石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

27 聖語(浄土宗寺院編)

2012-03-16 12:59:59 | 寺院

予定していた「日本一庚申塔の多い町」が悪天候のため撮影が遅れて、仕上げられなかった。

代わりに保存写真で間に合う企画に変更することに。

題して「聖語」。

石仏めぐりをしていると必然的に寺まわりが多くなる。

いつの頃か、寺の山門脇の掲示板に金言、格言があるのに気がついた。

         仙翁寺(東京都港区)

読んでみると中々面白い。

宗派の教祖の言葉の引用は勿論だが、作家や詩人の文や詩、新聞のコラムまで題材は多岐にわたる。

寺の掲示板のことばは、「聖語」というのだとどこかの寺の住職が教えてくれた。

宗派によって違うのかどうか、とりあえず「聖語」でスタートすることにする。

初回は「浄土宗寺院編」。

石造物ばかりに目が向いて、掲示板など見向きもしなかった時期が長いので、保存写真はごくわずか。

でも大体の傾向は分かるだろう。

念のため付け加えると、こうした「聖語」はどの寺にもあるわけではない。

15か寺か20か寺に1寺あるかないかという程の頻度なのです。

      安楽寺(東京都台東区)

「教えざるは

 親の罪

 覚えざるは 

 子の罪」

  一行院(東京都文京区)

「雪のうちに

 仏のみ名を唱ふれば

 つもれる罪ぞ

やがて消えぬる 法然」

 

       戒法寺(東京都品川区)

「浄土を

ねがう行人は

病患を得て

備えにこれを

たのしむ 法然上人」

 

  源覚寺(東京都文京区)

「地球のように

 心も丸く

 さあ○から

 スタートだ」

 

       源長寺(東京都足立区)

「時は今

 ところあしもと

 その事に

 うちこむいのち

 とはのみいのち 椎尾弁匡上人」

 

     光岳寺(千葉県野田市)

「本気になると

 世界が変わってくる

 自分が変わってくる

 変わってこなかったら

 まだ 本気になってない証拠だ」

 

   浄桂院(東京都目黒区)

「世はみな

 無常なり」

       浄心寺(東京都江東区)

「ただ一向に念仏すべし

 名号(南無阿弥陀仏)は

 これ萬徳の帰するところなり

      (選択本願念仏集)」

 

      真珠院(東京都文京区)

「こつこつ

 こつこつ

 書いてゆこう

 こつこつ

 こつこつ 

 歩いてゆこう

 こつこつ

 こつこつ

 掘り下げてゆこう」

 

       正覚院(東京都江東区)

「よわねをはくな

 くよくよするな

 なきごというな

 うしろをむくな

 ひとつをねがい

 ひとつをしとげ

 はなをさかせよ

 よいみをむすべ」

          正源寺(東京都港区) 

かなしみを

 煮つめてしまう

 鍋を作ってもらおう

 きっと錬金術のような

 不思議が

 ふつふつと生まれてこよう」

 

     清岸寺(東京都品川区)

「人の一生

 たかが人生

 されど人生

 ならば与えられた

 夢時間

 想いのたけに

 色あざやかに

 ほおづき色づく季節

 過ぎさり人えの

 想いなつかし・・・」

 

       西光寺(東京都荒川区)

「今日行なっても

 明日行なっても

 いつでもいい

 という事は

 一つもない

 今すぐ実せよ」

 

      西光寺(東京都足立区)

「実るには

 天地の恵み

 人の精進」

 

        西念寺(東京都台東区)

「鬼も子も  消えて

 昨日の いかのぼり」

 

       善光寺(東京都文京区)

「これからあなたを食べます
 あなたを茹でて食べます
 あなたのいのちが
 私のいのちになり
 私はあなたの分まで
 いきるのです
 あなたのいのちを戴きます 星野富弘」

「自分の命というものを尊敬
 できない人間は他人の命と
 いうものを尊敬できない
 自分の命が重く感じられない
 人間は他人の命も軽く感じられる 五木寛之」

 

       東源寺(埼玉県深谷市)

「六月のことば

 自ら切り開こうと思えども

 どうにもならぬことに

 翻弄されるのが人生である

 砕かれし夢のかけらを拾い集め

 人はまた顔をあげる 天声人語5・31」

 

        大長寺(埼玉県行田市)

「自然を離れる度に

 人間の幸福は

 遠のいて行く 大長寺」

「院に来て

 露座の大仏に

 手を合掌(あわ)す

 風がほとけの手になって

 頭と頬っぺを

 撫でつける

 大仏の面に何度でも

 逢えて嬉しく

 手を合掌す

 会えてうるうる

 手を合わす」

 

        東源寺(埼玉県深谷市)

「はじめには

 我が身の程を信じ

 のちには

 仏の顔を信ずるなり

 ただしのちの信を決定(けつじょう)せんが為に

 はじめの信心をばあぐるなり 『御消息』法然上人」

 「はじめにまず我が身のつたなさを省みて

 その上で仏さのま救いの誓い・『本願』を

 信じることができるのです」

        宝蔵寺(東京都品川区)

「川はいつも

 流れていなくてはならぬ

 頭はいつも

 冷えていなくてはならぬ

 目はいつも澄んでいなくてはならぬ

 心はいつも燃えていなくてはならぬ」

     本誓寺(東京都江東区)

「祖父母がいて

 父母がいて

 私がいて

 我が子がいる

 当たり前だけど

 不思議な縁 浄土宗江東組教化団」

「昨日に感謝し

 明日に希望を持ち

 今日に精進す 浄土宗江東組教化団」

 

 

 

      龍原寺(東京都港区)

「今月のことば 『ありがたい』

 十日十夜の 念仏を

 積まば 浄土の千年に

 勝る功徳とさとされし

 仏の教え ありがたや」(十夜和讃)

 

        林宗院(東京都練馬区)

「    夕陽のかなた

 ご先祖さまが いなければ

 今の私は いないのだ

 沈む夕日の 彼方には

 こ先祖さまが おわします」

       願行寺(東京都文京区)

「一本の草花も

 命いっぱい生きている

 あなたは今日一日を

 どう生きますか」