石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

35 亀趺(きふ)

2012-07-12 08:50:54 | 石碑

「亀趺」は「きふ」と読む。

語意は、「〔名〕かめの形に刻んだ碑の台石。転じて、碑の異称。」(日本国語大辞典)

古来、中国では、亀は万年の寿齢を保つ霊獣とされてきた。

石で亀の形を作り、その背に碑を載せることで、その碑が永遠に後世に残ることを念じて建てられるのが、亀趺。

多くの場合、行状碑(特定の人物の業績を記した碑)として用いられますが、墓標として使用されることもあります。

 

初めて亀趺を見たのは、墨田区向島の弘福寺でした。

石仏めぐりの手段として、都内の寺を順繰りに訪ねている途中のことでした。

亀趺の何たるかも知らず、「へえ、変わったお墓だなあ」と思った覚えがあります。

 池田冠山の墓                  池田冠山の行状碑

因幡若桜(いなばわかさ)藩主であり、儒学者でもある池田冠山の墓と行状碑、二つとも亀趺であるのが珍しい。

写真を整理していて、亀趺という言葉をこの時初めて知りました。

不思議なもので、間を置かずして、次の亀趺に出会うことになります。

春日通りから少し引っ込んだ所にある麟祥院は、都会の喧騒とは無縁な森閑としたしじまの中にあります。

     麟祥院(文京区)

春日通りは春日局に因んだ名前ですが、麟祥院はその春日局の菩提寺です。

山門を入ると左前方に寺の顕彰碑があり、台石が亀趺となっています。

                    麟祥院の亀趺

造立は、宝暦8年(1758)。

肝心の顕彰の中身は?と問われると困ってしまう。

刻字が読みにくいというのは弁解で、刻文が読みとれないのです。

弘福寺の亀趺も同じこと。

誠になさけない。

石造物と接していると、いつもこの「読めない」問題に直面します。

造立した江戸の人たちも、後世の日本人がこんなに読解力に欠けるなんて思いもしなかったに違いない。

話しを元に戻そう。

上野の寛永寺にも亀趺が1基ある。

1基ある、と書いたが、本音を云えば、1基しかない、と書きたいのです。

というのは、亀趺は中国生まれですが、その建立は貴族階級以上にしか認められませんでした。

このシステムは、そのまま日本にも持ち込まれました。

亀趺が流行ったのは江戸時代からですが、江戸時代は身分社会が花盛り。

当然徳川将軍家の墓地に亀趺が群れをなしていてもおかしくありません。

ところが、寛永寺にはたった1基、それも徳川家とは無縁な僧侶の顕彰碑としての亀趺があるだけです。

  了翁禅師塔碑(寛永寺)

増上寺には亀趺はありません。

では、徳川家は亀趺と無縁かというとそんなことはない。

水戸徳川家の墓地には、いくつも亀趺がみられるのです。

 

現在、東京には亀趺はわずかしかありません。

おそらく10基未満でしょう。

なぜ、こんなに少ないのか、不思議でなりません。

亀趺を見れば、故人のステータスが分かる。

そんな正統的シンボル装置が何故流行しなかったのか、亀趺を見るたびにいつも疑問に思うのです。

以下は、たまたま出会った東京とその近郊の亀趺の写真です。

  品川寺(品川区)の亀趺

 品川寺の近くの東海寺大山墓地には、開山沢庵和尚を顕彰する亀趺があります。

 

 東海寺大山墓地の沢庵和尚顕彰碑

 

   浅草寺(台東区)の亀趺

浅草寺の亀趺碑にはびっしりと3面に文字が刻んであります。

浅草寺の金石文を解説する『浅草寺のいしぶみ』によれば、四季を詠んだ狂歌36首だとか。

大垣市人を撰者として、文化14年(1817)に建立されたものですが、顕彰碑や行状碑ではない歌を刻んだ亀趺は極めて珍しい(らしい)。

さいたま市では、個人の墓に亀趺が使用されている。

  長伝寺(さいたま市中央区)の亀趺の墓標

 亀の下に、松竹梅、その下に邪鬼。

どういう意味が込められているのだろうか。

墓ではないが、供養塔の亀趺が秩父にあります。

秩父観音霊場の4番札所金昌寺は石仏の寺として有名。

 4番札所金昌寺(秩父市)

石仏の数1200基とか1300基とか。

中に1基、お地蔵さんが亀趺の上に座しています。

               金昌寺の亀趺供養塔

 亀の背中の石柱には「三界万霊 六親眷族 七世父母」の文字。

先祖の追善供養塔であることは明らかです。

 

 良く見ると亀の顔がおかしい。

亀というよりは龍の顔に似ています。

平瀬氏の「日本の亀趺」というHPによれば、中国では亀首だけなのに、朝鮮では亀首と獣首があって、日本は朝鮮の影響で2種類の首があるのだそうです。

ここまでの7基の亀趺を振り返ってみても、亀と龍と両方があることが分かります。

中央線武蔵境駅南口前の観音禅寺には平成12年の新しい亀趺が2基建っています。

 観音禅寺(武蔵野市)の亀趺

寺伝碑ですが、碑に比べて亀の大きさが目立ちます。

頭は獣首、なぜ亀首ではないのかお寺に訊いてみたい気がします。

平成12年造立の観音禅寺が最も新しい亀趺ではないかと思っていたら、もっと新しい亀趺がありました。

飯能市の智観寺。

先祖供養を兼ねた鐘楼改修記念碑が平成16年の建立です。

  智観寺(飯能市)の亀趺

智観寺には開基者中山氏の次男信吉の顕彰碑が収蔵庫に保管されているが、その顕彰碑は木製で亀趺座に立っているという。

収蔵庫の中の亀趺に因んで、中国に発注して製作したのがこの石造亀趺らしい。

 

川越の喜多院にも亀趺がある。

場所は、川越藩主松平大和守歴代藩主の廟所の入り口。

 石碑のない喜多院(川越市)の亀趺

亀趺であることは確かだが、上にあるべき石碑がないので、碑文が不明です。

喜多院の社務所に問い合わせしたが、分からないという返事。

ご存知の方、教えてください。

 

このブログ作成中、江戸東京博物館へ「発掘された日本列島2012」を観に行った。

入り口への長いアプローチの右側に亀趺に乗った徳川家康像があることに初めて気づきました。

     江戸東京博物館(墨田区)の徳川家康像

とても大きな亀です。

これまで何度も見かけたはずなのに、気付かなかったのは、亀趺に興味がなかったからでしょう。

関心を持っていれば、こうして容易に発見できるのだから、都内だけでも10指を越える亀趺があるのではないかと推測するのです。

 

このブログを書いて9カ月、池上本門寺にも亀趺があることを知りました。

教えてくれたのは、昔の勤め先での若い同僚夫婦の友人女性。

大田区のボランティア観光ガイドでもある彼女の案内で、本門寺を回ってきました。

       本門寺(大田区池上1)

石仏巡りをしていると、日蓮宗と真宗寺院は避けることが多くなります。

境内に見るべき石仏がないのが普通だからです。

だから、本門寺を中心とする池上界隈には寺院は多いのですが、行ったことはありません。

本門寺へも1度行ったきりで、その時も墓地に入ることはなかったので、亀趺があることに気付きませんでした。

石仏に興味を持つ以前のことですから、亀趺を知っているはずもなく、見たとしても記憶に残っている訳がありません。

本門寺の墓地は広い境内に分散しています。

だから亀趺もあちこちにあるのですが、とりわけ宝塔のそばの絵師・狩野派の墓域に多く見られます。

  

面白いのは、極端にデザイン化した亀趺があること。

 

これが亀だとピンと来る人は、少ないのではないでしょうか。

施主の希望なのか、石工のアイデアなのか、それとも経費が安いからか、こうした亀趺が出来た経緯を知りたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


34 ん?庚申塔

2012-07-01 15:37:01 | 庚申塔

このブログ「石仏散歩」の閲覧者数は微々たるものだ。

そのうちの大半は、私の友人か知人ではなかろうかと推察している。

義理とお付き合いで、というのが本音だろう。

だとすれば、石仏の知識も興味もない人たちということになる。

お地蔵さんと観音さんの区別がつかないと思っていい。

数年前の私自身がそうだった。

 

石仏、石造物全般は、もともとは強い信仰心や宗教的行事や習俗と関わって造られたものだった。

信仰心が薄くなり、宗教的行事が行われなくなって、石仏、石造物の存在が希薄になってくる。

無視され見向きもされないのに、石だから、そこにあり続ける。

だから、夜待塔や馬頭観音は、寂しい。

無意味にそこにあるのだから。

庚申塔も哀しい。

通行人の大半は、その存在理由を知らないのだから。

 

今回のテーマは変わり種庚申塔だが、お地蔵さんも観音さんも区別がつかない友人たちの為に、まず一般的な庚申塔を示しておこう。

 像は青面金剛。

  安養院(足立区)元禄15(1702)      大円寺(杉並区)寛文7(1667)

中央の2手が合掌している(左)か、右手に剣、左手にショケラという女体をぶらさげている(右)6手像が一般的です。

像の上方左右に日、月、足元に邪鬼を踏まえ、その下に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)がいる。

童子や鶏が傍らにいる像も多い。

 吹上観音堂(和光市)宝暦11(1761)          東光寺(板橋区)寛文2(1662)

 

庚申塔が建てられ始めたのは、室町時代からと言われている。

最初は板碑庚申塔の時代だった。

  来光寺(足立区)寛文6(1666)

江戸時代に入り、阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩といろいろな仏様を主尊とする庚申塔が流行りだす。

足元の三猿が見極めのポイントか。

 阿弥陀如来庚申塔 宝幢院(北区)      地蔵菩薩庚申塔 東福寺(渋谷区) 

それが天和(1681-1684)の頃から青面金剛一本になり、100年後の寛政の頃から文字塔の時代に入る。

  路傍(長野県箕輪町) 昭和55(1980)      水神社(取手市)寛政12(1800) 

 神明社(春日部市)文化3(1806)

庚申の文字を刻むものが多いが、青面金剛や猿田彦など夫々に変化があり、バライティに富んでいる。

 

庚申の日は60日に1度巡ってくるから、普通の年だと年6回アタリ日があることになる。

その夜は眠らずに過ごして、家内安全、健康長寿を願うのが庚申待ちだった。

3年、18回の庚申待ちを行えば「一切の願望、此内に成就せぬと云う事なし・・・」(『庚申因縁記』)と云われ、その達成を記念して庚申塔は建てられた。

庚申塔は、それを拝むことよりも建てること自体に意味があった。

建てることで、二世安楽を祈念したのである。

以上、庚申塔基礎講座でした。

 

と、いうことで、本編へ。

まずは、文字。

なぜか、誤字、脱字が多い。

今や、住みたい町NO1の吉祥寺。

駅北口からアーケード街を抜けて、五日市街道にぶつかったら左折すると右手に「安養寺」がある。

参道にある庚申塔が面白い。

 安養寺の甲辛塔(寛文5.1665)

 なんと2か所に誤字がある。

 

 南無阿弥「施」仏は南無阿弥「陀」仏      「甲辛」は「庚申」の誤字

施主は驚いただろう。

でも、彫り直しを命じなかったのは費用が嵩むからだろうか。

同じような誤字が取手市にもある。

 両足神社(取手市}の庚辛塔(延宝5・1677) 庚「辛」は庚「申」の誤字

「甲神」というのもある。

   成安寺(埼玉県滑川町)

「甲辛」でも「甲神」でも二文字あれば、庚申かと読みとれる。

 

 一字しかないものもある。

「奉供養庚待」。

庚申の申が抜けている。

 万福寺(墨田区)              解説文の一部

石を彫る、ことに、うっかりは似合わない。

確信犯だとすると何故?と理由を知りたくなる。

 

誤字、脱字があっても、私には決して分からない梵字だけの庚申塔がある。

永福稲荷神社(八王子市)の梵字庚申塔(享保8.1723)

梵字真言だそうで「ウーンオンディバヤキシヤバンダバンダカカカカソワカ」と読むらしい。

世間は広い。

学のある人は尽きない。

当然、隷書体やてん書体の庚申塔もある。

 隷書体の庚申塔(観音堂・小山市)   てん書体の青面金剛(須花庚申塔群・佐野市)

文字は読めるが、趣旨不明のものもある。

「道祖神」の下に三猿。

    葛飾白山神社(市川市)

道祖神なのか、庚申塔なのか。

道祖神を主尊とする庚申塔とすると収まりがいいようだ。

 

青面金剛の頭上に蛇。剣にも蛇が巻きついている。

        清善寺(行田市)

なぜ蛇なのか。

ドクロと蛇の組み合わせもある。

          顕正寺(横須賀市)

見ざる、聞かざる、言わざるだから三猿なのに、5猿の庚申塔がある。

     神明社(町田市)

両腕からつり下げられたように2匹の猿がいる。

 

5匹なんてものの数ではない。

36匹の群猿庚申塔が江の島にある。

護国寺では、猿が庚申塔を支えている。

 護国寺(文京区)

 かと思えば、猿が主尊の庚申塔もある。

    庚申塚(豊島区)

見ざる、聞かざる、云わざるを文字にすれば、こうなる。

 東八幡神社(春日部市)

視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ。

いや、面白い、と思うのだが、ひとりよがりなんだろうか。

 

邪鬼にはバリエーションが多い。

青面金剛に踏みつけられている邪鬼だが、これは踏まれ方がひどい。

顔が逆さまになっている。

徹底的に、これでもかと踏まれているようだ。

 

      永楽寺(三浦市)

ふんどし姿の邪鬼がいる。

道徳的な石工だったのだろう。

  呑龍堂(埼玉県小川町)

一方、こちらは腰巻の女。

青面金剛の左足は邪鬼を踏んでいるが、右足の下は仰向けになった女性のようだ。

  八幡神社(船橋市)

腰の二重線は、腰巻の紐と見える。

うつ伏せになった猿がいる。

見ざる、聞かざる、言わざるではなさそうだが、何だろうか。

この八幡神社の女性は人間のようだが、女の邪鬼もいる。

  福樹寺(三浦市)

胸が膨らんでいる。

乳房ではないか。

腰巻を巻いた上半身裸の女邪鬼と見るがどうだろうか。

三浦市の庚申塔に風変わりなものが多いようだ。

石工に自由裁量が与えられていたからだろうか。

 

以上は、私個人が出会った変わった庚申塔。

無数にある変わり種のほんの一部です。

「だから、何だ」と言われると困ってしまうが、今後さらに集ったらまた載せるつもりでいる。