5月17日(日)晴れ 暑いです 【複雑な家庭というが】
よく「家は複雑な家庭なのです」という人が日本人にはいます。どんなですか、と聞くと、
「父と母が離婚していまして」というようなことを言われます。
日本の人は離婚を複雑と言いますが、他の国の人は違っています。例えば、私の弟の息子と孫が先日スエーデンから遊びに来ました。この息子はスエーデン人の母親から産まれましたし、彼にとっては父親の二度目の日本人の奥さんから産まれた日本人の妹がいます。さらにスエーデンの母親の方には、母親の二度目の夫との間に産まれたスエーデン人の弟と妹がいます。複雑と言えば複雑ですが、少しもそのようなことを深刻化していません。
まあ、周りにもよくある話ではあるのでしょうが、家庭的なことをより複雑かつ深刻化して自分の身を不幸な人間と思っている日本人はかなり多いと思います。これは日本の湿気が多すぎるように思います。
同じことでも国民性の違いで受け取り方がずいぶん違うことがあると思います。たとえば養子縁組についても、日本人は「あの子は貰いっ子だ」などと言いますが、全くそのようなことを気にしない国もあります。(貰いっ子という表現は差別のある言葉ですが、このような表現を使うということの例えですので、ご了承ください。)
自分を取り巻く環境、特に家庭的な環境を必要以上に深刻に受け取り、自分が暗いのはそのせいであるとか、自分が心の病になったのはそのせいである、とする人に時々出会いますが、外界のせいにしない方が、気楽に生きられるのではないかと思うのです。
それで、自分のことを延々と話し続ける人につかまってしまったら、かなりのストレスになってしまいます。よく傾聴ということを耳にしますが、私はこのような話にはあまり耳を傾ける親切心を持ち合わせていません。
湿気の多い日本に暮らしていると、湿気の多い判断をしてしまうことがあるということを、少し考慮してもらえると、もっと楽な生き方ができるのじゃないでしょうか、と言いたい時が時々ありますね。
たまたま私も難しい家庭環境で育ちましたが、お陰様で人のできない苦労を経験させてもらっています。その苦労なくして今の私はないと思います。面白かった、と思っています。
泣いても笑っても一生です。人生はなかなかいろいろあって面白いのではないでしょうか。
(久々のルナです。
「ワタシもフクザツと言えばフクザツよ、大好きだった姉妹のキヨちゃんとは、離ればなれになってしまって会えませんし、お兄ちゃんのモルちゃんとは、幼い時に別れたきり一度も会っていません。それなのに今は、全く血のつながりのないタローを弟だと和尚さんに言われていますし、外には、タローの姉妹や兄弟や母親が住んでいますし、フクザツでしょう。」)
(こうして久々にキヨちゃんと一緒だったころのルナの写真を見てみますと、やはりキヨちゃんと別れた寂しさは、どこかにあるのではないかと人間的な感情としてはやはり思ってしまいました。例えば父親と、例えば母親と、たとえば兄弟姉妹と、離婚によって離ればなれになってしまったという寂しさは、確かにあると思います。その辛さが、そのような経験をした人の人間形成に影響することは、たしかにあることでしょう。)