだった。

集会所の横と背後には、多数の石造物が立っている。

倶利伽羅龍王はその中の一つで、目立つ存在ではない。

長い髭は、今回回った8体で初めての像容。

品のあるイケ面で、指はスパナ状であることが特徴か。

「明治九丙子八月吉日」と刻されている。

集会所裏の小高い盛土の上に「御嶽蔵王大権現」の石碑。

スロープには、御嶽蔵王大権現の脇神である三笠山刀利天宮やその創始者普寛行者や覚明行者の文字塔が乱雑に立っている。

 

     三笠山刀利天宮         普覚大行者

かつてこの地域には、熱心な御嶽講があったことを偲ばせるのだが、表通りからはそうした石造物があることは一切分からない。

まるで恥ずかしいものを隠すかのような感じがそこにはある。

 

倶利伽羅龍王は、水神だから川や池、沼、湧水、滝などの傍に祀られる。

今回回った東上線沿線は、特にそうした水のある風景が多い地域ではないが、倶利伽羅龍王だけでなく、弁財天、宇賀神、水天宮など水に関係が深い神仏が数多く祀られています。

私の写真フアイルには、「富士見市の弁財天」として10基の弁財天があります。

いずれも水に面していて、今回も付録として載せるつもりでしたが、記事の容量を超えるため止めました。

 

≪参考図書≫

○長島誠「埼玉県を走る東武東上線に沿って倶利伽羅龍王を訪ねる」『日本の石仏』NO1422012年夏号