HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

東京

2005年02月09日 | 邦楽
私は幼稚園児の時から小学校1年生の途中まで東京に住んでました。東京は父と母が大学生の時に恋に落ちた街でもあります(笑)ゆえに二人の思い出の場所に幼子の私を連れていってくれたものです。でも彼らは大学出てからそう時間をおかず結婚したのでお金がありません。最初は大阪の茨木市というところでのアパート住まい。次は抽選で当たった甲子園球場近くの兵庫県の公団の新築団地に住み、その間父は若くしてかなりの仕事をこなし、その力を見込まれて東京に転勤になりました。でも、やっぱりお金がないので東京の下町の団地がいっぱい立ち並ぶ西新井というところでやはり公団の団地に住みました。まわりは田んぼ・・・東京なのに今の「六本木ヒルズ」とか「お台場」とかのイメージからかけ離れたところでした。でも、すごく好きだったんです。電車に乗ると浅草もすぐだったし、東京の下町情緒はなんとも人情があつく、今思い出してもノスタルジーの世界に入っていきます。私にとっての東京は大都会ではなく、「ひ」を「し」としか発音できない(「ひろし」なら「しろし」)ばりばりの江戸っ子の住む下町のイメージなんです。たまにその空間に戻りたくなります。ずっと関西に住んでいるのにその頃の東京がせつなく思い出されます。たまに遠出してもトトロの映画にでてくるような武蔵野あたりをお弁当持ってでかけたり、ほとんど交通費だけですませるレジャーでした。でも楽しくて楽しくて。あの緑のトンネルが忘れられません。一方で子どもの私がリッチな気分になったのは銀座にある不二家の本店でクリームソーダを食べるというか飲ませてもらう時でした。たまに父が連れていってくれたのです。ゆえにペコちゃんを見るとそのグリーンにきらめくクリームソーダが思い出されます。

くるりの歌に「東京」という歌がありますが、私は彼らとこの歌で出会いました。たまたま京都のヴァージンメガストアに買い物帰りに立ち寄ったところ、インストアライブが始まる直前だったのです。まだデビュー直前で人はそんなにいなかったけど、その演奏と歌はその頃しばらく遠ざかっていた音楽のすばらしさを私に思い出させてくれました。もしかして彼らに出会わなかったら、私は今ほど音楽を聴いていなかったかもしれません。彼らの歌が私のロック魂(笑)の扉を再び開いてくれたのです。実は父の実家は京都で出生届けも京都で出された私は京都出身で、くるりの岸田君も京都出身。そして「東京」で繋がったのは不思議な縁です。そのインストアライブの後、お話した時のまだ無邪気な彼らが忘れられません。今やすっかり落ち着いて大人です。ドラマーがまたやめちゃったけど、これからも応援し続けます。
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