4月1日(水)曇り 【老々介護 徧界の弥露は夢なり】
はや4月です。なんだかあまりに月日が早くたつように感じます。恐ろしくさえあります。でも花粉症の時季は早くに早くに通り過ぎてほしいですね。私が独裁者ならば、日本中の杉の木を伐採させることでしょう。
さて、我が母は、先々週デイサービスデビュ-をしたのですが、一回行っただけで、もう絶対に行きたくないと言うのでやむを得ずデイサービスはお見送りです。理由はトイレが遠すぎるということと、疲れるということです。家にいるときほど自由ではありませんし、人と話すことは疲れるようです。しかし、少し緊張することも必要なのでしょうが、困ったものです。そのうちなんとかもう少し考えたいと思っています。
今日は看護師さんが来てくれましたので、お通じを出してもらったので気分はよいと思います。しかし、看護師さんの浣腸のお仕事は偉大ですね。そばで見ていても、仕事とはいえよくそのようなことができるものだと、感心してしまいます。私もたまに、母がお通じがないとき、苦しむので、少しは真似事をしましたが、全くその比ではありません。
母は時々おかしいことがあります。今朝、黒豆を小鉢にいっぱい出したのですが、お客さんが来たのでちょっと外で立ち話をして戻ってみたら、小鉢が空になっていました。何日かかけて食べようかと思った分量でしたので、驚いてしまいました。「少ししかなかったよ」と言います。食べたばかりでも「何か食べたかしら」と言います。
つくづく食べることと、出すことが、人間の身体にとって重大事だと実感しています。ところで、今日本の最長寿者は115歳だそうですね。その前は117歳の方だったそうですね。母はどのくらい生きるでしょうね。「願わくば、私よりお先にどうぞ」
(北の窓を取り払い出窓式飾り棚にリフォームしました。そこに師匠に揮毫していただいた茶掛けをかけました。大体イメージ通りにリフォームできました。明かり窓は写経をしていますので、その方がたの手元が暗くならないように大工さんが考えてくださいました。
ここに法事の時はお写真や蔭膳を供えるつもりで考えてみました。さて、この茶掛けには「徧界の弥露は夢なり」という道元禅師の一文が書かれています。私の座右の銘ともいえるお言葉です。道元禅師が意味される「夢」は、「仏界の現れ」とイコールといってよいでしょう。「あまねき世界に現れたる一切のことは、仏界の現れである。」と訳しておきますが、夢は今私たちがはかない夢というように受け止めている意味合いにもとってよいのではないでしょうか。母の姿も、それを介護している私の姿も、また夢です。)