4月12日(月)雨【飢餓】
飢餓は最大の病にして 諸行は最大の苦しみなり
これを如実に知るならば 最上の楽なる涅槃あり(法句203)
釈尊は世界を眺められた時、アーラヴィーというところに住む一人の貧しい男に、預流の機根があることをご覧になりました。そこで、説法にお出かけになりましたが、この男は逃げた牛を探しに行ってしまいました。釈尊は彼が来るまで説法を始めないで待ちました。男は牛を見つけ戻ってきました。飢えに悩まされていましたが、食べないで釈尊の元に行き礼拝しました。釈尊は彼に食事を与えるように給仕の者に言いました。男は空腹が満たされ心が調いましたので、釈尊は法を説き、男は預流果を得たのだそうです。
弟子達がどうして食事の指示をなさったのかと、釈尊に訊ねますと、「飢えに苦しむうちは、法を説かれても洞察できないものです」と仰有り、上記の偈をお唱えになったそうです。(『ダンマパダ』ー大蔵出版283頁ー片山一良訳の因縁話を簡略に紹介しました)
大阪寝屋川で起きた、岸本瑠奈ちゃん(1歳10ヶ月)の痛ましい虐待死の事件。我が家のルナちゃんと同じお名前の赤ちゃん。
瑠奈ちゃんの体重は平均体重よりもはるかに少ない6キロだったそうです。十分に食べ物を与えられていなかったのでしょう。赤ちゃんの飢餓の心身、どんなに切ないことだったでしょう。顎の骨は折れ、タバコの火を押しつけられた跡もあったそうです。
この頃の幼い子等の虐待死について、あまりに痛ましく、記事に書くことはできませんでした。虐待死については書くことさえ辛いですね。それにしても、子を虐待する親の心は、どうしてこのように毀れてしまったのでしょうか。やはり彼らも虐待された経験が心に染みこんでいるのでしょうか。彼らに、罰として、数日間、食を与えない罰があってもよいかとさえ、この恐ろしい尼僧は思うのですが、すでに彼らも子ども頃にそんな経験をしているのでしょうか。もし、そうならば、かえって自分の子どもには、そんな思いはさせないはずだとも思うのですが。刑罰のことよりも、どうして彼らが、このようなことをするようになったかを探り、社会全体で考えることはできないでしょうか。
虐待されて亡くなられた幼い子等の冥福を祈るばかりです。
飢餓は最大の病にして 諸行は最大の苦しみなり
これを如実に知るならば 最上の楽なる涅槃あり(法句203)
釈尊は世界を眺められた時、アーラヴィーというところに住む一人の貧しい男に、預流の機根があることをご覧になりました。そこで、説法にお出かけになりましたが、この男は逃げた牛を探しに行ってしまいました。釈尊は彼が来るまで説法を始めないで待ちました。男は牛を見つけ戻ってきました。飢えに悩まされていましたが、食べないで釈尊の元に行き礼拝しました。釈尊は彼に食事を与えるように給仕の者に言いました。男は空腹が満たされ心が調いましたので、釈尊は法を説き、男は預流果を得たのだそうです。
弟子達がどうして食事の指示をなさったのかと、釈尊に訊ねますと、「飢えに苦しむうちは、法を説かれても洞察できないものです」と仰有り、上記の偈をお唱えになったそうです。(『ダンマパダ』ー大蔵出版283頁ー片山一良訳の因縁話を簡略に紹介しました)
大阪寝屋川で起きた、岸本瑠奈ちゃん(1歳10ヶ月)の痛ましい虐待死の事件。我が家のルナちゃんと同じお名前の赤ちゃん。
瑠奈ちゃんの体重は平均体重よりもはるかに少ない6キロだったそうです。十分に食べ物を与えられていなかったのでしょう。赤ちゃんの飢餓の心身、どんなに切ないことだったでしょう。顎の骨は折れ、タバコの火を押しつけられた跡もあったそうです。
この頃の幼い子等の虐待死について、あまりに痛ましく、記事に書くことはできませんでした。虐待死については書くことさえ辛いですね。それにしても、子を虐待する親の心は、どうしてこのように毀れてしまったのでしょうか。やはり彼らも虐待された経験が心に染みこんでいるのでしょうか。彼らに、罰として、数日間、食を与えない罰があってもよいかとさえ、この恐ろしい尼僧は思うのですが、すでに彼らも子ども頃にそんな経験をしているのでしょうか。もし、そうならば、かえって自分の子どもには、そんな思いはさせないはずだとも思うのですが。刑罰のことよりも、どうして彼らが、このようなことをするようになったかを探り、社会全体で考えることはできないでしょうか。
虐待されて亡くなられた幼い子等の冥福を祈るばかりです。
児童虐待する親は、自分自身がその虐待経験者である場合が多いとのこと。
宗教心と宗教教育の欠如ではないでしょうか。
私も『ダンマパダ』片山一良訳を買いました。片山老師の本はパーり仏典入門もそうですが、どれも高すぎますね。
内容を考えれば納得の値段ですが、もう少しどうにかならないものかと思います。
痛ましい事件が後を絶たず、なぜ!?と考えさせられる事件ばかりですが、幼児虐待の事件だけは四人子育てをしている経験から言えば、まったくわからないでもない・・・気が致します。その殆どは親の勝手な言い分ですが、そこに至るまでの過程の中で、善悪の判断すらわからなくなってしまう精神的な葛藤が有ったと思います。
私も三女が小さい頃、離婚や経済難から虐待まがいのことをしました。
一線を越えなかった背景には親身になって話をきいてくれる近所のおばあちゃんや友人の姿が有ったからです。
現在近所付き合いの希薄化、本音をぶつける場所が無い等で、どんどん自分の殻に閉じこもり最悪の結果を導いいてしまう親。
お寺がもっと開放的になり、こういった悩みをぶつける場所になったら・・・・
そう想いをめぐらしています。
7月に出家得度できる運びとなりました。
やっとスタートラインに立てた様です^-^
今後ともご指導宜しくお願い致します。
購買者が少ないからなのでしょうか。もしくはこの本一冊仕上げるのに、並々ならない時間もご苦労もあるのではないでしょうか。
ひびきさんは大人ですから、尼僧さんの世界になにがあっても驚かないでしょうし、それに押しつぶされることも、人間嫌いになることも無いと存じます。
きっといろいろなご苦労をなさったので、苦しむ人びとのお役にたってくださる僧侶になってくださると期待しています。
僧堂の修行も若い人と違って、身体的に大変でしょうが、くれぐれもお大事に。まずは7月が待ち遠しい日々ですね。