石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

135 徳本行者と名号塔ー⑦平塚市の場合その2-

2018-05-27 05:44:34 | 六字名号塔

前回は、平塚市最古の徳本名号塔として、大松寺の3基の名号塔のうち中央の石塔を紹介しました。

     大松寺の徳本名号塔3基

市内最古は、文化13年(1816)造立ですが、翌年の文化14年造立の名号塔が2基あります。

②海宝寺(幸町)

基台を含めての380cmは、市内最高。

六字の文字だけでも93cmあり、これもトップクラス。

講の人数が多かったことを物語っています。

③路傍(徳延304バス停傍)

 三叉路の角に3基の石造物。

お地蔵さんを挟んで、両側が徳本名号塔で、向かって右、背の低い石塔が、文化14年のもの。

写真では、刻字が読みにくいので、採録しておくと

石塔正面「南無阿弥陀仏 徳本(花押)」

台石「当所 念仏講中 世話人
   文化十四丑ノ天十二月吉日
   願主 根誉称善法子

願主として名前がある根誉称善は、ここ徳延村の者で、数多い徳本行者の弟子の中でも高弟と云われる人。

平塚に徳本行者が3回も教化して回ったのは、根誉称善の地元だったから。

この名号塔の他にも、根誉称善を願主とする石塔はいくつもあります。

左の名号塔は、天保3年(1832)造立で、「毎月大会御念仏供養塔」と刻されています。

「大会」は「おおがい」と読み、この地域独特の大掛かりな徳本念仏講の活動形態のこと。

組講中として29か村の村名が刻されていますが、行政村を超えて、多くの村の村人たちが、信仰を通じて結集していたことが分かります。

蛇足を付け加えれば、この石塔の台石には、ボコボコと盃状の穴が開いています。

盃状穴については、以下のブログをご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=0ce43de9227393b5421eb0d968bf2e02&p=9&disp=30

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=2407158064cb1d896350455749ba9642&p=9&disp=30

 ≪続く≫

 


135 徳本行者と名号塔⑦ー平塚市の場合その1

2018-05-20 05:42:30 | 六字名号塔

平塚市には、市の規模に不釣り合いな、立派な博物館があります。

展示も見ごたえがありますが、特筆すべきは市民ボランテイァによる調査活動とその報告書。

中でも、平成26年発刊の『平塚の石仏』は、出色です。

ボランティアにより確認された石仏の数は、3058基。

そのすべてをベースに、地域、年代、種類別に分類し、解説をつけた労作です。

勿論、徳本名号塔にもページが割かれています。

徳本名号塔は市内に28基あり、このうち浄土宗の寺に13基あります。県内の市町村のなかでは最も基数が多く、本市に特徴的な石仏といえます」。

徳本流布教の特徴は、講の人数の多寡によって、与える名号札の大きさを変えることにありました。

大きな名号塔の石塔があるということは、その地に多数の信者を要する徳本講があったことの証です。

平塚市には、とりわけ大きな念仏講が、3つもあり、「大会念仏(おおがいねんぶつ)」と称されて、昭和の時代まで活動していました。

平塚市は、相模地方で、最も徳本講が流行した地域だったのです。

ここでは、市内の9基の徳本名号塔を取り上げ、平塚市での徳本念仏講の活動を見てゆきます。

①大松寺(幸町)

徳本名号塔が3基並んでいる。

3基もあるのは、ここだけ。

特に中央の石塔は、文化13年(1815)の造立で、市内最古。

徳本行者は、文化12,13,14年と立て続けに相模を巡錫、化益して回り、大松寺は宿泊所だった。

行者が来る前に、名号を彫った石塔を用意して、徳本行者に開眼してもらう習わしだったから、この塔も行者は見たことがあるはずです。

この石塔には、もう一つ特徴がある。

それは、四面、それぞれに南無阿弥陀仏が彫られていること。

徳本名号も小さな部分では、違いがあることが見て取れる。

≪続く≫

 

 


135 徳本名号塔-④徳本行者の教化活動その2-

2018-05-13 05:47:15 | 六字名号塔

徳本行者は、まず、日課念仏の意義について話します。

皆、誰でも死ねば、必ず、閻魔王の裁きを受けて地獄へ行かねばならぬ。しかし、今、私が授けるところの念仏を申したならば、閻魔王の前へはやらぬ。地獄へ落とさせはせぬ。日課とは、今日より命終わるときまで、休むことなく念仏を唱えること」と語った後、ひときわ声高く

念仏は弥陀の本願にして諸仏の証誠、釈迦の付属なり。汝ら臨終の晩に至るまで、日課称名し誓って中止せず、能く持つや否や」と参加者への問いかけが発せられる。

     イメージ映像

人々は、皆、口を揃えて「能く持つ」と唱和して、化益の儀式のクライマックスが終わり、次いで、名号札の授与に移ります。

本来念仏は、一人一人の心の中の営みだが、徳本行者は、個人には唱える回数、集団である講組織には、講員の数によって、授与する名号札の大きさを変えるという独特の布教手法を採用した。

名号札は、南無阿弥陀仏が書いてあればいいというものではなく、徳本行者の筆になり、彼の独特な花押があるものでなければならなかった。

小より大を欲しがるのは人の常。

だが、日課念仏を、百遍や千遍課すことは容易だが、一万遍、五万遍となるとそうはいかない。

「ナムアミダブツ」を1回、1秒で唱えるとすると、1分で60回、1時間でも3600回でしかない。

1万遍だと3時間、5万遍だとなんと、毎日、15時間も念仏を唱えることになります。

勿論基本は信仰心にあるが、千遍よりは、1万遍を誓った信者には、見栄えのするより大きな名号札を欲する気持ちがあったことは否めないでしょう。

そうした人々の見栄を利用した巧みな布教手法だったとも言えます。

各地の講も競って名号塔を造立したが、その大きさは一目瞭然、必然的に講員獲得に熱が入ることになります。

名号札の基準は以下の通り。

拝服名号  念仏100-900遍(名号札の大きさ6×1.5cm)
小幅名号札 念仏1000-9000遍 講員50人未満(大幅六つ切り)
中幅名号札 念仏 10000-30000遍 講員50-100人(大幅四つ切と数珠)
直筆名号札 念仏 60000遍 
大幅名号札 講員100人以上(唐紙の半分135×35cm)

名号札を渡しながら、よく次のように言ったと伝えられている。

「百遍の名号は小さい。千遍、六万遍、それぞれの数に応じて褒美にやる名号だから、銭金で買ってはならない。銭金の徳本ではない。御念仏の徳本だ」。

徳本名号札が、巷で、売買されていたことが、この逸話からうかがえる。

それだけ人気の希少品だったこになります。


135 徳本行者と名号塔-④教化活動その1-

2018-05-06 14:25:47 | 六字名号塔

 

徳本行者が晩年になって江戸に下向したのは、日蓮宗に傾きかけている江戸城内のムードを本来の浄土宗に立ち戻らせる使命を与えられたからでした。

と、同時に、わずか4年という短期間ながら、各地を巡錫し、積極的に化益(けやく)=(教化して、人々を善に導き、利益を与えること)活動を続けます。

文化11年9月16日ー10月23日 箱根で湯治しながら阿弥陀寺での化益。
  12年5月27日ー5月30日 下総での化益
    8月26日ー10月24日 伊豆、相模
  13年2月17日ー3月7日  下総
    3月20日ー9月7日  信州、飛騨、越中、加賀
  14年1月23日ー4月2日  下総、下野、上野
    7月17日ー10月10日 下総
    11月2日ー12月10日川越、相模

徳本行者の化益は、すべて、各地の信者の要請によってなされた。

行く先々で案内の者が待ち受け、沿道には人々が並び、会場となる寺の境内は信者で溢れていました。

      イメージ映像

徳本行者の、この一連の教化の旅は、毎日、克明に記録されています。

記録には二通りあって、徳本行者側の記録と化益を授与された側の記録。

化益の段取りは、基本は同じだが、細部は場所によって異なります。

ここでは、文化11年11月7日の川越大蓮寺での化益を中心に、文化14年11月19日の相模当麻無量光寺と文化13年8月6日、信州飯田の峯高寺での化益の一部を交えて、化益の段取りと内容を見てゆきます。

  大蓮寺(川越市)

11月6日の夜、徳本上人大蓮の台へ御着あり、其途中送り迎ひの人々幾万人たること計かたし、夜に入御むかひのてうちん(提灯)昼を欺がごとし」

大蓮寺の徳本名号塔。側面に「徳本上人御化益霊場」とある

当麻無量光寺の化益の日は、雪が降った。

折悪しく雪降り来り、寒気も一入強くなりしかども、本堂は勿論の事、堂外の輩まで一人も帰るものなく、頭に雪を頂きながら静まり返りて聴受」していたことが記録されている。

多数の群集は敬虔な念仏者ばかりではなかった。

野次馬も多数いたはずです。

なのに、雪の降りしきる中、一人も帰るものがいなかったのは、徳本行者の説教がみんなの心を捉えたからだといっていいでしょう。

 本堂に入り、高座に着座した徳本行者は、まず十念(南無阿弥陀仏を10回唱える)した後、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」(弥陀の光明は遍く十方世界を照らし、念仏の衆生は摂取してすてたまわず)と唱える。ここから長線香2本が尽きるまで、念仏をあげ、「願以此功徳平等施一切同発菩提心往生安楽国」(願わくばこの功徳をもって一切に施し、同じく菩提心を発して安楽国に往生せん)を参会者と唱和した。

 再び、十念をしたのち、化益のメインイベント日課念仏の授与に移ります。

(続く)