風月庵だより

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七回忌の法事に

2006-11-05 17:38:04 | Weblog
11月5日(日)晴れ【七回忌の法事に】

今日の法事は埼玉方面なので早めに出発した。ハンドルを握りながら、今日の法事の家のお孫さんたちがどんなに成長しているか、想像するのは楽しいことだった。今週はたまたま法事が三軒ともお祖父ちゃんの七回忌の家ばかりであり、どの家にもお孫さんがいて、この六年間の成長をそれぞれの家に見ることができた。

私にとってご法事に伺う一番の楽しみは、その家のお子さんやお孫さんの成長を目にすることである。そして小さい頃からいつでもこの庵主から何かしら話を聞いて、共に手を合わせる。法事の度に手を合わせつつ育ってくれることが楽しみである。

お祖父ちゃんに感謝してお線香をあげようね、と私が言えば、「お祖父ちゃん、いつも見守っていてくれて、有り難う」と本当に可愛い声に出してお参りをしてくれた子供たち。六年たって幼稚園だった坊やも小学生になり、小学生は高校生にはやなっていて、時の流れを法事の度にあらためて実感するのである。

今日の家は、一番上のお兄ちゃんはもう大学生、いつぞやはバレリーナが夢だといっていた少女は素敵なお嬢さんに成長していた。バレリーナの夢はどうなったか今日は聞きそびれてしまったが、活き活きとした表情に、ここまで育ってくれていれば、自分の人生をしっかりと歩いていけるだろうと安心したりした。(これまでに育てるご両親や周りの人の努力の賜物であろう)

そして私のできるささやかな役目は、血の流れの命に感謝すること、そして血の流れだけでは命は生まれないこと、天地一杯の命、宇宙の生命が吹き込まれなくてはこの命は無いことを、法事の度に小さいときからインプットしていくことだと思っている。

そして法事のときには感謝をこめてお祖父ちゃんに感謝、天地に感謝のお拝を共にしている。理屈ではなく、体で天地に真を捧げること。宝物の子供たちにこのようなことを伝えていくのが、私の僧侶としての役目だと思う。

お祖父ちゃんたちのエネルギーはすでに輪廻転生しているかもしれないし、宇宙のエネルギーに組み込まれて、天地に遍満しているかもしれない。冥福を祈ることは感謝を表すことに尽きるであろう。

今夜は満月、夕方の五時前なのに、晩秋の満月ははや東に美しくあがっている。少しお月様の光を頂こうか。

*参考【輪廻転生について】2006年2月17日
*【人はどのように輪廻転生するのか】2006年2月28日

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4 コメント

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小さいうちの教育の大切さ (うさじい)
2006-11-07 05:34:38
感受性の豊な子供の時に、先祖供養の大切さを教えることは非常に重要なことだと思います。

大人たちがいつもと違う雰囲気で黒い服を着、そこへお坊様がいらっしゃる、と言う非日常空間は子供心に深く染み入るはずです。

風月さんがお話になったことは、より深く子供たちの心に刻み付けられたことでしょう。
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うさじいさんへ (風月)
2006-11-07 11:12:37
本当にそうだとよいのですが。とにかく小さな子どもの頃は素直ですから、この時期に子どもの情操が楽しく、美しく養われるようなことを周りも気をつけてあげる必要がありますね。

昔はそれほど気をつけなくても子どもは育ったのですが、豊かになると子どもはスポイルされてしまいますから。大人でさえスポイルされてしまうのですから。私も軟弱になっています。心しなければと思います。うさじいさんの日々の行事を学びたいと思っています。

やはり早起きがまず大事なことなのですが、風邪を引いて以来軟弱振りはひどくなっています。なんとか立て直さなければと思っています。
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Unknown (りょう)
2006-11-09 13:25:10
前回の記事も含めて、風月さんの生命観にはとても共鳴するものを感じます。

宇宙が137億年前にはじまって以来、連綿とこの私まで命のリレーは途切れなくつながってきた・・・

私たちひとりひとりの命には宇宙137億年の歴史が込められているということ。

そして、私の命は私の好き勝手していいのではなく、無限のご先祖様、宇宙一杯の無限のご縁からいただいた言わば預かりものの命であるということ。

この預かりものの命をどう生かしていくか。

若い世代にも分かりやすいように伝えていきたいと思います。

それにしても文面から、風月さんの自然体で子どもたちに接する様子がとても伝わってきます。

素敵ですね!

私も見習いたいと思います。

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りょうさんへ (風月)
2006-11-09 13:35:08
お褒めに与り恐縮です。これはやはり年の功というべきでしょう。だれしもいろんな荒波を乗り越えて、少し年を取ると、やはり角が取れるようになるということでしょうか

ただ私は結構堅いところがあって、ぶつかることもたまにありますが。

子供たちには、まあるくいきたいですね。りょうさんは常に子供たちと接していらっしゃるので、僧侶としての園長先生として、力量発揮は天の願いでしょう。
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