2月26日(日)雨【人はどのように輪廻転生するのか】
フクロウ博士に講義を受けて、再び輪廻転生についてまとめてみたい。この一文は輪廻転生について私の意見を論じようというのではない。私にはそれを論じられるだけの材料も学びもないので、老尼が自らのために輪廻転生について、なんとか自分の言葉で理解しようという試みだとご了承下さい。なおフクロウ博士は学問的にも深い所を講義してくださるのだが、私が理解しきれないのでお許し頂きたい。
フクロウ博士がブログを立ち上げましたのお知らせします。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka
原始仏教を学ぶ人にとって、釈尊が輪廻転生を説いたということは学習されていることである。なぜならば原始経典に輪廻転生を説いた教典が多く存在するからである。逆に輪廻転生は無いと説いた教典は存在しない。
先ず輪廻転生を説いた教典の該当箇所を挙げようと思ったが、ブログをお読み下さる気力が無くなる感じがしたので、該当箇所は文末に挙げておくこととする。
文末に挙げたようにパーリ仏典には「四の聖諦を如実に/観ぜざるによりて/久しく処処の生に/輪廻したりき/此等の[聖諦]を観じたれば/有索を滅し/苦の根本を断ち/更に後有を受けず」とある。「四聖諦を如実に観ることができたので、また後の生存は受けない。」ということは、つまり釈尊の輪廻転生はこれで終わり、ということだ。四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している箇所である。
また片山一良先生の訳による『中部経典』には《私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。》とある。この箇所についてはあらためて言い直す必要はないほど明瞭である。文末の引用箇所を読んでいただけば分かるように、智と見が生じたことによって、もはや再生はないのである。とすると逆に言えば智と見を生じない間は再生があるということになる。
漢訳の『中阿含』はほぼ片山先生の訳されたパーリ仏典と同じような内容である。また『増一阿含経』の引用箇所はパーリ仏典の「大品-第六薬犍度」と同じような内容となっている。
このように四聖諦を自覚せず、智と見(一切知智)を生じないうちは、輪廻転生すると書かれた原始経典がたしかに存在しているのである。これをどう読み解くか、そこが学者によって意見の異なるところである。学説が種種あるので、どの説をとったらよいか悩むところになるわけである。簡単な分類としては輪廻説肯定論と輪廻説否定論とに分けられよう。「輪廻してきた」「これは最後の生まれである」という経典を読んだとしても、輪廻否定論は出てくる。輪廻否定論については文末にフクロウ博士のコメントを転載させて頂きましたのでご参照下さい。)
輪廻肯定論として、今の生が誰か過去世の人の生まれ変わり、というような神秘的な受け取り方があるが、フクロウ博士はそのようなものではない、と言われる。例えば蝋燭の火を受け継ぐように生が受け継がれていく。完全に尽きた蝋燭はそれでお終い、全く新たな蝋燭に火がともっていくのである。また例えばコピーを考えてみると、コピーした用紙とコピーされた用紙は全く同じことが写し出されてはいるが、コピーした元がコピーされた用紙に乗り移ったわけではなく、厳然と二枚の用紙は存在している。このような輪廻の形であろうということになろうか。『ミリンダ王の問い』には火の譬えやマンゴーの譬えが具体的に書かれているが、理解するに簡単ではない。輪廻の方法を「識が流れ込む」といい「結生」と南伝のアビダルマでは言うそうだ。
誰かの生まれ変わりというと生まれかわる主体があることになるので、釈尊は主体が無いことを説いたのだから、それは矛盾することになる。片山先生の訳されたパーリ仏典「大愛尽経」*のなかに「私は世尊がこのように法を説かれたと理解する。すなわちこの識は流転し、輪廻し、同一不変である」このように釈尊の言葉を受け取っていたサーティ比丘の過ちを釈尊が叱る箇所がある。釈尊は言われた。「縁がなければ、識の生起はない」と。つまり輪廻は乗り移りのようなものではないことを釈尊が説かれている箇所である。生まれ変わりという輪廻は、神秘的であり理解しやすい形ではあるが、私もそのような輪廻転生はおかしいと思っている。
しかしダライラマやパンチェンラマたちの生まれ変わりを説くチベット仏教では、独自の理論があり、簡単に生まれ変わりというようなことではないようだ。ダライラマやパンチェンラマのような活仏は仏祖の化身というとらえかたであり、チベット仏教では霊魂不滅の観念があるといえよう。
とにかく中国禅や日本の禅宗では輪廻転生説を問題にさえしない傾向がある(牛に生まれ変わる話はあるので、またこれに関しては後日書かせて頂きたい)が、仏教について切り口の違いと言って、輪廻転生の問題から逃げずにそれぞれ考えるのは大事であると思うので、フクロウ博士が分かりやすいと言われる本を参考として、いくつかあげておきますので、それぞれお読みください。おまかせします。
輪廻転生に関する現時点での私の総括としては、次のようなところである。私の火を未来にバトンタッチするのなら、少しでもより楽しい火をバトンタッチしたいものであり、もっと楽しい人間になれるように努力したいものである。僧侶としては、四聖諦をよく観察し、八正道をできる限り行じるようにして、ということになろうか。
次の注記も含めこの程度の紹介で申し訳ありませんが、ご容赦下さい。
************************
○フクロウ博士のコメント:
去年の終わりごろに、仏大の並川孝儀先生が『ゴータマ・ブッダ考』(大蔵出版)をお出しになられました。皆様にも是非ともお読みいただきたいと思いますが、このご著書の第3章は「原始仏教にみられる輪廻思想」と題されるもので、原始仏教聖典のうちでも「古層」および「最古層」とされている文献資料の分析を通して、釈尊の輪廻観を明らかにしておられます。先生は、特に「最古層」の記述から、〈・・・輪廻に対する態度は消極的であり、仮に輪廻に関する用語を使用しても、ものの考え方や見方はあくまで現世に力点を置くという態度を示していたことが読み取れた〉(pp.128-129)と述べておられます。
なお、同書に対しては、輪廻否定論者を自認する評論家の宮崎哲弥氏が、アサヒコムに2006年02月05日付けの書評を公表しており、〈ブッダ自身の輪廻観は飽(あ)くまで否定的であったと推すことができるのだ。・・・当時から流布していた輪廻という観念の因襲を、無我の思想を立てて解体しようとしたブッダの姿を、本書は見せてくれる〉と述べています。
私は、原始仏典(初期仏典)の「古層部」「最古層部」とか「新層部」とかといった区分は、学者たちによって便宜的に設定されているものにすぎず、絶対的かつ確定的なものではないことを承知しております。よくいう「韻文古層説」も、便宜的なものにすぎません。もちろん、それぞれの学者たちは、それなりの根拠を提示して新古の層の線引き基準を立てており、そうした根拠には、傾聴に値する話も少なからず含まれますので、新古の議論(推論)そのものが戲論であるとは考えません。しかし、そうした便宜的な線引きに基づいて導き出された考証結果は、仮説の域を出ないということを忘れてはなりません。
話題は変わりますが、中村元先生の『ブッダのことば』(岩波文庫)があります。有名な本で、愛読者も多いかと思われます。これは、パーリ語で伝承された仏典『スッタニパータ』を翻訳したものです。『スッタニパータ』は、大部分が韻文(詩句)で書かれております。原始仏典に属するとされ、比較的古い文献の一つとされております。それはさておき、その『スッタニパータ』の第1146偈の注記において、中村博士は、〈・・・最初期の仏教は信仰(saddhaa)なるものを説かなかった。何となれば信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スタニパータ』の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった〉(p.431)と述べております。釈尊が存命中のうんと古い時代には、仏であれ法であれ、そのようなものは信仰の対象ではなく、したがって、信仰など説かなかったというのです。この説に対しては、後にあるところで大きな議論を生むことになり、論駁されるのですが、新古の線引きがひとり歩きした結果もたらされた原始仏教論としか思えません。
我々は、釈尊の教えとは何であるのか、仏教とは何であるのか、ということを考えるに際して、これまで近代仏教学が積み上げてきた成果を十分に踏まえるとともに、いまいちど批判的に再検討していく必要があると思います(大変なことですけれど・・・)。
追記 (Dr. Owl) 2006-02-26 17:40:26
長文の書き込みで申しわけございません。若干の追記がございます。上述の論駁とは、村上真完「「信を発せ」再考 ―Pamuncantu saddham―」(国際仏教徒協会『佛教研究』第22号所収)などにおけるものである。
なお、中村博士は、『スッタニパータ』の第1147偈に対する注記で、〈この詩および前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずることという意味の信仰(saddhaa)は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信(pasaada)は、これを説いていたのである〉(p.431、「この詩」とは第1147偈、「前の詩」とは第1146偈を指す)と述べております。しかし、saddhaa(信仰)とpasaada(澄浄、浄信)が、インド語の使用法において厳格に峻別されているのかどうか、疑問の残るところです。
*道元禅師の輪廻、中国禅に出てくる輪廻については項をあらためてまとめたい。
*参考図書
石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社、『春秋』2005.12,2006.1月号「仏教と輪廻」
宮本啓一著『ブッダが考えたこと-これが最初の仏教だ』春秋社、『春秋』2005.11月号「倫理的要請としての輪廻」
*輪廻転生について説かれた該当個所
○パーリ仏典「「大品-第六薬犍度」
29-1 時に世尊は拘利村に到りたまえり。此に世尊は拘利村に住したまへり。此に世尊は比丘等に告げて言いたまへり、「比丘等よ、四聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。何をか四と為すや。比丘等よ、苦聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も 汝等も久しく流転輪廻せり。苦集聖諦を[…乃至…]苦滅聖諦を[…乃至…]順苦滅道聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。
29-2 比丘等よ、今や苦聖諦を了悟し通達せり、苦集聖諦を了悟し通達せり、苦滅聖諦を了悟し通達せり、有愛を断じ有索を尽くし更に後有を受けず。
四の聖諦を如実に
観ぜざるによりて
久しく処処の生に
輪廻したりき
此等の[聖諦]を観じたれば
有索を滅し(*この語の訳が不明であるが、原語は再有なので再びの生存となる)
苦の根本を断ち
更に後有を受けず」
『南伝大蔵経』巻3「律蔵」404~405頁
○パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』
そして比丘たちよ、私は自ら生まれる法の者でありながら、生まれの法に危難を見て、不生の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不生の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら老いる法の者でありながら、老いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不老の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら病む法の者でありながら、病いの法に危難を見て、不病の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不病の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら死ぬ法の者でありながら、死の法に危難を見て、不死の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不死の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら憂う法の者でありながら、憂いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不憂の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら汚れる法の者でありながら、汚れの法に危難を見て、不汚の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不汚の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
さらにまた私に智と見が生じました。〈私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。〉
片山一良訳(大蔵出版)46頁
○漢訳仏典『中阿含経』巻56「羅摩経」
我求無病無上安穏涅槃。便得無病無上安穏涅槃。求無老無死無愁憂感無穢汚無上安穏涅槃。生知生見。定道品法。生已尽梵行已立。所作已弁不更受有知如真。
『大正大蔵経』巻1ー777頁a段
○漢訳仏典『増一阿含経』
有此四諦。實有不虚。世尊之所説。故名爲諦。諸有衆生二足・三足・四足。欲者・色者・無色者。有想・無想者。如來最上。然成此四諦。故名爲四諦。是謂。比丘。有此四諦。然不覺知。長處生死。輪轉五道。我今以得此四諦。從此岸至彼岸。成就此義。斷生死根本。更不復受有。如實知之爾時。世尊便説此偈
今有四諦法如実而不知 輪転生死中終不有解脱
如今有四諦以覚以暁了 以断生死根更亦不受有 『大正大蔵経』巻2-631頁*この箇所は愚禿氏の指摘箇所
○漢訳仏典『大般涅槃経』巻上
有四聖諦。當勤觀察。一者苦諦。二者集諦。三者滅諦。四者道諦。比丘。苦諦者。所謂八苦。一生苦。二老苦。三病苦。四死苦。五所求不得苦。六怨憎會苦。七愛別離苦。八五受陰苦。汝等當知。此八種苦。及有漏法。以逼迫故。諦實是苦。集諦者。無明及愛。
能爲八苦而作因本。當知此集。諦是苦因。滅諦者。無明愛滅絶於苦因。當知此滅。諦實是
滅。道諦者。八正道。一正見。二正念。三正思惟。四正業。五正精進。六正語。七正命。
八正定。此八法者。諦是聖道。若人精勤。觀此四法。速離生死。到解脱處。
『大正蔵大藏経』巻1、195頁b段
○文中*印「大愛尽経」:パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』(大蔵出版)234頁~239頁参照。
○『長阿含経』1「大本経」(『大正蔵大藏経』巻1、1~10頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅰ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)67~116頁)
○『長阿含経』13「大縁方便経」(『大正蔵大藏経』巻1、60~62頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅱ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)45~59頁)
フクロウ博士に講義を受けて、再び輪廻転生についてまとめてみたい。この一文は輪廻転生について私の意見を論じようというのではない。私にはそれを論じられるだけの材料も学びもないので、老尼が自らのために輪廻転生について、なんとか自分の言葉で理解しようという試みだとご了承下さい。なおフクロウ博士は学問的にも深い所を講義してくださるのだが、私が理解しきれないのでお許し頂きたい。
フクロウ博士がブログを立ち上げましたのお知らせします。http://plaza.rakuten.co.jp/savaka
原始仏教を学ぶ人にとって、釈尊が輪廻転生を説いたということは学習されていることである。なぜならば原始経典に輪廻転生を説いた教典が多く存在するからである。逆に輪廻転生は無いと説いた教典は存在しない。
先ず輪廻転生を説いた教典の該当箇所を挙げようと思ったが、ブログをお読み下さる気力が無くなる感じがしたので、該当箇所は文末に挙げておくこととする。
文末に挙げたようにパーリ仏典には「四の聖諦を如実に/観ぜざるによりて/久しく処処の生に/輪廻したりき/此等の[聖諦]を観じたれば/有索を滅し/苦の根本を断ち/更に後有を受けず」とある。「四聖諦を如実に観ることができたので、また後の生存は受けない。」ということは、つまり釈尊の輪廻転生はこれで終わり、ということだ。四聖諦を観じていない間は輪廻転生していたと明言している箇所である。
また片山一良先生の訳による『中部経典』には《私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。》とある。この箇所についてはあらためて言い直す必要はないほど明瞭である。文末の引用箇所を読んでいただけば分かるように、智と見が生じたことによって、もはや再生はないのである。とすると逆に言えば智と見を生じない間は再生があるということになる。
漢訳の『中阿含』はほぼ片山先生の訳されたパーリ仏典と同じような内容である。また『増一阿含経』の引用箇所はパーリ仏典の「大品-第六薬犍度」と同じような内容となっている。
このように四聖諦を自覚せず、智と見(一切知智)を生じないうちは、輪廻転生すると書かれた原始経典がたしかに存在しているのである。これをどう読み解くか、そこが学者によって意見の異なるところである。学説が種種あるので、どの説をとったらよいか悩むところになるわけである。簡単な分類としては輪廻説肯定論と輪廻説否定論とに分けられよう。「輪廻してきた」「これは最後の生まれである」という経典を読んだとしても、輪廻否定論は出てくる。輪廻否定論については文末にフクロウ博士のコメントを転載させて頂きましたのでご参照下さい。)
輪廻肯定論として、今の生が誰か過去世の人の生まれ変わり、というような神秘的な受け取り方があるが、フクロウ博士はそのようなものではない、と言われる。例えば蝋燭の火を受け継ぐように生が受け継がれていく。完全に尽きた蝋燭はそれでお終い、全く新たな蝋燭に火がともっていくのである。また例えばコピーを考えてみると、コピーした用紙とコピーされた用紙は全く同じことが写し出されてはいるが、コピーした元がコピーされた用紙に乗り移ったわけではなく、厳然と二枚の用紙は存在している。このような輪廻の形であろうということになろうか。『ミリンダ王の問い』には火の譬えやマンゴーの譬えが具体的に書かれているが、理解するに簡単ではない。輪廻の方法を「識が流れ込む」といい「結生」と南伝のアビダルマでは言うそうだ。
誰かの生まれ変わりというと生まれかわる主体があることになるので、釈尊は主体が無いことを説いたのだから、それは矛盾することになる。片山先生の訳されたパーリ仏典「大愛尽経」*のなかに「私は世尊がこのように法を説かれたと理解する。すなわちこの識は流転し、輪廻し、同一不変である」このように釈尊の言葉を受け取っていたサーティ比丘の過ちを釈尊が叱る箇所がある。釈尊は言われた。「縁がなければ、識の生起はない」と。つまり輪廻は乗り移りのようなものではないことを釈尊が説かれている箇所である。生まれ変わりという輪廻は、神秘的であり理解しやすい形ではあるが、私もそのような輪廻転生はおかしいと思っている。
しかしダライラマやパンチェンラマたちの生まれ変わりを説くチベット仏教では、独自の理論があり、簡単に生まれ変わりというようなことではないようだ。ダライラマやパンチェンラマのような活仏は仏祖の化身というとらえかたであり、チベット仏教では霊魂不滅の観念があるといえよう。
とにかく中国禅や日本の禅宗では輪廻転生説を問題にさえしない傾向がある(牛に生まれ変わる話はあるので、またこれに関しては後日書かせて頂きたい)が、仏教について切り口の違いと言って、輪廻転生の問題から逃げずにそれぞれ考えるのは大事であると思うので、フクロウ博士が分かりやすいと言われる本を参考として、いくつかあげておきますので、それぞれお読みください。おまかせします。
輪廻転生に関する現時点での私の総括としては、次のようなところである。私の火を未来にバトンタッチするのなら、少しでもより楽しい火をバトンタッチしたいものであり、もっと楽しい人間になれるように努力したいものである。僧侶としては、四聖諦をよく観察し、八正道をできる限り行じるようにして、ということになろうか。
次の注記も含めこの程度の紹介で申し訳ありませんが、ご容赦下さい。
************************
○フクロウ博士のコメント:
去年の終わりごろに、仏大の並川孝儀先生が『ゴータマ・ブッダ考』(大蔵出版)をお出しになられました。皆様にも是非ともお読みいただきたいと思いますが、このご著書の第3章は「原始仏教にみられる輪廻思想」と題されるもので、原始仏教聖典のうちでも「古層」および「最古層」とされている文献資料の分析を通して、釈尊の輪廻観を明らかにしておられます。先生は、特に「最古層」の記述から、〈・・・輪廻に対する態度は消極的であり、仮に輪廻に関する用語を使用しても、ものの考え方や見方はあくまで現世に力点を置くという態度を示していたことが読み取れた〉(pp.128-129)と述べておられます。
なお、同書に対しては、輪廻否定論者を自認する評論家の宮崎哲弥氏が、アサヒコムに2006年02月05日付けの書評を公表しており、〈ブッダ自身の輪廻観は飽(あ)くまで否定的であったと推すことができるのだ。・・・当時から流布していた輪廻という観念の因襲を、無我の思想を立てて解体しようとしたブッダの姿を、本書は見せてくれる〉と述べています。
私は、原始仏典(初期仏典)の「古層部」「最古層部」とか「新層部」とかといった区分は、学者たちによって便宜的に設定されているものにすぎず、絶対的かつ確定的なものではないことを承知しております。よくいう「韻文古層説」も、便宜的なものにすぎません。もちろん、それぞれの学者たちは、それなりの根拠を提示して新古の層の線引き基準を立てており、そうした根拠には、傾聴に値する話も少なからず含まれますので、新古の議論(推論)そのものが戲論であるとは考えません。しかし、そうした便宜的な線引きに基づいて導き出された考証結果は、仮説の域を出ないということを忘れてはなりません。
話題は変わりますが、中村元先生の『ブッダのことば』(岩波文庫)があります。有名な本で、愛読者も多いかと思われます。これは、パーリ語で伝承された仏典『スッタニパータ』を翻訳したものです。『スッタニパータ』は、大部分が韻文(詩句)で書かれております。原始仏典に属するとされ、比較的古い文献の一つとされております。それはさておき、その『スッタニパータ』の第1146偈の注記において、中村博士は、〈・・・最初期の仏教は信仰(saddhaa)なるものを説かなかった。何となれば信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スタニパータ』の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった〉(p.431)と述べております。釈尊が存命中のうんと古い時代には、仏であれ法であれ、そのようなものは信仰の対象ではなく、したがって、信仰など説かなかったというのです。この説に対しては、後にあるところで大きな議論を生むことになり、論駁されるのですが、新古の線引きがひとり歩きした結果もたらされた原始仏教論としか思えません。
我々は、釈尊の教えとは何であるのか、仏教とは何であるのか、ということを考えるに際して、これまで近代仏教学が積み上げてきた成果を十分に踏まえるとともに、いまいちど批判的に再検討していく必要があると思います(大変なことですけれど・・・)。
追記 (Dr. Owl) 2006-02-26 17:40:26
長文の書き込みで申しわけございません。若干の追記がございます。上述の論駁とは、村上真完「「信を発せ」再考 ―Pamuncantu saddham―」(国際仏教徒協会『佛教研究』第22号所収)などにおけるものである。
なお、中村博士は、『スッタニパータ』の第1147偈に対する注記で、〈この詩および前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずることという意味の信仰(saddhaa)は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信(pasaada)は、これを説いていたのである〉(p.431、「この詩」とは第1147偈、「前の詩」とは第1146偈を指す)と述べております。しかし、saddhaa(信仰)とpasaada(澄浄、浄信)が、インド語の使用法において厳格に峻別されているのかどうか、疑問の残るところです。
*道元禅師の輪廻、中国禅に出てくる輪廻については項をあらためてまとめたい。
*参考図書
石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社、『春秋』2005.12,2006.1月号「仏教と輪廻」
宮本啓一著『ブッダが考えたこと-これが最初の仏教だ』春秋社、『春秋』2005.11月号「倫理的要請としての輪廻」
*輪廻転生について説かれた該当個所
○パーリ仏典「「大品-第六薬犍度」
29-1 時に世尊は拘利村に到りたまえり。此に世尊は拘利村に住したまへり。此に世尊は比丘等に告げて言いたまへり、「比丘等よ、四聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。何をか四と為すや。比丘等よ、苦聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も 汝等も久しく流転輪廻せり。苦集聖諦を[…乃至…]苦滅聖諦を[…乃至…]順苦滅道聖諦を了悟せず通達せざるによりて此の如く我も汝等も久しく流転輪廻せり。
29-2 比丘等よ、今や苦聖諦を了悟し通達せり、苦集聖諦を了悟し通達せり、苦滅聖諦を了悟し通達せり、有愛を断じ有索を尽くし更に後有を受けず。
四の聖諦を如実に
観ぜざるによりて
久しく処処の生に
輪廻したりき
此等の[聖諦]を観じたれば
有索を滅し(*この語の訳が不明であるが、原語は再有なので再びの生存となる)
苦の根本を断ち
更に後有を受けず」
『南伝大蔵経』巻3「律蔵」404~405頁
○パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』
そして比丘たちよ、私は自ら生まれる法の者でありながら、生まれの法に危難を見て、不生の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不生の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら老いる法の者でありながら、老いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不老の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら病む法の者でありながら、病いの法に危難を見て、不病の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不病の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら死ぬ法の者でありながら、死の法に危難を見て、不死の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不死の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです。
自ら憂う法の者でありながら、憂いの法に危難を見て、不老の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不憂の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
自ら汚れる法の者でありながら、汚れの法に危難を見て、不汚の、無上の無碍安穏の涅槃を求めつつ、不汚の、無上の、無碍安穏の涅槃に到達したのです
さらにまた私に智と見が生じました。〈私の解脱は不動である。これは最後の生まれである。もはや再生はない。〉
片山一良訳(大蔵出版)46頁
○漢訳仏典『中阿含経』巻56「羅摩経」
我求無病無上安穏涅槃。便得無病無上安穏涅槃。求無老無死無愁憂感無穢汚無上安穏涅槃。生知生見。定道品法。生已尽梵行已立。所作已弁不更受有知如真。
『大正大蔵経』巻1ー777頁a段
○漢訳仏典『増一阿含経』
有此四諦。實有不虚。世尊之所説。故名爲諦。諸有衆生二足・三足・四足。欲者・色者・無色者。有想・無想者。如來最上。然成此四諦。故名爲四諦。是謂。比丘。有此四諦。然不覺知。長處生死。輪轉五道。我今以得此四諦。從此岸至彼岸。成就此義。斷生死根本。更不復受有。如實知之爾時。世尊便説此偈
今有四諦法如実而不知 輪転生死中終不有解脱
如今有四諦以覚以暁了 以断生死根更亦不受有 『大正大蔵経』巻2-631頁*この箇所は愚禿氏の指摘箇所
○漢訳仏典『大般涅槃経』巻上
有四聖諦。當勤觀察。一者苦諦。二者集諦。三者滅諦。四者道諦。比丘。苦諦者。所謂八苦。一生苦。二老苦。三病苦。四死苦。五所求不得苦。六怨憎會苦。七愛別離苦。八五受陰苦。汝等當知。此八種苦。及有漏法。以逼迫故。諦實是苦。集諦者。無明及愛。
能爲八苦而作因本。當知此集。諦是苦因。滅諦者。無明愛滅絶於苦因。當知此滅。諦實是
滅。道諦者。八正道。一正見。二正念。三正思惟。四正業。五正精進。六正語。七正命。
八正定。此八法者。諦是聖道。若人精勤。觀此四法。速離生死。到解脱處。
『大正蔵大藏経』巻1、195頁b段
○文中*印「大愛尽経」:パーリ仏典『中部(マッジマニカーヤ)中部根本五十経篇Ⅱ』(大蔵出版)234頁~239頁参照。
○『長阿含経』1「大本経」(『大正蔵大藏経』巻1、1~10頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅰ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)67~116頁)
○『長阿含経』13「大縁方便経」(『大正蔵大藏経』巻1、60~62頁)和文を参考になさりたい方は『長阿含経Ⅱ』(『新国訳大蔵経』(大蔵出版)45~59頁)