石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

118スリランカの仏教遺跡巡り(3)ポロンナルワ(eガル・ヴィハーラその2)

2016-02-04 10:31:10 | 遺跡巡り

次は、その右隣の立像だが、その前にその手前の石碑について。

偉大なる王パラクラーマ・バーフ1世王は、頭を抱えていた。

折しも、上座部派、密教派、大乗派と3派が入り乱れ、スリランカ仏教界は混乱していた。

権力者ではあっても在世信者の王は、出家者に指図はできない。

混乱をまとめるよう長老に委嘱する。

1000人にのぼる比丘たちは、1年の議論を経て、一つの結論を出した。

それは、上座部仏教を正統とするものであった。

この石碑は、その経緯と結論を記す重要な碑文ということになります。

仏像というよりは、町中で友人と立ち話をしている青年像というイメージが強い。

右足に重心をかけ、リラックスしている。

爽やかな風に左肩から垂れた衣が今にもひらりと揺れそうだ。

磨崖仏であることをつい忘れてしまうが、よく見ると後ろの岩壁に横に流れる模様と同じ筋が、立像にも流れているのが分かる。

顔を横切る黒い縞模様が、絶妙に目を避けている。

入念な計算が花咲いて、石工はしてやったりとほくそ笑んだに違いない。

この立像は誰なのか、ブッダの高弟アーナンダであるとする説とブッダ本人とする説とが対立して、長い間、議論されて来た。

結論はでたようなのだが、そのことは、後述することに。

最後に右端の涅槃像。

長さ14m、硬い花崗岩を彫ったとは思えない、柔らかくなだらかな曲線が、今まさに入滅しようとするブッダの穏やかさを醸し出しています。

不揃いの両足の重ね具合も、これが単なる横臥像ではなく、涅槃像であることを物語っています。

 

80歳になってもブッダは、説法の旅の途上にあった。

だが、ある日、崩れるように倒れこんだ。

 

そして、お供の弟子に云う。

「アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」。

衰弱したブッダのお姿に涙するアーナンダにブッダは静かに語る。

「アーナンダよ、嘆くな、悲しむな。すべての愛する者から人は別れ離れるものなのだから」。

この逸話を知ってこの場に立つと、涅槃像と立像の2ショットは、ブッダとアーナンダにしか見えない。

80歳にしては、若々しいお顔がいささか気になるが、入滅時の師弟ととらえた方が私には理解しやすい。

しかし、立像はアーナンダではなく、ブッダその人であるという説の方が有力になってきているのだと云う。

その根拠は、立像の足元の蓮華座。

蓮華座に立つのはお釈迦さまだけ、という定説を覆す証拠は今のところないのだそうだ。

ガルヴィハーラの磨崖仏全部がブッダだとすると、では、それぞれをどう解釈すべきなのか。

左から、「人間の苦悩について深く瞑想しているブッダ」、真ん中の立像は「悟りを開き、その感慨に耽っているブッダ」、そして右の寝姿は「80歳で入滅される時のブッダ」だと解釈するのだという。

これだけ巨大な磨崖仏となると製作費もバカにならない。

その巨額さから、王様以外のスポンサーは考えられないが、では王様は何を意図していたのだろうか。

少なくとも座像と立像、横臥像の制作を指示したのではないかとの推測がある。

これは石像彫刻を業とする専門家の意見だが、「この地に巨大な仏像を造れ、という命をうけた石工ならだれでも、岩壁一杯に寝釈迦を彫るに違いない。岩の形がそれにピッタリだから」というのです。

そういわれて改めて全景を見ると確かにそんな気がする。

この岩壁全部を使っての涅槃像を彫ったとすれば、そのインパクトは絶大だ。

世界一大きな石像は石工にとっても魅力的な話で、お金に心配いらないなら彼はその道を選ぶだろう、そうしなかったのは、王の指示が別にあったからではないか。

「この彫像の建立については『チューラヴアンサ』という歴史書に詳述してある」という本もある。

どういう内容なのか知りたいが、今のところ調べあぐねている。

ま、この彫像群を前にして、勝手な想像を巡らせている方が楽しいのではあるのですが。

 ≪続く≫

 

 


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