HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ロックンロールの意訳

2011年08月08日 | FoZZtone
去年の今ごろだったかな?
Pr.俵田によるGOODMIGHT世界が開催されたのは。

私はもちろん参加できてないわけだけれど
ここでは彼はレディオヘッドの「Creep」をとりあげたんだよね。
英語から感じ取れる何かを見つけるために。

彼はロックスティッチで「Heartbreak Hotel」をFoZZtoneがカバーする
ということで、あえての意訳をしてくれた。

意訳というのは直訳ではない(当たり前・笑)
映画でいったら、脚色っていう感じかな。
元本があって、それを少しアレンジしてシナリオにするものが
脚色だ。

意訳にはその訳者のバックグラウンドや価値観や読書量や
英語力や好奇心やポリシーなどいろんなものが現れる。
だから、同じ歌でも意訳されていると読み手の感じ方が
変わるんだ。

この「Heartbreak hotel」を意訳する前に
Pr.俵田はこのような事を書いてた。

「恐ろしく陰鬱な歌詞だけどプレスリーの歌いっぷりはやや陽気。」

悲しい歌を明るく歌うっていうことで
なぜかthe ピーズを思い出した。

私は正直そんなにthe ピーズを知っているわけじゃない。
たまたま知ったきっかけはthe pillowsの
シンクロナイズドロッカーズというトリビュートアルバムで
「巴里の女性マリー」がものすごくかっこよくて
誰だ?っていうところから始まった感じだった。

そういえば、マリーって名前ときどきいろんな人の歌に出てくる。

ELLEGARDENの歌にも「MARIE」がある。

みんなマリーが好きなんだ。

私の親友はマリ。マリーじゃないけれど
マリーにもなる。

小学校1年生の時に出会った。
今も年賀状での交流は続いているけれど
久しく会ってない。
正直、友達と会う時間もここ数年まったくなくて
(まあ、友達が遠いところに住んでいるのもあるんだけれど)
みんなどうしているのかな~っていつも思う。
電話ですら、する時間がない。
私はほとんど家では電話はかけない。
だいたい夜遅い朝早い生活なのでふつうにかける時間が持てないんだ。

でも、友達の中でも幼い時代をともに濃く過ごしたマリちゃんとの
思い出はかなりある。

どこかの百済の王様かなんだかしらないけれど(日本にはそういう朝鮮半島からの
いろんな人たちの建造物があちこちで実は残っているんだ。)
が建てた宮殿あとかの、ただ、敷石だけが残っている広い場所に
家から1時間以上かけて、ピクニックのごとく
籠のバッグにおかしや水筒を入れて
ふたりででかけて、そこで空想の世界で遊んだり

京阪電車に乗って、となりの駅ではあったんだけれど、
いっしょにシャーペンの芯(それだけだよ。地元にもあるのに)
を買いに行って、親にこっぴどく怒られたり(低学年だったもので)

大学の時ははでな格好でロックコンサートにいっしょに行ったり

たぶんこれらの話は過去にも書いたかと思うんだけれどね。

で、そんなマリちゃんのことも思い出しつつ、
the ピーズに戻るんだけれど

彼らの曲に「実験4号」っていうのがある。

これを題材にした伊坂幸太郎の短編に
「後藤を待ちながら」っていうのがある。

芝居好きなら「ゴドーを待ちながら」を思い出す人もいるだろう。

伊坂氏の「後藤を」にはこういうフレーズがある。
これはthe ピーズ自体が言った言葉だ。

「泣きっつうか、何ちゅうかね、末期的な夕やけ空みたいな、
さあ,頑張るぞみないな感じじゃなくて、悲しい歌なのに明るいような」

これと先に書いた教授が言った
プレスリーの歌いっぷりと重なる部分があるんだよね。


この「後藤を待ちながら」の中で

ロックンロールを意訳したらどうなるっていうのを
主人公たちが考える場面があるんだ。

そこに「どうして俺だけ圏外なんだよ」っていうのがある。
ロックンロール=「どうして俺だけ圏外なんだよ。」

なんかわかるなぁ~て。

私って中学でロック聞くようになって
まさに自分が圏外みたいな感じで生きてるなって思ったもの。

ロックンロールは売れないみたいな感じ。
今もあるよね。

うるさいともう追い出されるような感じ。

ちゃんと聴こうとしないで
すべていっしょくたにして。

ロックンロールを意訳したら自分だったらどうだろう?

「人生の底の底からこんにちは」

とか

くるりの岸田さん的に言えば

「ころがるだけころがったるねん。」

とか

「絶対に生きてやるからな!」

なんかが今浮かんだ。


また思いつくかもしれない。

ただ、


この「後藤を待ちながら」で
読んで泣きそうになったのは

生きている姿を見せる恩返しが
ロックンロールじゃないかというくだり

そして、だからこそロックンロールの意訳は
「ありがとう」じゃないかっていうところ。

泣けた。


ほんとそうだ。


休止しようが
また元気な姿を見せてくれたら
それでロックンロールなんだ。

あるいはメジャーからインディーズになろうが
そんなのまったくどうでもよくて
ライブをやり続けてくれたら
音源を発信しつづけてくれたら
ロックンロールなんだ。


この実験4号は

映画監督の山下敦弘監督もコラボして
ショートフィルムを撮ってて
そのDVDもセット販売されている。

この映画は「後藤を待ちながら」の
とあるエピソードを膨らませているんだけれど
これもじわ~ってくるんだ。

どこか岩井俊二監督と同じ空気感がある。

この映画「実験4号」にも惚れちゃってる。

the ピーズの「実験4号」とともに
是非チャンスがあれば読んで、見てほしいな。

そうそう、最近片岡大志さんがライブで
Dire straitsの「Brothers in Arms」を意訳して
歌われたそうだ。

彼の価値観とか世界観とかがそこにあって
私は残念ながらライブに行けてないので
また是非機会があれば彼の歌で聴いてみたいなと
思った。

ロックンロールのしめくくりに

FoZZtoneの「黒点」から

「必要なのはロックンロール
それは腹を空かした怪物だ
軽率なのはロックンロール
人に答えではなく
力を買い与えた」

この詩は最上級のロックンロールを表す詩のひとつだ。







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YOU and I

2011年08月07日 | ストレイテナー
「YOU and I」と「羊の群れは丘を登る」という2曲プラス
それらのインスト2曲入りのシングル。

ほんとに素晴らしいと思う。

やっぱり惚れちゃう。ホリエテナーに。

ストレイテナーの曲で嫌いな曲っていうのもないけれど
ものすごく好きって曲は結構増えて行く。

4人になってからちょっと距離感はあったものの
このシングルを聞いて、やっぱりストレイテナーだと
強く感じた。

ストレイテナーはやっぱり基本形
すなわちBEはホリエ君とシンペイちゃんで
それがAMになったり、ISになったり、AREに
なったりするんだと思う。

今の4人組だとやっぱりAREなんだろうね。

でも、ときどきBEに戻って自分たちを
見直しているような気もするんだ。

ホリエ君の1人課外活動はやっぱりAMで
BEになる時はシンペイちゃんと一緒の時だ。

「YOU and I」は伊坂幸太郎の小説のエンディングで
流れて欲しい感じの曲だ。

なんかちょっと希望が見える感じ。
そんなに大げさじゃなくて、ちっちゃいけれど光がある
そんな人間として自然な感じの明日に
添えたいなって思う曲だ。

本当に歌に包み込まれて行く感じで
癒される。

ベースもリードギターもドラムも何もかもが
溶け合っていて、ほんとどれをとっても
癒されるんだ。

インストバージョンが入っているから
それは余計に感じる。

インストだけでもほんと素晴らしいから。

何度も何度もくりかえし聞いても飽きることはない。
いつまでも止まらない。

あなたと私
あなたと私
あなたと私

これが本当は永遠を表す言葉なのかもしれないね。

「羊の群れは丘を登る」

この曲もイントロだけでももう心が掴まれてしまう。
ちょっとミッシェルっぽいけれどすぐにテナーになるかんじ。
エッジの効いたギターの音がまたかっこいいし
ポップなメロディックなギターの音も素敵だ。
これはツインギターならではの音だな~って。
ドラムの深いビートがうねりをもって
ふくらんで押し寄せてくる。
イメージ的に車のエアバッグみたいなぶわ~っと
膨らむ感じかな。
ベースもほんとやっぱりひなっちはすごい。
彼はNothing's carved in stonesの時は
近未来的な音を出すけれど
テナーの時はぬくもりのある自然な音を出すよね。
どちらも良さがあるけれど、
きっと私はテナーの時のひなっちが一番好きみたい。


この2曲とも本当に素晴らしい。

インストだけ聞くと
「YOU and I」の方はちょっと昔のジャクソン5の
曲に出て来そうなモータウン風ギターが私をとろけさす。
それに重なって行くベースがまた痺れる。
インストだけでも何回も聴けちゃう。
これだけでも独立した一曲に思える。

「羊の群れ」の方も
あのガレージっぽいギターと
ポップなギターが絡むのが
たまらない。

カッティングで繋がれる曲が
まるで魔法の呪文のように
私をなんだかわからないけれど
気持ちのいい世界へ誘ってくれる気がする。

ベースのソロもかっこいいし。
大好き。

ドラムもほんとうに大好き。

嫌いな所無し。

アルバムのジャケットはやはりシンペイちゃんによるものだけれど
羊の中にいる怪しげなmanはどこかトレントレズナーっぽいな。

DVDもついていて
ジョージが司会者として登場する。
どこかアメリカの音楽番組風にしているのが
おもしろいし、それが似合う。

ストレイテナーの曲を
聴いていると

愛っていいなって感じるんだ。

それは親子とか友達とか人間とかじゃなくて

男女の愛。

彼らにはそんな愛が溢れている。





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ばらの花

2011年08月06日 | 邦楽
私がくるりと出会ったのはデビュー直前で
「東京」というシングルが初めて買ったCD。

その後いろいろ買っているけれど
私がくるりの曲で大好きなのは「ばらの花」
ほんとうに素晴らしい曲だと思っている。

ロックインジャパンフェスで
yanokamiで出演した矢野さんがこの「ばらの花」を
やったんだね。
この曲はレイ・ハラカミさんにとってもきっと大事な
一曲だっただろうし、ほんとうはいっしょにその
ステージで演奏したかったんだろうな。

でも、彼はきっとそこにいたと思う。
いっしょにリズムをとりながら
「おまえらには見えないだろうけれど、俺には見えてるからな。」って
笑っている彼を想像しちゃった。

過去にばらの花について書いたブログがある。↓

http://blog.goo.ne.jp/funnybunny17/s/%A4%D0%A4%E9%A4%CE%B2%D6

曲自体というよりバラの花についてだ。

くるりにはいっぱい名曲はあるけれど
やはりこの曲は私のくるりのナンバーワン曲には変わりない。

来月、彼らのフェスに初めて参戦できるのが何よりうれしい。
このフェスに参加したことがあるハラカミさんも
またやっぱりそこに遊びに来てくれるかもしれないね。

そして、また言うんだ。

「おまえらには見えてなくても、俺には見えてるんだ。」って

音楽は永遠だから、ミュージシャンも永遠だ。
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echo

2011年08月04日 | Nothing's Carved In Stone
もう随分前に買っていたんだけれど
なかなか書くタイミングが合わなくて。

その時に突然違う言葉が溢れてくると
書こうと思うものが置き換えられる。
ゆえにちょっと間が空いた。

Nothing's carved in stoneのアルバムは
毎回思うけれど

「職人技」が散りばめられたアルバムだ。

色んな事が計算し尽くされ
まるで理系の学生が論じる文章のように
緻密に合理的にある意味難しく
届くのである。

それを重いとする人は聴かないだろうし
そこが好きだという人はのめり込むだろう。

こんな暑い真夏日に聴くと
ほんとに車のエンジンが焼けるような
そんな機械の鼓動を感じる
音楽である。

金属がいつもその素材感をもって
彼らの音楽で手渡される感じ。

決して田舎屋に置かれているような
木製の棒だったりは彼らのアルバムの中にはない。

すべて都会的で無機質な存在を愛しくさせる
音が詰まっている。

今回3曲日本語詩の曲があった。

これがかなりよかった。
というかabsrtact mashの初期のアルバムには
その日本語と英語の境目のない歌詞で繋がれる歌が
村松拓氏の特徴であり、それがすごく好きだった。

もうナッシングスではやらないのかな?って
思っていたら、今回3曲もあって
すごくうれしかった。

「Chain Reaction」が最初流れたときに

あ~日本語だって凄く心が高鳴った。

英語がいやだとかじゃない。
英語の曲はいっぱい聴いているし、
なんの抵抗もない。

ただ、私はこの村松氏の日本語の歌が聴きたかったんだ。
それが素晴らしいのを知っていたから。
彼が書く日本語詩が素敵なのを知っていたから。

「9Beat」
この曲だって、ほんとに彼らしい曲で
彼の言葉があって、それが逆にちょっとせつなくなる。

そうabstract mashの歌が、あの彼の歌が
聴けないんだと思うと。

ただ、休止中だからいつか復活してくれるよね?

またあの歌が聴きたいんだ。

「Goodnight & Goodluck」

日本語だけれどイギリスの香りが漂う。
そこがナッシングスの凄いところだろう。

彼らはイギリスの空気感をあちこちに漂わせる。
フィーダーとかあるいはヘイヴンとか
そういう音楽と近いものがある。


Nothing's carved in stoneはアルバムを出すたびに
どんどんでかいバンドになってきて、
あの村松拓氏もどんどん遠い存在になってくる。


でも、わかってる。彼はどこかで会ったら
きっと昔のままで笑顔でふつうに話しかけてくれると。
もういろいろ話せないだろうけれど
それでも、きっと相変わらずな感じだろうと。

また、「1mmタール」が聴きたいな。

あ、そうだ。

すっごいことがわかった。

オニィがなんとあのSIAM SHADEの仙台のライブに
お手伝いに行ってたんだって。

淳士さんが師匠だったのかな?

でも、すごくうれしいし
この日本に五万と居るバンドの中で
こうして自分が大好きなバンドやアーティストと
バンドやアーティストが繋がるっていうのもすごいよね。

そういえば

Northern 19のメンバーも
RIDDLEのメンバーも
みんなSIAM SHADEを通ってきてるって
言ってたな。


そうSIAM SHADEで育った子ども達は
今みんなすごいことになっているんだ。

昨日書いてなかったけれど

SIAM SHADEは私の邦楽ハードロックの始まりであり、
今もなお、その後継者はなかなか見つかっていない。

ただ、ONE OK ROCKに期待しているけれどね。
彼らはこれから日本のハードロック界の先頭に立つ存在だ。
きっと日本のマイケミカルロマンスになれる!
彼らの新曲もすごくいいから。







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湖畔のカフカ

2011年08月03日 | 細美武士/the HIATUS
窓から湖が見えるそんな所に住んでいる。
細美さんは将来湖畔に住みたいって何かに書いていたけれど
彼が思う湖畔とはちょっと違うかもしれない。
彼が思う湖畔は都会から結構離れた場所で
町に出るにもちょっと時間がかかる場所なんじゃないかと。
森があったりしてね。

私の住んでいるところは田舎で、田園風景も健在な場所だ。
昔ながらの門のない田舎の家が並んで、夜になると車も途絶えて
静かな暗闇が訪れる場所。

職場まで、バスと電車とバスで行かなくちゃいけないけれど
通えないほどではなくて、案外簡単に街中に出れちゃうんだ。

仕事場周辺は田園風景なんかどこにあるっていう工場や住宅地やビルなんかが
立ち並び、道路には車がひっきりなしに通って、下手するとすぐに
渋滞してしまうようなところなんだ。

だから、今日みたいな暑い日は日傘をさしていても
アスファルトからの照り返しとぷわ~んと地面から昇ってくる熱気で
いやでも都会を感じざるを得ない。

そこから湖畔の家に戻ってくるとほんとにホッとする。
風も通るし、都会のほこりを払ってもらっている気がする。

でも、私は都会が嫌いじゃないし、田舎がすごく好きっていうわけじゃない。

そんな私は、夏になると「海辺のカフカ」が読みたくなる。

話の内容はともかくとして、本の中に出てくる絵が見れるわけじゃないのに
読んでいるだけで見たような気になるし、それが見たくて読むんだ。

この絵を心で見ると
ある映画を思い出すんだ。

「ベニスに死す」っていうルキノ・ヴィスコンティの映画。

この映画はその中に自分は居ないのに
夏の暑さやら熱気やら砂浜やら風やら光やらを
強く感じさせてくれる映画なんだ。

私は一時、ヨーロッパ映画にはまっていた時がある。
フランス、ドイツ、イタリア、そしてイギリス。

アメリカのハリウッド製の映画に比べて
ある意味難しい感じなのかもしれない。
どこか哲学的だったり、何かが解決して
ハッピーエンドっていうわけじゃなくて
淡々と終わったりして、どこにカタルシスを
求めていいのかわからないものもある。

でも、これらを映画館に見に行ったら
だいたいにおいて終わった時にしばらく
席を立てないぐらいにとてつもない
エネルギーが自分のところに来ているのが
わかるんだ。

で、何かを考えるっていうことを
思い出させてくれる。

ほんの一時だけであってもね。


最近は映画館すらあまり行かないし
見る映画もそれこそ「ハリーポッター」だったり
ティム・バートンの映画だったりするけれどね。

でも、「ハリーポッター」を舐めちゃだめだよ。
私はとてもいい映画だと思っている。
ここには「イギリス」という国の空気がいっぱい
あって、あそこで感じる感覚が魔法の世界ではなくて
現実にイギリスにあるってことをみんなに知ってほしいな。

で、話を戻すと
「海辺のカフカ」の中にこういう一節がある。

「音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?
つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、
がらっと大きく変わっちゃう、みたいな。」
「もちろん・・・(省略)化学作用のようなものですね。そしてそのあと
僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上に
あがっていることを知ります。・・・」

先日書いたブログと重なるけれど
私をとことん変えてくれたのはおそらくthe Clashだろう。
何かが変わった。そんな気がしたもの。

そして、この間ひとつだけ書き損じたことがあった。

日本のロックには何ももらってないみたいなことを
書いていたけれど、そのthe Clashと出会った頃かな?
日本で唯一、私がアルバムを買ったバンドがいた。

サザンオールスターズ。

そうだ。私にとってサザンは日本でほんとのほんとに
最初に好きになったバンドだったんだ。

彼らは夏であり、海であり、恋であった。

だから桑田圭祐って言う人は素晴らしいアーティストだと
今も思っている。

さて、この「海辺のカフカ」で佐伯さんの書き記したものを
すべて燃やしてしまうところがある。

あれを読んでいて、思い出したんだ。

私がこのブログを最初に始めた動機っていうのを。

誰かに読んでもらおうとか
誰かに何かを伝えようっていうのではなくて
ただ、ただ、自分の中に貯まって行く音楽への
押さえられない感情を吐き出して行くための場所だったってことを。


ある意味自分というのを見つめ直すためでもあった。

このブログを始める前にあるインディーズのバンドを知った。
そのバンドのボーカルさんが作る音楽はすごいと思った。
私はそれがメジャーと言われてないまだスポットライトを
浴びてない音楽の最初だった。

この世には人目にはまだついてないけれど
こんなに素敵な音楽もあるんだと知った瞬間だった。

当時はブログを自分がやるなんて想像もしてなかったし
ただそのバンドが世に出てもっと有名になればと
応援していた。

といっても、私は追っかけ体質を兼ね揃えてない人間なので
やっぱり行けるときしかライブには行けなかった。

でも、行った時には今はブログに書いているけれど
その感想をその場で伝えていた。


ただそれだけだった。

でも、ある時からそのバンドとは疎遠になった。

ある意味、そのボーカリストは自分はモテていると
思い込んでいたんだろう。そういう態度が
溢れて来たんだ。ファンの誰もが自分に恋していると。


私はあきれた。


バカなやつだと思った。


誰も彼もが歌っているその本人に恋するとは思うなよって。
あるいは演奏している本人にあこがれると思うなよって。

根本のところで
その音楽を好きな人間だっているんだ。
たとえ異性であっても。


確かに男前さんではあったけれども
前にも書いたけれど、私には男前が見えない。

もちろん下品な人とか気持ち悪い人とかはイヤだけれども。

まず、外見で惚れることは無い。

心の男前に惚れるし、その心の男前具合を知るには
やっぱり本当に付き合わないとわかんないと思うんだ。

だから、たまに合うだけでも心の男前さがわかる人もいるけれど
それっていうのはごく稀で、ふつうはわかるまでに時間がかかる。


そもそも「オマエは俺に惚れているからライブに来るのさ。」みたいに
思っているミュージシャンは好きにならない。見ててわかるもん。

好きになるミュージシャンは「俺の音楽をいっしょに共有してくれ。」
って心で叫んでいるのが聞こえる人たちだ。

話を戻すと

ブログは紙より簡単だよね。消しちゃうのは。

この今まで何年もかけて書いて来たこのブログも
「やめます。」ってことを言えば、瞬間に消えるわけだ。

別に自分の吐き出した言葉をすべて覚えているわけじゃないし
別にそれがなくなっても、何を書いたか忘れちゃっているから
別に構わないわけで。

読む側もいろんな人がいろいろ見て下さっているけれど
ここが無くなったからって別に困る人は誰もいないわけで。


でも、たまにコメントを下さると
ついつい続けちゃうんだよね。

こんなブログでも誰かがわざわざ読んでくれていると思うと
本当に幸せだなって思う。

これをやり始めたきっかけはくそったれなインディーズバンドへの
決裂からだったかもしれないけれど、その後に出会ったバンドが
素晴らしいバンドばかりで、1度目の化学作用はthe Clashだったかも
しれないけれど、人生で2度目の化学作用を起こしてくれたのは
ELLEGARDENであり、Jet Kellyであり、FoZZtoneなんだよね。

すごいよね。3つのバンドによる化学作用って。

何より細美武士っていう人に出会った時は
ほんとのほんとのこれが価値観を変えるっていうんだって
いう自分の中の大幅の変化があったよ。


現在もそれは持続中で、彼のいろんな言葉や音楽が
今も私にいろんな種を蒔いてくれている。

一方で、まだ知らない人も多いだろうけれど
真田暎人っていう人も素晴らしいミュージシャンだ。


そして、渡會将士っていう人も「俺様」的な人だと思う人もいるかもしれないけれど
その向こうには「音楽へのとこしえの愛」が溢れているんだ。とても繊細で
とても熱くて、とても澄んだ心の叫びがいつもそこにあるんだ。

まあ、ここに何を書こうがご本人さんたちはつゆ知らず(笑)


いつか「海辺のカフカ」の佐伯さんみたいに
このブログをすべて無にする時は来るかもしれない。

その時は自分自身のするべきことはしたって思えてたらいいな。
あるいは結局はただの戯言だったなぁ~って自分を哀れむのもいいかもしれないな。

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遥か彼方

2011年08月02日 | FoZZtone
9月にある“KESEN ROCK TOKYO” round 2にFoZZtoneとアジカンのゴッチが
出演することが決まった。

すっごく行きたいけれど行けない。
いつもいつもそうなんだけれど
でもゴッチとフォズが繋がったのがうれしい。

何度もこのブログで書いているけれど
私に細美武士という人を最初に教えてくれた人は
このゴッチなんだ。

もともとゴッチと出会ったのも
瞬間の奇跡で
もう何度もここに書いたと思うけれど
たまたま立ち寄ったTSUTAYAで本を探してたら
店内のTSUTAYAラジオみたいなので流れて来たのが
アジアンカンフージェネレーションの「遥か彼方」
日本語なのに英語に聞こえちゃって「誰これ誰?」って
感じで雷に打たれたようにこの曲にやられたんだ。
で、すぐにTSUTAYAで買おうと思ったら在庫切れ。
なんていう役に立たない店だと思いつつ、
私がその頃お世話になっていたCDショップに行くと
ちゃんとその「遥か彼方」の入っていた
『崩壊アンプリファー』が置いてあったんだ。
だから、聴いてからおよそ7分後には手に入れていた。
そんな劇的な出会いがあって、それからゴッチのラジオを
聴いて、そこでELLEGARDENがゲストで出て、
で今に至るわけ。

そんなゴッチと今度はFoZZtoneが共演するんだって。
素晴らし過ぎる!

ゴッチにお願いしたい。
来年はナノムゲンフェスにFoZZtoneもって!

そんなアジカンと初めて出会った「遥か彼方」だけれど
最初これがアニメ「NARUTO」の主題歌だとは知らなかったんだ。
で、あとで知ったわけ。

この間、「NARUTO」の主題歌の人気ベスト10みたいなのが
発表されていたけれど、この曲が一位でないのが解せなかった。

なんでいきものがかりの曲なんだ?って

まあ、中高生が見ているアニメだから
仕方が無いかもしれない。

だって、いきものがかりが好きっていうのは
中学生の定番みたいなもんだもの。

人畜無害というか、
PTAご推薦というか
まあ、安全な保証付き音楽であるのだから。

マキシマムザホルモンと対極にある音楽かもしれない。

でも、私にしてはつまんない音楽だ。

こういう音楽を好きっていうので満足している子は
おそらく大人になってもさほど音楽にのめりこんだりせず
30才過ぎたころはもう音楽なんてあまり聴かないな~っていう
人になるに決まってる。

昔はよく聴いたんだけれどってね。

私の良く知る女の子で小学生の時に「遥か彼方」を
聴いて、小学生にしてアジカンのファンになった子がいる。
で、中学でエレキを始めて、アジカンの曲のフレーズを
練習していた。やがてその子はエルレの曲もやり、やがて
洋楽の世界に入り、メタリカやAvenged sevenfoldや
リンキンパークなどをバンドでやるような子になった。
もちろんリードギターで。

この子が小学生の時にいきものがかりの曲が
NARUTOの主題歌だったら、果たして彼女はその道に
行っただろうか?

小学生には難しかったかもしれないけれど
彼女はアジカンのアルバムを買いそろえて
いつも聴いていた。そこに彼女はロックを
感じたんだよね。

私が言いたいのは

これが音楽教育っていうもんじゃないのかな?って

よくフォズの竹尾さんが言っているそれだ。

あたりさわりのない音楽だけを与えていては
成長しないってこと。


それとは違うかもしれないけれど

よく「いいお嫁さんになるよ。」っていわれる
女性っているよね。

私の知るかぎり、いい奥さんになると言われて
結婚した人で離婚してない人はいない。

すなわち、いいお嫁さんをやると
相手は図に乗るし、あるいは何か物足りなくなるんだよね。
きっと。だから、「こんなにも私が完璧に妻をやっているのに。」って
感じの人に限って、終わるのが早い。

ほんとに驚くほどの確率。

反対に「これは困った嫁になりそうだ。」っていうような
人に限って、離婚することなく円満に家庭を営んでいる。


これは前のブログにも書いたけれど
誰からも好かれようとする人はつまんないものだということだ。
誰かには嫌われているけれども
誰かにはすごく惚れられている
そんな人は結局すごいパワーで幸せを掴めるんだね。


とりあえず、ゴッチとFoZZtoneのアコギバージョンのライブは
すっごく楽しくホットなものになるのは間違いないよね。

まず、ゴッチにフォズの「NEW WORLD」の曲を
聴いてほしい。ほんと素晴らしいから。



コメント (2)
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君が星空を見上げると

2011年08月01日 | 真田暎人/UESA
「君が星空を見上げると
そのどれかひとつに僕が住んでいるから
そのどれかひとつで僕が笑ってるから
君には星という星が、全部笑ってるみたいに
なるっていうこと。君には笑う星々をあげるんだ!」

これはサン・テグジュペリの「星の王子様」の一節。

なんだか偶然なんだけれど
昔何度も読み返したこの本の訳者が違うものを
最近購入して読んでいた。

すると真田暎人氏は「大人になって」という
歌を発表し、

渡會将士氏は
夜の海で砂を触ったとつぶやかれていた。

砂と星と大人そしてバラ

これは「星の王子様」を構成する4つのキーワードだと
自分で勝手に思っている。

30才を超えた人間は守りの体制の入り口に立つ。

ミュージシャンでもそうかもしれない。
守りの曲に入った人たちもいる。

でも、大人になることが必ずしもいいとは
限らないと思うんだ。

私なんてもうとっくの昔に30才なんて超えちゃっているから言えるけど
つまんないやつになるな!

何才になっても夢見てていいんだ。
夢は目に見えないし、掴めない。
音楽といっしょだね。
でも、自分を支えてくれるものだ。


昔シナリオ勉強してた時に先生に
「書く技術なんていくらでもどうにかなる。
それよりは自分の書きたいことを思いっきり
書きたいように書けばいいんだよ。恥ずかしさなんて
どうでもいいんだ。自分をさらけ出せばいいんだ。」
って言われた。

これってミュージシャンにも言えると思う。

演奏がどうとか、音程がどうとか
ギターテクがどうとか以前に
本当にやりたいことを全力でやっているかどうかで
それがへたくそでもなんでも最初はパワーだけでも
いいんじゃないかって。

それを気にするようになるのが
大人になった証拠かもしれないけれど
30そこそこでそれを受け入れちゃったら
なんか先が短い気がしちゃう。

だって、セックスピストルズの
ジョニー・ライドン見てごらんよ。

彼はほんと最初はちゃめちゃだったよ。
演奏も歌い方もめちゃくちゃ。

でも、今だに歌っているし
まだパワーを持っている。

サマソニにもまた来るしね。

彼ってもう50才は超えてるよね。

上手い演奏するからって
50才超えてもまだ現役でいられるってもんじゃない。

守りに入らず攻めていく姿勢。
それが「くそったれな大人」にならない大事なことだと
最近特に思う。


この間、写真でしか見てないけれど
片岡大志さんの歌いっぷりの写真見て
「こうでなくっちゃ。」って思った。
私はまだ彼のこういう姿で歌うのを
見たことがないけれど、一番きっと
好きになる彼の姿だと思う。

細美さんを見てよ。彼なんて30代後半で
まだあんなに生き生きして挑戦し続けている。
守りっていうものは彼には無いよね。
傷だらけになったって前に行く人だ。
だから私は大好きなんだ。

渡會さんも守りに入る入り口の30才にして
革命的な事をやらかして、どんどん前に
進んで行く。彼にも守りなんてもんは
必要じゃないんだ。敵にすら握手をって
感じだし。

で、真田さんは完全なる攻めじゃないところを
完全なる攻めにしてほしいと願う。

色んな事を言われたり、
私もブログであ~だこうだと君のこと言ったりしているけれど
一番の願いは「くそったれな大人」にはならないでほしいってこと。

40才代でまだ進化しつづけるチバさんのように
50才代でまだまだ笑顔を多くの人に届ける桑田さんのように
なっていってほしいんだ。

いわゆる周りに気を使って

「ちっちゃくまとまんなよ!」

である。


その世界をどうか飛び越えて
もっと多くの枠をとりはずして
やってみるだけの価値は
君の人生にはあるんだから。

私だって負けないつもり。
まだまだ進み続ける。
いろんな事にトライし続ける。

年齢なんてくそっくらえ!

30才そこそこのやつらに負けてたまるかってんの(笑)


私はやってみせるから。
絶対に。










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