第1窟から第2窟へ。
第1窟の外側にもヒンズー教の神祠があって、人だかりがしている。
◇第2窟(偉大な王の寺)
「息を飲む」。
これが、第2窟に足を踏み入れた時の私の気持ちを表わす言葉。
幅50m、奥行き25mの広がりの中に56体もの仏像が、ぎっしりと並んでいる。
「ぎっしりと」と言う感覚は、高さ6mの天井一面に余すところなく描かれた仏像壁画が相まっての感覚です。
56体のうち50体は、多分、ブッダでしょう。
座像、立像、横臥像、印相や色彩はほぼ同一で、みなブッダなのです。
上座部仏教の本質がここにあります。
仏と云えば、ブッダだけ、他には何もない!
阿弥陀如来だ、薬師如来だ、大日如来、観音菩薩、地蔵菩薩等々、数えきれない仏がいる大乗仏教の日本と、ここが大きく異なるのです。
それにしてもこの数は異常です。
第2窟は「偉大な王の寺」ですが、その王の名はワッタガーミニ・アバヤ王。
第2窟に立つワッタガーミニ・アバヤ王
この寺の創設者でもある王は、仏像の寄進者でもありました。
在家信者の王は出家者に布施し、寺院に寄進するなどの功徳を積むことによって生天(昇天)を目指します。
寄進する仏像の数が多いほど功徳は増すのだから、窟内のブッダ像は増えるばかり、そう私は読み取るのですが、どうでしょうか。
沢山のブッダ像の中でも、この寺院の本尊と云えば、下の仏像。
頭上に「マカラ・トーラナ」の仏龕を配したこのブッダ像は、5世紀造立と推定されている。
脇侍の右は、観音菩薩。
左は、弥勒菩薩(釈迦入滅後、56億7000万年を経て下生し、衆生済度する菩薩)。
日本で見なれた弥勒菩薩との余りの違いに驚くばかりですが。
広隆寺(京都)の弥勒菩薩
高さ5mの仏塔の周りには、ブッダが座していらっしゃるが、「えっ」と驚くのがコブラを頭上に配したブッダ像。
釈迦の頭上に立ち日陰を作って瞑想を助けた守護神として、インドやスリランカでは、コブラは敬われてきた。
日本で全く見かけないのは、コブラがいない中国で龍と訳され、そのまま日本に移入されたためという。
スリランカのブッダ像に共通の、頭上の飾り物は、シラスパタ。
光を表わすものらしい。
その代り(というのも変だが)大乗仏教では当たり前の肉髻がない。
窟内の一画に金網囲いの場所があり、中に壺が見える。
天井から滴り落ちる水滴を受ける壺のようだ。
ダンブッラは、ダンブ(岩)+ウーラ(湧き出す)で「水が湧き出す岩」。
この湧水が、地名のいわれとなった。
2分間に一滴ずつ、2000年の長きにわたって途切れることなく、滴り落ちているのだそうだ。
水が湧き出る所に魚の絵がかいてある。
仏典にある魚なのか、いたずら描きなのか。
天井の壁画の中に、架空の動物が描かれたものがある。
釈尊の瞑想を邪魔して悟らせまいとする悪魔だそうで、マンガチックで面白い。
壁画には、釈尊の生涯を描いた「仏伝図」やスリランカ国史もあって興味深いが、特定することができず、写真に撮れなかった。
≪第3窟へと続く≫
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